【異世界恋愛短編集】冷遇された身代わり花嫁は、継子の不幸を許さない。

石河 翠

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6.後生ですから、どうぞ最後に別れの言葉を。

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 鬼神は高らかに告げる。

「そもそもわたしとの約束を破り続けたお前たちが何を言う。それに何より、もともとこの娘はわたしのものだ。そうだろう、美春みはる?」
「ええ、もちろんでございます。旦那さま」

 私が日々大池に祈りを捧げていたのは、信心深かったからではない。大池の中に、かつてこの土地に力を与えた鬼神が封じられていることを知っていたからだった。

 誰からも無視されていた私の名前を呼んでくれたのは、この和泉さまだけだった。

 遠い昔のこと。鬼神は、貧しい村でそれでも前を向く男と友誼を結んだのだという。その男と子どもたちのために、鬼神は自ら大池に沈み、自身の力をこの辺り一帯にゆき渡らせ、豊かな土地へと変えたのだ。

 けれど月日が経つにつれて、約束は忘れられていく。友人として話をしにくると言っていたはずの子どもらのおとないは早々に途絶え、大池の水は力が溜まりすぎて人間にとって有害なものになった。その結果、ますますひとの足は遠のいていく。鬼神は思っていた以上に人間が好きで、寂しがり屋だったらしい。ひとを呼べば生け贄を要求したと誤解され、説明しようにも相手は怯えるばかり。

 数百年の孤独の中で、たまたま巡り合ったのが、誰にも必要とされていなかった私というわけだ。けれど大池は深くて、何を届けようにもまるで鏡のようにね返されてしまう。見えるのに触れられない。あまりにも近くて遠い存在。そんな鬼神の隣に行く方法は生贄になることだけだった。

 もちろん生贄になれば封印が解けることはなく、触れたそばから私は塵となり果てただろう。最初はそれでも良かったのだ、愛するひとの隣で逝けるのならばそれで十分だった。けれど、ふと思いついてしまったのだ。もしかしたら、愛するひとを解放してやることができるかもしれないということに。和泉さまの隣に生きて立つことができるのならば、喜んで鬼になろうではないか。

 父が私の名前を呼ばないであろうことは、わかっていた。いないものとして扱っていた娘の名は、家の中でも村の中でも呼ばれることはなかった。「あれ」と呼び続ければ、ゆっくりと頭の中から私の名前は消えていく。父は呼ばなかったのではない。呼べなかったのだ。

 そしてご当主さまの大事なひとと、私の名前が同じだったことは大変な幸運だった。ご当主さまにとっての「みはる」は、愛しい義妹の「未遥」だけだ。「美春」という私の名を呼ぶことはないと彼は言った。それにもかかわらず、あの神聖な誓いの場で彼はまっすぐに己の妻の名を呼んだのだ。愚かなことに。

 愛していないものを愛しているとのたまう居心地の悪ささえ呑み込んでいれば、綻びかけた約束を打ち砕くことはなかっただろうに。もちろんそれこそが、私の望みだったのだけれど。うっかりではなく、約束を交わした側の故意がほしい。愛するひとの力を返してもらうには、それだけで十分だったのだ。

 大池の水はゆっくりと溢れ出し、怨嗟の声を上げる村人たちを呑み込んでいく。大丈夫だ、彼らが死ぬことはない。今まで鬼神がそうであったように、大池の下で静かに暮らすだけ。鬼神と違って、愛する家族とともに永遠を過ごせるのだから何の不都合があるだろう。暮らす場所が地面の上か下か、それだけの違いではないか。

「みんな、あなたのことを封じられるべき鬼だなんて言っておりましたけれど。自分たちの隣にいたのが本物の鬼だったことに、どうして気が付かなったのでしょうね」
「わたしは、そなたが同じ鬼になってくれたことが何より嬉しいが」
「それならば、もう絶対に離れないと誓ってくださる?」
「もちろんだとも」

 和泉さまは、私を抱えて跳び上がった。一足で空がぐんと近くなる。きらめく大池は、空の青に溶けてじきに見えなくなった。
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