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灰色の箱の中身1
しおりを挟む秋の麗かな日差しが部屋に差し込む。今日は小春日和だ。
土曜日なので学校がない僕は休日だけど、あーさんは締め切りがまずいみたい。
朝ご飯の時から、どこと無くイライラが隠し切れてなかった。トーストにバターを塗る時だって、いつもより雑だったし、コーヒー飲む時もマグカップからこぼしたりし舌打ちをしたり、何かがおかしかった。
そんな時に「機嫌悪い?」って指摘すると「あ?」とドスの聞いた言葉が返ってきてしまうため、僕はにっこり笑顔でスルーする。
長年一緒に暮らしてきた僕にとっての暮らしの知恵だ。
朝食の皿が洗い終わり、ソファで本を読みながら一息ついていると、あーさんは僕に向かって仁王立ちで宣言した。
「良いか、今日は締め切り前だから、何がなんでも俺の部屋の扉を開けるなよ? 開けたら、外に放り投げるからな」
「わかってるよ。ってか、放り投げるって、小学校の時とおんなじ罰じゃん。もう僕あーさんより十センチくらい身長高いんだから、体格的に、あーさん放り投げられないでしょ。あーさんひょろいし」
「ニュアンスを汲み取れ」
仏頂面でそう言い捨てたあーさんはそのまま、ずるずると猫背な歩き方で自室に篭ろうとする。
「あ、あーさん。これ。持っていって」
僕はキッチンに小走りで向かい、あらかじめ握ってあったおにぎりとステンレスのポットいっぱいに入れたコーヒーとマグカップが乗ったお盆ををあーさんに手渡す。ちなみにおにぎりの具はあーさんが大好きな明太子だ。
「ん、サンキュ」
「がんばってね」
僕はそうしてバタンとしまった扉に向かって、ひらひらと小さく手を振った。これで僕の朝の任務は完璧である。
——さて、何をしよう。
本当は掃除機でもかけてしまいたいけれど、あーさんは執筆中だし、大きな音を立てると殺されてしまう。
ウエスでも作るか。
僕は浴室に重ねてあるタオルの中から糸が伸びたりしてボロボロになったものを引っ張り出しリビングに戻る。
キッチンの下に置いてあった木製の裁縫箱の中から、裁ち鋏を取り出して、ジョキジョキと切り始める。
ハンカチほどの大きさに切ったものをキッチンに置いてある、米びつほどの大きな瓶の中に入れておけば、汚れを見つけた時にいつでも拭き取れて便利だ。
うん。完璧。めちゃくちゃ丁寧な暮らし。
僕はあーさんと暮らすまで、バスタオルをウエスにするなんて文化、知らなかった。それまでの僕の家では必要になったものは買ってしまえば良いという考え方で動いていたからだ。
多分、そういう暮らしが許されるうちは裕福だったのだろう。文字通り父は朝から晩まで働いていたし、母はいつも綺麗な格好をしていることが許されていた。
そういえばお母さんはお嬢様育ちだったような気がするなあ。
僕は母が料理をしている姿を見たことがなかった。いつでも出来合いのものを買ったりして、適当に済ませていた。母は僕を愛していたというより、餌を与える飼育員のように、僕を殺さないように、管理している、というニュアンスを感じさせる人だった。
反対に、あーさんはほとんど出来合いのものを買わない。
「誰がどう作ったかわからんものをあんまり口に入れさせたくない」
なんて言って、なんでも自分で作っちゃうんだよなあ。
あーさんが初めて僕を自分の家に連れてきた時の料理、感動して今でも覚えている。
ほうれん草のお味噌汁と出汁巻き卵、鮭を焼いたやつに白ごはん。これぞ、ザ・日本の食卓っていうメニューで感動した。
その日僕はこの人がどんな人でも従わなくちゃいけないんだってすごく緊張して、心の奥から爪の先まで、冷たくして怯えていた。
そんな時に食べた、あの味は僕の心をホロホロと溶かした。
その後、あんまりにもそのメニューが美味しかったので、それを再現しようと練習した。
自分で料理を作って初めて気が付いたのは、簡単なメニューでもとんでもなく、手がかかっているということだ。
例えば、ほうれん草のお味噌汁はそのまま切って入れちゃうと、灰汁で苦くなっちゃうから、一度ゆがかなくちゃいけない。
あーさんは出汁も、顆粒だしを使わない。きちんと煮干しから、とるのだ。
煮干しは頭とはらわたをとって、前日から水に浸してだしをとる。火にかけてからも、沸騰する前に鍋からあげないとえぐみが出てしまうから、慣れないうちは火加減に苦労した。
当たり前の食事にはとんでもない手間と労力がかかっているのだ。
そんな小さな気遣いをあーさんは僕に惜しむことなく施してくれる。それは僕にとって、何にも替えがたい救いだった。
思いを練り混んだ生活は温かくて心地がいい。
あーさんも僕との生活を心地いいって感じてほしいな。そんな気持ちから、自分のことは自分でできる年齢になった僕は、家仕事へ熱心に取り込んでいるのだ。
大切な人のために家事をすることはちっとも苦じゃない。
最近僕は、あーさんが昔言っていた、人を大切にすることは自分大切にすることなんだってことが、体感としてわかるようになっていた。
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