28 / 30
5.お姫さまと本の悪魔のおはなし
(4)
そんなある日のこと、神殿の神官さまがお姫さまの元にやってきました。姉姫さまが黒い森に住む魔法使いもとい悪魔との約束を破った際に、お城に来た神官さまと同じひとです。神官さまは北の塔にお姫さまが引っ越してきたのを見て、一度だけ顔をしかめましたが特に何か言うことはありませんでした。その神官さまが、わざわざ北の塔を訪ねてくるなんて一体何の御用なのでしょう。
「姫殿下、成人を迎えましたら悪魔の元に嫁いでいただくことになりました」
「それは生贄として、悪魔に頭から喰われろという意味でしょうか」
首を傾げるお姫さまに対して、神官さまは重々しく首を横に振りました。
「あなたはその身で悪魔の無聊を慰めるのです。悪魔があなたを気に入れば、この国は今までと同じように悪魔の加護を得られるでしょう」
「悪魔の元に嫁いだなら、新しい本が読めるでしょうか?」
「は?」
「私、新しい本が読めるのなら、今すぐにでも嫁ぎますわ」
神官さまは口をあんぐり開けました。何を言っているのか、意味がわからなかったのでしょう。そんな神官さまの前で、お姫さまはにこりと笑って言いました。
「悪魔は、人間を書物に変えてしまう力があるのだと聞いております」
「それを聞いてあなたは、悪魔を恐ろしいとは思わないのですか」
「ひとの数だけ新しい本が読めるのだと喜ぶ私の方こそ恐ろしいかもしれませんわね。それにいつか私も本にしていただけるのであれば大変光栄なことですわ」
するとまるで悪魔がその言葉を聞いていたかのように、お姫さまの左手の薬指に指輪が現れました。金や銀ではない、まるで闇夜を煮詰めたような真っ黒な指輪です。
「神官さま。ここにある本は、私の財産です。嫁入りの際にはすべて持っていきたいのですが、よろしくて?」
「お金や食べ物は必要ないのですか。どのような暮らしが待っているか、わかりませんよ?」
神官さまの問いかけに、お姫さまは小さくふきだしました。
「明日の命もわからぬ場所に嫁ぐのであれば、それこそ私はこれらの本を持ってまいります。大好きな本を読んでいれば、眠れないのもご飯を食べられないのも、ちっとも気になりませんもの」
「まあ、悪魔なりに生活は保障してくれるはずです」
「そういえば私の食事も赤い実になるのかしら? 動物たちの分を食べ過ぎないように気をつけなくちゃ」
「さすがの悪魔も、花嫁には人間用の食事を出しますよ」
ここに来てもやっぱりお姫さまにとっては、本が読めることが何より大事だったのです。
悪魔との結婚が決まっても、お姫さまはいつも通り。変わったことといえば、神官さまが悪魔から本を預かって持ってくるようになったことくらいでしょうか。今日も嬉しそうに微笑みながら、本を受け取るために手を差し出しました。
けれど、先に渡されたのは美味しそうなスープとパン。パンには真っ赤なジャムが添えられています。
「本ばかり読んでいてはいけません。ちゃんと食べなくては」
「痩せっぽちでは、お嫁に行けないから?」
「まったく、あなたはどうしてそう昔から食に無頓着なのですか」
「ひとりで食べるご飯は味気ないのです」
「それでは、一緒に食べましょう」
いつもなら使用人に渡された食事は、気が向くまで放っておくお姫さまが今日はにこにこと食べ始めました。お姫さまは、神官さまと一緒に食事をすると胸がぽかぽかすることを知っているのです。嬉しそうにパンを食べるお姫さまに、神官さまは言いました。
「今までここに入れられた罪人たちは、外に出たいと泣き喚いていました。彼らはわたしに向かって、ここから出してくれと懇願したものです。それなのにあなたはどうしてそんなに平然としているのです?」
「だって、逃げ出す必要なんてありません。私は日夜、さまざまな世界の冒険に出かけています。私の心は何より自由なのです」
お姫さまはそう言って、そっと本の表紙を撫でました。文字を学んでから読み始めた本の世界は、さまざまな発見に満ちています。現実の家族には恵まれなかったお姫さまは、本の中でたくさんのことを学んだのです。
「けれど今の生活は寂しいでしょう? 悪魔はわたしにすべてを任せきりで、あなたの顔さえ見に来ないのですから」
「あら、寂しくなんてありません。神官さまがここに来てくださっているではありませんか」
お姫さまの言葉に、監視役の神官さまは鼻白んだように答えました。
「結婚相手のいる女性とは思えない言葉ですね」
するとお姫さまは不思議そうに首を傾げて尋ねました。
「そういえば私は結婚したら、神官さまのことをなんとお呼びすればよいのでしょう。悪魔さま……だと変ですから、昔のように魔法使いさまと呼んだらよいのかしら?」
「は?」
「あら、神官さまが魔法使いさまであることは知らない振りをしていなければいけなかったのかしら。ごめんなさい。私、本で勉強したことは覚えているのですが、口伝の不文律などがあるのなら教えてくださいませ」
いやいや、そうじゃないと神官さまは額を押さえました。
「どうして、わたしが悪魔だと思ったのですか? わたしは神官ですよ?」
「神官さまこそ、何をおっしゃっているのかしら。初めて書庫でお会いしたときからあなたは何にも変わっていらっしゃらないではありませんか」
くすくすと可笑しそうにお姫さまは笑いました。
「姫殿下、成人を迎えましたら悪魔の元に嫁いでいただくことになりました」
「それは生贄として、悪魔に頭から喰われろという意味でしょうか」
首を傾げるお姫さまに対して、神官さまは重々しく首を横に振りました。
「あなたはその身で悪魔の無聊を慰めるのです。悪魔があなたを気に入れば、この国は今までと同じように悪魔の加護を得られるでしょう」
「悪魔の元に嫁いだなら、新しい本が読めるでしょうか?」
「は?」
「私、新しい本が読めるのなら、今すぐにでも嫁ぎますわ」
神官さまは口をあんぐり開けました。何を言っているのか、意味がわからなかったのでしょう。そんな神官さまの前で、お姫さまはにこりと笑って言いました。
「悪魔は、人間を書物に変えてしまう力があるのだと聞いております」
「それを聞いてあなたは、悪魔を恐ろしいとは思わないのですか」
「ひとの数だけ新しい本が読めるのだと喜ぶ私の方こそ恐ろしいかもしれませんわね。それにいつか私も本にしていただけるのであれば大変光栄なことですわ」
するとまるで悪魔がその言葉を聞いていたかのように、お姫さまの左手の薬指に指輪が現れました。金や銀ではない、まるで闇夜を煮詰めたような真っ黒な指輪です。
「神官さま。ここにある本は、私の財産です。嫁入りの際にはすべて持っていきたいのですが、よろしくて?」
「お金や食べ物は必要ないのですか。どのような暮らしが待っているか、わかりませんよ?」
神官さまの問いかけに、お姫さまは小さくふきだしました。
「明日の命もわからぬ場所に嫁ぐのであれば、それこそ私はこれらの本を持ってまいります。大好きな本を読んでいれば、眠れないのもご飯を食べられないのも、ちっとも気になりませんもの」
「まあ、悪魔なりに生活は保障してくれるはずです」
「そういえば私の食事も赤い実になるのかしら? 動物たちの分を食べ過ぎないように気をつけなくちゃ」
「さすがの悪魔も、花嫁には人間用の食事を出しますよ」
ここに来てもやっぱりお姫さまにとっては、本が読めることが何より大事だったのです。
悪魔との結婚が決まっても、お姫さまはいつも通り。変わったことといえば、神官さまが悪魔から本を預かって持ってくるようになったことくらいでしょうか。今日も嬉しそうに微笑みながら、本を受け取るために手を差し出しました。
けれど、先に渡されたのは美味しそうなスープとパン。パンには真っ赤なジャムが添えられています。
「本ばかり読んでいてはいけません。ちゃんと食べなくては」
「痩せっぽちでは、お嫁に行けないから?」
「まったく、あなたはどうしてそう昔から食に無頓着なのですか」
「ひとりで食べるご飯は味気ないのです」
「それでは、一緒に食べましょう」
いつもなら使用人に渡された食事は、気が向くまで放っておくお姫さまが今日はにこにこと食べ始めました。お姫さまは、神官さまと一緒に食事をすると胸がぽかぽかすることを知っているのです。嬉しそうにパンを食べるお姫さまに、神官さまは言いました。
「今までここに入れられた罪人たちは、外に出たいと泣き喚いていました。彼らはわたしに向かって、ここから出してくれと懇願したものです。それなのにあなたはどうしてそんなに平然としているのです?」
「だって、逃げ出す必要なんてありません。私は日夜、さまざまな世界の冒険に出かけています。私の心は何より自由なのです」
お姫さまはそう言って、そっと本の表紙を撫でました。文字を学んでから読み始めた本の世界は、さまざまな発見に満ちています。現実の家族には恵まれなかったお姫さまは、本の中でたくさんのことを学んだのです。
「けれど今の生活は寂しいでしょう? 悪魔はわたしにすべてを任せきりで、あなたの顔さえ見に来ないのですから」
「あら、寂しくなんてありません。神官さまがここに来てくださっているではありませんか」
お姫さまの言葉に、監視役の神官さまは鼻白んだように答えました。
「結婚相手のいる女性とは思えない言葉ですね」
するとお姫さまは不思議そうに首を傾げて尋ねました。
「そういえば私は結婚したら、神官さまのことをなんとお呼びすればよいのでしょう。悪魔さま……だと変ですから、昔のように魔法使いさまと呼んだらよいのかしら?」
「は?」
「あら、神官さまが魔法使いさまであることは知らない振りをしていなければいけなかったのかしら。ごめんなさい。私、本で勉強したことは覚えているのですが、口伝の不文律などがあるのなら教えてくださいませ」
いやいや、そうじゃないと神官さまは額を押さえました。
「どうして、わたしが悪魔だと思ったのですか? わたしは神官ですよ?」
「神官さまこそ、何をおっしゃっているのかしら。初めて書庫でお会いしたときからあなたは何にも変わっていらっしゃらないではありませんか」
くすくすと可笑しそうにお姫さまは笑いました。
あなたにおすすめの小説
【本編完結】真実の愛を見つけた? では、婚約を破棄させていただきます
ハリネズミ
恋愛
「王妃は国の母です。私情に流されず、民を導かねばなりません」
「決して感情を表に出してはいけません。常に冷静で、威厳を保つのです」
シャーロット公爵家の令嬢カトリーヌは、 王太子アイクの婚約者として、幼少期から厳しい王妃教育を受けてきた。
全ては幸せな未来と、民の為―――そう自分に言い聞かせて、縛られた生活にも耐えてきた。
しかし、ある夜、アイクの突然の要求で全てが崩壊する。彼は、平民出身のメイドマーサであるを正妃にしたいと言い放った。王太子の身勝手な要求にカトリーヌは絶句する。
アイクも、マーサも、カトリーヌですらまだ知らない。この婚約の破談が、後に国を揺るがすことも、王太子がこれからどんな悲惨な運命なを辿るのかも―――
幼馴染みの婚約者が「学生時代は愛する恋人と過ごさせてくれ」と言ってきたので、秒で婚約解消を宣言した令嬢の前世が、社畜のおっさんだった件。
灯乃
ファンタジー
子爵家の総領娘である令嬢の前に、巨乳美少女と腕を組んだ婚約者がやってきた。
曰く、「学生時代くらいは、心から愛する恋人と自由に過ごしたい。それくらい、黙って許容しろ」と。
婚約者を甘やかし過ぎていたことに気付いた彼女は、その場で婚約解消を宣言する。
前半はたぶん普通の令嬢もの、後半はおっさんコメディーです。
「通訳など辞書で足りる」と追放された令嬢——三国会談で、婚約者は一言も話せなくなった
歩人
ファンタジー
宮廷通訳官エレノーラは五つの言語を操り、婚約者クラウスの外交を陰で支えてきた。
だがクラウスは言った。「通訳など辞書で足りる。お前は要らない」
追放されたエレノーラは隣国で新たな道を歩み始める。
一方、クラウスは三国会談の場で辞書片手に立ち往生。
誤訳が外交問題に発展し、窮地に陥ったその場に、隣国の通訳官として現れたのは——。
「その言葉は、もう翻訳できません」
「退屈な女だ」と婚約破棄されたので去りましたが、翌日から国政が止まったそうです。え、私はもう存じませんけど?
にたまご
恋愛
公爵令嬢クラーラは、ユリウス王太子殿下に婚約を破棄された。
「退屈な女だ」「何の取り柄もない」と。
否定はしない。
けれど殿下が知らないだけで、通商条約も予算案も外交書簡も、この国の政務の大半を六年間匿名で回していたのは──この「退屈な女」だ。
婚約破棄の翌朝、宰相補佐官のレオンが焼き菓子と四十二件の緊急報告を携えて公爵邸を訪れる。
「貴女がいなくなった王宮は、控えめに申し上げて、地獄です」
──存じません。私はもう、ただの無職ですので。
婚約破棄の翌日に謝罪されるも、再び婚約する気はありません
黒木 楓
恋愛
子爵令嬢パトリシアは、カルスに婚約破棄を言い渡されていた。
激務だった私は婚約破棄になったことに内心喜びながら、家に帰っていた。
婚約破棄はカルスとカルスの家族だけで決めたらしく、他の人は何も知らない。
婚約破棄したことを報告すると大騒ぎになり、私の協力によって領地が繁栄していたことをカルスは知る。
翌日――カルスは謝罪して再び婚約して欲しいと頼み込んでくるけど、婚約する気はありません。
婚約破棄を謝っても、許す気はありません
天宮有
恋愛
侯爵令嬢の私カルラは、ザノーク王子に婚約破棄を言い渡されてしまう。
ザノークの親友ルドノが、成績が上の私を憎み仕組んだようだ。
私が不正をしたという嘘を信じて婚約を破棄した後、ザノークとルドノは私を虐げてくる。
それを耐えながら準備した私の反撃を受けて、ザノークは今までのことを謝ろうとしていた。
幼馴染み同士で婚約した私達は、何があっても結婚すると思っていた。
喜楽直人
恋愛
領地が隣の田舎貴族同士で爵位も釣り合うからと親が決めた婚約者レオン。
学園を卒業したら幼馴染みでもある彼と結婚するのだとローラは素直に受け入れていた。
しかし、ふたりで王都の学園に通うようになったある日、『王都に居られるのは学生の間だけだ。その間だけでも、お互い自由に、世界を広げておくべきだと思う』と距離を置かれてしまう。
挙句、学園内のパーティの席で、彼の隣にはローラではない令嬢が立ち、エスコートをする始末。
パーティの度に次々とエスコートする令嬢を替え、浮名を流すようになっていく婚約者に、ローラはひとり胸を痛める。
そうしてついに恐れていた事態が起きた。
レオンは、いつも同じ令嬢を連れて歩くようになったのだ。
妹に幼馴染の彼をとられて父に家を追放された「この家の真の当主は私です!」
佐藤 美奈
恋愛
母の温もりを失った冬の日、アリシア・フォン・ルクセンブルクは、まだ幼い心に深い悲しみを刻み付けていた。公爵家の嫡女として何不自由なく育ってきた彼女の日常は、母の死を境に音を立てて崩れ始めた。
父は、まるで悲しみを振り払うかのように、すぐに新しい妻を迎え入れた。その女性とその娘ローラが、ルクセンブルク公爵邸に足を踏み入れた日から、アリシアの運命は暗転する。
再婚相手とその娘ローラが公爵邸に住むようになり、父は実の娘であるアリシアに対して冷淡になった。継母とその娘ローラは、アリシアに対して日常的にそっけない態度をとっていた。さらに、ローラの策略によって、アリシアは婚約者である幼馴染のオリバーに婚約破棄されてしまう。
そして最終的に、父からも怒られ家を追い出されてしまうという非常に辛い状況に置かれてしまった。