後宮に繋がれしは魔石を孕む御子

朏猫(ミカヅキネコ)

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後宮に繋がれし王子と新たな妃

8 命を狩る赤眼の軍帝2

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 ツアル姫の隣には立派な服装の男性が二人跪いていた。一人は父上様より年配に見える軍服姿の軍人で、もう一人は軍帝より十歳か十五歳ほど年を重ねた貴族らしい格好をしている。

「誰の許可を得て後宮にウジ虫を入れた?」
「……宰相代理として、最善を尽くしたと自負しております」

(貴族らしい格好の人が、宰相代理)

 この人があの文書を送ってきた人ということだ。その宰相代理を軍帝はなぜか鋭い眼差しで見ている。

(宰相代理は宰相と同じような立場の人……だと思っていたんだけれど)

 宰相は国王や皇帝とともに国政を担う人のことだ。あの国に宰相はいなかったけれど、兄上様が似たような立場で父上様を支えていたことは知っている。きっとあの人も軍帝を支えている人のはずなのに軍帝は睨むような冷たい目で見ていた。

「俺は女の妃なんざいらねぇと言ったはずだ。背けば首をはねるとも言ったはずだよな?」

 軍帝の言葉にハッとした。慌ててツアル姫を見て、それから宰相代理の男性を見る。男性は顔を強張らせながらも「それでは次の皇帝が不在になってしまいます」と震える声で答えた。

「皇太子はハクトウだと言ったはずだ」
「ハクトウ様は前の皇帝の血筋です。それではあなた様の血筋が断たれてしまいます。あなた様の優秀な血筋こそが、これからの帝国をより一層強くするのです。そのためにも早くお子をもうけていただかねばなりません。この際、男児でなくともかまいません。姫でもあなた様の血筋であればよいのです。せめて一人でもお子を」

 軍帝の腕が動くのと同時に宰相代理の言葉が止まった。

「黙れ。てめぇの考えなんざ俺には関係ねぇよ」

 煌びやかな貴族服の胸のあたりに剣が突き刺さっている。その剣を握っているのは軍帝だ。いつ鞘を抜いて剣を振るったのかまったく見えなかった。宰相代理は何が起きたかわからないのか、そのまま言葉を続けようと口を開いた。ところが言葉は続かず、それを不思議に思っているような表情のままドスンと音を立てて後ろに倒れた。

「ゴチャゴチャご託を並べやがって。宰相家の血を引く子どもを次の皇帝にしてぇだけだろうが。そうすりゃてめぇの本家での地位が上がって、いよいよ宰相にって腹づもりだったんだろ。偉そうな建前なんぞ犬の餌にもならねぇな」

 宰相代理の体から抜けた剣を軍帝がブンと一振りする。すると刃についていた血が雨粒のように周囲に飛び散った。頬にその一粒がついたツアル姫は顔を歪めながら声にならない叫び声を上げた。

「で、こいつをたぶらかしたのがおまえか」

 剣を鞘にしまいながら軍帝が老齢の軍人にそう問いかけた。問われた軍人は、くすんだ金髪を乱すことなく落ち着いた碧眼で軍帝を見上げている。

「ようやく帝室から我が帝国を取り戻すことができたのです。これからの帝国は我ら軍人が治めるべきであり、皇帝となられたあなたの子が帝位を継がなければ意味がありません」
「軍人なんぞ、ほとんどが脳味噌まで筋肉でできている。そんな奴らに国を任せてどうする」
「それは昔のこと。以前の軍人よりもひどいのが帝室です。己の地位と財産にしか興味のない帝室や貴族は、もはや盗賊以下の存在。そもそも我が帝国は軍人が興した国であったはず。元の形に戻すことに何の問題がありましょうや」

 軍人の言葉に軍帝が大きなため息をついた。それに体を震わせたのはツアル姫だけで、老齢の軍人は視線を逸らすことなく軍帝を見ている。

「てめぇの戯れ言に俺を巻き込むな。そんなに軍人の国を作りたけりゃ勝手にやればいい。あと数年もすれば俺は皇帝を降りる。ハクトウが気に入らねぇってんなら、おまえらが望む皇帝をてめぇらで見つけてきて勝手にやるんだな」
「それでは困るのです。生粋の軍人ながら魔術士のごとき力を持つあなたでなければ強大な帝国の象徴にはなれない。大勢の者に真の軍人とはどういうことかを示し、国内外に圧倒的な力を示すことができるあなたこそが、その血筋こそが我が帝国の皇帝にもっともふさわしいのです!」
「熱心に口説かれても俺の心にはまったく響かねぇな」

 冷たい軍帝の表情の中に、冷たさとは違う苛立ちのようなものを感じた。

(この顔、前にどこかで見たような……)

 そうだ、以前僕宛に貴族たちから贈り物が届いたときにも同じような気配を感じたことがあった。あのとき軍帝はいつもと変わらない声で「くだらねぇ」と口にした。そのときもほんの少し苛立ちのようなものが混じっていたような気がする。その後、僕に贈り物を届けてくれた貴族たちは全員、姿を消したと聞いている。いまの軍帝の声はあのときの声とよく似ていた。

「あなたの力と血を受け継ぐ存在こそ我が帝国の皇帝にふさわしい。いや、それ以外の誰にも皇帝が務まるはずがない。そのためにも子をもうけ、次代に血筋を残してもらわなければなりません。数人子をなしていただければ、あとはご自由にされてかまいません。帝位を退かれるも、そちらの寵妃とどのように過ごされるも問題ないと申し上げているのです」
「言いたいことはそれだけか?」

 軍帝の気配が明らかに変わった。ほんの少し混じっていた苛立ち以外の何かが少しずつ膨らんでいく。表情のない軍帝の周囲に得体の知れない何かが渦を巻き始めている。
 それは背筋が震えるほど恐ろしい気配だった。恐ろしく強大な何かが軍帝の周囲をぐるりと取り囲んでいる。そんな恐ろしい気配を漂わせているのに、老齢の軍人もツアル姫も気づいていないのか軍帝の顔を見つめるばかりだ。

「軍神と言われた初代皇帝の血筋がいまの帝室だ。それと俺のどこが違う? 同じだろうが」

 軍帝を取り巻く気配がさらに濃いものに変わっていく。

「そもそも俺を皇帝製造器みたいに考えてんのが気に入らねぇ。我が帝国って言うんなら、てめぇが皇帝になればいいだけの話だろうが」

 表情がないなかで赤い眼だけがぎらりと光った。

「一番胸糞悪いのは、俺のもっとも大事なカナリヤを寵妃に貶めたことだ。カナリヤは寵妃なんかじゃねぇ、俺の唯一なんだよ」

 軍帝の周囲に渦巻いていた何かが老齢の軍人に向かって襲いかかるのを感じた。とてつもない気配がグルグルと渦になって軍人をがんじがらめにしていく。目には見えない圧倒的な気配が軍人の頭から爪先まで完全に覆い尽くしたのがわかった。

「っ」

 兄上様の小さな声にハッとした。僕たちの周囲に魔力干渉を防ぐ壁の気配を感じる。魔術士ではない僕にはっきりと壁を見ることはできないものの、兄上様が施した魔術に慣れ親しんでいるからか気配だけは感じ取ることができた。

(兄上様が壁を作ったということは、あの渦を巻くような何かは魔術……?)

 軍帝から伸びている恐ろしい気配は老齢の軍人をすっかり呑み込んでしまっていた。本人も何か感じ取ったのか慌てて周囲を見回している。
 頭を動かす軍人の姿が段々とぼやけ始めた。まるで霧の先にいるように輪郭がわからなくなっていく。気のせいでなければぼやけた軍服が少しずつ縮んでいるようにも見えた。
 どのくらい時間が経っただろうか。圧倒的な存在感を放っていた何かが唐突に消え去った。霧のようにぼやけていた軍人の姿もはっきりと見える。しかし、軍人がいた場所には枯れ木のようなものと軍服しかない。

「で、残ったのはウジ虫だけか」

 軍帝の声にツアル姫がビクッと震えた。僕が知っている自信に満ちた表情はなく、整った顔は十歳ほど年を重ねたように見える。

「軍人を手引きしたのはおまえだな」

 その言葉にドキッとした。

(そうだ、あの人たちはここに入ることはできないはずだ)

 ここは軍帝の後宮で、中庭には後宮の建物を通り抜けなければ入って来られない。けれど黄玉宮の出入り口にはいつも屈強な軍人がいるため、いくら同じ軍人でも簡単に入ることはできないはずだ。それなのに三人の軍人は中庭に入ってきた。

「棒切れになったおまえの祖父じいさんにでも強請ったか。軍幹部の孫娘ならどうとでもできただろうからなぁ」

 ツアル姫がビクッと震えた。ツアル姫を見て、それから地面に残っている枯れ木のようなものを見る。そこにいた老齢の軍人の髪や目の色、それに目元もツアル姫に似ていたかもしれない。

「後宮で不貞を働いた妃は首をはねられるのが決まりだ」

 赤い眼がじろりとツアル姫を見た。

「軍人に襲わせてカナを葬り去ろうとしたんだろうが、女ってのはえげつねぇ生き物だなぁ?」

 ツアル姫は体を震わせながら、それでも必死に首を振っていた。自信あふれる表情はすっかり消えてなくなり、僕を見下ろしていた碧眼はくすんだ曇り空のようになっている。

「おまえ程度の女に勃つことはねぇし興味もわかねぇ。最初にそう言ったはずだ。二度と顔を見せるなと宝石もくれてやったのになぁ」

 ツアル姫に近づいた軍帝が、鞘の先端を首飾りの鎖に引っかけた。

「おまえごときがカナリヤと張り合おうなんざ、死んでも無理だってわからなかったのか?」

 勢いよく鞘を引くと首飾りの鎖が千切れ、真っ赤な宝石が地面に落ちる。鎖が触れていた白い首筋には赤い筋が浮かんでいたけれど、ツアル姫がその傷を気にする素振りはない。ただひと言「そんな」と口にしただけだった。
 乱れた金髪のまま地面を見るように項垂れた。それが僕が最後に見たツアル姫の姿だった。
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