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6:キス……してもいい?
しおりを挟む水族館の次に会ったとき、早川くんはなぜかイライラしていた。
バスケで何かあったのかなとぼくは思った。
その日、早川くんは、いつもとちがう部屋を選んだ。
少し広めの、値段の高い部屋。
無人の受付のタッチパネルで、その部屋を選んだ早川くんに、
「……いいの?」
と聞くと、少しだるそうに「……いいんだよ」と答えた。
ガラス貼りの大きなバスルームのある部屋に入った早川くんは、床にリュックを放り投げ、キングサイズのベッドにドスッと腰を下ろした。
いつもはすぐ触ってくるのに、何もしてこない。
その横にそっと座り、
「……あの――」
おずおずと、ぼくは口を開いた。
「部屋代――高かったから、今回はぼくが――」
言い終わる前に早川くんに両手首をつかまれ、ベッドの上に押し倒される。
「……いいっつってんじゃん――」
うなるように言った早川くんが、ぼくの首筋に顔を寄せ、制服のシャツのボタンをせわしく外す。喉から胸元へと滑り落ちていく唇。
やっぱり、するんだ――なんとなく安堵したそのとき、早川くんの動きが突然止まった。
ぼくの肩に手をかけ、横になったまま、ピクリとも動かない。
「――どうしたの……?」
ぼくは早川くんの背中にそっと触れた。
すると、早川くんは、ぼくに覆いかぶさり、
「――大事な試合で負けたんだ……」
そう一言、つぶやいた。
「今日勝てば全国大会に行けたのに――おれがボールを取りにいかなきゃいけないところで足が動かなかった――」
がっしりした幅のある肩が、小刻みに震える。
「おれのせいだ……あんなにみんなでがんばってきたのに――仲間や応援してくれた人たちにホント申し訳ない……」
「…………」
ぼくは早川くんの体重を黙って受け止める。
「……大丈夫だよ――」
その背中をそっとさすり、
「――悔しいって気持ちがある限り、人間は成長できる。大事なのはその気持ちにしっかり向き合って、そこからまた努力を重ねることだって有名なスポーツ選手が言ってたから――」
泣いている子をなだめるように言う。
顔を上げた早川くんは、ぼくをまじまじと見つめ、
「おまえって――何部……?」
と聞いてきた。
「え――しょ――将棋部」
「……マジ?」
「うん」
「――それって大会とかあんの?」
「あるよ」
「……おまえも出るのか?」
「――うん、毎年8月に全国大会があって、今年は予選で負けちゃったけれど、去年は全国まで行った。……決勝で負けちゃったけどね」
「……すげぇじゃん」
「全然そんな――好きでやってるだけだし、早川くんみたいにプロを目指してるとかでもないし――ただ……」
一瞬考えてから、ぼくは続けた。
「将棋は、子どものころ、お父さんが教えてくれて、そこから好きになったから――なるべく続けたくて――」
――小学生だったときの、日曜日。
お昼ごはんを食べたあと、縁側で、将棋盤を挟んでお父さんと対戦した。
ぼくに負けると、悔しそうに頭を抱えながらも、お父さんはどこか嬉しそうだった。
「……おまえの親って、どんな人?」
早川くんは、ぼくの横に寝そべる。
「――お母さんは、大学で英語を教えてる。お父さんは企業の研究職で、ぼくが高校に入ったころから単身赴任してて、いまは大阪にいるんだ」
「……へぇ――ふたりとも、すげぇエリートだな」
「――そう?」
「そうだよ。――まぁ生まれたときからその環境だと、当たり前だと思うのかもしれないけど、東京に家があるだけでもじゅうぶんすごいよ」
ベッドの上に起き上がった早川くんは、長い両腕で片膝を抱え、
「……うちはすごい貧乏で、母親は朝から晩まで働き詰めだった」
と打ち明けた。
「父親がどうしようもないクズで――全然働かないのに、しょっちゅうおふくろを殴っては金をくすねていく、そんな最低なヤツで――正直、死んでくれたときは、ホッとしたな」
「……お父さん――亡くなったの……?」
「ああ。おれが8歳のとき、浮気相手の女のアパートのベランダから落ちて死んだ。古くなった手すりが腐っていて、そこに寄りかかってタバコを吸っていて落ちたらしい」
「……そんな――」
「――ひどい話だと思うだろ? でもそんなショックでもなかったんだぜ。むしろ、ああ、これでやっと、押し入れから引きずり出されて気絶するまで殴られなくて済むって思った」
唖然とするぼくに、ふっと突き抜けたような笑みを向けた早川くんは、
「……おまえみたいなおぼっちゃまには、信じられない話かもしれないけどな。毒にしかならない親っていうのはいるんだよ」
ぼくの頭をそっと撫で、
「……だけどたったひとつだけ、あいつに感謝することがあるなら、バスケを教えてくれたことかな――」
とつぶやいた。
「――おまえと同じで、おれもガキのころ、父親からバスケを教わったんだ。昔バスケの選手だったから、子どもにもやらせたがっていたって、死んだあと、おふくろに聞いた」
「お父さんも、背が高かったの?」
「まぁ――アメリカ人だしな」
「えっ?」
ぼくは目を見開く。
「そうなの?」
「ああ――……あれ、話してなかったっけ?」
「うん……」
「おれ、ハーフなんだ。この髪は生まれつきだよ」
早川くんは、キラキラした金髪をつまみ上げる。
「そうなんだ……」
てっきり、染めているのかと思っていた。
驚きを隠せないぼくに、
「まぁたいていは、染めてると思われるけどな。――おまえも最初はチャラいヤツだと思ったんだろ?」
「……それは――」
「――……真面目なヤツが、こんなことしてくるか?」
ぼくの首筋に手を回した早川くんは、ぐいっと強く引き寄せた。
鼻先が触れ合うほど近い距離。
トパーズ色の澄んだ瞳が、まっすぐにぼくを捉える。
そのかっこよさにドキドキして目を瞬いていると、
「……キスしていい?」
真顔で聞いてきた。
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