後宮に繋がれしは魔石を孕む御子

朏猫(ミカヅキネコ)

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後宮に繋がれし王子と新たな妃

3 新しい妃1

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 軍帝が第二都市に向かってから三日が経った。たった三日しか経っていないのに、随分長く姿を見ていないような気がする。そう思ってしまうのはきっと……。

「ツアル姫が来たからだ」

 つぶやくように漏れた言葉に自分でも驚いた。声も心なしか不機嫌そうに感じる。まるでツアル姫のことを快く思っていないように聞こえる自分の声に眉を寄せた。「しっかりしないと」と思い直し、「今日こそ失礼がないようにしなければ」と改めて決意する。
 昨日、ツアル姫から午後のお茶会というものに誘われた。伝えに来たのは文書を持って来たお付きの女性で、そのときのことを思い出して顔が強張ってしまった。一瞬悩んだけれど断る理由がない。内心気が進まなかったものの、初日に失礼をしてしまったのだからと了承することにした。

(それに後宮に住む者同士、仲良くしたほうがいいのだろうし)

 お茶会があるのだと思ったからか昨夜はよく眠れなかった。これも役目の一つだとわかっていても、人に会うことがなかった僕には気が重い。今日も起きてからずっと気分が落ち着かないままでいる。いや、落ち着かない理由はお茶会だけじゃない。

(ツアル姫はきっと正妃になる方なのだろうし、だから断っては駄目だ)

 わかっている。それなのにそう考えるだけで胸がギシギシと軋んだ。

「……滅んだ国の王子より、ツアル姫のほうが皇帝の妃としてはずっとふさわしい」

 言い聞かせるように口にした言葉に胸がズキンと痛む。それでも、文書に書かれていたツアル姫の身分を思い出すとそう考えずにはいられなかった。
 ツアル姫は軍の幹部を祖父に持ち、代々宰相を排出してきた家柄とも血縁関係がある姫だと書かれていた。祖父にあたる軍の幹部は軍帝が上層部に入ったときから支えている人物だとも書いてあった。おそらくそういう人の孫娘だから妃に選ばれたのだろう。第五王子と呼ばれながら王子として扱われたことがなかった僕より、身分も帝国での立場もよほど妃にふさわしい。
 わかっている。軍帝には女性の妃が必要で、その地位にツアル姫はふさわしい。理解しているのに気分が重くなっていく。「僕だけが妃だと言っていたのは嘘だったの?」と、ここにいない軍帝に問いかける毎日だ。

「お時間でございます」
「……わかりました」

 全身真っ白のお付きの人が扉を開けた。僕は重い腰をゆっくり上げ、白い背中に付いていくように廊下を歩いた。

 お付きの人が向かったのは、僕が住む黄玉宮とツアル姫が住む藍玉宮の間にある中庭だった。視線の先には、臨時で作られたにしては立派な四阿あずまやがある。ここがお茶会の場所だ。
 当初、ツアル姫に指定されたのは藍玉宮の中にある部屋だった。ところが僕のお付きの人が「陛下のお許しを得ておりません」と断ったことで少し揉めることになった。それでも最終的にツアル姫側が折れたのは、お付きの人たちの態度が奇妙に見えたからに違いない。
 ツアル姫のお付きの女性が強い口調になっても、真っ白なお付きの人の態度も表情も変わらなかった。何を言われても淡々と「陛下のお許しを得ておりません」と答えるばかりで要領を得ない。表情が乏しいからか、途中からお付きの女性の表情が訝しがるような、それでいて恐れるような表情に変わったくらいだ。
 その結果、お茶会の場所として互いの宮の間にある中庭に四阿あずまやを設けることで話がついた。そうして急きょ作られた四阿あずまやの下で、僕とツアル姫は向かい合わせに座っている。ツアル姫の後ろにはいつものお付きの女性が控えているけれど、僕の後ろには一人もいない。僕が散歩のときもついてくることはないし、軍帝にそう指示されているのだろう。

(この香りは……懐かしいな)

 目の前にある茶器やお茶はツアル姫が用意したものだ。その茶器から漂う花の香りには覚えがあった。
 兄上様も花の香りがするお茶を好んで飲んでいた。僕も小さい頃から一緒に飲んでいたからか、香りを嗅ぐと兄上様とあれこれ話したことが懐かしく思い出される。

(そういえば、これが花の香りだとずっと思っていた)

 塔に住んでいたとき、僕には本物の花を見る機会がなかった。だからこのお茶の香りだけが僕にとっての花だった。香りを嗅ぎながら本で読んだ花を思い浮かべ、どの花の香りなんだろうかと想像したこともあった。
 いまならお茶の香りが本物の花とは違うとわかる。でも、あの頃はこの香りで花を想像し、兄上様と花の話をするのが楽しみだった。

(あのときと同じ香りだけれど、いまは楽しい気持ちにはなれない)

 きっとツアル姫に見られているからだ。視線を感じるだけで味も香りもわからなくなる。そんな僕と違い、ツアル姫は美しい所作でお茶を楽しんでいた。そんなツアル姫がさっきから僕をじっと見ている。ちらりと視線を向けるとにこりと微笑みかけられた。

「この花茶ですけれど、とてもよい香りでしょう? 小さい頃からのお気に入りですの。少し遠い国のお茶ですから取り寄せるのに時間はかかりますけれど、お茶は貴族の嗜みですから手間もお金も惜しんではいけませんわ。カナリヤ様もそう思われませんこと?」

 僕にはそういった嗜みというものがわからない。それに兄上様からは、お茶は気持ちを落ち着かせるものだと教わった。お茶とはそういうものなのだとばかり思っていた。

(もしかして、女性と男性ではお茶を飲む目的が違うんだろうか)

 そうだとしたら、僕にはわからない。だから「申し訳ありません、よくわかりません」と答えた。すると、「まぁ、わたくしったら駄目ね」と言ってツアル姫が再び微笑んだ。

「わたくしのほうこそごめんなさい。カナリヤ様は陛下に求められて後宮に入られたと伺っていましたから、てっきりお茶の嗜みもご存知かと勘違いしていましたわ。不躾なことを尋ねてしまって、お気に障っていなければよいのですけれど」
「いえ、わからないのは本当ですから」

 僕の答えに「まぁ」と小さく笑ったツアル姫が、ちらりと背後を見た。それに気づいたお付きの女性が「ふふっ」と笑いながら新しいお茶を注ぎ始める。

(もしかして、僕を笑った……?)

 一瞬そう思い、慌てて打ち消した。そんなふうに人を見るのはよくないことだ。お茶の嗜みを知らなかったのは僕の落ち度でしかない。それにツアル姫はわざわざ大事なお茶を用意してまで僕を誘ってくれたのだ。
 それでも胸の中がモヤモヤとした。それに呼応するように体の奥底で澱んだものがゆらりと揺れる。魔力が溜まっているはずはないのに、まるで魔石を生み出す前のように澱んだものがゆらりゆらりと揺らめいているような感覚だ。

(いけない)

 いまはお茶会の最中だ。魔力のことを気にしている場合じゃない。そう思い、茶器を手にしようと視線を少し下げたときだった。
 ツアル姫の指が首飾りの宝石を撫でていることに気がついた。真っ赤な宝石は日の光を浴びているからか、初めて見たときよりもキラキラと輝いている。それが魔燈の灯りを映す軍帝の赤い眼に見えてドキッとした。思わず食い入るように見ている僕の視線に気づいたのか、ツアル姫が「美しいでしょう?」と口にした。

「はい」

 頷くとツアル姫が満面の笑みを浮かべる。

「この燃えるような真っ赤な色は、この世に二つとないものですわ。それに陛下の目の色にそっくりでしょう? あまりに似ているものだから、わたくし、ついおねだりしてしまいましたの」
「おねだり……?」

 宝石に視線を落としたツアル姫が、何度も宝石を撫でながらうっとりと微笑んだ。

「陛下のことをいつでもおそばに感じたいから、これを首飾りにしてくださいませとおねだりしてしまいましたの。いま思えば、なんてはしたないことをしたのかと恥ずかしくなりますわ。けれど、陛下は『おまえが気に入ったのならかまわない』とおっしゃって、笑って許してくださいましたの」

 そう口にしたツアル姫が再び僕を見た。

(軍帝が、その宝石を……)

 まるで軍帝の眼のような宝石を、軍帝はツアル姫に贈ったのだ。別におかしなことではないのに、どうしてか胸がギシギシと軋み始める。口を閉ざした僕に、ツアル姫が「あら、わたくしったら」と言ってクスクスと笑った。

「つい余計なことを口にしてしまいましたわ。どうかお許しくださいませね? わたくし、ようやく後宮に入ることができて少し浮かれていますの。本当ならもっと早くに後宮に入る予定だったのですけれど、二年ほど続いた戦争のせいで先延ばしにされてしまって」
「先延ばし……?」
「えぇ。それにカナリヤ様の国との戦争が急に決まって、さらに先延ばしされてしまいましたのよ? ようやく戦争が終わったと思ったのに、さらに一年も待たされてしまうなんて思いもしませんでしたわ。本当に、戦争って嫌なことばかり。でも、ようやく後宮に入る許可が出ましたの。ですから多少浮かれてしまっても許してくださいませね?」

 ツアル姫の言葉に僕の鼓動が嫌な音を立てた。いまの話が本当なら、ツアル姫は帝国とあの国が戦争をする前から後宮に入ることが決まっていたということだ。その頃、僕はまだ軍帝のことを知らなかった。帝国軍に攻められていると知ったのは国が滅ぶ四日前で、そのときもどういう状況かよくわかっていなかった。
 あの戦争がなければ僕が軍帝の後宮に入ることはなかっただろう。軍帝は僕を手に入れるのが目的だったと言ったけれど、本当は戦争に勝った結果が僕だったのではないだろうか。もし戦争がなければツアル姫はもっと早くに妃になっていたはずで、僕ではなくツアル姫が最初の妃だったのかもしれない。

(もしかして、僕はツアル姫の邪魔をしているんじゃ……)

 不意にそんなことを思った。目の前ではツアル姫がうれしそうに真っ赤な宝石を撫でている。その姿に、僕は気持ちがズンと重くなるのを感じていた。
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