後宮に繋がれしは魔石を孕む御子

朏猫(ミカヅキネコ)

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後宮に繋がれし王子と新たな妃

2 突然の知らせ2

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 それは突然の出来事だった。届いた文書を見ながら、僕は知らず知らずのうちにため息を漏らしていた。

(こういうとき、どうしたらいいんだろう)

 後宮のことは僕にはよくわからない。兄上様に相談するのがいいんだろうけれど、兄上様は今朝、軍帝と一緒に旅立ってしまった。
 今朝、僕は第二都市へ向かう軍帝の行列を黄玉宮の庭から見送った。期間は十日ほどだと聞いている。以前も十日ほど第二都市へ行ったことがあったけれど、今回は兄上様も同行することになった。もちろん軍帝の側近であるボクト様も一緒だ。

(寂しいなんて……塔にいたときは感じたことなかったのに)

 軍帝は忙しい人だ。二、三日お城を空けることはよくある。そうしたことを何度か経験するうちに、僕は寂しいという感情を抱くようになった。段々と強くなる寂しさに戸惑いながら、もう見えないはずの行列の影を追うように庭から外を眺める。
 そんな僕の元に宰相代理という人から文書が届いた。そういう立場の人から何かが届いたのは初めてだった。文書を持って来た人も全身真っ白な服ではなく華やかな色使いの服を着た女性で少し驚いた。ここは後宮だから、本来ならそういう女性たちがたくさんいたのだろう。そんなことを思いながら文書に視線を落とす。
 文書には“明日、新しい妃が後宮に入られるゆえ挨拶をお受けになられるように”と書かれていた。文章に続いて帝国の印が目に入る。つまり、これは帝国の正式な文書ということだ。
 部屋に戻った僕は、ため息をつきながら文書をテーブルに置いた。「まさか」という気持ちが半分、残り半分は「やっぱり」という気持ちだ。

(軍帝は皇帝なのだから、女性の妃が必要なのは当然だ)

 たしかに僕は正式な妃になったけれど、いまでも「軍帝に妃を」という声が上がっていることは知っている。「ジジイどもの話なんかに耳を貸す必要はねぇよ」と笑っていた軍帝の顔を思い出した。

(それで済む話じゃないことは僕にもわかる)

 きっと大勢が軍帝の子を次の皇帝にと考えているのだろう。先日、皇太子の指名を正式にしたと言っていた。けれどいつ立太子の式典が行われるかは決まっていない。もしかして軍帝に妃を娶らせたい人たちが式典を先延ばしにしているのかもしれない。

(そして、ようやく後宮に新しい妃が入ることが決まったんだ)

 軍帝は何も言っていなかった。でも文書は正式なものだ。宰相代理からの文書ということは軍帝も認めたということに違いない。

(……どうして直接言ってくれなかったんだろう)

 昨日も軍帝はたっぷりと僕を愛してくれた。しばらくそばにいられないからと言って何度も僕の中に注いだ。同時に僕の魔力を根こそぎ喰らいもした。僕と軍帝は、それぞれが持つものを交換するように互いの体の中に想いを託した。

(僕は軍帝の妃だ。こうしたことも、きっと妃の役目に違いない)

 なぜ直接言ってくれなかったのかはわからない。それでも先に後宮に入った妃が、後から来る妃の挨拶を受けるのは当然の役目だ。僕は軍帝の最初に妃なのだから、これも僕の役目ということになる。
 胸がズキンと痛んだ。ギシギシと軋むような音がする。昨日すっかり吐き出したはずの体の奥で、何かがほんの少しゆらりと揺らめいたような気がした。

「ふぅ」

 小さなため息が漏れる。大丈夫、僕は妃としての役目をきちんと果たせる。あの国では魔石を生み出すことが僕の役割だった。ここではそれが新しい妃の挨拶を受けることに変わっただけだ。魔石を生み出すことに比べればどうということはない。
 知らない人と会うからか、それとも相手が新しい妃だからか、その日の夜はなかなか寝つけなかった。あまり眠れないまま朝を迎えた。

 翌日、僕は食べ物が喉を通らなくて果物と果実水で朝食を済ませた。そうして緊張しながら新しい妃だという人を待っている。

(いつ来るんだろう)

 文書には時間までは書かれていなかった。だから日課になっていた中庭の散歩はやめることにした。窓の外には青空が広がり、風も穏やかそうだ。見る限りいい散歩日和のようだけれど、散策に出ても結局は訪問者のことが気になってそれどころではなかっただろう。
 時々窓の外を眺めながらソファに座って待つ。昼食の時間が近づいてきた頃に扉を叩く音がした。「どうぞ」と答えると、姿を現したのは文書を持ってきた女性だった。「失礼いたします」と頭を下げた女性に続いて、見たことがないくらい美しいドレスを着た女性が入って来た。

「ご機嫌麗しゅう」

 そう言った女性がドレスの裾を少し摘み上げながら腰をかがめた。それはとても美しい所作で、小さい頃に絵本で見たお姫様そのものだと思った。綺麗に結い上げた金髪に色とりどりの髪飾りが光っているのも絵本のお姫様そのものだ。

(それに比べて僕は……)

 自分が髪を長く垂らしたままだということに気づき、急に恥ずかしくなった。塔にいたときは定期的に兄上様が髪を切ってくれていたけれど、帝国に来てからは切り揃えることしかしていない。おかげで肩が隠れるほどの長さになった。今朝も真っ白なお付きの人が梳いてはくれたものの、目の前の女性のようにきちんと結ってもらっておくべきだったかもしれないと後悔する。

(髪の毛一つ妃らしくできないなんて……)

 気持ちが段々と重くなってきた。それに着ているものもまったく違っている。

(こんなに華やかなドレスを見たのは初めてだ)

 僕は淡い色合いの服しか着ないけれど、女性は鮮やかな若草色のドレス姿だ。それが白い肌に映えてとてもよく似合っている。胸元を飾る首飾りも美しく、中央で光る赤い宝石に視線が吸い寄せられた。

(まるで軍帝の目のような……)

 思わずそんなことを考えてしまい、ハッとした。挨拶を受けている最中だというのに僕は何を考えているんだろう。
 首飾りから視線を外し、改めて女性を見た。整った顔立ちと綺麗な碧眼が印象的な美しい人だ。年は僕より少し上だろうか。「兄上様のほうが綺麗だな」と思っていると、伏せられていた碧眼が僕を見た。

「本日から後宮に入りましたツアルと申します。以後、お見知りおきくださいませ」

 声もとても華やかだ。久しぶりに聞く女性の声だからか不思議な気もする。そんな感想を抱きながら見ている僕に、ツアルと名乗った女性が眉をひそめるのがわかった。

(しまった)

 挨拶を受ける経験がなかった僕でも、挨拶を返さないのは失礼だと知っている。慌てて立ち上がり、「カナリヤと申します」と頭を下げた。けれど、その先どうすればいいのかわからない。
 何もできないまま立ち尽くしていると「ふふっ」という小さな笑い声が聞こえて来た。視線を上げると女性が口元を隠しながら僕を見ている。

「殿方ですもの、所作がよろしくないのは仕方ありませんわ。王子とはいえ滅んだ国の方、それにどこかにずっと閉じ込められていらっしゃったのでしょう? 所作をご存知ないのは仕方がないこと。わたくし、些末なことは気にしませんから安心なさって」

 僕の失敗を許してくれるということだろうか。そう思い「ありがとうございます」と頭を下げると、女性の碧眼が少しだけ僕を睨んだように見えた。そのまま女性は何も言うことなく、お付きの女性と一緒に部屋を出て行った。
 これがツアル姫と僕の初めての対面になった。
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