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5.お姫さまと本の悪魔のおはなし
(5)
お姫さまが黒衣の男と初めて会ったのは、もうずいぶんと前のことでした。悪魔が出るという噂のお城の書庫に閉じ込められていた時のことです。
文字が読めないお姫さまにとって、書庫というのはかびくさくて、寒くて、暗い場所でしかありませんでした。
それでもここに入っていれば、意地悪な姉姫さまたちから隠れることができます。いるかいないかわからない悪魔なんかより、血の繋がった家族のほうがよほど警戒すべき対象だったのです。
読めない本に囲まれて、やることもないお姫さまは、とりあえず端っこで横に膝を抱えて座り込みました。お姫さまにとって、黒は好きな色です。眠っていれば全部忘れることができるからです。
そこに突然現れたのが、黒衣の男です。この書庫には、お姫さま以外誰もいないはずでした。扉には外から鍵がかけられています。男はまるで影のように、どこからか湧いて出てきたのです。
「どうしてこんなところで寝ているのです。ここは悪魔が出ると有名でしょう?」
「だって姉姫さまが怖いんだもの」
「悪魔が怖くないと?」
「悪魔は私のことを階段から突き落としたり、食べ物に針を入れたりするの? それなら私、悪魔も怖いわ」
「悪魔はそんなことはしません」
「じゃあ、大丈夫よ」
「でも悪魔は、人間を本にしてしまうそうですよ?」
「本かあ。本になると、痛いのかな。痛くないなら、別に本になってもいいか」
あっけらかんと言い放ったお姫さまに、黒衣の男は言いました。
「まあもしも悪魔が人間を本に変えてしまうことができたとしても、あなたを本にすることはないでしょうね」
「私が『ニセモノ』だから?」
「あなたの中が空っぽだからですよ」
黒衣の男の言いたいことはよくわかりませんでしたが、自分は悪魔にすら必要とされていないことがわかり、お姫さまは少しだけしょんぼりしました。
「おや、なんだか残念そうですね」
「だって私は、悪魔にさえ要らないと言われたんだもの」
「それなら空っぽじゃなくなればよいのです」
「どうやって?」
「ここは書庫ですし、本を読んでみてはいかがでしょう」
そこでお姫さまは小さく首を横に振りました。
「私、字が読めないの。教えてくれるひともいないから無理よ」
黒衣の男は、お姫さまを上から下までじっくり観察したあと、訳知り顔にうなずきました。
「それでは、ここにいる間でよければわたしが文字を教えてあげましょう。もちろん、お代はいただきません。あなたはわたしに面白いものを見せてくれそうですから」
「ねえ、あなたはだあれ? なんて呼んだらいいの?」
「好きに呼んでいただいてかまいませんよ」
「ホンモノ?」
お姫さまのことを「ニセモノ」と呼ぶひとたちは、同じくらい「ホンモノ」という言葉を使いました。目の前にいるひとは、お城で見かける王族のみんなよりも綺麗で立派です。それならば、きっとこのひとには「ホンモノ」という言葉がふさわしいのでしょう。
「……わたしのことは、魔法使いと呼んでください」
「わかったわ、魔法使いさま」
そうしてお姫さまは、黒衣の魔法使いに文字を教わったのでした。
「どうしてあなたはここにいるの?」
「もともとは黒の森に住んでいたのですが、うっかり閉じ込められてしまって」
「そうなの? じゃあ、私が外に出る時に一緒に外に出たらいいわ。何日後に扉が開くかはわからないけれど」
「おや、早く出たくはないのですか? わたしが叶えてあげますよ。対価はいただきますが」
「まるで、悪魔みたいなことを言うのね。ここで文字を一緒に勉強したいから、扉は開かなくていいの」
「悪魔みたい、ね。わたしと会ったことは、決して誰にも話してはいけませんよ」
「約束を破ったらどうなるの?」
「悪魔があなたを本に変えて、図書館におさめてしまいます」
魔法使いがかぶっていた黒い外套を脱ぎました。艶やかな美貌もさることながら、流れる紫紺の髪の間からは水晶のような二本の角が生えています。目を瞬かせながらお姫さまは、このひとが悪魔だというのなら、悪魔というのはずいぶんと紳士的で上品なのだと驚いたのでした。
文字が読めないお姫さまにとって、書庫というのはかびくさくて、寒くて、暗い場所でしかありませんでした。
それでもここに入っていれば、意地悪な姉姫さまたちから隠れることができます。いるかいないかわからない悪魔なんかより、血の繋がった家族のほうがよほど警戒すべき対象だったのです。
読めない本に囲まれて、やることもないお姫さまは、とりあえず端っこで横に膝を抱えて座り込みました。お姫さまにとって、黒は好きな色です。眠っていれば全部忘れることができるからです。
そこに突然現れたのが、黒衣の男です。この書庫には、お姫さま以外誰もいないはずでした。扉には外から鍵がかけられています。男はまるで影のように、どこからか湧いて出てきたのです。
「どうしてこんなところで寝ているのです。ここは悪魔が出ると有名でしょう?」
「だって姉姫さまが怖いんだもの」
「悪魔が怖くないと?」
「悪魔は私のことを階段から突き落としたり、食べ物に針を入れたりするの? それなら私、悪魔も怖いわ」
「悪魔はそんなことはしません」
「じゃあ、大丈夫よ」
「でも悪魔は、人間を本にしてしまうそうですよ?」
「本かあ。本になると、痛いのかな。痛くないなら、別に本になってもいいか」
あっけらかんと言い放ったお姫さまに、黒衣の男は言いました。
「まあもしも悪魔が人間を本に変えてしまうことができたとしても、あなたを本にすることはないでしょうね」
「私が『ニセモノ』だから?」
「あなたの中が空っぽだからですよ」
黒衣の男の言いたいことはよくわかりませんでしたが、自分は悪魔にすら必要とされていないことがわかり、お姫さまは少しだけしょんぼりしました。
「おや、なんだか残念そうですね」
「だって私は、悪魔にさえ要らないと言われたんだもの」
「それなら空っぽじゃなくなればよいのです」
「どうやって?」
「ここは書庫ですし、本を読んでみてはいかがでしょう」
そこでお姫さまは小さく首を横に振りました。
「私、字が読めないの。教えてくれるひともいないから無理よ」
黒衣の男は、お姫さまを上から下までじっくり観察したあと、訳知り顔にうなずきました。
「それでは、ここにいる間でよければわたしが文字を教えてあげましょう。もちろん、お代はいただきません。あなたはわたしに面白いものを見せてくれそうですから」
「ねえ、あなたはだあれ? なんて呼んだらいいの?」
「好きに呼んでいただいてかまいませんよ」
「ホンモノ?」
お姫さまのことを「ニセモノ」と呼ぶひとたちは、同じくらい「ホンモノ」という言葉を使いました。目の前にいるひとは、お城で見かける王族のみんなよりも綺麗で立派です。それならば、きっとこのひとには「ホンモノ」という言葉がふさわしいのでしょう。
「……わたしのことは、魔法使いと呼んでください」
「わかったわ、魔法使いさま」
そうしてお姫さまは、黒衣の魔法使いに文字を教わったのでした。
「どうしてあなたはここにいるの?」
「もともとは黒の森に住んでいたのですが、うっかり閉じ込められてしまって」
「そうなの? じゃあ、私が外に出る時に一緒に外に出たらいいわ。何日後に扉が開くかはわからないけれど」
「おや、早く出たくはないのですか? わたしが叶えてあげますよ。対価はいただきますが」
「まるで、悪魔みたいなことを言うのね。ここで文字を一緒に勉強したいから、扉は開かなくていいの」
「悪魔みたい、ね。わたしと会ったことは、決して誰にも話してはいけませんよ」
「約束を破ったらどうなるの?」
「悪魔があなたを本に変えて、図書館におさめてしまいます」
魔法使いがかぶっていた黒い外套を脱ぎました。艶やかな美貌もさることながら、流れる紫紺の髪の間からは水晶のような二本の角が生えています。目を瞬かせながらお姫さまは、このひとが悪魔だというのなら、悪魔というのはずいぶんと紳士的で上品なのだと驚いたのでした。
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