お姫様と騎士

ヨモギノ_alp

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 俺が5歳の頃。
 隣の家に越してきた夫婦は、男の人の方は短い黒髪に肌が焼けてて背が高くて筋肉もムキムキした笑顔の眩しい元気一杯な人で、女の人の方はとても細くてロイヤルミルクティーみたいな色のふんわりとした長い髪に、ラムネに入ってる硝子玉みたいな色をした瞳の人だった。

 見た瞬間、冒険者とお姫様が引っ越してきたのかと思った。

 だって男の人はテレビで観た事のある冒険家にとてもよく似ていたし、女の人は童話の中から抜け出してきてしまったお姫様みたいだったから。

 お姫様は、とても綺麗な人だった。

 にこりと微笑んだ顔も、朝の水まきした後の庭みたいにきらきらとしていて、綿菓子みたいにふわふわとしていた。
 着ている服もふわふわと柔らかそうで、桜の花で作ったドレスみたいで、風が吹く度に裾がふわふわと揺れる。
 その時に見えた靴も、硝子で作られたみたいにキラキラとした白い色をしていた。
 側に寄ると、花の香りみたいな良い匂いもした。

 母親に名を呼ばれるまで思わずじっと呆けたように見蕩れてしまっていたのは仕方のないことだと思う。
 そして。

 そんなお姫さまみたいな人の後ろから、もじもじしながら出てきた小さな子がいた。


 女の人と同じ髪と瞳の色をした、小さな、とても小さな子だった。


 見るからにか弱そうで、細くて、真っ白な肌は少し触っただけでも容易く傷くのではないかと思うほどに柔らかそうで、緩やかに波打つ髪が肩先でふわりふわりと揺れている、俺よりもずっと小さな──女の子。


 そんな小さな女の子の、少し怯えの混じる不安そうな硝子玉みたいな瞳がこちらを向いた時──俺の心臓は、咽から飛び出してしまいそうなほどに大きく跳ねた。



 うわああああ、小さなお姫さまだ!!



 少し怯えた表情をした可愛らしい小さな女の子を前にして、俺はそう心の中で叫んでドキドキワクワクしたものだ。

 きっとこの大きなお姫さまと小さなお姫さまは、何処か遠い国から悪い奴等に捕まらないように、逃げて逃げて、こんな東の果てまで逃げてきたのだ。そして俺の住むこの、都会から一山二川越えた先の田舎町と呼んでも過言ではない此処に辿り着いたのだろう。ちなみに電車は1時間に二本しか走っていない。
 後ろにいる男の人は、みるからに強そうだしやっぱり冒険者だったりするのかもしれない。それで長い旅の途中で、こっちの大きい方の綺麗なお姫様と出会ったりしたのだ。
 それでそれで、きっとお姫さま達が暮らす国には妖精とか不思議な動物とか大きな竜とか飛んでたりするのだ。

 きっとそうだ。
 絶対そうに違いない!!

 幼い頃からやや空想過多気味だった俺は、すぐに脳内で目の前のお姫さま達についての波乱万丈空前絶後冒険活劇なストーリーを組み立てていた。


「こんにちは、草太君。この子の名前はね、ローエ……路江っていうの。草太君とは歳も近いし、仲良くしてくれたら嬉しいわ」
 
「こんにちは! ローエちゃん……あい! まかせろ!」

 俺は大きく頷いた。


 こんなにも小さくてか弱い子なのだ。
 俺が守ってあげなければ!
 そうだ。
 俺は、お姫さまを守る騎士になるのだ!!


 当時、テレビアニメで《機械騎士団ナイトロボ》という恰好良い騎士みたいな姿をしたロボットが悪と戦う子供向け人気番組をやっていたから、その影響も大きかったかもしれない。

 加えて、他所様の庭すら我が家の庭のようにして転げ回って遊ぶ、決めポーズで変身して悪役をやっつけるヒーローに憧れる男の子だったのなら、こんなお姫さまみたいな子を目の前にしたらそりゃもうそう思ってしまうのは自然な流れと言えるだろう。
 俺のように。

 そんな多感で単純で幼い俺は、心に固く誓った。

 悪い奴等から俺がお姫様を守ってやるのだ、と。

 そうして湧き上がる使命感に心を熱く滾らせながら、俺は、小さなお姫さまの前に進み出た。
 あのナイトロボに乗り込む主人公みたいに、格好良くみえるようにめいっぱい背筋を伸ばして胸を張り、力強く笑みを浮べて。

「俺は草太! よろしくな!」

 小さなお姫さまの前に勢いよく手を差し出すと、お姫さまはラムネに入ってる硝子玉みたいに澄んだ瞳を丸くして。
 それから恥ずかしそうに頬を染めてはにかみながらも、こくりと頷いて、嬉しそうに微笑んでくれた。

 あの時の俺は、天にも昇れそうなぐらいに嬉しかったのを憶えている。


 微笑む小さなお姫さまは、恥ずかしがりながらも小さな白い手を俺に伸ばしてきて、俺の手の平の上に置いて。きゅう、と握ってくれた。

 よろしく、ローエです、と小さな可愛らしい声で言いながら。

 その手は白くて、折れそうなほどに細くて、よほど緊張していたのか指先が少しだけ冷たくなってしまっていた。


 ああ、守ってあげなければ。
 この子には俺しか頼れる者がいないのだから。
 俺が。俺だけが、この子を守ってあげられるのだ。


「大丈夫! 大丈夫だからな! 心配するな。ずっと俺がついててやるから!」
 俺はその弱々しく綺麗な手を力強く握ってやり、安心させるように笑みを浮べて大きく頷いた。







 それから、月日は過ぎていき──


 小さなお姫さまも、すくすくと成長していった。

 ……すくすくすぎるほどに。



 すくすくすぎて、俺の背を中学2年の時に越しやがった。

 肩まであった緩やかに波打つロイヤルミルクティー色の柔らかな髪も、邪魔だからと言ってあっさりと切ってしまった。俺や友人たちとほぼ同じぐらいの長さまで。

 そう。
 小学校に上がった時に分かった事だが、お姫さまは──見た目はあんなにもお姫さまだったのに──



 お姫さまではなかったのだ。



 その時のショックは、一言二言では語りきれない。

 ええええええうそだろおおおおおなんでまじでええええ!!?ってな感じだ。

 

 元お姫さま──路江は俺よりも一つ年下で、同じ小学校、中学校、高校、大学と進んだが故に、一緒にいることも多かった。というか、たいていは一緒にいたような気がする。

 路江の方も、『そうちゃんおにいちゃん』『草太おにいちゃん』『草太さん』と俺の名を呼んでは、まるで雛鳥みたいに後を追いかけてくるものだから、友人達には本当の兄弟みたいだなとよく言われていた。

 お姫さまではなかったけれども、兄と慕われるのは、まあ……悪い気はしないものではある。
 
 いつだって俺を頼りにしてくれて、俺の言う事をよく聞いて、俺と一緒にいるのを何よりも最優先にする。
 そんなの、そんな素直で純粋に慕ってくれる弟がいたら、可愛いがらない兄がいる訳がないだろう。
 路江はお姫様ではなかったけれども(大事なことなのでしつこく言うからな)、俺の可愛い弟分でもあった。
 

 そんな路江は、幼少時にお姫さまと見間違ってしまったくらい綺麗な容姿をしていたから、スクスクと成長してからは案の定。めちゃくちゃにモテにモテた。
 だが。
 いたるところから秋波を送られ老若男女選り取りみどりだったというのに、どうしてなのか。不思議と、長く付き合うという事がなかった。
 長くても、ひと月持つかもたないかぐらいの感じで別れてしまうのだ。

 それが一度、二度、三度と続いたからには、心配にならない訳がない。
 なのに、路江はいつまでたっても話してくれなくて、痺れを切らした俺は、どうしたのかと路江に問い詰めたところ。

『すみません。心配してくれてありがとうございます、草太さん。でも、これは仕方ないんです。向うの方から僕が嫌になっちゃうみたいだから』と、少し困った感じの笑みを浮べながら答えられた。

 それを聞いて、俺は首を大きく傾げた。
 こんなに綺麗で可愛くて優しくて良い子な路江が、嫌になるなんて!
 ありえない。信じられない。
 そんなことがあるはずがない。

 もしかしなくても誰かがモテまくる路江を逆恨みして、交際の邪魔をしているのではと俺は本気で考えた。
 俺が、兄貴分でもある俺が、良からぬ奴等から路江を守ってやらねばならぬ。
 だから俺は、路江が危険な目に遭わないようにと出来得る限り側にいてやり、部活後(俺は剣道部、路江も後から入ってきた)は護衛も兼ねて一緒に帰ったり、それとなく守ってやっていた。のだが。
 あれは確か、高校一年ぐらいの事だったろうか。

 路江が、学校一番と噂されていた清楚可憐でキラキラした瞳と大きな胸をした美少女に『つき合ってほしいお試しでも良いから駄目だったら諦めるから!』とちょっとでもなく強引に半ば押し切られるようにして交際を始めたことがあった。
 そんな羨ましすぎる、いや、自他共に認める美少女だ。今度こそはさすがに別れる事なんてないだろうと皆が思っていたが──
 あれはもしかしたら、最速記録だったかもしれない。


 多くの生徒の嘆きと羨望をうけて始まった美男美女カップルのお付き合いは、なんということか……三日にして、終わりを告げた。


 なんでそれを俺が知っているのかというと、件の美少女が放課後の教室で悔し泣き怒りしながら路江を怒鳴りつけている現場に遭遇してしまったからだ。他の生徒も教室の内外に数人いた中で。

 美少女は眉と目をつり上げて、指を突きつけて路江を糾弾していた。

『なんでなの!? なんで私に手を出してこないのよ! この私にここまでさせるなんて……むかつくったらないわ!! あんたちょっと頭オカシイんじゃないの? バカなの? ていうか、なんでアンタの方から私の所に来ないのよ!! 私に何度も恥をかかせやがって……ちくしょう! 知ってる? あんた狙ってる女共に私、陰で笑われてんのよ!! アンタの所為よ! どいつもこいつもバカにしやがって! ああ、そうだわかったわ! あんた、不能なんじゃない? 絶対そうでしょ! アンタ、男としてもう終わってるんだわ! だからこの私を好きにならないし、アレが立たないのよ! このイ%#! いっそすり潰されてもげろ!!』
 ……などと、こっちの方が赤くなったり青くなったりするような放送禁止用語連発の捨て台詞を吐いて。

 あれはとても哀しい事件、いやトラウ、いや出来事だった……
 あの時、夢と幻想と理想の美少女像を木っ端みじんに打ち砕かれた男子はいっぱいいただろう。俺も含めて。
 ていうか、いったい何をどうしでかしてしまったんだよ、路江……


 後でさりげなく、彼女を怒らせてしまった理由を路江に尋ねてみたところ、

『諦めた方がいいのは俺にも分かっているから諦めようと努力はしているんですけど、どうにもこうにも諦めきれなくて。それがどうしても邪魔しちゃっていて、身体の方にも影響が出てしまっていて、いやもうほんとう参ってるんですよ、草太さん』

 という答えを返された。
 よくわからん。
 よくわからんが、路江が何かに参っていて、何かをどうにかして諦めようとしている、という事だけは分かった。

 それは分かったけれども、何を諦めようとしているのかまでは何度聞いてもはぐらかされるばかりで、結局、分からないままだった。

 
 路江が諦めなければならないものなんて。
 そんなもの、在るのだろうか?
 

 いや、あるはずがないだろう。
 何でも出来る、老若男女誰にでもモテる、望めば何だって手に入るだろうあの路江が諦めなければならないものなんて。そんなもの、あるはずがない。


 そうは思っても、結局それは分からないまま、時間は刻々と過ぎていき。

 路江の方はというと、それ以降、お試し付き合いみたいなことをしなくなっていた。


 細かい時期は忘れてしまったけれど、高校もあとちょっとで終わりそうな頃の帰り道、ふと昔を思い出して気になった俺は、路江に、どうして《お試し付き合い》するのを止めたんだ?と聞いてみた。
 すると路江は俺を振り返り、諦めたようなどこかスッキリしたような何かを決めたようなよく分からない微笑みを浮べて、

『いろいろと頑張ってはみたんですが、もうこれはどうやっても無理だということが分かりましたので。申し訳ないとは思っているんですが諦める事を諦めましたごめんなさい、草太さん』

 と、やっぱりよく分からない答えを返された。

 何故か謝られた。
 え、なんで路江は俺に謝ったんだろう。
 よくわからない。
 意味不明だ。


 そんな事があった所為……かどうかは分からないけれど。
 いつしか路江には、《残念なイケメン》《残念王子》《超絶難易度の隠しキャラ王子》《攻略ルート解放は何週目からですか》《王子をその気にさせた勇者には賞金贈呈、一口千円から参加OK》という不名誉なあだ名がつけられてしまっていた。
 最後の方はあだ名……ではないな。付けたヤツ誰だよおい。ていうか賭けにすんなよ。捕まるぞ。ていうか捕まってしまえ。


 そんな残念レッテル(?)をいつしか貼られるようになってしまっていた路江だが、頭と運動神経は学校一といっても過言ではないほど抜群にというかずばぬけて良く、物腰も穏やかで品行方正な完璧優等生だったから、先生からの評判はすこぶる良かった。

 
 俺はというと……標準(のはずだ)の背丈、細い身体(筋肉はしっかりついている。誰が何と言おうと付いているんだからな!)、黒い髪に黒い瞳(路江だけは夜空色で綺麗と褒めてくれる)、顔の作りも標準の水準にはどうにか乗っている(路江だけは恰好可愛いといつも褒めてくれる……可愛いだけは余分な気がする)、奥ゆかしさをよしとする極一般的な日本人男性だ。

 恋人は……まあ、あれだ。学生時代は友人達とつるんでいるほうが楽しかったのだから、別にそれはそれでいいのだ。後悔なんてしていない。路江を羨ましいなんて思ってなんかいないから。いないからな。ああそうだとも。
 俺にとっては、辛いこともあったけれども楽しく充実していた学生生活だったと思う。
 

 そしていつも、学校でも、家でも、路江は常に俺の隣にいた。
 それこそ朝から晩までという事も多々あった。


 路江がとても俺に懐いていて事あるごとに追いかけてきていたのもあるけれど、路江の両親は仕事で家にいないことが多かったのも要因のひとつだ。
 だから俺の家によく来ていた。
 というか、連れてきていたと言ったほうがいいかもしれない。
 家にご両親がいないときはうちに来なさいね、と俺の母も路江に言っていたし、俺も路江に、一人の時は俺の家に来いよと言っていたから。

 俺の部屋はいつしか俺と路江の二人部屋みたいになってしまっていたけれど、それにも別段不満はなかった。

 だって路江は俺の弟みたいなものだったし、一緒に遊ぶのは俺も嬉しいし楽しいし、安心だったから。
 それよりも、たった独りで誰もいない家に淋しいと静かに泣く路江がいる場面を想像するだけで、心臓が痛くて、苦しくて、心配で心配で心配しすぎてこっちの方が眠れなくなってしまう。


 路江は、お姫さまではなかったけれどもとても良いヤツだ。
 自分の容姿や能力を鼻にかけて自慢したことなんて一度も事もないし、誰かに嫌みを言ったり貶めたりする事もなかった。

 いつもニコニコと穏やかに笑っているのが常で、困っている人がいれば必ずと言っていいほど手を差し伸べる。
 電車やバスで座れないお年寄りがいたら席を立って譲るし、子供が泣いていれば目線を合わせて話を聞いてあげている。

 本当に、良い子すぎるぐらいに良い子なのだ。

 端で見ている俺の方が心配して、世の中には良い人顔して近づいてくる悪い人もいるんだからあまり信じ込みすぎるなよと諭し、あれこれとフォローを入れてしまうぐらいに。

 お姫さまではなかったけれども(大事な事なので何度でも言うからな)俺を慕って俺を追いかけてくる純粋無垢な路江は、やっぱり可愛くて、俺が守ってやらなければならない対象で、放っておく事などできやしなかった。

 それに、兄は3人もいるけど弟のいない俺にとっては、初めてできた《弟》みたいなものでもあったから。
 
 
 純粋で心優しい路江を、俺がしっかりと手を引いて、悪いヤツ等から守ってやらなければいけないといつも思っていた。
 
 弱きを助け、悪しきを挫く。
 姫や皆を守れる強い騎士であれ。
 
 まあそれはちょっと口に出すには恥ずかしすぎる歳になってしまったから絶対に口が裂けても言わないが、それが今も昔も俺の掲げる信条であり、理想の男であり、ヒーロー像なのである。
 






 そうして月日は過ぎゆき、俺と路江は大学を無事卒業した。
 

 その後、路江は、路江の父さんが勤めている外資系の大きな会社へ。

 俺も誘われたけど、それは丁重に断った。
 能力に見合ってないことは自分でも分かりきっていたからだ。たとえ入れてもらえたとしても、続かないだろうと思った。
 だって英語は俺の苦手科目のひとつだ。取引先に英語圏の会社がいくつもあると聞けば、そりゃもう及び腰にもなるだろう。
 よって俺は、世の中の学生たちと同じく国内の会社を探しては就活行脚し、そして最後に行き着いた建築デザイン関係の会社に拾ってもらえた。
 小さな会社だけれども居心地は良い。
 今もそこで順調に……でもないときもあるけれど、それなりに働いている。




 会社が自宅から遠い事もあって、家を出て近場のアパートにでも住むことを決めた時。
 路江のヤツが、俺も家をでます、一緒にルームシェアしませんか、と言い出した。
 
 先立つ資金が心許ない事もあって、じゃあ折半するかという話になり、それがいいその方が安心だと俺の両親も路江の両親も賛同して。
 そういうわけで、現在、俺は路江と二人で暮らしている。



 路江の父さんの知人のマンションの1部屋を貸してもらえて、家賃も安くしてくれた。

 ていうか……いいのだろうか。1年以上経った今でも、いいのかなこんなところ住んで、とちょっとばかり気が引けてしまっている。
 だって、俺みたいな安月給では到底借りれないほどの大きな高級っぽい部類にはいるマンションなのだ。

 申し訳なさすぎて最初は断ったが、空き部屋があるのはよくないし世話になってるからといって快く貸してくれたその人、大雲宗円さんにはものすごく感謝をしている。本人いわくしがない末端の小説家で、時代劇っぽいものを主に書いている。らしい。

 ……名前が恰好良くてちょっと羨ましいのは秘密だ。
 だって俺なんか草太だからな。雑草のように強く生きろという意味を込めたらしい。ありがたい事ではあるけど、他になかったのだろうか。もっとこう、草一郎とかさ! 路江は、自然に優しい感じで可愛いですよ、って言ってくれるけど、可愛さは不要なのだ。それは全く求めていない。



 路江との生活は、いたって順調だ。

 路江は料理が出来るからそっちの方面は任せて、俺は洗濯や掃除を主に担当している。
 路江が食べたいとねだったり、忙しい時は逆転して、俺が食事の用意をしたりする。

 二人とも映画が好きだから、映画館に観に行ったり、借りてきては二人でビールとツマミ片手に部屋で観たりもする。時には一緒にゲームだってする。
 
 順調で快適なのは良い事だが、あんまりにも順調で快適すぎて、いつかこの生活を手放せなくなったらどうしようかと思ってしまうくらいだ。
 ただ。


 こんなにも幸せに過ぎる生活が、いつまでも続くことはないのは、俺にも、ちゃんと分かっている。

 ならば楽しもうと、終わりが来る日を気にするよりも、開き直ってこの楽しき日々を楽しんだらいいじゃないか。そう、思うようにしている。

 それから、もし路江から《終わり》を告げられたら、潔く俺も笑って了承するつもりでもいる。

 きっと、終わりを決めるのも告げるのも、路江からだろう。

 何故なら、路江はなんだかんだ言ってお金持ちで良い奴でイケメンだからだ。
 同僚の女性がよく言っている、優良物件、ってやつだ。

 きっとその内には素敵な女の人が現れて、そうしたら路江もきっと恋に落ちて。
 そして……一緒になろう、と思うだろう。


 それはいい。別に、いいのだ。
 路江が。俺の大事な弟分が幸せになるのは良い事だ。
 本当に、ものすごく良いヤツなのだ。
 あいつは幸せになるべきだ。なるべきなのだ。

 胸がやたらと痛くなるのは大事な弟分がいなくなるのが少しだけ淋しいだけで、路江の幸せを願う心に一点の曇りも、偽りもない。
 ないが…… 


 …………それが、ずっと、ずっと先の事になればいい。


 そう思ってしまう自分が心の奥底にいて、それが浮かび上がってくる度に消すのだけれど、また何処からともなく現れては俺に囁いてきて、時々でもなく自己嫌悪してしまうのだけは……秘密だ。









「草太さん? どうしました? 風邪でも引きました?」

「えっ、いやっ、大丈夫! ひいてないひいてない。ちょっと、テレビ見てただけ」

 大人の男一人余裕で寝れるくらい広いソファー(俺と路江で折半で買った。これは良い買い物だった)の上に胡坐をかいて頬杖ついて物思いにふけってしまっていたら、いつの間にか風呂から路江が上がってきていた。

 路江がにこ、と笑って、俺の隣に腰を下ろしてきた。
 髪からはまだ滴がぽたぽたと落ちている。
 まったく。

 俺はヤツの首にかけられたタオルを取って、髪を拭いてやった。

 ヤツは少し頭を屈めて、気持ち良さそうに俺に委ねながら、目を細めている。
 まったく大型犬みたいだ。でかいしな。性質も毛並みもゴールデンレトリーバーにとてもよく似ている。気がする。あの馬鹿でかいのにどことなく気品漂う笑み顔の洋犬。 

 なにがどうして、こんなにでかくなってしまったんだか。

「草太さんの髪も拭いてあげますね」
 そう言うなり、ヤツが俺の後ろにまわり、俺を両足で挟むように座り込んだ。
「いい。俺はもう乾きかけてるし、もうちゃんと拭いた」
「そうですか?」
「そうだ! ──て、ちょ、おい、そうだって言ってるだろ!」

 何が楽しいのか、路江が笑いながらタオルで俺の髪を拭いてきた。態と強めに。俺の髪をくしゃくしゃにしながら。
 ……じゃれてきている犬みたいだ。いや、じゃれてきているのか。遊んでほしいらしい。
 まったく。いつまでたっても子供みたいなんだから。

「何か面白い番組やってますか?」
「ん─、とくにはやってないなあ……」

 背中の温かさに気が抜けてきて、思わずもたれてしまうと、長い腕が両脇から伸びてきて、俺の前で両手を組んだ。
 ……でっかい手だ。
 すぐ側にある俺の手よりも遥かに大きい。
 何を食ったらこんなにおおきくなるんだか。同じような食生活をしてきたはずなんだけどな。何処で差がついたのか。

「あ、草太さん。指先が荒れてる」
「え? あ、本当だ。昨日、倉庫の掃除手伝ったからなあ」
「また水仕事したあと放っておいたんでしょう。まったく……」
「なんだよー」

 いいじゃないか。別に。これぐらいどうってことない。

 そう言うのに、路江はソファーの横にあるテーブルからハンドクリームをとって、中身を自分の手に出してから両手をこすって広げ、俺の手に擦り付けてきた。

 気持ち良いけど、過保護だと思うのは俺だけだろうか。
 別に男の肌なんて荒れてたって構わないだろう。美に気を遣う女の子でもあるまいし。

 なのに、路江はこうして俺の状態をチェックしては、あれやこれやと塗ったり揉んだりしてくるのだ。それも楽しそうに。
 俺の、男の肌のメンテナンスをして何が楽しいのか。未だにこれも理解できない。

 またクリームを出しては、乾燥したらまたかゆくなりますよといって腕や肘にも更に塗ってきた。ちょっと過敏症の気のある俺は、確かに、そうではあるけれども。


「もう、いいから」
 足裏から脛、膝辺りまで塗り込み、腹にまでも塗ってこようとする大きな手を摑んで止めると、大人しく止まった。よかった止まった。ほっと胸をなで下ろす。まだ俺の言う事をきいてくれている。はず。まだ。


「草太さん……」
「んっ……」

 ヤツが、俺の首に頬を擦り付けてきた。首はくすぐったいからやめろといっているのに、またしてくる。最近は俺の言う事をきかない事も時々あって、対応に困──いや、生意気だ。路江のくせに。

 大きな手が静かに俺の寝巻きのズボンの中に入ってきて、俺は焦った。

「あっ、ろ、路江……っ」


 うあああああもう……!! また・・か……!!
 

 最近、路江は、やたらと俺に触りたがるのだ。
 最初は淋しかったのかなと思い、路江のしたいままにさせていたけれど、少しずつ、ちょっと過剰なスキンシップみたいにだんだんなってきて、今では、路江が──

 ──お互い溜まるのは生理現象でしょうがないことだし、此処には俺と草太さんだけしかいないんだし、誰もみていないし、なら触りっこしませんか、って。
 お互いに、発散しませんか、って。
 路江が、言うから。
 そうだなあ、悲しいかなお互いそんなことしてくれる相手の予定もまだないし、路江が一人でするより気持ちいいですよっていうからそれもいいかも、って、俺も思ってしまって、つい、頷いてしまった。けれど。
 

 ちゅう、と耳元で音がした。路江が俺の首に吸い付きやがったのだ。
「う、や、やめろ! あと、つけんな……!」
 
 強く吸われたら跡が残って困るのだ。襟首から覗いて見えて、言い訳に本当に困る。

「ああ、すみません。つい」
「つい、って、おまえな……──あ、あっ、んん……っ」

 俺のを大きな手が包んで、緩く上下し始めて、先端を指先でこじ開けるみたいに擦られて、俺の思考は一瞬で飛んだ。

「……ふふ。気持ちいいですか? 草太さん」

 路江が耳元で低く笑った。気がした。

 俺は余りに恥ずかしい問いに答えられなくて口をつぐむと。
 すっかり立ち上がってしまった俺自身を、根元から先端まで、親指を押し付けるように強めに擦られた。零れだしている白いものとクリームが混ざって、ぐちゅりと音がしたのが聞こえた。いやらし過ぎる音と手指の動きに、目の前と脳内が真っ赤に染まる。

「やっ、あ、あぁっ」

 呼吸が整わず、俺は荒く呼吸を繰り返す。
 俺の先端からとろとろと零れ続けるものを、ヤツが指で掬い取って、大きな手がゆっくりと持ちあがるのが視界の端で見えた。

 その内、ぴちゃり、くちゅ、と耳の後ろ辺りで音がした。
 
 嫌な予感がした俺は慌てて振り返ると、当たってほしくなかった予想通り、やつが俺ので濡れた指を舐めていた。とても、美味しそうに。

「ば、ばかっ! なにしてんだ路江! 舐めるんじゃない!」
「だって、とても美味しそうで」
「何処が!?」

 人のものなんて、何処が美味しそうに見えると言うのか。
 
 抗議しようとしたら、尾てい骨の下、尻の間に熱くて固いものを押し付けられた。

 それが何か俺には分かりたくなかったけど分かってしまって、思わず心臓と身体を跳ねさせた。

「ろ、路江……」

 なんでもう固いんだよ。
 そんなに、そんなにも溜まっているのだろうか。昨日も、したのに。

 大きな両手が胸の方まで肌を辿るように潜り込んできて、先端を摘まれた。

「やっ、あっ、やだ、それ! やめ、」
「嫌ですか?」
「あ、いや、だ……!」
「でも、身体は気持ち良さそうですけど。ああ、ほら。ちょっとずつ、固くなってきた」
「ひっ、や、あう、──あぁっ」
 一際強く引っ張るように摘まれて、それから先端を指先で回すように嬲られて、ビリビリと全身に電流が走ったような感覚がして、俺は背筋をしならせて必死に耐えた。

「あっう、うぅ……!」

 遊ぶようにまだ嬲っている指を止めようと掴んだけれども、思うように手に力も入らなくなっていて、どうにも引きはがせない。

 中途半端に放置された俺自身も、触られてもいないのに立ち上がって震えていて、さっきからずっと白いものを少しずつ零し続けていて、あまりにもはしたな過ぎて恥ずかしすぎて、神経が焼き切れそうだった。
 触ってくれないなら自分で擦って収めるしかないと手を伸ばそうとしたら、両手を摑まれた。
 どうして。

「や、ろ、ろえ……手、離して」

 返事はなく、手も離してくれなくて、ただ俺よりも更に荒い感じの息遣いが背後から聞こえてきてきた。
 餓えた獣みたいな息遣いが恐くなって、情けなくも身体が震えてきてしまうのを止められない。喰われる直前の動物の気分って、もしかして、こういう感じなのだろうか。体感なんてしたくもないのに。

「ひっ」
 ぐりり、と何度も相手の熱くて固くなったものを、尻の狭間に強く押し付けられた。
「……草太さん。此処で、擦らせてもらっても、いいですか」

「こ、こすって、って……わ、あっ!?」

 背後からソファーに押し付けるようにして倒されて、少しだけ手荒にズボンとパンツをずり下ろされた。

 慌てて体勢を整えようと肘と膝に力を入れて起き上がろうとしたけれど、それよりも早く、熱くて固くてぬるりとした長大なものが股の間に捩じ込まれた。
 まるで塗りこめるように、濡れた先端がゆっくりと行き来しはじめる。
 自身の根元あたりを何度も突かれて、あまりの強い刺激に俺の意識は徐々に朦朧とし始めて、俺はまだ諦めていないというのに情けなくも身体の方はもう既に逃げることを諦めてしまっているのか、いくら動かそうとしても動かない。どころか、四肢に力が入らない。

 そのうち肘の力が抜けて上体が倒れ、俺はソファーのクッションに顔をうずめた。うずめるしか出来なかったともいう。

 大きなヤツの両手が俺の尻を摑んでいるから、腰だけは倒れこまずに済んでいるけど、それはそれで嫌すぎる体勢だった。

「あっ、あっう、あ」

 聴くに耐えない粘着音と水音がしてきて、神経が焼き切れそうな気分になる。
 何度も柔い部分を強く擦られて、痺れるような感覚が全身を駆け巡って、頭がくらくらして、頭の中も、身体も、どこもかしこも熱くてたまらない。

「や、ろえ、やっ……ちょ、と、待っ、まって、あっ」

 待てと言ったのに、路江は止まらない。
 本当に、最近は言う事を聞かない事が多くなった。特に、こういう時。

 何度も擦られて、突かれて。

 訳が分からなくなった頃に、ぐちゅり、と穴の辺りから俺自身の先端まで勢い良く強く擦られて、一際強い震えのようなものが身体の中心を駆け抜け、俺はイった。

「あ……」

 続いて、熱くぬめる相手の出したものが、尻の狭間にぶちまけられた。背中にも熱い飛沫が当たったのを感じた。脚を伝って流れ落ちていく熱い相手のものに、身体がどうしてなのかまた熱くなりそうになってきて、それを抑え込みながら必死に耐えた。

 二人分の荒い息遣いが、やけに部屋に響く。

 手を離されて、俺はそのままソファーに倒れて、朦朧とした意識を保てたのは其処までだった。


「草太さん……良いですよ、寝て。後は俺がしておきますから」

 俺の肩と背中と項と後頭部に唇を何度も押し付けながら、路江がいつもの優しい声音で囁いた。
 俺はその声を聴いて、ほっと安心してしまい、こくりと頷いた。


 温かい蒸しタオルで拭かれて、軽く抱き上げられて、ベッドに寝かされて。

 布団を掛けられると同時に、背後に、温かい身体が潜り込んできて。
 
 大きな身体に抱き込むみたいに抱きしめられて、耳元で何かを囁かれたけど。
 あまりに眠くて、次第に暗くなっていく意識の中で、それを聞き取ることはできなかった。
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