後宮に繋がれしは魔石を孕む御子

朏猫（ミカヅキネコ）

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後宮に繋がれし王子と新たな妃

5 暴漢1

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　ツアル姫から服の話を聞いて三日が経った。この三日間はお茶に誘われることも何かを贈りたいと言われることもなかった。それにホッとしつつ、気分が日に日に重くなっていく。何もする気持ちになれなくて日課だった中庭の散歩もやめてしまった。お付きの人たちが用意する食事も食べたり食べなかったりで、僕はひたすら軍帝が戻って来るのを待った。待ちながら、何度もツアル姫の言葉を思い出した。
　僕が本当に後宮を出なくてはいけないのなら、このまま軍帝に会わないほうがいいのかもしれない。会ってしまえば離れがたくなるだろうし、後宮に残りたいと言ってしまうかもしれない。そんなことをすればきっと軍帝を困らせる。それとも怒らせてしまうだろうか。あれこれ考えたけれど、結局後宮を出る覚悟はできないままでいる。

（本当に出て行くことになったら……）

　想像するだけで胸が軋むように痛んだ。出て行けと言われて、僕ははたして自分の足でちゃんと出て行けるだろうか。軍帝に別れの挨拶を告げることができるだろうかと考え、ぎゅうっと両手を握り締めた。僕はあの人のそばにいたい。離れたくない。僕にはもう行くところはなく、帰る場所もない。だってあの国はもうどこにも存在しないのだから。

（……そうだ、あの国は軍帝に滅ぼされたんだった）

　それなのに滅ぼした人からこんなにも離れがたくなっている。あの国が滅んだのは僕のせいだというのに、それに胸を痛めるよりも軍帝のそばにいられなくなることのほうがずっとつらかった。

（僕はなんて薄情な王子なんだろう）

　何を考えても胸が軋むように痛い。ギシギシと音を立てるなか、澱んだものが蠢く感覚が日に日に強くなっていく。溜まっているはずのない澱みが僕の内側を舐めるように動くのも感じた。
　その感覚は食事のときも湯浴みのときも消えることはなかった。気分だけではなく体も重く感じるせいで湯浴みをするのもおっくうになってくる。それでもお付きの人たちは二日に一度は湯浴みをするようにと僕のそばに立った。湯殿に行くまで離れようとしないのも軍帝の命令なのだろうか。
　今日も暗くなると全身真っ白なお付きの人たちが現れ、湯殿に行くように促された。湯殿に入るといつもどおり体を磨かれ、髪を洗われ、すべてが終わると全身を柔らかな布で包まれて拭われる。同時に伸びた髪の毛を魔具で乾かされ、香油をつけてから美しい細工が施された櫛で丁寧に整えられた。
　軍帝が不在だというのに、湯浴みの後は毎回柑橘の香りがする香油で手入れをされる。以前はその香りを嗅ぐだけで肌が火照った。軍帝の好きな香りに自分が包まれているのだと思うだけでうれしかった。けれど、いまは香油の瓶を見るだけで胸が苦しくなる。

（こういうときは何も考えないほうがいい）

　そうすれば胸が苦しくなることもつらくなることもない。軍帝のことを考えなければ、以前と同じように過ごせるはずだ。

（塔にいたときは毎日そうしてきたじゃないか）

　何も考えず、何も感じないようにする。塔にいた頃のように何も感じない毎日をただくり返せばいい。ふと鏡に映っている自分の顔が目に留まった。

（僕はこんな顔だっただろうか）

　映っているのは間違いなく僕なのに、なぜか知らない人のように見えた。真っ白な肌に瑠璃色の眼が宝石のように冷たく光っている。いや、宝石よりもガラス玉のほうが近いかもしれない。まるで魔石で動く魔具の人形になったような気がして、鏡からそっと視線を逸らした。僕はこの日から鏡を見ることをやめた。

　二日後、いよいよ軍帝が戻って来る。あれだけ待ちわびていたのに、いまはその日が来てほしくないと思っていた。

（あと二日で僕は後宮から出なくてはいけない）

　後宮を出たあとどこにいくかは聞いていない。あの日からツアル姫に会うことはなく、自分が連れて行かれる先を尋ねることはできなかった。
　後宮を出たら軍帝には二度と会えない。あの大きな手に触れてもらうこと逞しい腕に抱きしめられることもなくなる。そう思うだけで息ができないくらい苦しい。苦しくてつらくて、そう感じるたびに澱んだものが体の奥でぐにゃりと動く。それも苦しくてため息ばかりが漏れた。

（ここにいられるのはあと二日だけ……）

　そう思うと、黄玉宮での生活が得がたいもののように思えてきた。塔よりずっと広い部屋や、いつの間にか見慣れていた家具や窓から見える景色が宝物のように思えてくる。

（そうだ、いまのうちに中庭を見ておこう）

　黄玉宮の中でも僕が一番好きなのが中庭だった。初めて本物の花を軍帝と一緒に見たとき、僕はそこが世界一素敵な場所だと感じた。そんな思い出深い中庭をしっかりと記憶に刻み込んでおきたい。そう思い、久しぶりに中庭の四阿あずまやに向かうことにした。

（この景色を死ぬまで忘れないようにしよう）

　そう思いながら、四阿あずまやにある椅子に座って中庭を眺める。青々とした木々の葉が風に揺れて、木の下では色とりどりの花が揺れていた。
　僕が黄玉宮に来たとき、中庭には花一つ咲いていなかった。もしかして本物の花を見られるのではと思っていた僕は、ここでも見られないのかと残念に思った。軍帝は僕が気落ちしていることに気づいたのだろう。数日後、再び中庭に連れられていくとたくさんの花が咲いていて驚いた。

「おまえには花がよく似合う」

　耳元で囁かれた軍帝の声が蘇る。そう言われたことがうれしくて、僕のために花を咲かせてくれたことに感動して、毎日のように中庭に行くようになった。でも、この景色が見られるのも軍帝が帰ってくるまでだ。

（そうだ、最後にあの赤い花をもらえないかお願いしてみよう）

　いろんな色の花が咲いているけれど、その中でも真っ赤な花が一番好きだ。まるで軍帝の赤い眼のような鮮やかな色を見るだけで幸せな気持ちになる。あの花を一本でいいからもらえないかお願いしよう。本に書いてあった押し花にすれば、この先も赤い花をずっと見ることができる。ずっと手元に置くことができる。
　赤い花がある花壇を見た。今日も赤い花は日の光を浴びて鮮やかに咲いている。
　ふと、背後で土と踏むような音が聞こえた気がした。「あれ？」と思ったものの「気のせいか」と思い直す。
　中庭にいる僕にお付きの人たちが近づくことはない。軍帝のお渡りを知らせに来るときは別だけれど、いま軍帝は不在だからそれもない。ほかに考えられるのは兄上様だけれど、兄上様もいないから足音が聞こえるはずがなかった。

　カサッ。

　今度は葉っぱを踏むような音がした。気のせいじゃないと思って振り返ると、少し離れたところに全身黒尽くめの見知らぬ軍人たちが立っていた。

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