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3.だってあなたは、私の愛するひとではありませんから。
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「わたしは、聖女メアリーと結婚することにした。よって、お前との婚約を破棄する」
長年仲睦まじかった婚約者ユリシーズから突然の婚約破棄を言い渡されたアンは、思わず固まってしまった。婚約者、婚約破棄と言っているが、アンはもう随分前から、花嫁修業のためにユリシーズの実家である侯爵家に移り住んでいる。書類上はいまだ婚約者だが、実質的には既にユリシーズの妻も同然の関係だった。
「あら、これは王命でしてよ。断るなど、不敬というもの。王国の臣民であれば、ご理解いただかなくては」
ころころと笑っているのは王族の姫君であり、今代の聖女であるメアリーだ。彼女は頬を染め、ユリシーズにしなだれかかっている。聖女は純潔が求められているはずだが、ふたりの様子はあまりにも親密過ぎた。
「……承知いたしました。それでは、荷物をまとめてまいります」
王命を覆すことなど、誰にもできはしない。震える声で、承諾の意を伝えるだけで精いっぱいだ。それでも涙を見せることなくその場を辞そうとした彼女を止めたのは、ふたりの婚約の解消を待ち望んでいたはずのメアリーだった。
「あら、それは早合点が過ぎるというもの。わたくしは、そのような狭量な人間ではありません。そなたには、そなたにしかできないことをお任せしようと思っておりますの。ですから屋敷にこのままとどまっていただきたいのです。まあ、本妻用の寝室からは出て行っていただきますけれど」
美しい、けれどどうにも棘があるように思われる微笑みを向けられて、アンは背筋が冷える。
「それは、私にメアリーさまの侍女として仕えるようにということでしょうか?」
「いいえ、そのような意地の悪いことなどするはずがないでしょう。そなたには、これからユリシーズとの子を産んでもらうのですから」
「……申し訳ありません。何か聞き間違えてしまったようです。もう一度よろしいでしょうか?」
「まあ、大切なことは一度でしっかり理解してくださいませ。アンには、これからわたくしの代わりに、お子を産んでもらうつもりです。そうですね、少なくとも6人は欲しいですわ。侯爵家の後継ぎとなる長男、後継ぎのスペアとなる次男、聖女の後継ぎとなる長女、後継ぎのスペアとなる次女、それから他家との婚姻に必要な三男と三女。本当は王家への養子に出す子どもも欲しいのですが、連続で産むことは難しいそうですし、隔年で何人産めるのかしら。侍医に相談してみましょうね」
さらりととんでもないことを言われて、アンは返事ができなかった。妊娠出産は命がけだ。出産の際に命を落とす妊婦は決して珍しい話ではない。それを聖女は、アンに少なくとも6回は命じようというのか。
「申し訳ございません。なぜ、メアリーさまは私にそのようなことをお命じになるのでしょうか」
「だって聖女というものは純潔を求められるものですもの。いくら運命の相手とはいえ、この身は神に捧げられしもの。白い結婚は守らなければなりません。けれど、侯爵家の後継ぎを親戚から迎えることになるのは、あまりにも寂しいでしょう? わたくしだって、ユリシーズの血を引く子が欲しいのです」
「であれば、どなたか希望者を募った方が……」
「そもそも、そなたはユリシーズのことが好きなのでしょう? それならば、そなたに任せるのが一番ではございませんか。そなたは愛するひとに抱かれて、愛するひとの子どもを産む。ユリシーズは、子どもの確保と肉欲の発散ができる。そしてわたくしは、ユリシーズと血の繋がった可愛い子を育てることができる。みんなが幸せになれる素晴らしい道ではございませんか」
何ひとつ悪いと思っていないのだろう。にこにこと微笑まれて、アンは鳥肌が立った。この女は狂っている。けれど、周囲の誰も彼女の言動に問題を感じていないらしい。王族だからか。聖女だからか。あるいはその両方か。
「もしも、断ると申し上げたならば……」
「まあ、アンったら。なんてわがままなのかしら。わたくしが我慢して、ユリシーズとのまぐわいを許可しているのですよ。そなたはそのお情けを泣いて喜ぶべきなのではありませんか。わたくし、借り腹を抱くのに情けは不要、子種だけ授けてできるだけはやく閨事を終わらせてほしいなどとは申しません。これだけでも、過分の慈悲でしょうに」
なんという侮辱だろうか。これほどまでに清々しく、アンの尊厳を踏みにじっておきながら、それを喜べと言われてもどうすればよいのだろう。しかも聖女は、これをアンへの侮辱ではなく、慈悲だとまで言ってのけた。自分の手で育てられなかったとしても、愛する婚約者の子どもを産むことができるならば至上の幸福だろうと言われて喜ぶ女が、この世界のどこにいるというのか。
「愛されていないとわかっている相手に身体を開くことなどできかねます。そして、産んだ子どもが取り上げられるとわかっていて妊娠を望む母親などこの世におりません。どうぞ聖女さまの御心に沿う方をお探しくださいませ」
「なんという無礼な! わたくしがここまで譲歩しているのですよ。ユリシーズ、あの女を捕まえてくださいませ! 離れに閉じ込めて反省させるのです!」
「いやっ、離して!」
そのままアンは屋敷の使用人たちによって拘束され、離れに監禁されてしまった。
長年仲睦まじかった婚約者ユリシーズから突然の婚約破棄を言い渡されたアンは、思わず固まってしまった。婚約者、婚約破棄と言っているが、アンはもう随分前から、花嫁修業のためにユリシーズの実家である侯爵家に移り住んでいる。書類上はいまだ婚約者だが、実質的には既にユリシーズの妻も同然の関係だった。
「あら、これは王命でしてよ。断るなど、不敬というもの。王国の臣民であれば、ご理解いただかなくては」
ころころと笑っているのは王族の姫君であり、今代の聖女であるメアリーだ。彼女は頬を染め、ユリシーズにしなだれかかっている。聖女は純潔が求められているはずだが、ふたりの様子はあまりにも親密過ぎた。
「……承知いたしました。それでは、荷物をまとめてまいります」
王命を覆すことなど、誰にもできはしない。震える声で、承諾の意を伝えるだけで精いっぱいだ。それでも涙を見せることなくその場を辞そうとした彼女を止めたのは、ふたりの婚約の解消を待ち望んでいたはずのメアリーだった。
「あら、それは早合点が過ぎるというもの。わたくしは、そのような狭量な人間ではありません。そなたには、そなたにしかできないことをお任せしようと思っておりますの。ですから屋敷にこのままとどまっていただきたいのです。まあ、本妻用の寝室からは出て行っていただきますけれど」
美しい、けれどどうにも棘があるように思われる微笑みを向けられて、アンは背筋が冷える。
「それは、私にメアリーさまの侍女として仕えるようにということでしょうか?」
「いいえ、そのような意地の悪いことなどするはずがないでしょう。そなたには、これからユリシーズとの子を産んでもらうのですから」
「……申し訳ありません。何か聞き間違えてしまったようです。もう一度よろしいでしょうか?」
「まあ、大切なことは一度でしっかり理解してくださいませ。アンには、これからわたくしの代わりに、お子を産んでもらうつもりです。そうですね、少なくとも6人は欲しいですわ。侯爵家の後継ぎとなる長男、後継ぎのスペアとなる次男、聖女の後継ぎとなる長女、後継ぎのスペアとなる次女、それから他家との婚姻に必要な三男と三女。本当は王家への養子に出す子どもも欲しいのですが、連続で産むことは難しいそうですし、隔年で何人産めるのかしら。侍医に相談してみましょうね」
さらりととんでもないことを言われて、アンは返事ができなかった。妊娠出産は命がけだ。出産の際に命を落とす妊婦は決して珍しい話ではない。それを聖女は、アンに少なくとも6回は命じようというのか。
「申し訳ございません。なぜ、メアリーさまは私にそのようなことをお命じになるのでしょうか」
「だって聖女というものは純潔を求められるものですもの。いくら運命の相手とはいえ、この身は神に捧げられしもの。白い結婚は守らなければなりません。けれど、侯爵家の後継ぎを親戚から迎えることになるのは、あまりにも寂しいでしょう? わたくしだって、ユリシーズの血を引く子が欲しいのです」
「であれば、どなたか希望者を募った方が……」
「そもそも、そなたはユリシーズのことが好きなのでしょう? それならば、そなたに任せるのが一番ではございませんか。そなたは愛するひとに抱かれて、愛するひとの子どもを産む。ユリシーズは、子どもの確保と肉欲の発散ができる。そしてわたくしは、ユリシーズと血の繋がった可愛い子を育てることができる。みんなが幸せになれる素晴らしい道ではございませんか」
何ひとつ悪いと思っていないのだろう。にこにこと微笑まれて、アンは鳥肌が立った。この女は狂っている。けれど、周囲の誰も彼女の言動に問題を感じていないらしい。王族だからか。聖女だからか。あるいはその両方か。
「もしも、断ると申し上げたならば……」
「まあ、アンったら。なんてわがままなのかしら。わたくしが我慢して、ユリシーズとのまぐわいを許可しているのですよ。そなたはそのお情けを泣いて喜ぶべきなのではありませんか。わたくし、借り腹を抱くのに情けは不要、子種だけ授けてできるだけはやく閨事を終わらせてほしいなどとは申しません。これだけでも、過分の慈悲でしょうに」
なんという侮辱だろうか。これほどまでに清々しく、アンの尊厳を踏みにじっておきながら、それを喜べと言われてもどうすればよいのだろう。しかも聖女は、これをアンへの侮辱ではなく、慈悲だとまで言ってのけた。自分の手で育てられなかったとしても、愛する婚約者の子どもを産むことができるならば至上の幸福だろうと言われて喜ぶ女が、この世界のどこにいるというのか。
「愛されていないとわかっている相手に身体を開くことなどできかねます。そして、産んだ子どもが取り上げられるとわかっていて妊娠を望む母親などこの世におりません。どうぞ聖女さまの御心に沿う方をお探しくださいませ」
「なんという無礼な! わたくしがここまで譲歩しているのですよ。ユリシーズ、あの女を捕まえてくださいませ! 離れに閉じ込めて反省させるのです!」
「いやっ、離して!」
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