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一章 鬼に繞乱(じょうらん)されしは
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「だから大丈夫だと言ったでしょう?」
「俺は何も聞いていなかった」
「そうでしたか? 誰も気づいていなかったのですから、もういいじゃないですか」
「おまえというやつは……!」
声を荒げかけたところでハッとした。隣の部屋を見ると控えている女房たちが心配そうな気配を漂わせている。御簾を下ろしているものの、このままでは俺が暴力を振るうのではと女房たちが入ってきてしまう。「喧嘩しているわけではない」と誤魔化すように金花に近づき声を潜めた。
「気づかれなければいいという話じゃない」
「昨日は鬼という言葉に驚き奥で伏していたということにしています。母上様も同じ状態でしたから、女房たちの誰もわたしが屋敷を抜け出していたことには気づいていませんよ?」
「そういう問題ではないだろう!」
声を抑えながらも強く言い返したのは金花がとんでもないことをしていたからだ。
女房たちを騙し、勝手に牛車を動かしたのだとわかったのは屋敷に戻ってからだった。しかもあの牛車を動かしていたのは金花と同じ“ようま”なのだと言う。その“ようま”が牛車の汚れもすべて片付けてくれた。おかげで屋敷の者たちに牛車で淫らなことをしていたと知られることはなかった。それはいい。だが鬼の力を都で使うなどもってのほかだ。そもそも金花が“ようま”を下人のように使えることなど聞いていない。
(もし誰かに見られでもしたら……)
鬼だと知られてしまえば屋敷に、いや都にいられなくなるというのに迂闊すぎる。
「そんなに怒るなんて、カラギはそれほどまでわたしを心配してくださるのですね」
ニィと笑う金花の顔に、俺はいつもどおり「うるさい!」と言い返すことができなかった。それどころか美しく笑う顔を睨むこともできず、思わず視線を外してしまった。
「……もしかして、本当に心配してくれているのですか?」
金花の声がわずかに上ずっている。それに気づき視線を戻すと驚いているのか目を見開いていた。その表情すら美しいと思った。いや、実際に金花はどんな表情をしていても美しい。さらに好いた相手なのだと思うとますます美しく見えてしまい、正面から見ることが気恥ずかしくなる。
「……好いた相手を心配するのは当然だ」
俺の返事に金花が息を呑んだのがわかった。
「本当に? カラギもわたしのことを好いてくれているのですか?」
「う、うるさい! そうでなければ、奥方にしてからもずっとそばにいたりはしないだろう!」
気恥ずかしさから貴族のようなことを口走ってしまった。
(いや、俺は間違いなく貴族なんだが……あぁだから、そういうことではなくて)
羞恥と戸惑いに口元を覆いながら顔を逸らす。そうしながら「貴族が一人の奥方とずっと一緒にいるというのは、つまりそういうことだ」とつぶやく。
貴族は正式な奥方以外とは同じ屋敷に住まない。たとえ正式な奥方であっても大抵は居住区を別にする。父上が存命だったとき、この屋敷に長く滞在することはあっても母上と同じ部屋で過ごすことはほとんどなかった。母上が内親王という立場だったこともあるのだろうが、身分が高くなればなるほど貴族はそういう暮らしを送る。それは御所も同じで、帝でさえ夜をともに過ごす妃の元へその都度通われるのが普通だ。
兄上たちに至っては、月に一度くらいしか奥方のご機嫌伺いをしないと聞いている。どちらかといえば外の女たちのもとへ通うことのほうが多いくらいで、下の兄上は下級貴族の奥方と懇ろになって以来、奥方の屋敷に転がり込んでいるという話だ。それだけでも上の兄上は眉をひそめていた。
俺はそういう貴族の行いが好きではなかった。どうせなら「この人だ」と思う女と一生を添い遂げたい。だから、いつか迎える奥方とは小さな屋敷の同じ居住区で暮らしたいと考えていた。
(まさか、その相手が男になるとは思わなかったがな。しかも鬼だぞ)
いや、結果的にそうなっただけだ。はじめは鬼である金花の行動を監視しなければと思っていたにすぎない。女房たちからは「なんと仲睦まじいご夫婦だこと」と微笑まれたが、そういう意図は一切なかった。
(そんな俺が、まさか本気で鬼に思いを寄せることになるとは……)
しかしこの気持ちは嘘ではない。俺は間違いなく金花を好いている。金花ほど思う相手とは二度と巡り合えないと考えるくらい好いていると自覚した。いや、あの鬼と対峙したことで本心に気づいたのだ。
「まさか本当に好いてくれるとは」
「そういうことをいちいち口に出すな……っ」
俺の態度が照れくささからだと気づいているのだろう。いつもどおり「ふふっ」と笑う金花に、それ以上言い返すことはできなかった。そんな俺がおかしいのか、口元を袖で隠しながら金花がますます楽しそうに笑う。このままでは笑われるばかりだ、何か話題を変えなくてはと考えたところで烏の羽根が思い浮かんだ。真っ黒な様子から烏だと思っていたが、実際はどうだったのだろう。
「昨日のあの羽根だが、烏の羽根なのか?」
「あぁ、あの羽根ですか」
金花の目からすぅっと笑みが消える。もしや口にしてはいけないことだったのだろうか。そう思いながらも気になっていたことを口にした。
「あの鬼は、なぜ烏の羽根を見ただけで退いたんだ?」
あれだけ強い鬼が、たかが烏の羽根に怯えるとは思えない。俺の問いかけに金花がわずかにためらうような様子を見せた。
「何か問題のある羽根なのか?」
「いいえ、そうではありませんが……。聞いてもあまり楽しい話ではないと思いますよ?」
「かまわない。それに俺たちを救ってくれたものだ、知らないままというわけにもいかないだろう」
「カラギが知りたいと言うならかまいませんが……」
なおも言い渋る金花に「教えてくれ」と先を促す。
「あれは烏天狗の羽根なのです」
「烏天狗だと……?」
烏天狗の存在は聞いたことがある。山伏の姿をしていて、鳥のような嘴と空を自在に飛ぶ羽を持っている鬼だ。多くは山に棲むと言われているが、神社や寺院に棲むものもいると聞いている。
「はい。あの羽根は特別な烏天狗の羽根なのです」
「特別……それは力ある烏天狗ということか?」
「そうとも言えます。特別な烏天狗は鬼の帝、鬼王の使いでもあります。だからあの鬼も退かざるを得なかったのですよ」
「鬼の、王」
つぶやいた言葉に、ぶるっと背筋が震えてしまった。小さい頃、祖父であった帝から鬼の王の話を聞いたことがある。しかし姿を現したのは五代前の侘千帝の御世が最後という話だったはずだ。しかし、あれが本当に鬼の王の使いである烏天狗の羽根だとしたら……。
「まさか、鬼の王が都に現れたのか!?」
「あぁ、それはありません」
「本当だな?」
「いまのところは」
いまのところは、ということは、いずれは現れるということだ。都を騒がせている鬼たちにでさえ四苦八苦しているというのに、鬼の王まで現れたら都はどうなってしまうのだろうか。
「鬼の王とは、いったいどんな鬼なのだ」
漏れた言葉に金花が返事をすることはない。
(そもそも鬼の王の使いだという烏天狗の羽根を、どうして金花が……?)
浮かんだ問いを、なぜか俺は金花に投げかけることができなかった。
「俺は何も聞いていなかった」
「そうでしたか? 誰も気づいていなかったのですから、もういいじゃないですか」
「おまえというやつは……!」
声を荒げかけたところでハッとした。隣の部屋を見ると控えている女房たちが心配そうな気配を漂わせている。御簾を下ろしているものの、このままでは俺が暴力を振るうのではと女房たちが入ってきてしまう。「喧嘩しているわけではない」と誤魔化すように金花に近づき声を潜めた。
「気づかれなければいいという話じゃない」
「昨日は鬼という言葉に驚き奥で伏していたということにしています。母上様も同じ状態でしたから、女房たちの誰もわたしが屋敷を抜け出していたことには気づいていませんよ?」
「そういう問題ではないだろう!」
声を抑えながらも強く言い返したのは金花がとんでもないことをしていたからだ。
女房たちを騙し、勝手に牛車を動かしたのだとわかったのは屋敷に戻ってからだった。しかもあの牛車を動かしていたのは金花と同じ“ようま”なのだと言う。その“ようま”が牛車の汚れもすべて片付けてくれた。おかげで屋敷の者たちに牛車で淫らなことをしていたと知られることはなかった。それはいい。だが鬼の力を都で使うなどもってのほかだ。そもそも金花が“ようま”を下人のように使えることなど聞いていない。
(もし誰かに見られでもしたら……)
鬼だと知られてしまえば屋敷に、いや都にいられなくなるというのに迂闊すぎる。
「そんなに怒るなんて、カラギはそれほどまでわたしを心配してくださるのですね」
ニィと笑う金花の顔に、俺はいつもどおり「うるさい!」と言い返すことができなかった。それどころか美しく笑う顔を睨むこともできず、思わず視線を外してしまった。
「……もしかして、本当に心配してくれているのですか?」
金花の声がわずかに上ずっている。それに気づき視線を戻すと驚いているのか目を見開いていた。その表情すら美しいと思った。いや、実際に金花はどんな表情をしていても美しい。さらに好いた相手なのだと思うとますます美しく見えてしまい、正面から見ることが気恥ずかしくなる。
「……好いた相手を心配するのは当然だ」
俺の返事に金花が息を呑んだのがわかった。
「本当に? カラギもわたしのことを好いてくれているのですか?」
「う、うるさい! そうでなければ、奥方にしてからもずっとそばにいたりはしないだろう!」
気恥ずかしさから貴族のようなことを口走ってしまった。
(いや、俺は間違いなく貴族なんだが……あぁだから、そういうことではなくて)
羞恥と戸惑いに口元を覆いながら顔を逸らす。そうしながら「貴族が一人の奥方とずっと一緒にいるというのは、つまりそういうことだ」とつぶやく。
貴族は正式な奥方以外とは同じ屋敷に住まない。たとえ正式な奥方であっても大抵は居住区を別にする。父上が存命だったとき、この屋敷に長く滞在することはあっても母上と同じ部屋で過ごすことはほとんどなかった。母上が内親王という立場だったこともあるのだろうが、身分が高くなればなるほど貴族はそういう暮らしを送る。それは御所も同じで、帝でさえ夜をともに過ごす妃の元へその都度通われるのが普通だ。
兄上たちに至っては、月に一度くらいしか奥方のご機嫌伺いをしないと聞いている。どちらかといえば外の女たちのもとへ通うことのほうが多いくらいで、下の兄上は下級貴族の奥方と懇ろになって以来、奥方の屋敷に転がり込んでいるという話だ。それだけでも上の兄上は眉をひそめていた。
俺はそういう貴族の行いが好きではなかった。どうせなら「この人だ」と思う女と一生を添い遂げたい。だから、いつか迎える奥方とは小さな屋敷の同じ居住区で暮らしたいと考えていた。
(まさか、その相手が男になるとは思わなかったがな。しかも鬼だぞ)
いや、結果的にそうなっただけだ。はじめは鬼である金花の行動を監視しなければと思っていたにすぎない。女房たちからは「なんと仲睦まじいご夫婦だこと」と微笑まれたが、そういう意図は一切なかった。
(そんな俺が、まさか本気で鬼に思いを寄せることになるとは……)
しかしこの気持ちは嘘ではない。俺は間違いなく金花を好いている。金花ほど思う相手とは二度と巡り合えないと考えるくらい好いていると自覚した。いや、あの鬼と対峙したことで本心に気づいたのだ。
「まさか本当に好いてくれるとは」
「そういうことをいちいち口に出すな……っ」
俺の態度が照れくささからだと気づいているのだろう。いつもどおり「ふふっ」と笑う金花に、それ以上言い返すことはできなかった。そんな俺がおかしいのか、口元を袖で隠しながら金花がますます楽しそうに笑う。このままでは笑われるばかりだ、何か話題を変えなくてはと考えたところで烏の羽根が思い浮かんだ。真っ黒な様子から烏だと思っていたが、実際はどうだったのだろう。
「昨日のあの羽根だが、烏の羽根なのか?」
「あぁ、あの羽根ですか」
金花の目からすぅっと笑みが消える。もしや口にしてはいけないことだったのだろうか。そう思いながらも気になっていたことを口にした。
「あの鬼は、なぜ烏の羽根を見ただけで退いたんだ?」
あれだけ強い鬼が、たかが烏の羽根に怯えるとは思えない。俺の問いかけに金花がわずかにためらうような様子を見せた。
「何か問題のある羽根なのか?」
「いいえ、そうではありませんが……。聞いてもあまり楽しい話ではないと思いますよ?」
「かまわない。それに俺たちを救ってくれたものだ、知らないままというわけにもいかないだろう」
「カラギが知りたいと言うならかまいませんが……」
なおも言い渋る金花に「教えてくれ」と先を促す。
「あれは烏天狗の羽根なのです」
「烏天狗だと……?」
烏天狗の存在は聞いたことがある。山伏の姿をしていて、鳥のような嘴と空を自在に飛ぶ羽を持っている鬼だ。多くは山に棲むと言われているが、神社や寺院に棲むものもいると聞いている。
「はい。あの羽根は特別な烏天狗の羽根なのです」
「特別……それは力ある烏天狗ということか?」
「そうとも言えます。特別な烏天狗は鬼の帝、鬼王の使いでもあります。だからあの鬼も退かざるを得なかったのですよ」
「鬼の、王」
つぶやいた言葉に、ぶるっと背筋が震えてしまった。小さい頃、祖父であった帝から鬼の王の話を聞いたことがある。しかし姿を現したのは五代前の侘千帝の御世が最後という話だったはずだ。しかし、あれが本当に鬼の王の使いである烏天狗の羽根だとしたら……。
「まさか、鬼の王が都に現れたのか!?」
「あぁ、それはありません」
「本当だな?」
「いまのところは」
いまのところは、ということは、いずれは現れるということだ。都を騒がせている鬼たちにでさえ四苦八苦しているというのに、鬼の王まで現れたら都はどうなってしまうのだろうか。
「鬼の王とは、いったいどんな鬼なのだ」
漏れた言葉に金花が返事をすることはない。
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