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本編

14 こうして僕はアララギ中佐改め少将に身請けされました

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 僕の左乳首に小さな金色の輪っかが付いてからさらに半月後、高級娼館を出る日がやってきた。もちろん身請け先はアララギ中佐、じゃなくて、めでたく昇進したアララギ少将だ。
 身請けされる僕を男娼仲間たちが祝ってくれた。ところが相手がアララギ少将だと知ると微妙な顔に変わる。二歳下の後輩男娼に訳を聞いたら「だって、アララギさんって無駄に怖そうなんだもん」と言われてしまった。
 たしかにアララギ少将は軍人さんの中でも滅多に見ないくらい体が大きく、いつもムッとしているような強面だ。僕も自分のお客さんじゃなかったら「ちょっと怖いなぁ」なんて思ったかもしれない。
 でも、笑うと本当に可愛いんだ。あれだけいやらしいことをしたり言ったりする人なのに、ちょっとしたことで頬が赤くなるのも可愛いと思う。なにより理想的な逸物と絶倫具合がたまらない。こんな僕のことを好きだと言ってくれるのも嬉しかった。

「……コイツ、絶対に俺の話、聞いてないよな?」
「そうだなぁ、頭の中はお花畑だろうからね」
「こらツバキ、最後なんだぞ。ちゃんと話を聞け」
「ひゃっ」

 主人に額をペチンと叩かれてハッとした。そうだった、最後の挨拶をしようと思って主人とヤナギさんに時間を作ってもらったんだった。それなのに、つい少将のことを思い出してはニマニマして、主人の声がまったく耳に入っていなかった。

「見事、初恋を成就させたんだから頭が花畑になるのはわかる。だが、人の話はちゃんと聞け」
「ごめんなさい」
「あはは、どんな奴だって初恋が実ったらお馬鹿さんになるものだよ。ツバキだけじゃない」
「……ヤナギ、何か言いたそうだな?」
「ん? 言ってもいいなら言うけど」
「やかましい。黙ってろ」

(んん? どうしたんだろう? まさかケンカ?)

 主人とヤナギさんの様子がいつもと違っているような気がする。もしかしてケンカしているのだろうかと思ったけど、ヤナギさんがニコニコ笑っているということは違うのかもしれない。気にしたところで僕にはわからないから、とりあえず二人の話をちゃんと聞くことにした。

「で、ツバキは少将が新しく買った屋敷に行くんだったな」
「はい、そう聞いてます」
「三番街だったか」
「三番街の端だそうです。そうだ、有名なチョコレート屋さんがある通りの先だって聞きました」
「あぁ、あの王室御用達の店か」

 通りの名前にもなっているそのチョコレート屋さんは、王妃様と王子様たちも大好物だという有名なお店だ。僕も一度だけお客さんにもらったことがある。

(あれは本当においしかった)

 いま思い出しても感動的なおいしさだった。あのチョコレートを食べて以来、僕の一番好きな甘い物がチョコレートになったくらいだ。
 チョコレート屋さんがある三番街は娼館街がある五番街からは少し遠いから、自分で買いに行くことはなかった。でも少将と住むお屋敷はチョコレート屋さんに近いから、これからはいつでも買いに行くことができる。

(少将も甘い物は食べるから、二人で買いに行くのもいいなぁ)

 チョコレートも楽しみだけど、少将と買い物ができるかもしれないことのほうが断然楽しみになる。

「駄目だ、今度はチョコレートで脳みそが埋まりやがった」
「あはは、ツバキは相変わらずだなぁ」
「小さい頃から変わらなさすぎて、逆に心配になるぞ」
「ツバキは喜怒哀楽の喜びや楽しみにはすぐに夢中になるからね。代わりに本当の意味での怒りと哀しみが欠落してしまった。それが男娼として生きていく術だったんだろうけど、これからは少将が十分甘やかしてくれる。きっとツバキも大人になっていくよ」
「コイツが大人になる未来が見えねぇ」

 また主人に額をぺチッと叩かれてハッとした。今度はさっきよりちょっと強かったからか地味に痛い。

「とにかく、おまえが身請けされたのは喜ばしいことだ。しかし、元男娼ってのは世間様では何かと受け入れられ難いモンでもある。のっぴきならないことが起きたら、迷うことなくここに来ればいい」
「アララギ少将の元なら、そんな心配もいらないとは思うけどね。それでももし何かが起きて、それが自分ではどうにもできないようなことだったらここにおいで。ここはツバキにとっちゃ実家みたいなものだから、ジュッテンも僕も喜んで力になるよ」

 ヤナギさんの「実家」という言葉に、ジワッと涙が出てきた。

(そっか。僕はもうここを出るわけで、そうなるとここが「実家」なんだ)

 僕はようやく身請けされるということを実感した。

「またヤナギが泣かせたな」
「泣かせたいわけじゃないのになぁ」
「ひっく、っく、ごめ、なさい。泣くなんて、ひっく、ぼ、くも、思わな、ひっく」
「泣くな、ツバキ。はれて身請けされるってのに、涙なんて縁起でもねぇ」
「……うぅぅ~」
「ジュッテンのほうが泣かせてるじゃないか」
「……チッ」
「ジュッテン、舌打ちしない。ほら、ツバキも泣かないの。ま、本当は娼館に戻って来いとか言うべきじゃないんだろうけど」

 ポンポンと頭を撫でられて、子どもの頃にヤナギさんに何度も撫でられたのを思い出した。本当にヤナギさんには最後までお世話になりっぱなしだ。主人にも最後まで迷惑をかけてしまった。

「落ち着いた?」
「……はい。あの、本当にお世話になりました」
「うんうん、お世話をしました。いやぁ、なんだか娘を嫁に出すみたいだなぁ」
「嫁って、僕、奥様になるんじゃないですよ?」
「少将はツバキのこと、嫁だと思ってると思うよ?」
「だな。ありゃ間違いない」
「えぇー、僕、男ですけど」
「そりゃ彼方あちらさんも知ってるだろうよ。散々勃起したもの見て尻に突っ込んでるんだしな」
「……!」
「あはは、今度は真っ赤になっちゃって。ツバキったら可愛いなぁ」
「男娼なのにこんなことで赤面するなんてなぁ。本当におまえ、どんな育て方したんだ」
「うーん、手取り足取り腰取り?」
「……テメェ、真面目に言ってんだぞ」

 主人の顔が恐ろしい超絶美人さんに変わった。声もドスが利いているから怖い。それなのに笑っていられるヤナギさんは、やっぱりすごい人だ。もしかしなくても、この娼館で一番すごいのはヤナギさんなのかもしれない。

「ま、とにもかくにもめでたいことだ。ツバキ、これからはアララギ少将に思い切り甘えて、たくさん満たされなさい」
「はい……っ」
「それからこれ、僕たちからの嫁入り道具ね」

 笑いながらヤナギさんが差し出したのは高そうな箱だった。蓋を開けると緑色がかった二つの碧玉が入っている。娼館でよく見るかんざしに付けるには少し大きくて、かといって男娼でも身につける耳飾りにするには中途半端な大きさだ。

「これは?」
「軍人は、常に帯刀する短剣か刀剣ってのがある。アララギ少将もそうだろうから、柄にでもはめてもらうといいよ」
「柄に、これをはめるんですか?」
「軍人は装飾品をあまり身につけないからね。でも帯刀する武器の柄なら、いつも一緒だろう?」
「もう一つは、おまえが身につけりゃいい。ま、あれだ。結婚指輪の代わりみたいなもんだ」

 二人の説明を聞いた僕は、顔が真っ赤になるのがわかった。

(け、けけけ結婚指輪……!)

 男娼の僕が、まさかそんなものを身につける日が来るなんて思ってもみなかった。身請けされたとしても愛人止まりだろうし、そもそも好きな人がいなかった僕には関係ないと思っていた。
 それなのに、初めて好きになった少将と結婚指輪のようなものが身につけられるなんて、嬉しすぎてどうしていいのかわからなくなる。

「まぁ、もう指輪みたいなモンは付いてるようだけどな。ったく、身請け前にンなもん付けやがって、あのクソ軍人が」
「ジュッテン、ものすごく口が悪くなってるぞ」
「あの……?」
「ツバキ、胸に装飾品付けちゃったでしょ」

 胸に装飾品……あ。胸元に視線を落としたら、うっすらと小さな金色の輪っかが透けて見えていた。

「あ……あの、これは、その」
「本来、娼婦や男娼の体に傷をつけるのはご法度なんだけどね。まぁ、ツバキはもう身請けが決まってたから問題にはしないけど」
「決まっていても、ここにいる間は男娼であり商品だ。それがわかっていて付けやがったに違いない」

 主人の綺麗な顔がどんどん凶悪になっていく。それなのにますます美人に見えるなんて、いろんな意味で怖い。

「ツバキは、それを付けてもらって嬉しかったんでしょ?」
「う、……はい」
「それならいいよ。ほらジュッテン、睨まないの。それならツバキも、そういうのを少将にも付けたいんじゃないかなと思ってね」
「……つけたい、です」

 結婚指輪は無理だとしても、何かお揃いのものを身につけたいとは思っていた。「この人は僕の大事な人です!」って見せびらかしたい僕の自己満足でしかないけど、小さくてもいいから何かつけてほしかった。

「だから、これ使いな? ツバキの目の色そっくりの石だから、きっと少将も喜ぶと思うよ?」
「……なんか、ちょっと照れくさいですけど」
「なに言ってんだ。胸の輪っかにクソ軍人の目の色の石が入ってんのに気づかないと思ってンのか?」
「ヒッ」
「どうどう、落ち着けジュッテン。ツバキ、まぁそういうことだから、少将に『柄につけてください』っておねだりすればいい」

 照れくさくて言い出せるかわからないけど、僕は深々と頭を下げてお礼を言った。こうして僕は、二十五歳を前にしてはれて身請け先が決まり、高級娼館を後にした。

 娼館街の入り口まで送ってくれたヤナギさんは、歩きながら「ジュッテンとツバキはよく似てる。だからジュッテンもツバキのことを放っておけないんだよ」と話してくれた。
 ヤナギさんの言葉にびっくりした。だって、美人でも何でもない僕と超絶美人な主人のどこが似ているのかさっぱりわからなかったからだ。背格好だけなら近いかもしれないけど、それだけじゃ似ているとは言えない。

「さすがに、主人と僕が似ているっていうのはどうかと思いますけど」
「あはは。まぁ見た目はたしかに違うかもしれないけど、中身が似てるんだよ。ツバキもジュッテンも偏ることでしか生きられなかった。それが危なっかしくもあり、同時に魅力的でもあるんだ」
「偏って……?」
「いろんな部分がちぐはぐなまま育ったってことかな。ジュッテンがそれを他人様に見せることはないけど、ツバキは男娼だったからね。そういう部分に惹かれるお客様もそこそこいたんだ。今後は少将が身も心も可愛がってくれるだろうし、そのうち足りない部分も補えるようになるさ。ま、そうなると今度は余計な虫がつきそうだけど」
「ヤナギさんの話、ちょっと難しいです」

 眉を寄せてウンウン考える僕に、ヤナギさんが「少将にすべて任せておけばいいよ」と笑った。

「男娼の魅力は外見だけじゃない。無垢で無知な子犬を躾けたがる貴族にはたまらない存在だ。そういう意味ではツバキは高級娼館にふさわしい男娼だったかな」

 よくわからないけど、ヤナギさんには最後までよくしてもらったのは間違いない。僕はもう一度ヤナギさんに深々と頭を下げて、それから娼館街の出入り口で待っていたアララギ少将に駆け寄った。
 そのあとも二回振り返ってヤナギさんに手を振った。そうして角を曲がったところで、やっぱり涙が出てしまった。

「寂しいか?」
「そうですね。僕、五歳から娼館にいたので、あそこが家みたいなものでしたから」
「そうか」
「あ! でも、これからアララギ少将とずっと一緒だと思うと、すごく楽しみです!」
「……そうか」
「あはは、赤くなった」

 頬が少し赤くなったのを指摘したら、少将が照れたように笑った。その笑顔が可愛くて、大きな体もやっぱり可愛く見える。

(僕が「可愛い」とか言ったら、きっと驚くだろうなぁ)

 でも、いつか「可愛いです」と言ってみたい気はする。これから先、少将とはずっと一緒にいられるならその機会もあるはずだ。僕はそんな未来を夢見て少将の隣を歩く。
 娼館街から少将のお屋敷がある三番街までは、本当は馬車で向かう予定だった。でも僕が少将と一緒に歩きたくて、こうして並んで歩くことにした。少将とは娼館の中でしか会ったことがなかったから、僕はただ並んで歩くだけでもとても楽しい。

(そっか。これからは毎日こんなことができるんだ)

 そう思ったら口元がへにょりとしてしまった。視線を感じて隣を見上げたら、少将の口元もへにょりとしている。
 嬉しくなった僕は、ぴたりとくっつきながら足取りも軽やかにお屋敷までの道を歩いた。
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