[異世界恋愛短編集]泣くものですか、復讐を果たすまでは。

石河 翠

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5.お姫さまと本の悪魔のおはなし

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 そんなある日のこと、神殿の神官さまがお姫さまの元にやってきました。姉姫さまが黒い森に住む魔法使いもとい悪魔との約束を破った際に、お城に来た神官さまと同じひとです。神官さまは北の塔にお姫さまが引っ越してきたのを見て、一度だけ顔をしかめましたが特に何か言うことはありませんでした。その神官さまが、わざわざ北の塔を訪ねてくるなんて一体何の御用なのでしょう。

「姫殿下、成人を迎えましたら悪魔の元に嫁いでいただくことになりました」
「それは生贄として、悪魔に頭から喰われろという意味でしょうか」

 首を傾げるお姫さまに対して、神官さまは重々しく首を横に振りました。

「あなたはその身で悪魔の無聊を慰めるのです。悪魔があなたを気に入れば、この国は今までと同じように悪魔の加護を得られるでしょう」
「悪魔の元に嫁いだなら、新しい本が読めるでしょうか?」
「は?」
「私、新しい本が読めるのなら、今すぐにでも嫁ぎますわ」

 神官さまは口をあんぐり開けました。何を言っているのか、意味がわからなかったのでしょう。そんな神官さまの前で、お姫さまはにこりと笑って言いました。

「悪魔は、人間を書物に変えてしまう力があるのだと聞いております」
「それを聞いてあなたは、悪魔を恐ろしいとは思わないのですか」
「ひとの数だけ新しい本が読めるのだと喜ぶ私の方こそ恐ろしいかもしれませんわね。それにいつか私も本にしていただけるのであれば大変光栄なことですわ」

 するとまるで悪魔がその言葉を聞いていたかのように、お姫さまの左手の薬指に指輪が現れました。金や銀ではない、まるで闇夜を煮詰めたような真っ黒な指輪です。

「神官さま。ここにある本は、私の財産です。嫁入りの際にはすべて持っていきたいのですが、よろしくて?」
「お金や食べ物は必要ないのですか。どのような暮らしが待っているか、わかりませんよ?」

 神官さまの問いかけに、お姫さまは小さくふきだしました。

「明日の命もわからぬ場所に嫁ぐのであれば、それこそ私はこれらの本を持ってまいります。大好きな本を読んでいれば、眠れないのもご飯を食べられないのも、ちっとも気になりませんもの」
「まあ、悪魔なりに生活は保障してくれるはずです」
「そういえば私の食事も赤い実になるのかしら? 動物たちの分を食べ過ぎないように気をつけなくちゃ」
「さすがの悪魔も、花嫁には人間用の食事を出しますよ」

 ここに来てもやっぱりお姫さまにとっては、本が読めることが何より大事だったのです。


 悪魔との結婚が決まっても、お姫さまはいつも通り。変わったことといえば、神官さまが悪魔から本を預かって持ってくるようになったことくらいでしょうか。今日も嬉しそうに微笑みながら、本を受け取るために手を差し出しました。

 けれど、先に渡されたのは美味しそうなスープとパン。パンには真っ赤なジャムが添えられています。

「本ばかり読んでいてはいけません。ちゃんと食べなくては」
「痩せっぽちでは、お嫁に行けないから?」
「まったく、あなたはどうしてそう昔から食に無頓着なのですか」
「ひとりで食べるご飯は味気ないのです」
「それでは、一緒に食べましょう」

 いつもなら使用人に渡された食事は、気が向くまで放っておくお姫さまが今日はにこにこと食べ始めました。お姫さまは、神官さまと一緒に食事をすると胸がぽかぽかすることを知っているのです。嬉しそうにパンを食べるお姫さまに、神官さまは言いました。

「今までここに入れられた罪人たちは、外に出たいと泣き喚いていました。彼らはわたしに向かって、ここから出してくれと懇願したものです。それなのにあなたはどうしてそんなに平然としているのです?」
「だって、逃げ出す必要なんてありません。私は日夜、さまざまな世界の冒険に出かけています。私の心は何より自由なのです」

 お姫さまはそう言って、そっと本の表紙を撫でました。文字を学んでから読み始めた本の世界は、さまざまな発見に満ちています。現実の家族には恵まれなかったお姫さまは、本の中でたくさんのことを学んだのです。

「けれど今の生活は寂しいでしょう? 悪魔はわたしにすべてを任せきりで、あなたの顔さえ見に来ないのですから」
「あら、寂しくなんてありません。神官さまがここに来てくださっているではありませんか」

 お姫さまの言葉に、監視役の神官さまは鼻白んだように答えました。

「結婚相手のいる女性とは思えない言葉ですね」

 するとお姫さまは不思議そうに首を傾げて尋ねました。

「そういえば私は結婚したら、神官さまのことをなんとお呼びすればよいのでしょう。悪魔さま……だと変ですから、昔のように魔法使いさまと呼んだらよいのかしら?」
「は?」
「あら、神官さまが魔法使いさまであることは知らない振りをしていなければいけなかったのかしら。ごめんなさい。私、本で勉強したことは覚えているのですが、口伝の不文律などがあるのなら教えてくださいませ」

 いやいや、そうじゃないと神官さまは額を押さえました。

「どうして、わたしが悪魔だと思ったのですか? わたしは神官ですよ?」
「神官さまこそ、何をおっしゃっているのかしら。初めて書庫でお会いしたときからあなたは何にも変わっていらっしゃらないではありませんか」

 くすくすと可笑しそうにお姫さまは笑いました。
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