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3.だってあなたは、私の愛するひとではありませんから。
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生まれてくる子どものために、さらに必死に働く下男。下男はまとまった金を手に入れるために、魔獣狩りに参加することを決めたらしい。
「危険です。そのようなことに手を出す必要はありません! あなたにもしものことがあったら、どうするのです」
「それならばそれで、慰労金が支払われます。当面の生活費が手に入って万々歳です」
「そのようなこと、許しません。あなたは、必ず生きて帰ってきてくださらなければ」
大した武器もないのに危険だと止めるが、罠を使って手伝いをするだけだと言って男は出かけていく。けれどその夜、下男は魔獣に襲われ、瀕死の重傷で家に運ばれてきた。医者を呼ぶものの、手の打ちようがないと言われる。もしもこの状態で助ける方法があるならば、それは神殿の聖女による癒しが与えられた時だけだと聞かされてアンは頭が真っ白になる。
「どうしてあなたは、そこまでして私たちを助けようとしてくれるのです。私はあなたに、何も返せないというのに」
医者たちが帰った後、熱と痛みにうなされる下男の看病をしながらアンは涙を流す。普段、ベッドを譲ろうとしても断固拒否し続けてきた男は、今回ばかりは何の抵抗もしなかった。そもそも意識がないのだから、抵抗のしようがない。けれど泣いてばかりいても仕方がない。アンは立ち上がると、台所で薬草を煮詰め始める。痛み止めとなる薬を作っているのだ。飲み薬にも塗り薬にも使うことができる。少しでも、下男の苦痛を和らげてやりたかった。
「どうやらお困りのようですね」
うかつにも鍵をかけ忘れていたらしい。勝手に入り込んできた訪問者の顔を見て、アンは顔を引きつらせた。聖女メアリーと元婚約者ユリシーズだ。
「一体、どうやってここが?」
「わたくしが気づいたのは、こちらのハンカチの話を耳にしたからですわ。夫婦円満になる、加護付きの刺繍入りハンカチでしたかしら? うふふ、ただの噂かと思いきや、本当に加護の力を持っているのですもの。もしかしてアンは、そこの醜男とねんごろになりましたの? 本当に困ったお方ですこと。それならばわたくしの提案通り、借り腹になっておけばよかったではありませんか。一体、何がご不満だったのかしら」
理解に苦しみますわと、頬に手を当ててメアリーはため息を吐く。それを聞き、アンは絶句するしかなかった。それでもなんとか、唇を動かして問いただす。
「それで、このような場所まで何をしにいらっしゃったのでしょう?」
「アンのお腹の中には、ユリシーズとのお子がいるのでしょう? ああ、しらを切っても無駄です。わたくしには、そなたの魔力もユリシーズの魔力もわかります。そのふたつが混ざり合ったものが、その腹の中にいることも」
慌ててお腹を押さえるアンを見て、メアリーは唇を吊り上げる。
「その子をわたくしたちに差し出すならば、下男の命を助けてあげましょう。見たところ、あの下男を救うことができるのは、わたくしの癒しの力だけ。よいではありませんか。そなたはそこの醜男を助けることができる。わたくしは、ユリシーズの子を持つことができる。子どもが欲しいなら、醜男に子種をもらったらよいでしょう? ああ、それとも、借り腹の話を受けますか? まあわたくしを裏切ったのだから、これからのユリシーズとの閨事は、そこの醜男の前で行うようにいたしましょう。それならば、そなたたちふたりを侯爵家で受け入れても良いのですよ」
地獄のような提案をされて、誰が答えることができるだろうか。アンは唇を噛みしめたまま薬草を煮詰め続ける。そこで下男が目を覚ましたらしい。何やら大きなものが落ちた音がしたかと思ったら、起き上がれるはずもない怪我だというのに、下男は這いつくばってアンのもとまでやってきた。
「無理をしてはいけません!」
「あのふたりに、何もされていないか? 大丈夫だ、ちゃんと守る。心配、するな」
うわごとのように何度も繰り返しながら、アンをふたりから守るようにその背に庇う。
「まあ、なんと惨めなことですこと。これから自分の命を助けるために、愛した女がかつて愛した男に股を開くところを見ることになるとは、欠片も考えてはいらっしゃらないのですね。本当に滑稽だわ。ねえ、ユリシーズ。赤子がいても行為はできるのでしょう? このままわからせた方がよいのではなくって?」
聖女とは思えぬ聞くに堪えない言葉。けれど、アンの心が揺れることはなかった。だって、アンの目にはもっと大切なものが映っていたのだから。小さい頃、自分を野犬から守ってくれた婚約者の姿。その面影が全然似ていないはずの下男に重なる。やはりずっと感じていた違和感に間違いはなかった。納得したアンは、覚悟を決める。どのような結果になろうとも、自分は大切な家族を守らねばならないのだ。煮詰めていた薬草の鍋を聖女と婚約者に向かって投げつけた。
元婚約者は気が付いたはずが、聖女を庇うことはなかった。むしろ、わざとのように彼女を前に押し出したように見えた。あまりの熱さに悲鳴を上げ癒しの力で自身の火傷を治療しようとするが、一向にただれた肌が治る様子は見えない。泣き叫ぶ彼女を、元婚約者は満足そうに抱きしめるばかりだ。
「なぜメアリーの申し出を断る? お前はわたしを愛しているのだろう?」
「だってあなたは、私の愛するひとではありませんから」
「自分を支えてくれた下男にほだされたか」
あざける元婚約者に、アンは首を横に振る。
「だから先ほどから申し上げているではありませんか。あなたは私の婚約者などではありません。私が昔からそして今も愛している本当の婚約者は、ここで死にかけている彼なのです。魔法使いの魔法は、契約を交わした者以外に見破られたら解けるのでしょう? 帰ってきて、ユリシーズ」
その瞬間、下男の身体はみるみるうちに美しい婚約者の姿に変わった。不思議なことに怪我もすっかり癒えている。そして火傷にもだえ苦しむ聖女メアリーの隣では、醜男が火傷の跡を晒しながら「おそろいになった」と喜んでいた。
「危険です。そのようなことに手を出す必要はありません! あなたにもしものことがあったら、どうするのです」
「それならばそれで、慰労金が支払われます。当面の生活費が手に入って万々歳です」
「そのようなこと、許しません。あなたは、必ず生きて帰ってきてくださらなければ」
大した武器もないのに危険だと止めるが、罠を使って手伝いをするだけだと言って男は出かけていく。けれどその夜、下男は魔獣に襲われ、瀕死の重傷で家に運ばれてきた。医者を呼ぶものの、手の打ちようがないと言われる。もしもこの状態で助ける方法があるならば、それは神殿の聖女による癒しが与えられた時だけだと聞かされてアンは頭が真っ白になる。
「どうしてあなたは、そこまでして私たちを助けようとしてくれるのです。私はあなたに、何も返せないというのに」
医者たちが帰った後、熱と痛みにうなされる下男の看病をしながらアンは涙を流す。普段、ベッドを譲ろうとしても断固拒否し続けてきた男は、今回ばかりは何の抵抗もしなかった。そもそも意識がないのだから、抵抗のしようがない。けれど泣いてばかりいても仕方がない。アンは立ち上がると、台所で薬草を煮詰め始める。痛み止めとなる薬を作っているのだ。飲み薬にも塗り薬にも使うことができる。少しでも、下男の苦痛を和らげてやりたかった。
「どうやらお困りのようですね」
うかつにも鍵をかけ忘れていたらしい。勝手に入り込んできた訪問者の顔を見て、アンは顔を引きつらせた。聖女メアリーと元婚約者ユリシーズだ。
「一体、どうやってここが?」
「わたくしが気づいたのは、こちらのハンカチの話を耳にしたからですわ。夫婦円満になる、加護付きの刺繍入りハンカチでしたかしら? うふふ、ただの噂かと思いきや、本当に加護の力を持っているのですもの。もしかしてアンは、そこの醜男とねんごろになりましたの? 本当に困ったお方ですこと。それならばわたくしの提案通り、借り腹になっておけばよかったではありませんか。一体、何がご不満だったのかしら」
理解に苦しみますわと、頬に手を当ててメアリーはため息を吐く。それを聞き、アンは絶句するしかなかった。それでもなんとか、唇を動かして問いただす。
「それで、このような場所まで何をしにいらっしゃったのでしょう?」
「アンのお腹の中には、ユリシーズとのお子がいるのでしょう? ああ、しらを切っても無駄です。わたくしには、そなたの魔力もユリシーズの魔力もわかります。そのふたつが混ざり合ったものが、その腹の中にいることも」
慌ててお腹を押さえるアンを見て、メアリーは唇を吊り上げる。
「その子をわたくしたちに差し出すならば、下男の命を助けてあげましょう。見たところ、あの下男を救うことができるのは、わたくしの癒しの力だけ。よいではありませんか。そなたはそこの醜男を助けることができる。わたくしは、ユリシーズの子を持つことができる。子どもが欲しいなら、醜男に子種をもらったらよいでしょう? ああ、それとも、借り腹の話を受けますか? まあわたくしを裏切ったのだから、これからのユリシーズとの閨事は、そこの醜男の前で行うようにいたしましょう。それならば、そなたたちふたりを侯爵家で受け入れても良いのですよ」
地獄のような提案をされて、誰が答えることができるだろうか。アンは唇を噛みしめたまま薬草を煮詰め続ける。そこで下男が目を覚ましたらしい。何やら大きなものが落ちた音がしたかと思ったら、起き上がれるはずもない怪我だというのに、下男は這いつくばってアンのもとまでやってきた。
「無理をしてはいけません!」
「あのふたりに、何もされていないか? 大丈夫だ、ちゃんと守る。心配、するな」
うわごとのように何度も繰り返しながら、アンをふたりから守るようにその背に庇う。
「まあ、なんと惨めなことですこと。これから自分の命を助けるために、愛した女がかつて愛した男に股を開くところを見ることになるとは、欠片も考えてはいらっしゃらないのですね。本当に滑稽だわ。ねえ、ユリシーズ。赤子がいても行為はできるのでしょう? このままわからせた方がよいのではなくって?」
聖女とは思えぬ聞くに堪えない言葉。けれど、アンの心が揺れることはなかった。だって、アンの目にはもっと大切なものが映っていたのだから。小さい頃、自分を野犬から守ってくれた婚約者の姿。その面影が全然似ていないはずの下男に重なる。やはりずっと感じていた違和感に間違いはなかった。納得したアンは、覚悟を決める。どのような結果になろうとも、自分は大切な家族を守らねばならないのだ。煮詰めていた薬草の鍋を聖女と婚約者に向かって投げつけた。
元婚約者は気が付いたはずが、聖女を庇うことはなかった。むしろ、わざとのように彼女を前に押し出したように見えた。あまりの熱さに悲鳴を上げ癒しの力で自身の火傷を治療しようとするが、一向にただれた肌が治る様子は見えない。泣き叫ぶ彼女を、元婚約者は満足そうに抱きしめるばかりだ。
「なぜメアリーの申し出を断る? お前はわたしを愛しているのだろう?」
「だってあなたは、私の愛するひとではありませんから」
「自分を支えてくれた下男にほだされたか」
あざける元婚約者に、アンは首を横に振る。
「だから先ほどから申し上げているではありませんか。あなたは私の婚約者などではありません。私が昔からそして今も愛している本当の婚約者は、ここで死にかけている彼なのです。魔法使いの魔法は、契約を交わした者以外に見破られたら解けるのでしょう? 帰ってきて、ユリシーズ」
その瞬間、下男の身体はみるみるうちに美しい婚約者の姿に変わった。不思議なことに怪我もすっかり癒えている。そして火傷にもだえ苦しむ聖女メアリーの隣では、醜男が火傷の跡を晒しながら「おそろいになった」と喜んでいた。
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