お姫様と騎士

ヨモギノ_alp

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【御注意】※なシーンが後半にありますので、背後等御注意下さい。






 俺は会社の自分の席に座って、大きく溜め息をついた。

「あれー? どうしたんです、野広君! 大きな溜め息なんかついちゃったりして」

 隣の席の同時期に入社した同僚、八代がいつもの軽すぎる口調で尋ねてきた。人生テキトーに生きたもん勝ちですよ!と独自の持論を展開する自他共に認めるテキトー男は、見た目もそれに準じてテキトーさが滲み出ている。テキトーにセットした髪に、テキトーに垂れた目に、テキトーに結んだネクタイに、いつも絶やさぬテキトーな笑み。
 常に適当にしとけば万事オッケー、と心がけて(?)頑張っている八代は──頑張っているんだから、ある意味努力家なのか……?よく分からんが、面倒見はわりと良い。適当に。

「あ、いや……」
「なになにー? 悩み事かな? ならきいてあげるよー適当に! 飲みに行く? 明日休みだしさ」
「適当かよ! いや、まあ……いってもいいけど」

 同期で入社したのもあって、八代とはそれなりに仲が良い。俺も多少は適当なところもあるから、それなりに気が合うのも理由かもしれない。

「あ、飲みにいくんすか? 俺も行きたいっすよー!」
 その隣の大学生バイト、熊津も手を上げた。バイトだけど見た目は熊のようにでかいので先輩みたいに端からは見える。本人はそれをちょっと気にしている。身長差ができるだけでないように背をやや屈めているけどやっぱり大きくて余計に熊みたいにみえるから止めた方が良い、体格は仕方ないんだからどーんと胸張っとけと最近は助言してやっている。猫背よりはすっと背筋が伸びている方が見た目も良いし、背筋が伸びている事は身体にも良い事だからな。百利あって一害無しだ。

「んじゃ、三人でいくか!」
「おー!」
「はいっすー!」

 そういうわけで、いつもの三人で飲みに行く事になった。




 今日は残業もなく、定時で上がれたから駅前で待ち合わせて飲み屋に行った。

 昭和っぽいレトロな内装が売りの店内は、休み前なのもあってか、随分と混んでいた。
 丁度4人掛け席がひとつだけ残っていたから、俺達はそこに通してもらえた。定時で上がれてよかった。遅く来てたら待たされるところだった。ラッキーだ。

 大盛りの唐揚げと枝豆とビールでまずは乾杯したところで、八代が身を乗り出してきた。

「んで? 野広君は何を悩んでたんだよー?」
「何っすか!? 野広さん、何か悩んでたんっすか!?」
「……えーと……まあ……なんだ。別に、そんな、大した事じゃない……」

 ていうか、聞けるわけがない。


 ……同性同士の触りっこって何処までがセーフなのかな、なんて!!


 気になるけど、あまりにもアレすぎて恥ずかしすぎる内容すぎて聞きたいけど聞くに聞けない。


 ていうか、なんでだ。
 どうしていつからああいうことになってしまったんだ。

 最初は本当に、本当に、お互いにお互いのものを触って終り、だったんだ! だったんだよ! 信じてほしい。
 それが、だんだん、だんだん、ヤツの触る範囲が広くなってきて……『気持ちよくしてあげますから任せて下さい』って言っていろんな事試してきやがって……それがまたすげえ気持ちよすぎてどうにも強く抵抗できなくて……やめろって言っても路江の方も始まったら止まれないのかあまり聞いてくれない事が多くて……そうしたら、いつのまにやら、なんだか、なんだか……

 あんな、ことまで。

 俺は昨日の夜の事を思い出してしまい、顔が赤くなってくるのを感じたからすぐに顔を伏せた。
 
 身体のあちこちに唇を押し付けられるのも、胸をいじられるのもちょっとでもなくかなり微妙な感じだけれど、それよりも──


 ──素股あれはぎりぎりセーフなのか、それともアウトなのか。


 俺的にはヤバい域に達してしまっているような気がしてならないのだが、世の中的にはどうなのだろう。
 ものすごく教えてほしいけど、さすがにそれを目の前の二人に聞けるわけがない。絶対に引かれる。今日の飲み代全額を賭けてもいい。
 
 どうはぐらかすかを悩んでいると、八代が片手で机を強めにバン、と叩いた。ひらめいた、みたいな顔をして。

「ああ! わかったー! 同居人のことっしょ!」
「ふあっ!?」

 お前はテキトーな癖に妙に鋭いところあるよな!! すげえ嫌すぎる!

「同居人? えええなんすか!? 野広さん、同棲してんですか!?」

 俺は熊津の頭を殴っておいた。

「ちがうわ! 同居だ!」

「たしか、弟分みたいなヤツの生活の面倒、みてあげてんだっけ?」
「うおおお、野広さん、優しいっすね!」
「いや、面倒みてっていうか、まあ……あいつは、弟みたいなもんだから」

 兄貴分が世話してやるのは、当たり前のことだろう。
 それに路江の面倒は、小さい時から俺がずっとみてきたのだ。俺が、ずっと。だから別に何の問題もない。のだ。けど。

「なんだよー? 上手くいってないの?」
「……う」

 上手くは……いっている。……どちらかといえば、あまりにも上手くいきすぎているからマズイ事になりつつあるというか。

 まだ何も言ってないのに自分で適当に解釈して納得したのか、八代が両腕を組んで訳知り顔でウンウンと頷いた。

「そうかあ。まあ、いつまでも一緒ってわけにはいかないんだしさ。あんまり上手くいってないんだったら、この際、弟分君の手を離して、勇気出して別々に生きてくことにするのも手なんじゃないのー? お互いの為に!」

「手を、離す……」

 
 路江の、手を?


 俺は手にしたビールに視線を落とした。
 硝子の表面についた水滴が流れ落ちていって、掴んでいる手の肌に当たって、ひやりとした。

 路江の手を離す瞬間を頭の中で想像してすぐに胸がずきりと痛み、俺はそれを慌ててかき消した。

 なんで胸が痛くなってんだ。
 当り前の事だろう。

 けど。

 無意識に溜め息をついてしまったら、八代が気づいてしまったらしく、苦笑しながら俺の背中をバシンと叩いてきた。
 
「まあまあ、元気出せよー草太兄貴! 弟分君の為にも、此処はあえて突き放してやるのも親心ってやつさ! 獅子は子供を千尋の谷に突き落として無理矢理サバイバル生活させるっていうし!」
「あー、そうっすね! でもあれってよく考えると、すげえスパルタな親っすよねー」
「だよな~すげえスパルタだよな~! 俺の親もさ~姉もだけど~俺が床で寝てると邪魔って言って蹴ったり踏んだりしてくるしよー」
「お前な。それはスパルタとはまた話が違うんじゃないのか」
「ええー? そっかな~」

 まったく。

「まあまあ、兎に角さ。困った事があったら言えよー野広君! 適当に相談にのってあげるからさ!」
「適当かよ!」
「俺もなにかあったら手伝うっスから、遠慮なく言って下さい!」
「ありがとう……八代、熊津」

 俺はなんだかんだ言って気の良い二人に少しだけ感動して涙ぐんでしまいながら礼を言い、三人でジョッキを打ち鳴らした。






 会社の愚痴やら身辺のことやら趣味のことやらと、無節操に派生していく話題を美味しい酒と料理を片手に楽しんで。
 熊津の乗る終電が近くなった頃、お開きとなった。


 駅前で二人と別れて、バスはなんだか揺れで酔いそうな気がしたし乗り過ごしそうな予感がとてもしたので、ここはやはり無理せずタクシーを拾おうかと思い、駅前の端にあるタクシー乗り場へと向かって歩いていると。

「あ」

 狭いとも広いとも言えない5人までは横に並んで歩けるかな程度のタイル敷きの通路の先。タクシーに乗り込む順番をまだかまだかと待っている人達が10人程、道に沿って並んでいた。
 その最後尾に並んだ俺から数えて4人目のところに、路江っぽいひとがいた。

 いや、路江だった。
 身長が馬鹿高いからすぐに分かる。日本人離れした羨まし、いやしかるべき箇所に程よく筋肉のついた確りした体格に長い手足、西洋の俳優と間違われるほどに整った容姿なのも相まって、いろんな意味で目立つのだ。

 路江は、顔を赤くしてフラフラしている同僚っぽい人を支えながらタクシーを待っているようだった。
 優しい路江のことだから、泥酔した駄目すぎる困った同僚をタクシーに乗せる役を自ら引き受けたのかもしれない。

 朝飯を食ってる時に路江から、今日は会社の打ち上げがあるから遅くなります、と聞いている。まあ、それだから俺も今日は一人で食う日だからと、八代からの突発的飲み会の誘いを受けたわけなのだが。

 ということは、お互いの飲み会を終えて帰る時間が、丁度同じになったのか。なんたる偶然。


「路──」


 偶然には、よく偶然が重なるものだ。

 その時、屋外イベント用のスポットライトを三つも腕に抱えた青年が、よろよろと危なっかしい足取りで歩いてくるのが見えた。
 おそらく通路を歩いていった先には駅前駐車場があるから、そこへ向かうつもりなのかもしれない。

 ただ、抱えているものが大きすぎて前が見えていない感じがしたのが、ふと気になった。

 右へ左へとふらふらとよろけながら、重たくて細長いバランスの取りにくい荷物の重心を、ギリギリな感じでどうにかこうにか維持している感じで歩いている。
 そんな必死な様子で機材を運んでいる青年をなんだか危なっかしいなあと思いながら見ていると──

 俺の脇を、3人組の女の子たちが通り過ぎていった。

 大きな声で笑い声をたてながら、楽しそうにおしゃべりをしながら。
 女の子たちは顔を寄せ合うようにして横並びで話しながら歩いていて、身に付けてるアクセサリーを触り合ったり、お互いの顔ばかりを見て話している。

 そんな女の子達の前方からは、どうにかこうにかバランスを取りながらよたよたとした足取りで青年が歩いてきていた。
 彼のほうも抱えている荷物があまりに大き過ぎていて、前が見えているとはとうてい思えない。

 それを横目で見ながら俺は、なんだか危ないなあ、ぶつかりそうだなあと思った時には。
 もうすでに、遅かった。

 案の定。
 彼等はぶつかった。

 バランスを崩した青年の身体が跳ねて後ろへと大きくよろけ、すでに横へ傾きかけていた機材は、腕の支えを失い、更にぐらりと大きく横へと傾いた。
 三人の女の子達は青年とぶつかった後、横や後ろへとはね飛ばされ、床に倒れたり尻餅をついたりしてしまっている。

 その衝突現場は、なんということか。
 丁度、路江達の真横だった。

 大きくて重そうな黒い資材が、歪な弧を描きながらゆっくりと倒れていく。

 その行き先は──



「路江!!」



 俺は咄嗟に列を離れて、駆けた。
 
 路江がこっちを振り返り、俺がいた事に驚いたのかそれとも俺の声に驚いたのかはわからないけど、目を丸くした。

 並んでいた他の人達も倒れてくる機材に気づいたのか、悲鳴を上げながらも跳ぶようにして逃げていった。

 まるでクモの子を散らすようにして皆が逃げていく中、逃げ遅れているのは──目を見開いている路江と、抱えられた同僚の人だけ。

 俺は血の気が引いた。

 後少しで路江の身体に手が触れて突き飛ばせそうになった時、腕を逆に掴まれた。

「え、」

 なんで。

 腕を引かれて、片腕で抱き込まれて。
 路江の身体が、後ろへ跳ぶようにかしいだ。
 抱えられている俺の身体も、同じくもう片方の腕に抱えられていた同僚の身体も一緒にかしぐ。

 ゆっくりと時間が、ストップモーションに近い遅さで動いていくような間隔に囚われて。


 床と視界が平行になった瞬間。
 ドン、という鈍い音と、ガシャンという耳障りな音が同時に響いた。


 それから遅れて、近くでいろんな人の悲鳴と、びっくりした声と、騒ぐ声と、叱る声と、駆けてくる足音。

「だ、大丈夫ですか!? わあああ、どうしよう、すいませんすいません! お怪我はないですか!? 痛い所は!?」
 泣きそうな声で、さっきの青年が青い顔をして駆けよってきた。

 俺は痛いところも怪我もなかった。

 だって、路江が。

「う……」

「ろ、路江!」
 俺は慌てて路江の身体の上から飛び退いて、路江の顔を覗き込んだ。

「ばか、バカ路江! なにしてんだよ!」

「つっ……、草太、さん、こそ! 何をしてるんですか! いきなり飛び出してくるなんて!」

「だって、」

「だってじゃありません! 危ないじゃないですか! もう少しで下敷きになるところだったんですよ!」

 路江達がいた場所には、大きな黒いスタンドライトが3つ折り重なるように倒れていた。
 その近場に停めていたタクシーは不運な事に落下物に当たってしまったらしく、硝子にヒビが入って外装が凹んでいた。

「だって、俺は、おまえを助けようと」

 思って──

「不要です! 自分のことぐらい自分で守れます! 俺よりも草太さんに何かあった方が、嫌だ!」


 不要。

 
 その言葉は、まるで断罪の言葉みたいに俺は感じてしまい、息が苦しくなって、目の前も瞬間暗くなって、胸がひどく痛くなった。


 ああ。


 俺の助けは、もう。
 俺はもう、路江には、必要ないのか。
 


 いつか言われるだろうって、覚悟はしていた。
 でも、ずっと遠い先のことだろうって思ってたし、願っていた。
 願って、いたかった。
 
 どこか世間知らずであまりにも優しすぎる路江には、まだまだ俺が必要だって。思っていたかった。

 ああそうだとも。
 幼い路江の面影を未だに忘れられずに引きずっているのは、俺だ。

 優しくて綺麗な路江は、身体は大きくなってしまっても、やっぱり俺の中では守らなければならない綺麗なものだった。

 側にいて守っていてあげなければいけない、弱くて綺麗な存在。

 だから俺は今の今まで、頼られる者──騎士ヒーローであろうと、努力して頑張ってきた。これたのだ。
 これたの、だけれど。
 

 お姫さまにはもう、守り手はいらなくなってしまった。


 この綺麗で優しくて温かいものを、どうしても手を離せなくて。側に在ってほしくて。
 いつだって俺の後を追いかけてくる、何処へ行っても必ず俺の元に戻ってくる路江が、いじらしくて、大事で、可愛くて、愛しくて、嬉しかった。

 誰のものにもならない、誰も選ぼうとしない、俺の元から離れていかない路江に、ずっと、密かに安堵していた。
 そうだ。
 違うんだよ、八代。



 手放せなくて、離れられなくて、相手に依存していたのは路江ではなく────俺だ。



 この想いが、あまりにも酷すぎる強い執着なのか、それとも──表には決して出してはならない秘めておくべき感情より由来するものなのかは、いまだに俺にも、よく分かっていないのだけれども。

 
「草太さん?」

「……いや、なんでもない。身体、痛い所はないか?」
「いえ、大丈夫です。草太さんこそ、痛い所は? 怪我していませんか?」

 俺は首を横に振った。痛い所はどこにもない。
 だって、路江が下敷きになって──守ってくれたから。

 それにも気づいて自己嫌悪に気分が沈み、俺は相手に気づかれないように溜め息を吐いた。

 勢いだけは良く飛び出した俺は、誰一人守れなかった。それなのに、路江は俺も、同僚のひとも守った。


 お姫さまに助けられるようになってしまったら──終わりだろう。誰が考えても。そんなものはもう騎士でもなんでもない。

 それすらでなく、ただの、そこら辺にいるだけの、何者でもない人と同じだ。
 

 路江が俺と同僚をそっと立たせて怪我がないのを確かめてから、三人の女の子達にも確認して、謝り倒してくる青年にお小言を言い、車を傷つけられて怒っているタクシーのおじさんを宥めて落ち着かせ、青年と話をつけさせながら、その合間に半分酔いの醒めかけている同僚を別のタクシーに乗せて送りだした。

 路江があまりにもテキパキと手際よく事態を処理していくから、周りにいたやじ馬達も興味を失ったのか、いつのまにかいなくなっていて。
 
 いつもの駅前端の静かな風景に戻っていた。

 
 俺の出る幕は、一度もなかった。
 というか、路江が俺に、そこで待っていて下さい、と言ったから、何もさせてもらえなかったのもある。
 ……頼りにされてないことに、少なからず落ち込む自分が情けなくて嫌すぎる。


 路江が俺の背中に手を添えて、少し心配そうに覗き込んできた。

「草太さん。本当に大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫」

 慌てて大きく頷くと、路江はほっとした顔で頷き返してきた。

「よかった。では、俺たちも帰りましょうか」

 路江は俺の手を引いてまるでエスコートでもするかのようにタクシーに乗せてから、隣に乗り込み、タクシーの運転手に行き先を告げた。




 
 マンションに帰ってきて、お先にシャワーどうぞと言われたから先にシャワーをあびて。

 路江が入れ違いに風呂場に行っている間、俺は電気ケトルのスイッチを押して、カップを2つ用意した。

 少しだけ迷った末、路江の好きなココアにすることにした。
 ミルクもたっぷりいれたやつ。
 路江はコーヒーよりもココアやミルクティーの方が好きだ。そして好きな食べ物はハンバーグとオムライスとナポリタン。いつまでたっても変わらぬ子供みたいな嗜好に、俺は昔を思い出して少しだけ笑った。路江がねだるから、御陰様で俺の得意料理にもなってしまった。


「あ、ココアだ」
 路江が嬉しそうな声を上げ、キッチンにたっている俺の横までやってきた。

 リビングに持っていく前にカップを手に取って、路江が美味しそうにゴクゴクと飲んだ。ミルクをたっぷりいれているから、温度も程よく落ちている。それに猫舌だからな、路江は。

「あ」

 その頬に傷が一筋入っているのを見つけた。スタンドライトが擦ったのだろうか。

 少し赤くなっているそれの近くを、俺は恐る恐る指で撫でた。
 路江は俺に気を遣って言わないけど、きっと他にもあるはずだ。
 庇われたのもショックだったし、傷をつけさせてしまったのもショックだった。
 
 本当に俺はもう、路江を守ってやれるほどの身体の大きさも、支えてやれる力も、何もかも失ってしまったんだと思った。

「傷が。他にもあるだろ。手当てしよう」
「草太さん? 大丈夫ですよ。どこも痛くないし、あったとしても大した事ありません」
「俺が嫌なんだよ。ちょっと見せろ」
 俺は路江の背後に回って寝巻きの裾を捲った。自分よりも遥かにデカくなった背中が現れて悔しくなる。くそ。なんだこの骨格と筋肉は。
「ちょっ、草太さん!」
 
 やっぱり背中の肩甲骨辺りは赤くなっていた。後頭部も撫でてみるとほんの少し膨らんでいる。床で打ったのだろう。たんこぶができている。
 
「……ごめん。俺が余計な事をした」
「余計なことって……そんなことありませんよ。……すみません。あの時は俺もちょっと動転していて、言い過ぎました。俺も同僚も無事だったのは、草太さんの御陰です。草太さんの声で早く気づけたんですから。まあ、飛び出してこられたのには流石に肝が冷えましたけどね」
「でも」
「草太さん」

 路江の身体が反転して、俺の顔を覗き込んできた。

「俺の怪我は、俺が悪いんですから。草太さんの所為じゃないですよ」
「……でも」

 俺が飛び出さなければ、路江はもっと安全に避ける事が出来たのではないのか。
 いやきっと、出来たのだと思う。

 路江が、俺の顎に指をかけて上に向け、額に唇を落してきた。

 目線を上げると、少しだけ含みのある笑みを浮べた路江がいた。

「そんなに俺を気にして下さっているのなら──労ってくれますか?」

いたわる?」

 笑みを浮べた路江の顔がまた近づいてきて、耳たぶに塗れた感触がした。
 ぴちゃりと音がして、その生暖かな感触と音に、ぞくりと、俺の背中を何かが走り抜けた。
 背中に回された大きな手も、布地ごしでも、熱い。
 
 また覗き込んできた硝子玉みたいな瞳は細められ、夜だからだろうか暗くて見通せなくて、なのに奥に熱が籠っているように感じた。
 
「おまえ、なあ……」

 ……そんなにヤリたい御年頃がきてしまったのだろうか。
 ああでも路江はゆったりのんびりしているから、そういう時期も人よりも遥かにゆったりのんびりしすぎてて今頃きてしまったのかもしれないな。

「……すみません。冗談です」

 冗談だと言ったくせに、ものすごくしょぼんとした顔をしている。
 半分は本気だったようだ。後ろめたそうな様子を見るに、つけ込むような真似をしたことを少し反省してもいるようだ。
 垂れた耳としっぽが見えた気がして、俺は笑ってしまった。

 相変わらずの長い睫毛、少しのびた柔らかに波打つ前髪の隙間から覗くラムネの硝子玉の瞳が揺れている。
 見ていると昔の面影と重なって。俺はとても懐かしい気分になった。


 まあ、いいか。
 今日はもう……何も考えないでいたい。
 それはただの現実逃避だと、自分でもよく解ってはいるのだけれども。
 ……それに。

 俺が必要ではなくなった、その事に路江の方も気づいてしまっただろう。
 俺の庇護はもう必要ない、という事に。

 だから、きっと……分かってしまった路江はそう遠くない間に。俺の手を離して、出ていってしまうのではないだろうかと思う。


 だから、もしかしたら、これが──最後になってしまうのかもしれないな。

 最後、という言葉に心臓が痛くなって苦しくなったけど、俺は気づかない振りをした。


 俺は両腕を上げて、ヤツの首に回した。
 ヤツが、目を見開いた。

「いいよ。……ベッド、行こう」

 ヤツが頬を染めて、喉仏を大きく動かしたのが見えた。







 
 俺は、間違えたんだと思う。
 いや確実に、俺は何かを言い間違えた。何を言い間違えたのかは分からない。ヤツを煽るような言葉を何か俺はいったのだろうとは思うのだが、それが何かが分からない。いや、何も言っていない気がするんだけど! あああ、誰か、誰か俺に教えてくれ!

 ヤツは喜々として俺を抱き上げてヤツのベッドへと運んだ。
 そこまでは予想通りだ。横抱きはやめてほしかったけどな!
 そこからが予想通りではなかった。


「あ、あっ、あああぁ……っ!」

 じゅるり、とヤツが俺のものをくわえたまま強く啜った。

 何でこんなことになったんだ。
 わからない。

 息が苦しい。心臓も苦しい。
 体中が熱い。中も外も。
 何度イったのか、分からない。

 視線を下に向けると、いじられすぎて少し膨らんで赤くなってしまった俺の両胸の突起が、びちゃびちゃに濡れているのが視界にはいってしまった。赤い跡が点々と肌に残っているのも。嫌すぎる。

 大きな手に掴まれた脚は持ち上げられて折り曲げられ、尻はベッドから離れて不安定に浮いている。

 その狭間には、ロイヤルミルクティー色の頭が埋れている。

 前髪の隙間から覗く白い肌には汗が浮いていて、目元辺りはじわりと赤くなっている。

 やっと俺を解放した口と舌は、俺の出した白いものとヤツ自身の唾液を零しながら更に奥へと沈んでいくのが見えた。
 嫌な予感がする。した。とてつもなく。

 生暖かいものがびちゃり、と肌を舐めた。
 それはあらぬところの周りを行き来していた。

「も、もう、やだっ! ろえ、ろえ、やだ、やだってば! やめて、……そこ、は!」
「良いって、言いました」
「言ってな──あ、やあっ、だ、だめ……だめ、汚い、から! 本当に、嫌だ……!」

 俺の本気の拒絶がようやく通じたのか、路江が顔を上げて、俺を見た。

「……さっき、シャワーしてました」
「してたけど! そこは、そんなに綺麗には、洗ってない!」
「……じゃあ、綺麗に洗ったら、いいってことですね」
「え」

 路江が俺を抱き上げた。
 
 俺を抱えたままベッドを降りて、足が風呂場へ向いたのに気づいて、俺は本気で泣きたくなった。
 どうしよう。
 もしかしてもしかしなくても、俺のあそこ、洗う気なのかお前は! 
 嫌すぎる。やめてほしい。なんでそこまでして舐め、いや、アレしたいんだよ!
 逃げ出そうと必死にもがいたけれど、悲しいかな筋力と体格の差は余りにも開きすぎていて、それすらもまざまざと実体験で気づかされることになって、俺は泣いた。
  



 シャワーの湯気で、視界は最悪で鏡も真っ白に曇っていることだけには心から感謝した。
 自分の今の姿なんて、みたくもない。

 路江は俺の両膝の下に片腕を通して後ろから抱え、壁に掛けたシャワーの湯が丁度尻の狭間に当たるように立ち、あろうことか、俺の彼処に指を突っ込んでかき回し続けている。
「ひっ、うあ!? やっ、そこ……やだぁ!」
「……ああ。ここ、イイですか?」

 いつのまにか三本に増やされていた指で時折広げるから、湯が中に入ってくる。
 それをまた指で掻き出す。
 
「い、やぁ、やめて、ろえ──あ、ああっ、んん……っ!」

 ぐちゅり、と中の指が強く腹の下辺りを中から押して、俺の頭は真っ白になって、一瞬息が止まった。

 体中に大きな震えが走って、熱くなって、立ち上がったまま収まる気配の無い俺自身から白いものがどぷりと溢れ、流れ落ちていった。

 呼吸は荒いまま収まらなくて苦しくて、中も外も震えてて痙攣してて止まらなくて、俺は恥も外聞もなくしゃくりあげて泣いた。

「草太さん。……どうして泣くんです。気持ち、よかったんでしょう?」
 ぐるりと指を回されてから引き抜かれ、俺はびくりと震えて、あらぬ声を上げてしまった。

 指を抜いたという事は、終わったのだろうか。
 気が済んだのだろうか。

 床にようやく下ろされたけど足は震えて立てなくて、倒れそうになる身体を支える為に、バスタブの縁に腕を置いてつかむ。

 ホッとしたのもつかの間、今度は足の付け根辺りを大きな両手で掴まれて、引き起こすようにされた。
 その後、左右に割り広げられる。

「あ……」


 これは、駄目だ。

 
 駆け出す前の犬みたいな、短くて荒い動物的な呼吸音が後ろから聞こえてくる。
 それを聞いて、俺はこの先の展開が想像できてしまって、このままだとマズすぎると思い、やめろと言おうとしたけど、もう何もかもが遅かった。
 
 熱く濡れた先端が解されきった箇所に当たるのを感じた。
 ずぶり、と中に入り込んでくるのも。

「…………あ……っ」
 抵抗する気力も体力もすっかり底をついてしまっていた俺にはもう、どうしようもなくて。腕に額を置いて、目を閉じることしかできなかった。




 嫌だと言ったのに、太くて熱いものは狭い俺の中を無理矢理押し広げるようにして、行き止まるまで入ってきて。
 やめてと言ったのに、何度も抜きかけては入れられた。
 もう止まってと言ったのに、全く止まろうとしない。
 俺の言う事を、全然聞かない。
 これ以上情けないところなんて見せたくないから泣きたくないのに、涙も止まらない。
俺の言葉はもう効力などなくなってしまったのが、とても悲しくて、辛くて、苦しかった。

 風呂場には、出しっぱなしのシャワーの音と、聞くに耐えない水音と、荒い息遣いがふたつ、混ざり合って響いている。それと、聞きたくもない聞くに耐えない俺の喘ぐ声。

「ああ……可愛い、草太さん……」
 
 何処をどう見てそう思うんだ! お前の目は節穴か! 路江の馬鹿野郎!
 可愛い、っていう表現が似合うのはお前だけだろ!

 そう言い返したいのに、口から出てくるのは言葉にならない声だけで。

「あ、ぅ」
 ぐり、と奥を深く抉るように突き込まれて、全身が痺れるような知らない感覚が走って恐くて、一際大きな声を漏らして泣いてしまった。
 べろり、べろりと項や肩も舐められて。気まぐれに噛まれたりして、恐かった。捕食者に喰われつつある動物の気分ってこんななのだろうか。


 俺の中にいる相手のものが大きくなったのも分かって、本能が危険を察知したから逃げたかったけれども、腰をがっしりと摑まれていて逃げられなかった。
「やっ、だめ……だめだ、やめ、……ろえ……!」
「……くっ」

 しばらくして、どくり、と奥に熱いものが勢い良く流れ込んで広がった。感触がした。
  
 それはすぐには止まらず、どく、どく、と俺の中へ注ぎ込まれ続けている。

 まるで塗りたくるようにゆるく動かれて、ぞくりとした強い震えがつま先から頭の先まで駆け抜けた。遅れて、もう出すものが残っていない俺自身からは、とぷりと透明に近くなってしまったものが僅かに零れ落ちる。
 さっきからイってる感じなのに、もう出せるものがないからなのか身体に熱が籠ったままで、苦しい。気持ちいいのが収められなくて、終わらせられない。いい。やめてほしい。もっとしてほしい。もう終わらせてほしい。お願いだから。もっと──ああ、だめだ。もう。頭がおかしくなってる気がする。


 路江のものが俺の中から引き抜かれたのが分かっても、俺には指一本動かすことすらできなかった。脳もフリーズしている。情報が処理しきれていない。熱暴走している。
 もう呼吸をする事だけで精一杯だ。


 抱き上げられて、バスタオルで軽く拭かれて、ベッドまで運ばれて。
 
 上に覆いかぶさってきた相手の顔を見上げると。
 唇を唇で塞がれた。噛みつくみたいに。

 こじ開けられて舌を絡めるように嬲られて、身体を大きな手が撫でていって。
 俺は意識も朦朧としていて、前後不覚で息も絶え絶えな酷い状態だというのに、配慮も遠慮もなくまたしても相手の大きくて熱いもので貫かれたところまでは、どうにかぼんやりとだけれども覚えている。けれども。


 その後のことは、とうとうというかようやく俺の意識が途切れてしまったみたいで、覚えていない。
 

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