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第六十四話 『逃亡』
しおりを挟む【酒呑童子】
三角の言うとおりだ。
所詮、われらは奴婢なのである。
鬼にとって、この国こそが地獄そのものなのである。
天分を見せようが見せまいが、陽の当たる場所には決して立てない。
二十四守護鬼、あるいは鉄囲山の四方を護る四鬼となって国に貢献すれば安穏な老後が待っている――と、法師どもは餌をぶら下げる。
が、そのような、たわごとを信じる鬼はいない。
十五の齢の最終検見「死合」で、天分を見せたと言われる鬼たちほど姿を見ない。
守護鬼は荒覇吐神社の西にある殿舎に籠り、護法により、この国を護っている。
そう聞かされてきた。
籠っては、いるのだろう。
敵対する朝廷の殿上人や帝を呪うために。
しかし、都にも宮廷陰陽師たちがいる。
相手の命を奪おうとする呪詛は、返されると、呪った者の身に降りかかる。
長生きできぬのだ。
それを修験者の鬼や民に知られたくないのだ。
われら鬼は、それを補完する要員として生かされているのだ。
それどころか、朝廷陰陽師の呪詛のすべてを引き受ける贄(にえ)として使われているだけかもしれぬ。
それらは決して妄想とは言えまい。
なぜなら、年老いた鬼の姿を目にした者は皆無だからだ。
「頼む」という言葉で、われに返る。
三角は、動く左手だけを上げ、拝むように頭を下げた。
わしは神でも仏でもない。
「師を嬲り殺す。それが出来るのなら、命などくれてやる……その力を身につけるまで生き抜くのだ。それだけを思い、耐え抜いてきた。にもかかわらず、このざまだ……笑うがいい、青よ。情けない男よ、と。なんのために耐えてきたのだと。だが、師は、わしを荒行に向かわせる気などないのだ。そう口にしたのだ……次は……次は、足でも折ろうというのだろう」
わが師からも、「何があっても、日延べなどせぬ」と言われていた。
いざ、国を護る戦となった時、体の具合が悪い、では役に立たない。
体調の管理や運の良しあしも大事なことだと。
三角は、直属の師からその才能を疎まれていた。
いや、それどころか憎まれていた。
力のある弟子を育てることが師の役目であり、評価につながるものだと思っていた。
が、わしの見る限り、多くの大師が、鬼の天分に嫉妬して、つぶしにかかっているとしか見えなかった。
そもそも、人間と鬼の力の差は歴然としていた。
三角の師である大師の息子も法師の修行をしていたが、比べるのも恥ずかしいほどだと聞いている。
にもかかわらず、折檻を受けるのはいつも三角だった。
やがて、三角も師を前に不遜な態度をとるようになった。
――三角の気持ちは痛いほどわかる。
鬼たちの師への憎しみは言葉に尽くせぬものがある。
いつ何時、暴走しても不思議ではない。
われら鬼には生まれ持った頑強な肉体がある。
隙をついて、師の首をねじ切りたいと思っている者は数えきれぬだろう。
しかし、願いを叶えた者はいない。
十二大師は、荒覇吐神が鍛えた、自らの法力を増幅する神器、鉄囲(てっちん)を手にしているからだ。
なにより、鬼は、その力を師に向けることが出来なかった。
なぜなら――呪詛を唱えれば、それがそのまま、おのれに跳ね返るからだ。
岩を手に、師の頭を割ろうとすれば、岩が跳ね返り、おのれの頭を割る。
――修行の時に、いやと言うほど、それを見せつけられてきた。
この国のどこかに、われら鬼の本当の名――諱を刻んだ竹簡があるという。
事の真偽も定かでない、噂話だ。
だが、それが事実であればと願っていた。渇望していた。
その竹簡を見つけ出し、名を削れば、燃やしてしまえば、自由になれると夢を見ることができた。
――もの思いに沈んでいる場合ではない。
三角を止めなければならなかった。
見逃したことがばれれば、わしの身とて危ない。
そもそも、この国から逃げおおせた鬼はいないのだ。
止めることが三角のためになるのだ。
なにより、わしには三角を力づくで止める力がある。
誰にも見せたことはないが、呪縛する法力も、とうに身につけていた。
三角が声をかけてきた。
「青よ」と。
「ともに逃げぬか?」と。
思わず、三角の顔を見た。
わしは、どのような表情を浮かべていたのだろう。
なぜ、今、この時になって、そのようなことを口にするのだ。
友であれば事前に相談すべきであろう。
打ち明けるべきであろう。
わしとともに逃げぬか、と。
今となっては、見逃せという言い訳にすぎぬではないか。
わしの顔は恐怖と怒りに歪んでいただろう。
三角は、一泊置いて寂しそうに続けた。
「……そうだな。お前の師は、わしの師ほど理不尽ではなかろう。だが、われらは所詮、奴婢なのだ。だくだくと従っていたところで、ろくな死に方はできぬのだぞ」
違う。そんな言葉が聞きたかったのではない。
とは言え、三角の言う通りだ。
おとなしく頭(こうべ)を垂れていたところで、その先に待っているのは地獄だけだ。
だが、わしは臆病者なのだ。
それが分かっていても行動など起こせなかった。
三角もそう思ったのだ。
だから、声をかけなかったのだ。
事実、手も足も震えていた。
三角は、おのれの言葉に恥じたように、「すまぬ」と、わしに声をかけ、頭をたれて横をすり抜けていった。
月の光を浴びた木の枝の影が足元の白銀の雪に映る。
それは、まるで柵のように見えた。
湊に向かう三角を見送った。
決断できる勇気に嫉妬しながら。
寒さと緊張で棒のようになった足を叱咤し、戻ろうと振り返った途端、息が止まり、背筋が凍った。
小望月の下に人影があった。
わが師だった。
師は、しばらくわしを見つめていたが、何も言わず背を向け、雪に覆われた峠道を下りていった。
再び雪が舞い始めた。
師とわしの間を遮断するかのように。
*
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