4 / 29
姉の身代わり4
しおりを挟む
初対面の日以降、修一朗さんは僕にあてがわれた部屋に毎日やって来る。そうして自ら紅茶をティーカップに注ぎ、珍しい洋菓子や老舗の和菓子を用意してくれた。
(どうして身代わりでしかない僕に、こんなによくしてくれるんだろう)
一人になると、そんなことばかりが脳裏をよぎった。修一朗さんにもらった童話集の表紙を指で撫でながら、気がつけば「どうしてなんだろう」と口にしてしまう。
僕は姉の身代わりとして押しつけられた存在だ。ただのβの男だから珠守家にとっては厄介者でしかない。こうしてよい部屋を与えられているだけでも贅沢なことだ。
(もしかして、僕と姉さんを重ねているんだろうか)
瓜二つではなくなったけれど、柔らかい茶色の髪や透けるような茶色の目は姉にそっくりだと僕自身も思っている。遠目で見れば何となく似た雰囲気に見えるだろう。
それでも僕はただのβだ。「見た目は美しいのに残念だ」と言われ続けてきた不要な存在でしかない。どこからどう見ても男だし、Ω特有の香りだってしない。そんな僕に姉を重ね合わせたりするだろうかと、やっぱり疑問に思ってしまう。
僕はこんなふうに毎日同じことを考えていた。そうして最終的に思うのは、いつも同じことだった。
(僕はこのまま珠守家にいてもいいんだろうか)
寳月の家を出るとき、迷惑をかけないようにしようと心に決めていた。僕を引き受けるだけでも迷惑だろうから、できるだけ存在を消して密やかに生きていこうと思った。その中で時々修一朗さんの姿を見ることができればいい。それが姉の代わりに差し出される僕の人生だと思っていた。
それなのに修一朗さんは毎日僕に会いに来てくれる。話をして、たくさんの笑顔を向けてくれる。それはとても嬉しいことだったけれど、同じくらい胸が苦しくてつらかった。
(これからずっと姉さんの代わりとして見られるのかもしれない)
付属品どころか完全な代替品だ。それでもβでしかない僕には十分すぎる贅沢なのに、やっぱり不満に思ってしまう。これではいつか僕の気持ちを知られてしまうかもしれない。
「どうしたらいいんだろう」
「どうしたのかな?」
「え? ……あ、」
急に声がして驚いた。振り返ると、ドアのところに修一朗さんが立っている。
「何度かノックしたんだけどね。返事がないからどうしたのかと思って開けてしまったよ」
「あの、すみません。ボーッとしていて気がつきませんでした」
「もしかして体調がよくないのかい?」
「いえ、そんなことはないんですけど……」
毎日おいしい料理を食べて、お茶やお菓子までもらっている。ベッドというのは初めてだったけれど、あまりの寝心地のよさに毎晩夢も見ないくらいぐっすり眠っていた。そんな僕が体調を崩すなんてことはあり得ないし、あってはならない。
「よかった。それじゃあ誘っても大丈夫かな」
「誘う……?」
「向こうの庭の紅葉が、ちょうど見頃でね」と言って微笑む顔に胸がトクトクと高鳴る。「あぁ、やっぱり僕は修一朗さんが好きだ」と思いながら、顔に出してはいけないと唇を引き締めた。
「せっかくだから、一緒に見に行かないかと思って誘いに来たんだ」
「僕とですか?」
僕の言葉に「そうだよ」と修一朗さんが微笑む。
「それに、屋敷に来てから千香彦くんは一度も外に出ていないだろう? それじゃあ気が滅入ってしまうよ」
「千香彦くん」と名前を呼ばれて心臓が小さく跳ねた。これまでにも名前を呼ばれることはあったけれど、こうして二人きりのときに呼ばれるとやっぱり緊張する。
「それとも、僕みたいなおじさんと散歩なんて嫌かな」
「おじさんだなんて、そんなこと思っていません」
慌てて否定したら「それはよかった」と微笑みかけられた。
(修一朗さんがおじさんだなんて、そんなふうに思う人はいないはず)
二十九歳の修一朗さんは僕より十歳年上で大人だとは思う。それでも決しておじさんと呼ばれる雰囲気ではなかったし、年齢よりもずっと若く見えた。
(もしかして、目尻が少し下がり気味だからかな)
修一朗さんはいわゆる垂れ目といった感じで、だから優しく見えるのかもしれない。それに黒髪は艶々しているし、黒い瞳もまるで夜空のようにキラキラと輝いていた。
(……って、僕は何を考えているんだ)
まるで恋人を賛辞するかのような言葉に、余計に心臓がうるさくなってきた。そのうえ二人きりで庭を散歩だなんて、まるで恋人みたいだなんて思ってしまう。
(恋人なんて、勘違いも甚だしい)
僕は姉の身代わりだ。そんな僕を修一朗さんが恋人だとか許嫁だとか思うはずがない。βの僕が密かに想いを寄せているなんて、きっと夢にも思っていないだろう。
(この気持ちは絶対に知られるわけにはいかない)
改めて決意した僕に、修一朗さんが「じゃあ、行こうか」と言って手を差し出した。
「え……?」
「あ……っと、さすがにこれはなかったかな。迷子になったら大変だと思って、ついね。千香彦くんはもう十九だというのに、これじゃ嫌なおじさんだと思われても仕方がないか」
「そんなことは、思わないですけど」
笑いながらも、修一朗さんの右手は僕に差し出されたままだ。視線をさまよわせながらチラチラと修一朗さんの手を見た。僕よりずっと大きな手は、これまで一度も握ったことがない。
修一朗さんの顔を見ると、にこりと微笑みかけられた。もしかしなくても、僕が手を握るまでこうしているつもりなのだろうか。
(それじゃあ、修一朗さんも困るだろうし)
そんな言い訳を頭に浮かべながら、そっと手を伸ばした。触れた手はとても温かくて、きゅっと握られるだけで体がふわふわしてしまいそうになる。
「紅葉も綺麗だけど、金木犀もちょうど見頃なんだ。いい香りがして、きっと晴れやかな気持ちになるんじゃないかな。そうだ、ついでに池の鯉たちに餌もあげようか」
廊下を歩きながら修一朗さんが楽しそうに話している。隣を歩く僕は手が震えないようにすることに精一杯で、話を聞く余裕なんてまったくなかった。そんなぎこちない僕だったのに、終始修一朗さんは話しかけたり微笑みかけたりしてくれた。
(どうして身代わりでしかない僕に、こんなによくしてくれるんだろう)
一人になると、そんなことばかりが脳裏をよぎった。修一朗さんにもらった童話集の表紙を指で撫でながら、気がつけば「どうしてなんだろう」と口にしてしまう。
僕は姉の身代わりとして押しつけられた存在だ。ただのβの男だから珠守家にとっては厄介者でしかない。こうしてよい部屋を与えられているだけでも贅沢なことだ。
(もしかして、僕と姉さんを重ねているんだろうか)
瓜二つではなくなったけれど、柔らかい茶色の髪や透けるような茶色の目は姉にそっくりだと僕自身も思っている。遠目で見れば何となく似た雰囲気に見えるだろう。
それでも僕はただのβだ。「見た目は美しいのに残念だ」と言われ続けてきた不要な存在でしかない。どこからどう見ても男だし、Ω特有の香りだってしない。そんな僕に姉を重ね合わせたりするだろうかと、やっぱり疑問に思ってしまう。
僕はこんなふうに毎日同じことを考えていた。そうして最終的に思うのは、いつも同じことだった。
(僕はこのまま珠守家にいてもいいんだろうか)
寳月の家を出るとき、迷惑をかけないようにしようと心に決めていた。僕を引き受けるだけでも迷惑だろうから、できるだけ存在を消して密やかに生きていこうと思った。その中で時々修一朗さんの姿を見ることができればいい。それが姉の代わりに差し出される僕の人生だと思っていた。
それなのに修一朗さんは毎日僕に会いに来てくれる。話をして、たくさんの笑顔を向けてくれる。それはとても嬉しいことだったけれど、同じくらい胸が苦しくてつらかった。
(これからずっと姉さんの代わりとして見られるのかもしれない)
付属品どころか完全な代替品だ。それでもβでしかない僕には十分すぎる贅沢なのに、やっぱり不満に思ってしまう。これではいつか僕の気持ちを知られてしまうかもしれない。
「どうしたらいいんだろう」
「どうしたのかな?」
「え? ……あ、」
急に声がして驚いた。振り返ると、ドアのところに修一朗さんが立っている。
「何度かノックしたんだけどね。返事がないからどうしたのかと思って開けてしまったよ」
「あの、すみません。ボーッとしていて気がつきませんでした」
「もしかして体調がよくないのかい?」
「いえ、そんなことはないんですけど……」
毎日おいしい料理を食べて、お茶やお菓子までもらっている。ベッドというのは初めてだったけれど、あまりの寝心地のよさに毎晩夢も見ないくらいぐっすり眠っていた。そんな僕が体調を崩すなんてことはあり得ないし、あってはならない。
「よかった。それじゃあ誘っても大丈夫かな」
「誘う……?」
「向こうの庭の紅葉が、ちょうど見頃でね」と言って微笑む顔に胸がトクトクと高鳴る。「あぁ、やっぱり僕は修一朗さんが好きだ」と思いながら、顔に出してはいけないと唇を引き締めた。
「せっかくだから、一緒に見に行かないかと思って誘いに来たんだ」
「僕とですか?」
僕の言葉に「そうだよ」と修一朗さんが微笑む。
「それに、屋敷に来てから千香彦くんは一度も外に出ていないだろう? それじゃあ気が滅入ってしまうよ」
「千香彦くん」と名前を呼ばれて心臓が小さく跳ねた。これまでにも名前を呼ばれることはあったけれど、こうして二人きりのときに呼ばれるとやっぱり緊張する。
「それとも、僕みたいなおじさんと散歩なんて嫌かな」
「おじさんだなんて、そんなこと思っていません」
慌てて否定したら「それはよかった」と微笑みかけられた。
(修一朗さんがおじさんだなんて、そんなふうに思う人はいないはず)
二十九歳の修一朗さんは僕より十歳年上で大人だとは思う。それでも決しておじさんと呼ばれる雰囲気ではなかったし、年齢よりもずっと若く見えた。
(もしかして、目尻が少し下がり気味だからかな)
修一朗さんはいわゆる垂れ目といった感じで、だから優しく見えるのかもしれない。それに黒髪は艶々しているし、黒い瞳もまるで夜空のようにキラキラと輝いていた。
(……って、僕は何を考えているんだ)
まるで恋人を賛辞するかのような言葉に、余計に心臓がうるさくなってきた。そのうえ二人きりで庭を散歩だなんて、まるで恋人みたいだなんて思ってしまう。
(恋人なんて、勘違いも甚だしい)
僕は姉の身代わりだ。そんな僕を修一朗さんが恋人だとか許嫁だとか思うはずがない。βの僕が密かに想いを寄せているなんて、きっと夢にも思っていないだろう。
(この気持ちは絶対に知られるわけにはいかない)
改めて決意した僕に、修一朗さんが「じゃあ、行こうか」と言って手を差し出した。
「え……?」
「あ……っと、さすがにこれはなかったかな。迷子になったら大変だと思って、ついね。千香彦くんはもう十九だというのに、これじゃ嫌なおじさんだと思われても仕方がないか」
「そんなことは、思わないですけど」
笑いながらも、修一朗さんの右手は僕に差し出されたままだ。視線をさまよわせながらチラチラと修一朗さんの手を見た。僕よりずっと大きな手は、これまで一度も握ったことがない。
修一朗さんの顔を見ると、にこりと微笑みかけられた。もしかしなくても、僕が手を握るまでこうしているつもりなのだろうか。
(それじゃあ、修一朗さんも困るだろうし)
そんな言い訳を頭に浮かべながら、そっと手を伸ばした。触れた手はとても温かくて、きゅっと握られるだけで体がふわふわしてしまいそうになる。
「紅葉も綺麗だけど、金木犀もちょうど見頃なんだ。いい香りがして、きっと晴れやかな気持ちになるんじゃないかな。そうだ、ついでに池の鯉たちに餌もあげようか」
廊下を歩きながら修一朗さんが楽しそうに話している。隣を歩く僕は手が震えないようにすることに精一杯で、話を聞く余裕なんてまったくなかった。そんなぎこちない僕だったのに、終始修一朗さんは話しかけたり微笑みかけたりしてくれた。
69
あなたにおすすめの小説
借金のカタで二十歳上の実業家に嫁いだΩ。鳥かごで一年過ごすだけの契約だったのに、氷の帝王と呼ばれた彼に激しく愛され、唯一無二の番になる
水凪しおん
BL
名家の次男として生まれたΩ(オメガ)の青年、藍沢伊織。彼はある日突然、家の負債の肩代わりとして、二十歳も年上のα(アルファ)である実業家、久遠征四郎の屋敷へと送られる。事実上の政略結婚。しかし伊織を待ち受けていたのは、愛のない契約だった。
「一年間、俺の『鳥』としてこの屋敷で静かに暮らせ。そうすれば君の家族は救おう」
過去に愛する番を亡くし心を凍てつかせた「氷の帝王」こと征四郎。伊織はただ美しい置物として鳥かごの中で生きることを強いられる。しかしその瞳の奥に宿る深い孤独に触れるうち、伊織の心には反発とは違う感情が芽生え始める。
ひたむきな優しさは、氷の心を溶かす陽だまりとなるか。
孤独なαと健気なΩが、偽りの契約から真実の愛を見出すまでの、切なくも美しいシンデレラストーリー。
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
白金の花嫁は将軍の希望の花
葉咲透織
BL
義妹の身代わりでボルカノ王国に嫁ぐことになったレイナール。女好きのボルカノ王は、男である彼を受け入れず、そのまま若き将軍・ジョシュアに下げ渡す。彼の屋敷で過ごすうちに、ジョシュアに惹かれていくレイナールには、ある秘密があった。
※個人ブログにも投稿済みです。
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
番解除した僕等の末路【完結済・短編】
藍生らぱん
BL
都市伝説だと思っていた「運命の番」に出逢った。
番になって数日後、「番解除」された事を悟った。
「番解除」されたΩは、二度と他のαと番になることができない。
けれど余命宣告を受けていた僕にとっては都合が良かった。
うそつきΩのとりかえ話譚
沖弉 えぬ
BL
療養を終えた王子が都に帰還するのに合わせて開催される「番候補戦」。王子は国の将来を担うのに相応しいアルファであり番といえば当然オメガであるが、貧乏一家の財政難を救うべく、18歳のトキはアルファでありながらオメガのフリをして王子の「番候補戦」に参加する事を決める。一方王子にはとある秘密があって……。雪の積もった日に出会った紅梅色の髪の青年と都で再会を果たしたトキは、彼の助けもあってオメガたちによる候補戦に身を投じる。
舞台は和風×中華風の国セイシンで織りなす、同い年の青年たちによる旅と恋の話です。
愛のない婚約者は愛のある番になれますか?
水無瀬 蒼
BL
Ωの天谷千景には親の決めた宮村陸というαの婚約者がいる。
千景は子供の頃から憧れているが、陸にはその気持ちはない。
それどころか陸には千景以外に心の決めたβの恋人がいる。
しかし、恋人と約束をしていた日に交通事故で恋人を失ってしまう。
そんな絶望の中、千景と陸は結婚するがーー
2025.3.19〜6.30
当たり前の幸せ
ヒイロ
BL
結婚4年目で別れを決意する。長い間愛があると思っていた結婚だったが嫌われてるとは気付かずいたから。すれ違いからのハッピーエンド。オメガバース。よくある話。
初投稿なので色々矛盾などご容赦を。
ゆっくり更新します。
すみません名前変えました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる