【異世界恋愛短編集】冷遇された身代わり花嫁は、継子の不幸を許さない。

石河 翠

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3.だってあなたは、私の愛するひとではありませんから。

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「アンさま、どうぞお召し上がりください」
「……必要ありません」
「毒も、催淫剤も入っていないと誓います。必要ならば、自分が毒見をいたしましょう。今は、まずしっかりとお食事を摂って体力を温存するときです。さすれば、隙をつくこともできましょう」
「……あなたは、何を言っているの?」
「大丈夫です。自分を信じてください」

 絶望に打ちひしがれるアンだったが、数日後、監視の目を盗んで逃亡することに成功する。彼女の逃亡を手助けしたのは、見覚えのない使用人。顔に大きな火傷がある、背の低い小太りな男。屋敷の連中からは醜男ぶおとこと端的に呼ばれていた者だ。今まで屋敷で過ごしていた中で気が付かないはずのない容姿である。それならばこの男は、聖女が神殿から連れてきた下男ということになるだろう。その下男がなぜアンのことを助けてくれるのか理解に苦しんだが、このまま離れに閉じ込められていては、ろくでもない未来しか待っていない。そのためアンは、下男のことを完全には信用できないまま、ともに逃げ出すしか他に選択肢はなかったのである。

 逃げ出した先は、とある町の外れにある小さな家だった。下男の家なのかは、下男に聞いても教えてくれない。しかも彼は自分の名前さえ教えてくれなかった。

「名前がわからなければ、呼ぶこともできないではありませんか」
「呼ぶ必要がございません。アンさまからの名づけも求めません」
「……それでは、『あなた』と呼ぶよりほかに仕方がないではありませんか」
「それで十分でございます」

 なぜかひどく満足そうな下男の様子に戸惑いながら、アンの新しい生活は始まった。男はアンを連れて逃げ出してきたが、アンの夫を名乗るつもりはないらしい。小さな家で寝室はひとつしかないが、下男はアンにその寝室を使わせる。そして自分は扉の外で護衛のように休むのだ。そんな風にしていては疲れもとれないだろうに、下男は仕事を探してきて昼間は外に働きに出かけてしまう。まるで屈強な騎士のような生活様式だ。

 アンは自分も何かしようとするが、生粋の貴族のお嬢さまであるせいで何をしていいかわからない。野菜の皮むきならできるかと思ったものの、ざっくりと手を切る始末。おろおろとしているところに、下男が帰宅してひどく叱られてしまった。何もしなくてもいいと言われるが、自分も手伝いたいのだ。下男にばかり負担をかけて申し訳ないとアンが涙をこぼせば、下男はそれならばと刺繍の内職の仕事を探してきてくれた。

 刺繍はアンの特技である。貴族ならではの豪奢な刺繍はこの辺りではなかなか手に入らないものらしい。意外にもアンの刺した刺繍はそれなりの値段で引き取ってもらえるようになり、家計に余裕もでてきた。しかしふたりの生活が軌道にのっていたある日、アンは体調不良で倒れてしまったのである。

「アンさま、お医者を呼んでまいりました」
「何をしているのです。そのようなことにお金を使うなんて」
「アンさまのお身体が一番でございます」

 どうやっても食事を摂ることができず、何を口にしても吐いてしまう。みるみるうちにやつれたアンを心配して、下男は町医者を連れてきてしまった。申し訳ないがお帰り願おうとするアンを、下男は久しぶりに叱りつけた。基本的にこの下男が怒るのは、アンの身を心配しているからだ。そして、下男の言うことはもっともだという町医者により、アンは渋々診察を受けることになる。そしてアンは自分が妊娠していることを知ったのだった。

「まさかアンさま、このままお産みになるおつもりですか?」
「当然です。あなたこそ、何をおっしゃっているのですか?」
「一時の気の迷いで、あのような男の子を産むなど。とても賛成できません。命を落とすやもしれぬのですよ!」
「わかっています。それでも、この子を授かった時のユリシーズさまは、確かに私のことを愛してくださっていました。あの日、婚約破棄を告げた見知らぬ他人のような方とは違うのです」

 アンの言葉に下男は低い唸り声をあげた。

「お子は産むだけで終わりではないのです。養育するには信じられないほどの時間とお金、気力と体力、そして責任が必要です。アンさまには、そのお覚悟がございますか?」
「だからこそ、あなたが一緒にいてくれてよかったと思っています。私にもしものことがあれば、生まれてくる子どものことを頼めますか?」
「……アンさまがお望みになるならばこれからも自分がおそばにいることをお許しください」
「本当にありがとう。そして、ごめんなさい」

 アンは、自分がずるい女であることをわかっている。だが、下男は謝る必要などないと首を横に振った。どうせ自分は誰とも結婚するつもりなどない。アンとその子どもが幸せに暮らす手伝いができるのならば、本望であると言ってのけた。戸惑いつつも、その申し出を受け入れるアン。そこでなぜかアンは、かつての頼りがいのある婚約者ユリシーズの面影を見たような気がした。
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