53 / 61
7.白花との約束
(2)
しおりを挟む
途方に暮れるリリィの前に、真っ赤な薔薇の花びらがひらひらと舞い落ちてきた。そっと手を伸ばし花弁に触れると、きらきらと粉砂糖のように崩れ落ちてしまう。それでも薔薇の花弁は後から後から降り注いできた。まるでヘンゼルとグレーテルを導く白い小石のようだ。リリィの数歩先を誘うように舞い続ける薔薇の花びら。真っ白な世界の中で、そこだけは確かに温度を感じる色をしている。
(ついてこいということかしらね)
そもそも突然訳の分からない世界に入り込んでしまったのだ。この上さらに不思議な事態に遭遇しても、おかしくもなんともない。意を決して前に進みはじめれば、くらくらとするほどの甘い香りに包まれた。
(お菓子の家があったなら、完全に私を罠にかける気なのでしょう)
けれど、辺りに魔女が潜む家は出てこない。代わりにひらひらと舞い降りてきていた薔薇の花びらは、指先で触れれば溶けてしまうチョコレートの薔薇へと姿を変えている。あまりにも美しくて奇妙な光景だ。
口に放り込みたくなるような香りを前にして我慢できているのは、さすがによく知らないものをうかつに食べる危険性を認知しているからだ。それをわかっていてもなお、つい手を伸ばしてしまいたくなるのが、チョコレートの恐ろしさなのだろう。ああ、そういえばこのお菓子は、白狼もお気に入りの王都の逸品に似ているような気がする。そうリリィが考えた時だ。
「聖獣さま!」
リリィは真っ白な雪花に埋もれたまま眠る白狼に駆け寄った。一瞬、最悪の状況が頭をよぎったリリィが白狼を抱き抱えたところで、視界はぐにゃりと歪んだ。両腕の中の白狼の姿がぶれる。
(嘘、どうして……)
リリィが小さく震える手で、そっと白狼を撫でた。どうしてか眠り続けている知らずの森の番人が倒れているように見えてしまうのだ。思い切り頭を振り、強く目をつぶった後に確認をすれば、目の前にいるのはやはり白狼だ。けれど先ほどの番人の姿が目の錯覚だとは、リリィにはどうしても思えなかった。
(それに、森の番人さまの姿がどこか少し違っていらっしゃったような?)
どこがどう違うのかとは言えないが、妙な違和感を覚え首を傾げたリリィは、白狼の姿がどんどん薄くなっていることに気が付いて、今度こそ絶叫した。涙が頬を伝う。
「置いて行かないでください! 私をひとりにしないで!」
ずっと昔に同じような言葉を叫んだような気がした。もうあんな思いはたくさんだ。聖獣を失いたくない。その一心でリリィは、聖獣に覆いかぶさる。まるで自分の身体の内側にあれば、少しでも消えてしまうまでの時間を稼げると頑なに信じているかのように。涙を流し続ける彼女の目の前に、真っ白な菫が咲きこぼれる。
咲き誇る菫は、ひとりでに腕輪が編みあがっていく。腕輪は、かつて存在した銀の腕輪の代わりのようにすっぽりとリリィの腕におさまった。リリィが目を見張ると同時に、きらめく腕輪の輝きは強くなる。
(これは)
魔力を大量に含んだ腕輪は、故郷の魔導具の解呪――アッシュとエリンジウムの助け――になったはずだ。それならば、この菫の花の腕輪を媒介として、白狼の、あるいは森の番人の力にはすることはできないだろうか。
腕輪を外すべきか一瞬悩み、リリィはそのまま白狼にしがみついたままを選ぶ。騎士たちの治療や、魔獣退治の剣の浄化などで、魔力の扱いには慣れているつもりだ。意識して白い菫から白狼へと魔力を流しこんでいった。
そこでふとリリィは気が付いた。あまりにも魔力の移行がスムーズすぎる。魔力はそれぞれ個人によって異なる型をしている。馴染ませやすい魔力の持ち主もいれば、反発してしまう魔力の持ち主だっているのだ。それを聖女見習いとして働いていたリリィは身に染みて理解していた。
けれど白狼には、簡単に魔力が吸いこまれていく。それはまるで自分自身に魔力を巡らせるのと同じくらいの自然さ。つい制御が甘くなり、勢い余って自身の魔力をごっそりと移してしまった。一気に魔力が抜けたことで頭が痛む。思わず額を押さえたとき、脳裏を知らないはずの光景がよぎった。
「ああ、思い出しました。あの時の約束を」
リリィは白狼を抱き、ぼんやりと真っ白な世界の天を見上げた。
(ついてこいということかしらね)
そもそも突然訳の分からない世界に入り込んでしまったのだ。この上さらに不思議な事態に遭遇しても、おかしくもなんともない。意を決して前に進みはじめれば、くらくらとするほどの甘い香りに包まれた。
(お菓子の家があったなら、完全に私を罠にかける気なのでしょう)
けれど、辺りに魔女が潜む家は出てこない。代わりにひらひらと舞い降りてきていた薔薇の花びらは、指先で触れれば溶けてしまうチョコレートの薔薇へと姿を変えている。あまりにも美しくて奇妙な光景だ。
口に放り込みたくなるような香りを前にして我慢できているのは、さすがによく知らないものをうかつに食べる危険性を認知しているからだ。それをわかっていてもなお、つい手を伸ばしてしまいたくなるのが、チョコレートの恐ろしさなのだろう。ああ、そういえばこのお菓子は、白狼もお気に入りの王都の逸品に似ているような気がする。そうリリィが考えた時だ。
「聖獣さま!」
リリィは真っ白な雪花に埋もれたまま眠る白狼に駆け寄った。一瞬、最悪の状況が頭をよぎったリリィが白狼を抱き抱えたところで、視界はぐにゃりと歪んだ。両腕の中の白狼の姿がぶれる。
(嘘、どうして……)
リリィが小さく震える手で、そっと白狼を撫でた。どうしてか眠り続けている知らずの森の番人が倒れているように見えてしまうのだ。思い切り頭を振り、強く目をつぶった後に確認をすれば、目の前にいるのはやはり白狼だ。けれど先ほどの番人の姿が目の錯覚だとは、リリィにはどうしても思えなかった。
(それに、森の番人さまの姿がどこか少し違っていらっしゃったような?)
どこがどう違うのかとは言えないが、妙な違和感を覚え首を傾げたリリィは、白狼の姿がどんどん薄くなっていることに気が付いて、今度こそ絶叫した。涙が頬を伝う。
「置いて行かないでください! 私をひとりにしないで!」
ずっと昔に同じような言葉を叫んだような気がした。もうあんな思いはたくさんだ。聖獣を失いたくない。その一心でリリィは、聖獣に覆いかぶさる。まるで自分の身体の内側にあれば、少しでも消えてしまうまでの時間を稼げると頑なに信じているかのように。涙を流し続ける彼女の目の前に、真っ白な菫が咲きこぼれる。
咲き誇る菫は、ひとりでに腕輪が編みあがっていく。腕輪は、かつて存在した銀の腕輪の代わりのようにすっぽりとリリィの腕におさまった。リリィが目を見張ると同時に、きらめく腕輪の輝きは強くなる。
(これは)
魔力を大量に含んだ腕輪は、故郷の魔導具の解呪――アッシュとエリンジウムの助け――になったはずだ。それならば、この菫の花の腕輪を媒介として、白狼の、あるいは森の番人の力にはすることはできないだろうか。
腕輪を外すべきか一瞬悩み、リリィはそのまま白狼にしがみついたままを選ぶ。騎士たちの治療や、魔獣退治の剣の浄化などで、魔力の扱いには慣れているつもりだ。意識して白い菫から白狼へと魔力を流しこんでいった。
そこでふとリリィは気が付いた。あまりにも魔力の移行がスムーズすぎる。魔力はそれぞれ個人によって異なる型をしている。馴染ませやすい魔力の持ち主もいれば、反発してしまう魔力の持ち主だっているのだ。それを聖女見習いとして働いていたリリィは身に染みて理解していた。
けれど白狼には、簡単に魔力が吸いこまれていく。それはまるで自分自身に魔力を巡らせるのと同じくらいの自然さ。つい制御が甘くなり、勢い余って自身の魔力をごっそりと移してしまった。一気に魔力が抜けたことで頭が痛む。思わず額を押さえたとき、脳裏を知らないはずの光景がよぎった。
「ああ、思い出しました。あの時の約束を」
リリィは白狼を抱き、ぼんやりと真っ白な世界の天を見上げた。
74
あなたにおすすめの小説
存在感のない聖女が姿を消した後 [完]
風龍佳乃
恋愛
聖女であるディアターナは
永く仕えた国を捨てた。
何故って?
それは新たに現れた聖女が
ヒロインだったから。
ディアターナは
いつの日からか新聖女と比べられ
人々の心が離れていった事を悟った。
もう私の役目は終わったわ…
神託を受けたディアターナは
手紙を残して消えた。
残された国は天災に見舞われ
てしまった。
しかし聖女は戻る事はなかった。
ディアターナは西帝国にて
初代聖女のコリーアンナに出会い
運命を切り開いて
自分自身の幸せをみつけるのだった。
貴方もヒロインのところに行くのね? [完]
風龍佳乃
恋愛
元気で活発だったマデリーンは
アカデミーに入学すると生活が一変し
てしまった
友人となったサブリナはマデリーンと
仲良くなった男性を次々と奪っていき
そしてマデリーンに愛を告白した
バーレンまでもがサブリナと一緒に居た
マデリーンは過去に決別して
隣国へと旅立ち新しい生活を送る。
そして帰国したマデリーンは
目を引く美しい蝶になっていた
無魔力の令嬢、婚約者に裏切られた瞬間、契約竜が激怒して王宮を吹き飛ばしたんですが……
タマ マコト
ファンタジー
王宮の祝賀会で、無魔力と蔑まれてきた伯爵令嬢エリーナは、王太子アレクシオンから突然「婚約破棄」を宣告される。侍女上がりの聖女セレスが“新たな妃”として選ばれ、貴族たちの嘲笑がエリーナを包む。絶望に胸が沈んだ瞬間、彼女の奥底で眠っていた“竜との契約”が目を覚まし、空から白銀竜アークヴァンが降臨。彼はエリーナの涙に激怒し、王宮を半壊させるほどの力で彼女を守る。王国は震え、エリーナは自分が竜の真の主であるという運命に巻き込まれていく。
「お前を愛するつもりはない」な仮面の騎士様と結婚しました~でも白い結婚のはずなのに溺愛してきます!~
卯月ミント
恋愛
「お前を愛するつもりはない」
絵を描くのが趣味の侯爵令嬢ソールーナは、仮面の英雄騎士リュクレスと結婚した。
だが初夜で「お前を愛するつもりはない」なんて言われてしまい……。
ソールーナだって好きでもないのにした結婚である。二人はお互いカタチだけの夫婦となろう、とその夜は取り決めたのだが。
なのに「キスしないと出られない部屋」に閉じ込められて!?
「目を閉じてくれるか?」「えっ?」「仮面とるから……」
書き溜めがある内は、1日1~話更新します
それ以降の更新は、ある程度書き溜めてからの投稿となります
*仮面の俺様ナルシスト騎士×絵描き熱中令嬢の溺愛ラブコメです。
*ゆるふわ異世界ファンタジー設定です。
*コメディ強めです。
*hotランキング14位行きました!お読みいただき&お気に入り登録していただきまして、本当にありがとうございます!
虐げられた聖女は精霊王国で溺愛される~追放されたら、剣聖と大魔導師がついてきた~
星名柚花
恋愛
聖女となって三年、リーリエは人々のために必死で頑張ってきた。
しかし、力の使い過ぎで《聖紋》を失うなり、用済みとばかりに婚約破棄され、国外追放を言い渡されてしまう。
これで私の人生も終わり…かと思いきや。
「ちょっと待った!!」
剣聖(剣の達人)と大魔導師(魔法の達人)が声を上げた。
え、二人とも国を捨ててついてきてくれるんですか?
国防の要である二人がいなくなったら大変だろうけれど、まあそんなこと追放される身としては知ったことではないわけで。
虐げられた日々はもう終わり!
私は二人と精霊たちとハッピーライフを目指します!
【書籍化決定】愛など初めからありませんが。
ましろ
恋愛
お金で売られるように嫁がされた。
お相手はバツイチ子持ちの伯爵32歳。
「君は子供の面倒だけ見てくれればいい」
「要するに貴方様は幸せ家族の演技をしろと仰るのですよね?ですが、子供達にその様な演技力はありますでしょうか?」
「……何を言っている?」
仕事一筋の鈍感不器用夫に嫁いだミッシェルの未来はいかに?
✻基本ゆるふわ設定。箸休め程度に楽しんでいただけると幸いです。
『白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?』
夢窓(ゆめまど)
恋愛
「――離婚届、受理されました。お疲れさまでした」
教会の事務官がそう言ったとき、私は心の底からこう思った。
ああ、これでようやく三年分の無視に終止符を打てるわ。
王命による“形式結婚”。
夫の顔も知らず、手紙もなし、戦地から帰ってきたという噂すらない。
だから、はい、離婚。勝手に。
白い結婚だったので、勝手に離婚しました。
何か問題あります?
夫に顧みられない王妃は、人間をやめることにしました~もふもふ自由なセカンドライフを謳歌するつもりだったのに、何故かペットにされています!~
狭山ひびき
恋愛
もう耐えられない!
隣国から嫁いで五年。一度も国王である夫から関心を示されず白い結婚を続けていた王妃フィリエルはついに決断した。
わたし、もう王妃やめる!
政略結婚だから、ある程度の覚悟はしていた。けれども幼い日に淡い恋心を抱いて以来、ずっと片思いをしていた相手から冷たくされる日々に、フィリエルの心はもう限界に達していた。政略結婚である以上、王妃の意思で離婚はできない。しかしもうこれ以上、好きな人に無視される日々は送りたくないのだ。
離婚できないなら人間をやめるわ!
王妃で、そして隣国の王女であるフィリエルは、この先生きていてもきっと幸せにはなれないだろう。生まれた時から政治の駒。それがフィリエルの人生だ。ならばそんな「人生」を捨てて、人間以外として生きたほうがましだと、フィリエルは思った。
これからは自由気ままな「猫生」を送るのよ!
フィリエルは少し前に知り合いになった、「廃墟の塔の魔女」に頼み込み、猫の姿に変えてもらう。
よし!楽しいセカンドラウフのはじまりよ!――のはずが、何故か夫(国王)に拾われ、ペットにされてしまって……。
「ふふ、君はふわふわで可愛いなぁ」
やめてえ!そんなところ撫でないで~!
夫(人間)妻(猫)の奇妙な共同生活がはじまる――
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる