偽聖女として断罪追放された元令嬢は、知らずの森の番人代理として働くことになりました

石河 翠

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1.雪深き知らずの森

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 空気が変わったのは一瞬だった。

 肌がひりひりと痛むような冷たさに思わず息を呑めば、身体の内側から凍りついてしまうよう。先ほどまでいた場所は土がむき出しであり、常緑樹は緑の葉を豊かに繁らせていた街道だったというのに、今はどこを見回しても辺り一面真っ白な銀世界。見通しがきかない鬱蒼とした木々もまた、真っ白な雪に覆われている。目がくらみそうなほどの白さ。

「……知らずの森に、移動したようだね」
「え?」

 騎士の言葉に、思わず声をあげてしまった。招かれなければ入ることなど叶わない知らずの森。馬車を止めていた途中の街道から、その知らずの森へ転移しただと? 転移もまた魅了と同等の、不可能に近い魔術だ。そんなことが起こりうるものだろうか?

 低いうなり声をあげながらじりじりと騎士ににじりよる白狼。騎士は油断なく剣を構えながら、挑発するように白狼に声をかける。その声はどこか楽しげだ。

「邪魔するつもりかい? まあ傍観者気取りでいるよりもずいぶんましだ。知らぬふりをするのは簡単だが、目をそらしていたところで物事は何も変わらないのはわかっているだろう? いい加減認める時が来た」

 もちろん白狼は答えない。にらみ合う一人と一匹は、唐突にぶつかり合った。白狼から鮮血が飛び散るかと思われたが、それよりも早く白狼が騎士を押し倒している。したたかに頭を打ったらしく悶絶する騎士を放置し、白狼はリリィの服の裾を引っ張った。

「助けてくれたのは嬉しいけれど、私のことはいいから早く逃げなさい」

 リリィの声に反応したのか、騎士が横たわったまま忌々し気に舌打ちする。そして何を血迷ったのか、リリィの思いつく限り最悪の組み合わせで術式を組み立て始めた。

「昔からそうだが、やはり気に喰わないな。気が変わった。よし、森ごと焼き尽くして差し上げよう」
「何を」
「まだ気が付いていないのかい。後ろを見てみるといい。君が抵抗しなければ、あの老人ごとこの森を焼き尽くすと言っているのだ」

 騎士が指さした場所、リリィのずっと後方には、小奇麗なお屋敷と揺り椅子でうたた寝をしている老人の姿があった。大声を出したところで聞こえない。よしんば気が付いたところで、あの様子では避難など覚束ないであろうことは明白だ。

「関係のないひとを巻き込むのですか?」
「巻き込んだのは君だ。それだけの力がありながら、抵抗しないのだから」
「言いがかりも甚だしいですこと」
「好きなように言ってくれて構わない。わざわざ白狼が助けてくれたというのに、みすみす逃亡の機会を投げ捨てたのは愚かな君自身だ。今さら正しい道を歩めるとは思わないが」
「馬鹿にしないでいただける?」

 白狼の主人はあの老人なのだろう。老人が心地よさそうにまどろんでいる姿を見て、とっさに守らなければいけないと思った。長く生きていれば、リリィには想像もできないような苦労もたくさん重ねてきていることだろう。そんなひとが、最期の時に苦しんで死ぬなど許されるはずがない。だからリリィはとっさに魔術を構築する。自身の後方を守りつつ、相手の攻撃を術者本人に跳ね返す防御結界の応用型だ。

 リリィは自分のために魔術をうまく使えない。けれど誰かを守るためなら、信じられないくらい大きな魔術だって成功させてみせる。そして自身の攻撃をすべて反転されたはずの騎士は悔しがる様子もなく、むしろどこか満足げな微笑みさえ浮かべていた。

「素晴らしい。見事な腕前だ。ぼんやりしていては、こちらが危ういな」
「避けることもせず、反射された攻撃はすべて中和。息切れひとつせず離れ業をやってのけるひとに言われたくはありません。まだ、戦うおつもりですか? それならば私も死ぬ気でいかせていただきます」

 対魔獣戦闘だと思えばいい。聖女の本分は誰かを守ること。目の前の騎士が大聖女の命を受けているのか、独断専行なのかはわからないが、自分の行動は神殿の、ひいては大聖女の教えを否定するものではない。

「君の死など望まないよ。もっと他に大切な願いがあるからね」
「何を世迷い事を。とっとと森から出ていきなさい。」

 いくら強い願いを持っているとはいえ、このような危険すぎる騎士を森に招くなんて森の番人はどうかしている。もう少し客人は選んでいただきたい。森の番人の意志を無視することになるのかもしれないが、老人と森を守ることが最優先だ。聖女の末席に連なる者としてもてる限りの力を攻撃呪文を唱えた。どんなに凶暴な魔獣ですら一撃で仕留めてきた。効果は折り紙付きだ。それなのにリリィが魔術を放つと同時に、騎士はあっさりとその姿を消してしまったのである。
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