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 クローゼットに並んでいた高価な衣装を取り出し、大きめの箱に次々と詰め込んでいく。本来、こういう仕舞い方は皺になるからいけないのだろうけれど、袖を通すことはないのだから構わないだろう。それにすべて送り返すものだから、皺のことまで気にする必要もない。
 最後に手にしたのは、淡い金色の刺繍が入った純白の衣装――主に婚約や婚礼のときに着る男性用の礼服だった。一般的なものよりも華美でふわふわした印象なのは、この礼服を着る人物が女性側の立場として身につける予定だったからだ。

「これが一番不要になったな」

 こんな派手で着回しのできないものは、送り返された後どうなるのだろうか。……まぁ、それこそわたしには関係ないことだけれど。

 箱の一番上に礼服を載せ、入れ忘れがないことを確認してから蓋をした。あとは午後にやって来る王城からの使いに渡せば、すべてが終わる。








「きみとの婚約を破棄することにした」

 二日前、いつもどおり屋敷を訪れた第二王子殿下は、手土産にと持参された紅茶をひと口飲み、正面に座るわたしを見ながらそう口にされた。
 驚き慌てふためいたのは父上とこちら側の執事や侍女で、ざわつかせた殿下ご本人は「今日の茶葉はなかなかいいものだな」と紅茶の感想を述べていらっしゃる。

「そういうわけで、こうしてこちらに来るのも今日が最後というわけだ」
「あ、あの、殿下、婚約破棄とは、息子に何か問題でもございましたでしょうか……?」

 父上の声が震えているのは当然のことだろう。
 一歳年上の第二王子殿下との婚約は盛大に発表されているのだし、それが婚礼式直前に破棄されたとあっては何かと体裁が悪い。わざわざ王子殿下が十八歳の成人を迎えるまで婚約式もせず待っていたのは王城側の都合だったわけで、せめて理由をと考えるのが普通だ。

「わたしが親しくしていた女性に子ができたんだ。男として責任を取らねばと思ってね」
「……お子が……」
「妃のいない兄上には、まだお子がない。隣国の王太子妃となられた姉上にはお子がたくさんおられるが、陛下にとってはあくまでも外孫。初めての直系の孫ができたとなれば、母となる女性には王家に入ってもらい、子は王族として育てる必要がある。ということで、エルニース殿との婚約は破棄することになった」

 父上は青ざめた顔で殿下を見ている。膝に置いた両手は拳を握りブルブル震えていたけれど、幸いなことにテーブルで隠れているから殿下の目に触れることはないだろう。
 いずれはそういうこともあるだろうなと思っていたわたしは、驚くことも取り乱すこともなかった。

(ハルトウィード殿下は美しい者に目がなく、すぐにお手を出されるそうだから……)

 美しくても手を出さないのは子どもくらいだ――そういう噂は、貴族社会に疎いわたしでも知っている。
 そもそもわたしと婚約したのも、見た目がとびきり美しかったからだと直接言われたことがある。つまり、美しければわたしでなくてもよかったということだ。

 自分ではよくわからないけれど、わたしは亡き母上に生き写しらしい。
 母上は淡い栗色の髪に碧眼で、わたしはといえば父上と同じ黒髪に灰青色の目とまったく色合いが違っているのに、昔から瓜二つだと言われてきた。さらに母上は、隣国の王太子妃になられた王女殿下の話し相手を務めていたいう過去を持ち、“社交界の白百合”と呼ばれるほどの美少女だったそうだ。
「だそうだ」としか言えないのは、母上が亡くなったとき、わたしはまだ五歳の子どもでほとんど覚えていないからだ。いや、きっとたくさんの思い出があったに違いない。しかしあの事故のせいで、母上のこともほとんど思い出せなくなってしまっていた。

「殿下、賜りました衣装はいかがいたしましょうか」
「衣装? ……あぁ、あれか。そのままエルニース殿が使えばいい。必要なければ引き取ってもいいが」
「では、引き取っていただけるとありがたく存じます。わたしには過分なものですから」
「そうか。では城から使いの者を寄こそう」
「ありがとうございます」

 殿下からいただいた衣装は、どれも華美すぎるものでわたしには必要ない。もし殿下と結婚するのなら必要だったかもしれないけれど、貴族の中でも底辺に位置する我が家では身につける場所も機会もないものばかりだ。
 だからといってどこぞに売り払うわけにもいかないだろうから、それなら殿下に引き取っていただくのが一番いい。

「では、失礼する。エルニース殿にも、早くいいお相手が現れることを祈っているよ」
「お心遣い、ありがとうございます」

 紅茶を飲み終えた殿下はいつもと変わらない口調で最後の挨拶をし、近衛兵たちを連れて城へとお帰りになった。

 その後の我が家は、蜂の巣をつついたような騒ぎだった。
 ハルトウィード殿下との婚礼までは一月ひとつきを切っており、様々な準備が粛々と進められていたのだから大騒ぎになるのも無理はない。それらすべての準備を止めなければならず、その手配だけでも父上にとっては頭が痛いことだろう。
 あちらの都合だから金銭的な問題はないにしても、貴族社会において王族との婚約破棄は醜聞であり、よくない噂が立つのは想像がつく。せめてもの救いは殿下の不貞によって起きたという点で、そういうことをしでかしそうな方だと知れ渡っていたのは幸いだったと喜ぶべきだろうか。



 父上は「我が息子をなんだと思っているのか! 断り続けたのを無理にと押しとおしたのは殿下だというのに……!」と、この二日間怒り心頭のままでいる。

「おまえは悔しくないのか!?」
「そういう気持ちはありません。むしろ王族に嫁ぐ必要がなくなってホッとしているくらいです」
「ルナ……! おまえは、いくら相手が王族とはいえ、蔑ろにされ捨てられたのだぞ!? 婚約者がありながらよその娘に手を出し、あまつさえ子をなすとは、おまえこそ怒るべきだろう!?」
「婚約者ではありましたけど、それはあくまでお役目だと考えていました。それに嫁いだとしても、すぐに似たようなことが起きたと思いますよ? それなら“男の妃殿下だから”と憐まれる前に婚約が破棄されてよかったと思います」
「ルナ……!」
「ほら父上、そう興奮していては体を悪くします。今日は衣装をお返しするだけですから、あとのことはわたしに任せてください。ジルバートン、父上を寝室へお連れして」
「かしこまりました、坊っちゃま」

 長年我が家に仕える執事のジルバートンは、相変わらずわたしのことを子どものときと同じように呼ぶ。成人まであと少しのわたしを「坊っちゃま」と呼ぶのはどうだろうかと、思わず苦笑してしまった。
 そんなわたしを見た父上の目が力なく伏せられた。

「ルナ……。わたしはおまえが大事なのだ。あのような事故に遭い、母を失ってしまったおまえが何より大事なのだよ。我が家には将来がない。だからせめて未来に憂いのない人生を歩ませてやりたいと、そう願って今回の話も渋々ながら受けたというのに……。すまない。おまえのためにと考えていたのに、すまないことをした……」
「父上、わたしは大丈夫ですから。殿下をお慕いしていたのなら傷つきもするでしょうが、そういう気持ちを育む時間もありませんでしたし、幸いだったと思います」
「……殿下は、おまえの心を取り戻してくれる人ではなかったのだな……」

 哀しそうな目をした父上が、ジルバートンに支えられながら部屋を出て行った。

(わたしの心、か……)

 父上の言葉が何を意味するのかはわかっている。母上を亡くした五歳のときから、何かあるたびに父上は同じようなことを口にしてきた。屋敷の侍女や従僕たちも哀しそうな目でわたしを見るときがある。

(今回はそれが幸いだったと思うんだけどな。これで殿下に想いを寄せていたら、目も当てられなかっただろうし)

 父上に話したとおり、わたしにハルトウィード殿下をお慕いする気持ちはまったくない。婚約を承諾したのは、殿下からのしつこいほどの申し入れを必死に断る父上を見ていられなかったからだ。
 底辺の貴族が王族の申し入れを断り続けることがどういうことか、世間知らずのわたしにもわかる。それに、ただでさえ母上を失って以来元気をなくしたままの父上に、王族と交渉するという負担をかけ続けることはできなかった。
 さらに言えば、わたしも成人である十八歳を前にして、身の振り方を考える時期が来ていた。さすがに男性に嫁ぐという発想はなかったけれど、奥方を迎える未来も描けずどうしたものかと考えあぐねていたところに、ハルトウィード殿下からの熱心な申し入れ――断る理由はない。

 けれど、結局は父上を哀しませる結果になってしまった。

「やはり、わたしがつまらない人間だったせいだろうな」

 そのことに殿下もお気づきになったのだろう。「見た目はすごく美人なのに……」とは、学舎に通っていた頃に何度か言われたことだ。
 自分が美人かはよくわからなくても、話してもつまらない人間だろうということはわかっている。昔から本を読むことばかりで他人と話をする機会が少なかったからか、会話を楽しむということも苦手だった。婚約者として、これほどつまらない人間はいないだろう。
 もしくは、婚約者なのに殿下に指一本触れさせなかったのが原因だろうか。いや、そもそも殿下はわたしに触れたいと思っていらっしゃらなかったかもしれない。いくら殿下のお眼鏡にかなったと言ってもわたしは男だ、そういう気になれなかったとしても仕方がない。
 どちらにしても、わたしがこんな人間だから招いた結果だと思っている。

「だからといって、どうにもできないんだけどな」

 五歳のあの事故以来こういう人間に育ってしまったのだから、いまさらどうにかできるとは思えない。


 目の前のテーブルに置かれた大きな箱を撫でる。触れるとわずかに胸が痛むのは、感傷といった気持ちからではない。これまで散々時間を費やしてきたお妃教育だのなんだのが無駄になったことへの、少しばかりのやるせない気持ちのせいだ。それが自分の役目なのだと努力してきたけれど、すべて無駄になったのかと思うと、さすがのわたしも思うところがある。

「……ま、全部この衣装と一緒に忘れてしまえばいいか」

 そう楽観していたわたしは、城から来た使いに再び翻弄されることになろうとは、このとき微塵も思っていなかった。
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