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第六十五話 『荒行』
【酒呑童子】
一睡もできず翌朝を迎えた。
特に騒ぎも聞こえてこなかった。
竹の水筒と鉈一本を与えられ、雪の舞う中、鉄囲山の北側に向かった。
この荒行は、雪の積もった時期を選んで行われる。
雪に埋もれた山中の指定された地点で、足掛け八日を一人で耐え抜き、自力で山を降りてくれば合格である。
山に向かったふりはできない。
十二大師の式札が山に潜み、見張っているからだ。
十の歳には、すでに人間の大人をしのぐ身の丈があったが、昨夜から降り続いた雪は、平地でもわしのひざ上まで積もっていた。
鉄囲山の北側に至っては腰まであった。
これでも、ましな方だ。
もう一月もすれば、南側でさえ大人の身の丈より降り積もる。
かんじきを与えられるはずもなく、行く手を遮る雪に足をとられ、寒さに震え、感覚を失った足で指定された場所を目指す。
吐く息が前方を白く染める。眉を凍らす。
いかに鬼が桁外れの体力を持っていようが、無尽蔵ではない。
八日間とは言え、この環境で生き抜くのは至難の業だ。
熊の皮の上着と毛沓を与えられていたが、万全には程遠い。
出発時には静かに降っていた雪に風が加わり始めた。
一刻も早く寒さをしのげる場所を確保しなければならなかった。
沢ぞいの傾斜地で杉の根元に窪みを見つけた。
ここなら、と雪をかき分けてみたが、穴の奥で熊が冬眠していた。
先に居るものを追い出すわけにもいかない。
別の場所を探そうと、雪をかき分け、半町ほど進んだところで、足元が崩れ落ちた。
雪に埋もれながら斜面を転がり沢に落ちた。
沢は浅く、流されることはなかったが、全身ずぶぬれになった。
容赦なく、風が、冷えたわが身を打つ。
痛みが襲う。
喉の奥が凍りつく。
瘧にでもかかったかのように震える体に鞭打って、雪で壁を作ろうとするが、痛みを通りこして感覚が無くなっている。
体が震える。思うように動かない。
修行の中で、火をおこす呪は習っていない。
師が使うところを目にして、すでにわが物としていたが、使うわけにもいかなかった。
火口を入れた竹筒を持ち歩くことを禁止されていたからだ。
すなわち、火を使わず乗り切ることが前提だったのである。
と言って、このままでは半刻もたたぬうちに、手足どころか命をも失うだろう。
体を温める呪は会得していなかった。
猶予はなかった。
背に腹は代えられず、法力を使い、熊を穴から追い出した。
怒りに満ちた目で襲ってきたが、そのたびに法力で、その巨躯を弾き飛ばした。
わしに目を向けるたびに繰り返した。
やがて熊は逃げ去った。
風も吹き込まず、熊の体温が残っているであろう穴倉にもかかわらず、胸の痛みに襲われた。
それが寒さによるものなのか、おのれの非道に耐えられなかった物なのかは定かでない。
降り積もる雪は、やむ気配がない。
明日からのことを考えた。
水は雪があるのでどうにでもなる。
だが、熊は冬眠のための食料をため込まないため、食料の調達は必須だった。
体の大きな鬼は、本来人間の何倍もの食料を必要とする。
調達できねば、七日後に、ここで骸になっているだろう。
生きていたところで一歩も動けぬほど弱っていれば同じことだ。
様子見をしていたところで、寒さが一層体力を削るであろう。
体が動くうちに手に入れるべきだと決断した。
震えながら衣を身に着ける。
熊が寝床に敷いていた小さく噛み切った笹を、体と濡れた衣の下に挟み込む。
ここに来るまでの道で栗や胡桃(くるみ)の木は見かけなかった。
見つけることができたところで、その実は雪の下に埋まっているだろう。
百合根も雪に埋もれ、茎がどこにあるかさえわからない。
それどころか、降りしきる雪で自分がどこにいるかもわからぬ始末だった。
このような立地も織り込み済みと言うわけだ。
足跡が残っているうちに引き返さねばならなかった。
樹洞を見つけると、呪の力で中の物をすべて引っ張り出した。
三つ目の洞で栗鼠(りす)と栗鼠がため込んでいた食料が雪の上に落ちてきた。
首に掛けた守袋を握りしめた。
籠目の紋様を白く抜いた紺色の袋だ。
籠目は魔よけの紋様とされる。
袋の中には銭の形に似た丸い穴のあいた玉が入っている。
翡翠(ひすい)と呼ばれる宝玉であるという。
昨夜、あの後――三角を見送った後、師がわしにくれたのだ。
誰にも見せてはならぬと前置きをして。
宝玉は言うまでもなく、鬼のわしに魔よけの紋様の守袋とは、と思ったが、師の心遣いがこのうえなく嬉しかった。
これを手にしていなければ、相手がたとえ獣であっても、こたびのような無慈悲なことはできなかっただろう。
わしは、すでに、生きることに疲れていたのだ。
この国で法師、鬼師となる者は、おのずと人の命を奪うことを求められる。
やがては、この国に敵対する者を呪う役が回ってこよう。
そして宮廷陰陽師に呪を返され命を失う――そのような一生を送って何になるのだ、と。
栗鼠のため込んでいた胡桃と溶かした雪を口にし、
三角の無事を祈り、眠りについた。
*
――二日目の朝。
雪は小降りになっていた。
再度、食料を調達しようと穴倉を出た途端、山犬が襲ってきた。
偶然ではあるまい。
これも荒行に組み込まれているのだろう。
襲ってきたのは三匹だった。
山犬にも序列がある。
堂々たる体躯の赤毛が首領であった。
狼の血が混じっているのか足が長い。
すでに、法力で鉈(なた)を飛ばし、獣の首を掻き切るだけの力は身に着けていた。
呪縛し、首をねじ切ることもたやすくできただろう。
だが、実際にやったのは、山犬どもを宙に浮かべ、十間先に弾き飛ばすことだった。
しかし、降り積もって間もない雪の上に落ちたところで大した痛みも感じないらしく、繰り返し襲ってきた。
やむを得ず、木の幹に叩きつけると、二匹は尻尾を巻いて去っていったが、首領はあきらめなかった。
まっとうな手段ではかなわぬと知ると、待ち伏せして、あらゆるところから襲ってきた。
やむなく動けぬように呪で縛った。
そのまま放置していれば山犬も凍え死ぬことになる。
穴に入れ、翌日、鷹が仕留めた兎(うさぎ)を横取りして分け与えた。
しばらくは抵抗していたが、狭い穴の中で寄り添うように過ごすうち、山犬の目からも殺気が消えていった。
力で屈服させた関係ではあったが、いつしかわしは安らぎを覚えるようになった。
抱き合っていれば、お互い暖かい。
赤毛の山犬は、わしに従うようになった。
「赤」と名付けた。
八日目に赤と共に山を降りた。
すがすがしい雪の匂いが、赤とわしを包んだ。
*
一睡もできず翌朝を迎えた。
特に騒ぎも聞こえてこなかった。
竹の水筒と鉈一本を与えられ、雪の舞う中、鉄囲山の北側に向かった。
この荒行は、雪の積もった時期を選んで行われる。
雪に埋もれた山中の指定された地点で、足掛け八日を一人で耐え抜き、自力で山を降りてくれば合格である。
山に向かったふりはできない。
十二大師の式札が山に潜み、見張っているからだ。
十の歳には、すでに人間の大人をしのぐ身の丈があったが、昨夜から降り続いた雪は、平地でもわしのひざ上まで積もっていた。
鉄囲山の北側に至っては腰まであった。
これでも、ましな方だ。
もう一月もすれば、南側でさえ大人の身の丈より降り積もる。
かんじきを与えられるはずもなく、行く手を遮る雪に足をとられ、寒さに震え、感覚を失った足で指定された場所を目指す。
吐く息が前方を白く染める。眉を凍らす。
いかに鬼が桁外れの体力を持っていようが、無尽蔵ではない。
八日間とは言え、この環境で生き抜くのは至難の業だ。
熊の皮の上着と毛沓を与えられていたが、万全には程遠い。
出発時には静かに降っていた雪に風が加わり始めた。
一刻も早く寒さをしのげる場所を確保しなければならなかった。
沢ぞいの傾斜地で杉の根元に窪みを見つけた。
ここなら、と雪をかき分けてみたが、穴の奥で熊が冬眠していた。
先に居るものを追い出すわけにもいかない。
別の場所を探そうと、雪をかき分け、半町ほど進んだところで、足元が崩れ落ちた。
雪に埋もれながら斜面を転がり沢に落ちた。
沢は浅く、流されることはなかったが、全身ずぶぬれになった。
容赦なく、風が、冷えたわが身を打つ。
痛みが襲う。
喉の奥が凍りつく。
瘧にでもかかったかのように震える体に鞭打って、雪で壁を作ろうとするが、痛みを通りこして感覚が無くなっている。
体が震える。思うように動かない。
修行の中で、火をおこす呪は習っていない。
師が使うところを目にして、すでにわが物としていたが、使うわけにもいかなかった。
火口を入れた竹筒を持ち歩くことを禁止されていたからだ。
すなわち、火を使わず乗り切ることが前提だったのである。
と言って、このままでは半刻もたたぬうちに、手足どころか命をも失うだろう。
体を温める呪は会得していなかった。
猶予はなかった。
背に腹は代えられず、法力を使い、熊を穴から追い出した。
怒りに満ちた目で襲ってきたが、そのたびに法力で、その巨躯を弾き飛ばした。
わしに目を向けるたびに繰り返した。
やがて熊は逃げ去った。
風も吹き込まず、熊の体温が残っているであろう穴倉にもかかわらず、胸の痛みに襲われた。
それが寒さによるものなのか、おのれの非道に耐えられなかった物なのかは定かでない。
降り積もる雪は、やむ気配がない。
明日からのことを考えた。
水は雪があるのでどうにでもなる。
だが、熊は冬眠のための食料をため込まないため、食料の調達は必須だった。
体の大きな鬼は、本来人間の何倍もの食料を必要とする。
調達できねば、七日後に、ここで骸になっているだろう。
生きていたところで一歩も動けぬほど弱っていれば同じことだ。
様子見をしていたところで、寒さが一層体力を削るであろう。
体が動くうちに手に入れるべきだと決断した。
震えながら衣を身に着ける。
熊が寝床に敷いていた小さく噛み切った笹を、体と濡れた衣の下に挟み込む。
ここに来るまでの道で栗や胡桃(くるみ)の木は見かけなかった。
見つけることができたところで、その実は雪の下に埋まっているだろう。
百合根も雪に埋もれ、茎がどこにあるかさえわからない。
それどころか、降りしきる雪で自分がどこにいるかもわからぬ始末だった。
このような立地も織り込み済みと言うわけだ。
足跡が残っているうちに引き返さねばならなかった。
樹洞を見つけると、呪の力で中の物をすべて引っ張り出した。
三つ目の洞で栗鼠(りす)と栗鼠がため込んでいた食料が雪の上に落ちてきた。
首に掛けた守袋を握りしめた。
籠目の紋様を白く抜いた紺色の袋だ。
籠目は魔よけの紋様とされる。
袋の中には銭の形に似た丸い穴のあいた玉が入っている。
翡翠(ひすい)と呼ばれる宝玉であるという。
昨夜、あの後――三角を見送った後、師がわしにくれたのだ。
誰にも見せてはならぬと前置きをして。
宝玉は言うまでもなく、鬼のわしに魔よけの紋様の守袋とは、と思ったが、師の心遣いがこのうえなく嬉しかった。
これを手にしていなければ、相手がたとえ獣であっても、こたびのような無慈悲なことはできなかっただろう。
わしは、すでに、生きることに疲れていたのだ。
この国で法師、鬼師となる者は、おのずと人の命を奪うことを求められる。
やがては、この国に敵対する者を呪う役が回ってこよう。
そして宮廷陰陽師に呪を返され命を失う――そのような一生を送って何になるのだ、と。
栗鼠のため込んでいた胡桃と溶かした雪を口にし、
三角の無事を祈り、眠りについた。
*
――二日目の朝。
雪は小降りになっていた。
再度、食料を調達しようと穴倉を出た途端、山犬が襲ってきた。
偶然ではあるまい。
これも荒行に組み込まれているのだろう。
襲ってきたのは三匹だった。
山犬にも序列がある。
堂々たる体躯の赤毛が首領であった。
狼の血が混じっているのか足が長い。
すでに、法力で鉈(なた)を飛ばし、獣の首を掻き切るだけの力は身に着けていた。
呪縛し、首をねじ切ることもたやすくできただろう。
だが、実際にやったのは、山犬どもを宙に浮かべ、十間先に弾き飛ばすことだった。
しかし、降り積もって間もない雪の上に落ちたところで大した痛みも感じないらしく、繰り返し襲ってきた。
やむを得ず、木の幹に叩きつけると、二匹は尻尾を巻いて去っていったが、首領はあきらめなかった。
まっとうな手段ではかなわぬと知ると、待ち伏せして、あらゆるところから襲ってきた。
やむなく動けぬように呪で縛った。
そのまま放置していれば山犬も凍え死ぬことになる。
穴に入れ、翌日、鷹が仕留めた兎(うさぎ)を横取りして分け与えた。
しばらくは抵抗していたが、狭い穴の中で寄り添うように過ごすうち、山犬の目からも殺気が消えていった。
力で屈服させた関係ではあったが、いつしかわしは安らぎを覚えるようになった。
抱き合っていれば、お互い暖かい。
赤毛の山犬は、わしに従うようになった。
「赤」と名付けた。
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