私はヒロインを辞められなかった……。

くーねるでぶる(戒め)

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【閑話】 トマスガンド視点 娘の婚約

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「い、今何と……?」

 私、トマスガンド・レ・キルヒレシアは、そう問い返すだけで精一杯だった。断じて聞こえなかったのではない。王族の言葉を聞き逃すなどという失態、私が犯すわけがない。ただ少し、相手の要求を信じたくなかったのだ。

「貴殿の娘、マリアベルとの婚約を許してほしいのだ。キルヒレシア男爵」

 そう真摯に私に訴えるのは、この国の第二王子、シュヴァルツ殿下だ。その隣には娘であるマリアベルが、まるでシュヴァルツ殿下にくっ付くように座っている。と言うより、娘が殿下に寄り掛かって体を預けている。王族に対してなんて不敬な態度を……。後で叱らねば。

 それにしても、マリアベルのあの態度。全身でシュヴァルツ殿下への好意を表している。顔も、私が見たこともない程うっとりとしている。間違いない、マリアベルは殿下に篭絡されたと見て良い。

 好きな人との結ばれる。マリアベルは今、幸せの絶頂だろう。私も妻のフレアベルとは恋愛結婚だったから分かる。だが、悲しいかな我が家の家格では、マリアベルに幸せな結婚生活など待っていないだろう。娘が篭絡された今、私が踏み止まらねば。

 今はシュヴァルツ殿下の要求をどう躱すかだ。私はあまりこういった交渉事は得意ではない。持って回った言い方で相手を煙に巻く話術など使えない。そんな私だが、娘の為にも譲れない一線というものはある。ここはズバリと斬り込むしかないか。

「それは我が娘を妾に欲しいという事ですか?」

 婚約を許してほしいのだから、シュヴァルツ殿下には娘と結婚する意思があるという事は私でも分かる。

 だが、もし結婚したとしても、娘を第5夫人やら第6夫人などに押し込み、大勢の愛人の中の一人として囲うつもりなら、それは妾と何も変わらないと私は思う。そこに娘の、マリアベルの幸せは無い。

 だから敢えて妾と言う言葉を選んで、シュヴァルツ殿下を牽制する。

 娘を妾扱いするような結婚など、私は断じて認めない。

「男爵、私はマリアベルを正妻として迎え入れたいのだ」

「正妻ですと!?」

 娘が王族の第一妃に?どういうことだ?キルヒレシア家の家格を思えばそんなことは不可能だ。それくらい殿下もお分かりのはず。殿下が先走ったのか?

「この事、陛下は何と?」

「無論、陛下の許可は得ている」

「なんという……」

 バカな…。陛下の許可が得ているなど信じられない。全てはシュヴァルツ殿下の妄言という可能性の方がずっと高いくらいだ。ここは一度結論を出さずにお茶を濁し、陛下の御意思を確認せねば。

「殿下、急用を思い出しました。大変失礼なことだとは思いますが……」

 私は、殿下に言質を与えず、一度撤退することにした。情報を集めなければ、まずは陛下の御意思からだな。本当にシュヴァルツ殿下とマリアベルの結婚が許されたとするならば、そこにはカラクリがあるはずだ。その全容を確かめねば!やれやれ私はこうした謀の類は苦手なのだがな…。それでも娘の為に泣き言など言ってられん。

「まぁ待てキルヒレシア男爵。貴殿の疑問は尤もなものだ。普通なら私とマリアベルの結婚など許可が下りない。それなのに、何故今になって許可が下りたのか、それには当然、様々な思惑が入り乱れている。私の知る限りの事ではあるが、それを話そう」

 確かにそれは私が知りたいものだ。殿下が語るという事は、殿下に都合の悪い事は伏せられる場合もあるだろう。その事に気を付けねばならないが、情報が貰えるのはありがたい。国の中枢に居る殿下が得られる情報は、私が集められる情報よりずっと多い物に違いない。

 私は浮かせ掛けた腰を椅子に下した。



 シュヴァルツ殿下の語るこの国の内情は、理路整然として分かりやすかった。そして、この国は窮地に立たされていると聞いて驚いた。まさか派閥争いで国が割れ掛けていたとは……。最悪の場合、内戦もありえるとは思いもよらなかった。まさかそれほど切羽詰まっていたとは……。

 しかし、私が一番驚いたのは、シュヴァルツ殿下が臣籍に下るということだ。公爵となられるらしい。私は、シュヴァルツ殿下はてっきり王位を目指すものと思っていたので驚いた。

 国の為に、自ら身を引かれるとは……理路整然とした語りといい、殿下は相当に理知的な方だ。傲慢で短気なところがあると聞いていたが…やれやれ噂などアテにならんな。

 娘を娶る理由も納得のいくものだった。まさか、我が家の家格が低く、影響力の無い事が逆に利点となるとはな。

 貴族院に在学中に、娘に行った暴挙についても謝罪があった。そしてその責任を果たすと言っている。

 それに、娘以外に妻は娶らないと言い切るとは……。

「という訳だ。私とマリアベルの婚約、了承してはくれないか?」

「はっ……」

 確かに、殿下のいう事が真実なら、娘は幸せになれるかもしれない。娘の心はシュヴァルツ殿下に完全に靡いているし、なんといっても公爵夫人だ。玉の輿どころの騒ぎではない。我が家にとっても公爵家と縁が結べるのは大きなメリットになる。しかし……。

「分かっている。貴殿にも時間が必要だろう」

「はっ」

 やれやれ、お見通しか。そうだ。私には時間が必要だ。殿下が語ってみせた事の裏を取る時間がな。

 まさかとは思うが、シュヴァルツ殿下の話が全て殿下の妄言という事もあり得る。殿下が敢えて語られなかった事もあるだろう。慎重に何が真実が見極めねば。

「私が公爵になることは、近く公表されるはずだ。返事はそれからでも良いぞ」

「それは…ありがとうございます」

 時間を下さるという事は、殿下の語ったことは真実である可能性が高いな。

 もし真実なら……私は婚約を了承しようと思う。我が家にとって大きなメリットになるし、なにより娘が望んでいる。娘が幸せになれるかどうかは分からない。未来の事など誰にも分らないのだ。だが、シュヴァルツ殿下の娘を思う心は確かなものだと感じた。私はこの青年に、娘を託してみようと思えた。

 やれやれ、在学中に唇を奪われるわ、その相手が王子だわ、社交界で悪評が立つわ、王子への恋を頑なに諦めないわ、錬金術などという怪しげなものにはまるわ、何かと規格外な娘で、これは嫁の貰い手が見つかるかどうかと悩んだものだが……。まさか本当に王子と結ばれようとはな。

「話は以上だ。良い返事が聞けるのを期待している。では、これで失礼しよう」

 シュヴァルツ殿下が立ち上がる。お見送りせねば。私も立ちあがった。殿下と娘が見つめ合い、別れを惜しんでいる。娘のあんなに切なそうな顔は初めて見た。こちらの胸まで苦しくなるようだ。

 気が付くと、妻のフレアベルが立ち上がっていない。席に着いたままだ。

 これはまだ話すことがあるという意思表示に他ならない。しかし、礼儀を弁えている妻が、王族に対してこんな態度を取る事が信じられない。どうしちゃったの?

「フレア?」

 返事が無い。私は一度席に座ると、妻の体が、まるで私に甘えるようにもたれ掛かってきた。

 私は妻の体を抱きとめる。殿下と娘の雰囲気にあてられたのだろうか?しかし子どもの前だ。あまりこういうのは…。しかも今は王族の前でもある。

「…フレア?」

 やはり返事が無い。私は、やや俯いているフレアベルの顔を覗き込んだ。

「…っ!」

 妻が白目剥いて気絶してる!?顔怖っわ! いつから!?いったい、いつから気絶してたんだ!?


 ◇◆◇◆

 これにて本作は完結とさせていただきます。
 私の拙作をこれまで読んでくださった皆様には感謝の言葉もございません。
 本当にありがとうございました。
 またどこかでお会いできたら、よかったら読んでやってください。作者が喜びます。
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