文字の大きさ
大
中
小
14 / 61
2.紅薔薇の祈り
(6)
「ああ、違うのです。いや、違わないのかな。どうしてでしょうか。彼女を見た時から、なぜか胸がざわざわしていたのです。そして、今薔薇に香りに包まれた瞬間に、どうしてだかわかりませんが、自分は間違ってしまったのだということに気が付いたのです。自分は間違えた。自分は失敗した。約束を果たせなかったのだと。一体、誰とどんな約束をしていたのかさえ思い出せないままなのに。おかしいですよね」
混乱する男をなだめるように、白狼が前足をそっと男の足に押し当てた。高ぶった感情でパニックを起こさないように、魔術で抑えているらしい。男がひとつ深呼吸をする。リリィは彼をなだめるように、ゆっくりと尋ねた。
「そういえば、先ほど見かけた際にはご家族とご一緒だったようですが。ご家族は今どちらに?」
「ああ、そうですね。妻と娘は、義母の家に向かいましたので。ただの用事なら俺もついていきますが、今日は月命日ですしね。積もる話もあるでしょう」
男の言葉にリリィは首を傾げた。妻と娘が義母の家に行ったということは、妻の実家に向かったということか? けれどそれならば、積もる話に男が参加しても問題はないのではないだろうか。女同士の会話には入りにくいとでもいうのだろうか。
「月命日、ですか? それはどなたの?」
「妻の前夫ですね。もともと病弱だったらしく、流行り病でぽっくり逝ってしまったのだそうです。俺は妻が働きに出かけていた診療所に運び込まれた患者でして。記憶がなくて困っていたところを、引き取ってもらったような形です。いや、お恥ずかしい」
「記憶がない?」
それはもしや、故意にローズを捨てたわけではないということになるのではないか。先ほどの男の様子に密かにリリィは思案する。
記憶が戻る際には、頭痛など身体的苦痛が発生するという話を聞いたことがある。ならばローズに出会ったことで、記憶が戻りかけているのか?
「ご自身の身分を示すような手がかりはお持ちではなかったのですか?」
「土石流に巻き込まれていたところを助けられたらしく、持ち物は何も残っていなかったそうです」
なるほど、それで身元確認を取ることができなかったのかとリリィは納得した。民間人も大量に犠牲になっていたのなら、彼が王都からの支援部隊の一員だと思われなかったのも納得する。病院に運び込まれる前に身ぐるみはがされていた可能性だってあった。
「立ち入った話でしたのに、不躾で申し訳ありません」
「いいえ、構いませんよ。何せこの辺りでは有名な話ですからね。まあ、それでも俺たちが白い結婚というところまでは、さすがにみんなも知らないんですが」
突然の爆弾発言にリリィは買ったばかりのお菓子を取り落としそうになった。足元で伏せていた白狼は動揺を隠そうとしたのか、交差していた前足をわざわざ組み替えている。
「おっと、すみません。この話は内緒でお願いします」
「わ、わかりました」
「未亡人というのは、なかなか難しい立場なんですよ。亡くなった夫の兄弟に再び嫁がされたり、男やもめの介護要員として求められる場合もある。小さな子どもがいれば、身動きだって取りにくい。それを阻止するために、俺は雇われたようなもんなんです。どうも彼女曰く、俺は男の臭いがしないそうで。まあ一生隣にいるわけではなく、彼女の娘さんが一人立ちする頃まではという期間限定の約束なんですが」
「まあ……」
「それにしても、どういうことなのか。いえね、妻は先ほど俺と話をしていた女性なんていなかったと言っていたんですよ。むしろ、先ほど俺が急に大きな声で独り言を言い始めたものだから、頭がおかしくなったんじゃないのかって心配していたくらいで。まあ、記憶を失くした俺が言えた義理じゃありませんが、なんとも失礼な話ですよね」
笑い飛ばす男の言葉を聞きながら、リリィは喉がからからになるのを感じていた。
勘違いをしたまますべてを諦めた紅薔薇を思うと胸が痛くなる。相手のことを思いやるがゆえにすれ違ってしまった紅薔薇に、男の声は聞こえているだろうか。リリィは先ほど手に入れたばかりの紅薔薇を差し出した。この男がどうするのかはわからない。それでも、これがローズの、紅薔薇の精の願いなのだから。
男は差し出された薔薇の花を受け取ると、おいおい泣き出した。
「大丈夫ですか? もしや記憶が戻られたのでは?」
「いいえ、何にも思い出せないままなのです。それなのに、どうしてでしょうか。俺は、なぜか涙が止まらないんです。この薔薇に会うために生きてきた、そう思えて仕方がない」
周囲のざわめきなど気に留める様子もなく、男は地面に座り込み泣き続けた。男が薔薇の花弁にそっと口づけを落とす。愛していると聞こえた気がした。
混乱する男をなだめるように、白狼が前足をそっと男の足に押し当てた。高ぶった感情でパニックを起こさないように、魔術で抑えているらしい。男がひとつ深呼吸をする。リリィは彼をなだめるように、ゆっくりと尋ねた。
「そういえば、先ほど見かけた際にはご家族とご一緒だったようですが。ご家族は今どちらに?」
「ああ、そうですね。妻と娘は、義母の家に向かいましたので。ただの用事なら俺もついていきますが、今日は月命日ですしね。積もる話もあるでしょう」
男の言葉にリリィは首を傾げた。妻と娘が義母の家に行ったということは、妻の実家に向かったということか? けれどそれならば、積もる話に男が参加しても問題はないのではないだろうか。女同士の会話には入りにくいとでもいうのだろうか。
「月命日、ですか? それはどなたの?」
「妻の前夫ですね。もともと病弱だったらしく、流行り病でぽっくり逝ってしまったのだそうです。俺は妻が働きに出かけていた診療所に運び込まれた患者でして。記憶がなくて困っていたところを、引き取ってもらったような形です。いや、お恥ずかしい」
「記憶がない?」
それはもしや、故意にローズを捨てたわけではないということになるのではないか。先ほどの男の様子に密かにリリィは思案する。
記憶が戻る際には、頭痛など身体的苦痛が発生するという話を聞いたことがある。ならばローズに出会ったことで、記憶が戻りかけているのか?
「ご自身の身分を示すような手がかりはお持ちではなかったのですか?」
「土石流に巻き込まれていたところを助けられたらしく、持ち物は何も残っていなかったそうです」
なるほど、それで身元確認を取ることができなかったのかとリリィは納得した。民間人も大量に犠牲になっていたのなら、彼が王都からの支援部隊の一員だと思われなかったのも納得する。病院に運び込まれる前に身ぐるみはがされていた可能性だってあった。
「立ち入った話でしたのに、不躾で申し訳ありません」
「いいえ、構いませんよ。何せこの辺りでは有名な話ですからね。まあ、それでも俺たちが白い結婚というところまでは、さすがにみんなも知らないんですが」
突然の爆弾発言にリリィは買ったばかりのお菓子を取り落としそうになった。足元で伏せていた白狼は動揺を隠そうとしたのか、交差していた前足をわざわざ組み替えている。
「おっと、すみません。この話は内緒でお願いします」
「わ、わかりました」
「未亡人というのは、なかなか難しい立場なんですよ。亡くなった夫の兄弟に再び嫁がされたり、男やもめの介護要員として求められる場合もある。小さな子どもがいれば、身動きだって取りにくい。それを阻止するために、俺は雇われたようなもんなんです。どうも彼女曰く、俺は男の臭いがしないそうで。まあ一生隣にいるわけではなく、彼女の娘さんが一人立ちする頃まではという期間限定の約束なんですが」
「まあ……」
「それにしても、どういうことなのか。いえね、妻は先ほど俺と話をしていた女性なんていなかったと言っていたんですよ。むしろ、先ほど俺が急に大きな声で独り言を言い始めたものだから、頭がおかしくなったんじゃないのかって心配していたくらいで。まあ、記憶を失くした俺が言えた義理じゃありませんが、なんとも失礼な話ですよね」
笑い飛ばす男の言葉を聞きながら、リリィは喉がからからになるのを感じていた。
勘違いをしたまますべてを諦めた紅薔薇を思うと胸が痛くなる。相手のことを思いやるがゆえにすれ違ってしまった紅薔薇に、男の声は聞こえているだろうか。リリィは先ほど手に入れたばかりの紅薔薇を差し出した。この男がどうするのかはわからない。それでも、これがローズの、紅薔薇の精の願いなのだから。
男は差し出された薔薇の花を受け取ると、おいおい泣き出した。
「大丈夫ですか? もしや記憶が戻られたのでは?」
「いいえ、何にも思い出せないままなのです。それなのに、どうしてでしょうか。俺は、なぜか涙が止まらないんです。この薔薇に会うために生きてきた、そう思えて仕方がない」
周囲のざわめきなど気に留める様子もなく、男は地面に座り込み泣き続けた。男が薔薇の花弁にそっと口づけを落とす。愛していると聞こえた気がした。
感想 0
あなたにおすすめの小説
存在感のない聖女が姿を消した後 [完]
風龍佳乃
聖女であるディアターナは
永く仕えた国を捨てた。
何故って?
それは新たに現れた聖女が
ヒロインだったから。
ディアターナは
いつの日からか新聖女と比べられ
人々の心が離れていった事を悟った。
もう私の役目は終わったわ…
神託を受けたディアターナは
手紙を残して消えた。
残された国は天災に見舞われ
てしまった。
しかし聖女は戻る事はなかった。
ディアターナは西帝国にて
初代聖女のコリーアンナに出会い
運命を切り開いて
自分自身の幸せをみつけるのだった。
白い結婚のはずでしたが、王宮図書室で本当の居場所を見つけました ~破談令嬢は月露草を咲かせ、第二王子に愛される~
富士山麓伯爵家の三女レラ・グランメリーは、家族から「地味で役に立たない娘」と扱われ、静かに本を読むことだけを楽しみに暮らしていた。
そんな彼女に突然舞い込んだのは、名門アルフェイン侯爵家嫡男ジルとの縁談。
しかも条件は、互いに干渉しない“白い結婚”。
愛されない結婚でも、静かに暮らせるならそれでいい。
そう思っていたレラだったが、ジルのそばには彼を慕う令嬢リディアがいた。リディアは正妻となるレラを敵視し、社交界で嫌がらせを仕掛けてくる。
けれど、黙って耐えるだけだったレラは少しずつ変わっていく。
王宮図書室で本に囲まれるうちに、自分の知識が誰かの役に立つことを知り、忘れられた薬草“月露草”の手がかりを見つけて――。
一方、気まぐれで型破りな第二王子ディオンは、そんなレラの静かな強さに惹かれていく。
白い結婚のはずだった。
けれど、その先でレラが見つけたのは、誰かに決められた未来ではなく、自分の意思で選ぶ本当の居場所だった。
地味令嬢が破談を乗り越え、王宮図書室で才能を開花させる、ざまあ後の自立と溺愛の恋物語。
虚弱体質?の脇役令嬢に転生したので、食事療法を始めました
たくわん「跡継ぎを産めない貴女とは結婚できない」婚約者である公爵嫡男アレクシスから、冷酷に告げられた婚約破棄。その場で新しい婚約者まで紹介される屈辱。病弱な侯爵令嬢セラフィーナは、社交界の哀れみと嘲笑の的となった。
地味な悪役令嬢は卒業します!せっかくですから着飾ってやりますわ!
柊 花澄類稀なる美しさを持つ公爵令嬢のプリムローズは、第一王子フェリクスに見初められて婚約者となる。だが行き過ぎた王太子妃教育により、お洒落とは無縁の地味な淑女になった。
ある時、ここは前世で読んだ恋愛小説の世界でフェリクス様はヒロインの聖女と結ばれ、自分は悪役令嬢で修道院に入れられるという結末を思い出す。
フェリクス様の記憶に、地味な淑女の姿で残りたくない!
せっかく美しく生まれたんですもの、と開き直って着飾るプリムローズと、それを取り巻く美形の男達。フェリクスの我慢はついに限界に達して⋯⋯
(※なろう掲載あり)
無一文で追放される悪女に転生したので特技を活かしてお金儲けを始めたら、聖女様と呼ばれるようになりました
結城芙由奈@コミカライズ連載中スーパームーンの美しい夜。仕事帰り、トラックに撥ねらてしまった私。気づけば草の生えた地面の上に倒れていた。目の前に見える城に入れば、盛大なパーティーの真っ最中。目の前にある豪華な食事を口にしていると見知らぬ男性にいきなり名前を呼ばれて、次期王妃候補の資格を失ったことを聞かされた。理由も分からないまま、家に帰宅すると「お前のような恥さらしは今日限り、出ていけ」と追い出されてしまう。途方に暮れる私についてきてくれたのは、私の専属メイドと御者の青年。そこで私は2人を連れて新天地目指して旅立つことにした。無一文だけど大丈夫。私は前世の特技を活かしてお金を稼ぐことが出来るのだから――
※ 他サイトでも投稿中
私を悪役にしたその顔で優しくしないで
ぽんぽこ@3/28新作発売!!「こんなところにいたのね!」
王国騎士団長レオルド・シュバルツァーは、王子暗殺を防いだ英雄だった。だが暗殺者の罠により顔を焼かれ、元々コワモテだった容貌は、さらに人々から恐れられるものになってしまう。そんな彼に、王子は禁術に近い魔法整形の秘術を与える。他人の顔を写し取るその術により、レオルドは見違えるほどの美貌を得るが、国をまたいだ社交パーティーで、悪評だらけの隣国令嬢セレスティアに突然詰め寄られる。
この作品は小説家になろうでも投稿しております。
追放された『ただの浄化係』、実は国中の魔石を満たしていた精霊姫でした〜今さら戻れと言われても、隣国のイケメン皇帝が離してくれません〜
ハリネズミの肉球「おい、城の噴水が止まったぞ!?」
「街の井戸も空っぽです!」
無能な王太子による身勝手な婚約破棄。
そして不毛の砂漠が広がる隣国への追放。だが、愚かな奴らは知らなかった。主人公・ルリアが国境を越えた瞬間、祖国中の「水の魔石」がただの石ころに変わることを!
ルリアは、触れるだけで無尽蔵に水魔力を作り出す『水精霊の愛し子』。
追放先の干ばつに苦しむ隣国で、彼女がその力を使えば……不毛の土地が瞬く間に黄金のオアシスへ大進化!?
優しいイケメン皇帝に溺愛されながら、ルリアは隣国を世界一の繁栄国家へと導いていく。
一方、水が完全に枯渇し大パニックに陥る祖国。
「ルリアを連れ戻せ!」と焦る王太子に待っていたのは、かつて見下していた隣国からの圧倒的な経済・水源制裁だった——!
今、最高にスカッとする大逆転劇が幕を開ける!
※本作品は、人工知能の生成する文章の力をお借りしつつも、最終的な仕上げにあたっては著者自身の手により丁寧な加筆・修正を施した作品です。
悪役令嬢ルートを回避した聖女ですが、乙女ゲーム終了後に王太子の再婚相手になりました
morisaki【番外編 3話更新しました】
公爵令嬢イネスは、乙女ゲームの世界に転生していることを幼い頃に思い出した。
しかも自分は――王太子に初恋をこじらせ、闇落ちする未来確定の悪役令嬢。
全力回避を決めた彼女は、聖女として国の管理下に置かれ、社交界から距離をとる。
そして、王太子とヒロインの結婚という形で幕閉じる。
――これで、すべて終わったはずだった。
十年後。
ヒロインの死と、王太子の再婚話が告げられる。
幼い王子ルイを遺して。
再婚相手に選ばれたのは、かつての悪役令嬢――イネスだった。
「私は、ルイ王子の後見人でいい」
そう割り切った結婚のはずなのに、
完璧で冷静だった王太子は、どこかおかしい――。
それは、終わったはずの物語の“続き”だった。