あさきゆめみし

八神真哉

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第六十八話  『烙印』

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【酒呑童子】

わが師は、荒覇吐様に心酔していた。
今や神として祀られている荒覇吐様は、自らが鍛えた剣をはじめとした十種神宝を発動させ、大和の侵略から壱支国を守った英雄である。

大和の軍勢で、生きて帰れた者は十人に満たなかったと言われている。
海を渡る途中で鮫に襲われ、櫂(かい)の多くを失い、壱支国にたどり着けず、引き返した者だけだったと。

その者たちは、天から舞い降りる神兵の軍勢を見たと大和の大王に報告した。
おおよそ四百年前の事である。

以降、大和は、十種神宝の力を怖れ、小国である壱支国にも強硬に出られなくなった。
荒覇吐様の死後、名前だけの国宰……今でいう国司を置くことを要求してきたが、壱支国に赴任させることはなかった。
荒覇吐様の血を継いだ者が国の長を継ぐことに異をはさまなかった。

だが、その子孫である長の一族や修験者たちの法力は、荒覇吐様には遠く及ばなかった。
十種神宝を発動させることのできる者は現れなかったのだ。

長く秘されてきたようだが、わが師、弱法師の告白などなくとも、十二大師の法力を見れば明らかだった。

その間に、天皇と名乗り始めた大和の大王とその側近は他の国の王や豪族と血縁を結び、陵墓を許し、地域の管轄権を与え服従を強いた。
従わぬ国を力で屈服させていった。

侵略に備え、兵を多く抱えようとしても壱支国のような小国では限度がある。
陸続きの国と違い、近隣の国との連携も難しい。

もともと呪術に秀でた国である。
ならば力のある術者を多く抱えることだ。
それが抑止力となる。
それが国是となった。

人に比べ鬼には体力がある。
厳しい修行で死んだところで、文句を言う者もいない。
いつしか修験者が諸国に赴き、鬼の子を譲り受け、あるいは買い取って育て上げる仕組みが出来上がった。

おのずと厳しい修行になる。
死ぬモノが後を絶たない。

それほどの修行に耐えながら、わしは鳥一羽、獣一匹の命を奪うことさえできなかった。
苦しめることさえできなかった。
我慢強く指導してくれた師に折檻されようとできなかった。

十四になった歳に、一つ上の兄弟子が、鬼だけで構成される二十四守護鬼に推され、わしは師の唯一の弟子となった。

この歳の法力勝負は、ただただ、相手の術を撥ね返し、金縛りにするだけのわしの戦い方では及第点は与えられない。
「相手が反撃できぬほど痛めつける術」を身に着けていることが条件となる。

例え勝負に勝っても、それができぬ鬼は「無能」の烙印を押される。
師から「お前がやらぬのなら、わしが相手の両足を折ってやろう」と脅された。

両足を折られた鬼の行く末は決まったも同然である。
人間の修験者どもの「的」にされよう。
「山」でも使い物にならぬからである。

結局、わしは他の鬼たちから忌み嫌われることになった。
十の齢の荒行以降、わしは獣を殺めるどころか痛めつけることさえできなくなっていた。
ゆえに加減が分からず、相手を十間も弾き飛ばし、そやつの腕と肋骨を折ったからだ。

同時に、それほどの力を持ちながら、それを自在に操れない役立たずであることが白日の下にさらされた。

圧倒的な力を見せて勝ったにもかかわらず、「モノにならぬ」との烙印を押されようとしていた。

翌年の十五の法力勝負は、相手を痛めつければ良しとされる腕比べの類ではない。
鬼同士の命を懸けた「死合」である。
才能のある者とない者が組み合わせられる。

今度こそ手加減など出来なかった。
負ければ――万一、命をとりとめても「無能」の烙印を押されるだろう――――それは、人間どもの「的」となるということだ。運が良くて「山」行き。
だが、それでも良いと思っていた。

二十四守護鬼に選ばれたところで、憎くもない相手を呪い、命を奪うことなどできるはずがない。
暗い坑道の中で毒に侵され、落ちてくる岩の下敷きになった方がはるかにましというものだ。

     *

十五の歳の法術勝負「死合」は、須弥山の中腹に築かれた、すり鉢状の検見場で行われる。
鬼の間では「白い奈落」と呼ばれている。
積まれた岩が白かったからだ。

その日、まさに、その奈落の底で、わしは唇を震わせながら立っていた。

一方で、これまでにない興奮が体を支配していた。
勝たねばならなかった。
たとえ、相手を瀕死の状態に追いこもうとも。

わしは覚悟を決めていた。
生きて、ここを出るために。
生きて、師の口から母の話を訊くために。

昨夜、師に申し入れたのだ。
わしを拾ってきた時のことを教えて欲しいと。

鬼の出自に関することは禁忌とされていた。
それを鬼自らが口にしたのだ。
折檻どころか、「無能」の烙印も覚悟の上だった。

「死合」では、相手を殺すか、それに準ずる結果が求められる。
そのようなことが、わしにできるはずもなかった。
加えて、三角の死によって生まれた心の空洞はいつまでたっても埋まることはなかった。

――いっそのこと、師に幕を引いてほしいとさえ思っていた。

だが、一つだけ心残りがあった。
母が、わしを捨てた理由だ。

師に訊きたくとも訊けなかった。
禁忌を口にして、せっかんを受けることよりも、その答え、そのものの方がはるかに怖ろしかったからだ。

ならばと、勝手に夢想した。
鬼である夫が先に逝き、おなご手ひとつで鬼の子を育てることが……人間どもから守ることが困難だったに違いない、と。

そこに、引き取ろうと言う法師が現われた。
わが子が餓死するよりも、人間どもに打ち殺されるよりもと。
泣く泣く譲ったのだと。
母は、決して、わしを売ったりしなかったのだと。

そう思わねば、生きていけなかった。
修行になど耐えられなかった。
奴婢として生きていくことなどできなかった。

嘘でもいい。
師ならば、わしの気持ちを察し、そう答えてくれるのではないか。
それを聞けば、「無能」の烙印を押されようとも、笑って死んで行けようと。

師は答えた。
「お前が明日の死合に勝てば教えてやろう」と。

    *
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