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第七章
ダンジョン良いとこ一度はおいで
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大きな敷石が整然と敷き詰められた広場の真ん中に、幾分かスケールダウンするが、ギリシャのパルテノン神殿に似た建造物が建っていた。
この神殿が建つ広場の地下に所謂ダンジョン、「灰色の迷宮」があるという。
昨日、冒険者登録を済ませ、さっそく灰色の迷宮に訪れた。
広場には神殿を取り囲む形で、様々な露店が軒を連ねていた。
それと、分かりやすく武装した冒険者と見受けられる人々に、ダンジョンには似つかわしくない、場違いなほど非武装の一般人と思わしき人々も見受けられた。
一般人と思わしき人々は、実は観光客だ。
ロークに教えてもらったのだが、灰色の迷宮の地下一階から地下三階までは、魔物やモンスターはほとんど出現せず、出てきたとしても弱いものしか出ないという。
そこに目を付けたのが、昔のタカハの街の人たちだ。
元々辺境にほど近いタカハの街には、冒険者ぐらいしか寄り付かなかった。それでもどうにかタカハの街を活性化させようと苦心に苦心を重ね、プロ〇ェクトXさながらの遠大な計画を打ち立てた結果、冒険者ギルドと業務提携を結び、元の世界風に言うところの冒険者ギルドとコラボして、灰色の迷宮を共同で整備して管理下に置き、冒険者と共に地下一階から地下三階を巡る、「灰色の迷宮見学ツアー」を始めたのだ。
信じられないことに、この目論見は大当たりした。灰色の迷宮は一大観光地と化して人を呼び込み、タカハの街は栄えるに至ったという。事実は小説よりも奇なりとは、正にこのことだ。
「早朝から来たのは正解だったな。思っていたよりも人が少ないや」
それでも広場に軒を連ねる全ての露店が、既に営業を開始していた。
「こんな朝早くから店を開けているとはね。その営業努力には頭が下がるよ」
元商人として感服しつつ、軒を連ねる露店に目を配る。
観光客向けのお土産品と思われる物も販売されているが、ランタンやロープに非常食など、ダンジョン探索で必要とされる物を扱う露店の方が多い。
昨日、ダンジョン探索に備えて色々と必要そうな物を、別の露店通りを回って集めたが、ざっと見る限り値段も品揃えもあまり変わらないようだ。
「フ~ン、ここで手に入れられるのは便利だな。色々揃っているけし、まあ、でも、流石にポーションや毒消し薬とかは無いか」
ポーションや毒消し薬などの薬品は、薬剤協会が独占管轄しているので、基本的にその直営店でしか販売していない。と言うよりも、直営店でしか販売してはイケナイ。そもそも法律でそういうように定められているのだ。現代日本でも薬剤師が居ないと、それなりの薬が販売できないように、この異世界でもその辺の事情は一緒だ。
「まあ、露店に直営店があっても、貧乏人には買えないけどね……」
ポーションの値段は高い。効果の薄い等級が低いものでも、結構なお値段をする。新人の冒険者にはとてもじゃないが手が出せない。なんせ元の世界のなんでも簡単に揃う日本にも存在しなかった、飲んだだけで傷が癒せるというチートな代物だ。それなりの値段がするのもやむ得ないだろう。
贅沢言えば、等級の低いポーションでも構わないので、本当は保険がてら欲しかったが、こればっかりはしょうがない。一応、強化外殻は結構防御力が高いみたいだし、自動回復なんてスキルもついているからなんとかはなるだろう。流石に試すことはできなかったので、どの程度のものかわからない不安があるが。
広場の中央の神殿の中へ入ると、既に幾人かの人で賑わっていた。
神殿内部の中央には地下へと続く大きな階段があり、そこに列をなす幾人かの観光客と、ツアーガイドよろしくにこやかに案内の声を出す冒険者。手前には長机のカウンターと、その周りに灰色の迷宮を管理していると思しき係の者が数人詰めていた。それと奥の壁には四つの大きな扉が設置されていて、右側の扉二つに数は少ないが冒険者が並んでいる。
奥の壁に設置されている大きな扉は、恐らく昇降機だろう。昇降機が設置されているおかげで、灰色の迷宮の地下一階から地下十九階までは、簡単に行き来することが出来るという話だ。ただし、灰色の迷宮への入場料とは別に、昇降機の使用料金が発生するという。ダンジョンの沙汰も金次第ってところか。
それにしても昇降機に並ぶ冒険者と、ツアーガイドの冒険者の雰囲気があまりにも違い過ぎる。片や完全武装の上、動きに邪魔にならない程度のナップザックなどを背負い、片や鎧も身に着けず軽装で、小型の武器しか携帯していない。
「ガチ感の違いがハンパないねぇ。これが同じ冒険者とは……。まあ、ツアーガイドは新人冒険者の、イイ小遣い稼ぎになってるって話だしな」
一先ず灰色の迷宮の入場料を払おうかと思い、手前の長机のカウンターに近づくと、係人の小太りのおじさんが声をかけてきた。
「ようこそ灰色の迷宮へ。冒険者の方ですかな?」
「ええ、入場料は、こちらで?」
「こちらで承っておりますぞ。昇降機の使用もご希望かな?」
「そっちも合わせてお願いします」
「それならこちらに名前を記載いただき、銀貨一枚をお納めくだされ」
手渡された紙には冒険者らしき者の名前が、番号順に名簿みたいな形で書かれていた。
名簿に名前を書き、係人のおじさんに灰色の迷宮への入場料と、昇降機の使用料を合わせて銀貨一枚を支払った。
これで最低でも、この灰色の迷宮で銀貨一枚以上の稼ぎが無ければ赤字か。これまでの路銀もあるし、無駄には出来ないな。
係人のおじさんから、同じ番号の書かれた木札を2枚受け渡された。
「昇降機前の係の者に、それを渡してくだされ。行き帰りで1枚づつになり、無くしても再発行は行いませんから、その時は新たに購入してもらいますぞ」
木札に書かれていた番号は、名簿の番号と一致していた。恐らく登山届みたいなもので、灰色の迷宮に入った冒険者の、生存確認の意味合いもあるのだろう。何日か経過しても戻ってこない者は、そういう結果になったってことだ。
係人のおじさんに礼を述べて、昇降機へと続く列に並ぼうとした。
「冒険者の方よ。ここ灰色の迷宮には、初めて訪れたとお見受けするがどうじゃな?」
「そうですね」
係人のおじさんは感嘆の声を上げた。
「オオ、やはりそうでしたか! それならばダンジョン探索の参考に、この灰色の迷宮についてご説明しましょうか?」
一応ロークからそれなりに聞いてはいるけど、何か新しい情報があるかもしれない。ここは素直に聞いてみることにした。
「では、お言葉に甘えて」
係人のおじさんが妙に芝居がかった口調で話を始めた。
「すべての始まりは今より百五十年ほど前、それまで草原が広がるだけのこの土地に、突如としてしたダンジョンが現れた。元々魔物やモンスターの多い土地ではあったが、これには周辺に住まう者たちも大層驚き、危機感を募らせ――」
フムフム……。
「――目を付けたのが、稀代なるアルケミスト、ショー・タローク・サマーである。彼の数々の業績は言うに及ばず、この当時ですら既にその名声は周辺諸国に轟いていた。それにしても、彼は如何にしてその稀有な才能を開花させたのであろうか。その答えは――」
その辺は割と有名だし、この辺の生まれじゃないオレでも知っているな。
「――した状況を打破する為に決行された。しかし、この目論見は残念ながら望ましくない結果をもたらした。これまで賛同していた友好国までもが、手の平を反すように同盟関係を打ち切り、周辺諸国から益々孤立していく形となった。そして、最悪の一手が選択される。世に言う「灰色の動乱」の始まり――」
……話違うくない? 灰色の迷宮の事と言うよりも、ショー・タローク・サマーと灰色の一族の内容しか出ていないような。それと長くない? もう二十分近くおっちゃんしゃべりまくっているけど……。
「あの、ちょっとすみません! ち、因みになんですけど、このお話って後どれくらいで、終わるのかな~~なんて?」
係人のおじさんが嬉しそうに答えた。
「今が三割ぐらいですので、まだまだ七割ほど残ってますぞ」
「今が三割で⁉ 残り七割も⁉」
長ぇよっ! いくらなんでも長すぎだろ! それになんでそんな嬉しそうなんだ?
「ええ! そろそろ黎明編が終わりますから、その次に飛翔編と黄金編に続いていきまして――」
なんだよ、そのタイトルは! 大河ドラマかよ! 親切心からやってくれているから、なんか文句言いづらいんだけど……。
「ちょちょっと待って下さい! 確かに興味深いお話ですけど……。これって歴史のお話ですよね? この辺一帯の。あの……出来れば灰色の迷宮の利用方法や、注意点などを聞きたいのですが……?」
係人のおじさんがどこか悲しげな表情を浮かべた。
「歴史はいらないと……?」
なんだろう? この不思議な罪悪感は……。
「いや、いらない……って訳じゃないんですけど、今回はちょっと……ね。これ以上はご遠慮したいかなぁ~~と」
「これからインテリジェンスでスペクタクルかつ、壮大でダイナミックな展開になっていくんですけど……それでもいらない?」
それはそれでスゲェ気になるんだけど……。
「取り敢えず今回はこの辺で……大丈夫です。また別の機会があったら、その時にでも」
この世の終わりと見紛うばかりに、係人のおじさんのテンションが急降下した。
「そうですか……」
そんなに? いくらなんでもヘコみ過ぎじゃない? その歴史の説明に、おっちゃんの何があるの?
そんなヘコンダ状態でも、係人のおじさんは丁寧に灰色の迷宮の利用方法や、注意点などを説明してくれた。ただ残念なことに、ロークから聞いた話以上の情報は無かった。
なんか切ないね、色々と……。
受付で時間を食っている間に気が付くと、昇降機へと続く長い列ができていた。
並んでいる冒険者たちをざっと見渡す。
冒険者ギルドではあれだけ騒がしかったのに、列に並ぶ冒険者たちは皆一様に口数が少なく、緊張した面持ちだ。
無論、余所行きの装いでお利口さんにしている訳ではないし、そんな気遣いを持ち合わせている冒険者など居はしないだろう。皆がなん階に向かうか知れないが、少なくても目的地が観光対象の地下一階から地下三階なんてことはあり得ない。向かうはその先、地下四階以上の魔物やモンスターが跋扈する危険地帯だ。冒険者と言えど、はしゃいでばかりはいられない訳だ。
フムフム、今ここにお並びの方々は、灰色の迷宮に初めて挑む吾輩にとって、諸パイセン当たる訳だ。現代日本からの転生者としては、個人情報保護法やコンプライアンスがいささか気になるところだけど。
目の前に並んでいた鎧を身に纏う獣人の若い男に、鑑定のスキルを使用した。
ウインドウが出現して、情報が表示される。
犬人種:男:戦闘力D+。
鑑定情報はこんだけ? えらいサッパリしているな。まあ、いいや。取り敢えず戦闘力はD+か。一般的な冒険者ぐらいの強さってとこだな。今ここに並んでいる連中の強さが、灰色の迷宮に挑む上で参考になると思うんだよね。
続けて並んでいた他の者も鑑定したところ、戦闘力はほとんどがDからEであった。
ここに並んでいる連中と比べると、オレの戦闘力はAなので全然高い。それで考えると、灰色の迷宮って余裕じゃん! って思っちゃいたいところだけど。オレ意外みんな三、四人のパーティなんだよね。総合的に考えると、差し引きゼロって感じかな?
因みに、先程の係人のおじさんにも鑑定をかけたところ、戦闘力はCだった。意外に高い。
そんなことを考えているうちに、行列の最前列に辿り着いた。
昇降機の係人の男に、番号の書かれた木札を渡した。
「一人か……?」
「ええ、そうです」
係人の男が怪訝そうな表情を浮かべた。
「見覚えが無いが、ここは初めてだよな?」
「まあ、そうですね」
係人の男は何か言いたげであったが、自分には関係ないとばかりに飲み込んだ。
「フ~~ン、まあ、いいや」
この反応、やっぱりソロは普通じゃないのか。イキった奴が来たなって思われていそう。
係人の男に促されて片方の扉の前に進むと、別の係人の者が観音開きの大きな扉を開けてくれた。
昇降機の内部は大人が十人ほど入りそうなほど広く、壁に大きなダイヤルとレバーが数本生え、その前に三十代ぐらいの係人らしき男が居た。
エレベーターガールならぬエレベーターボーイの男が、ぶっきらぼうに尋ねてきた。
「なん階だ?」
「十階でお願いします」
ロークに聞いた話だと、灰色の迷宮は地下四階から地下九階までは初心者向けで、地下十階から十九階が中級者、それ以上の階は上級者を対象にしていて、階層によって出現する魔物や、モンスターの強さが変わるという。
最初は冒険者のルーキーらしく四階から挑もうかと考えていたが、昇降機に並んでいた冒険者たちを鑑定して気が変わった。自分の戦闘力なら中級者が対象の十階からでも問題ないように思える。それと、不思議と妙に自信もあった。
何より灰色の迷宮に来た目的は、観光でも冒険者として経験を積む為でもない、金を稼ぎに来たのだ。強い魔物やモンスターほど、倒した際のリターンが大きい。それなら十階から挑んだ方が、実入りも良いってもんだ。
先程の昇降機前の係人の男の態度と違って、エレベーターボーイは声すら発することなく、分かったとばかりに手だけを上げた。
間を置かずに冒険者たちが、次々と昇降機に乗り込んできて、目的の階を告げていく。
そして、昇降機内は満杯となった。
けたたましいベルの叫び声の後、昇降機がゆっくりと地下に沈んで行く。
「ダンジョン」、それはこの世界に古来から存在し、ある意味、身近な存在だ。
しかし、未だにそのメカニズムの大半は解明されておらず、多くが謎に包まれている。
さて、ダンジョンとは一体なんなのか? 結論から言ってしまえば、ダンジョンの正体は「魔物」である。
瘴気の濃い地域からは強い魔物が生まれるが、更にマナの力が強く加わると、「強化種」なんて呼ばれる非常に強力な魔物まで生まれる。
だが、実際はそんな簡単な話ではない。
転生前に元の世界さんから受けた授業で、その辺りを詳細に教えてもらったのだが、中々小難しい内容でオレの足りない頭では、すべてを理解することはできなかった。
最もテストの際には、その辺りの部分は一切出てこなかったので、元の世界さんの方でも、オレが理解できるとは思っていなかったのだろう。
まあ、実際その通りなんだけどね。
それは兎も角として、土地の因果関係に現存する有機物や無機物の種類、その他諸々色々な要素にマナや瘴気の効果が加わると、時として常識を覆すほどの巨大な魔物が誕生することがある。
つまり、それが「ダンジョン」だ。
ダンジョンも魔物の例に漏れず、生ける者に対して危害を加える性質を持っている。
これは「魔物」の発生源になる「瘴気」の変質元である「毒素」による影響だ。
世界に深刻な損害を及ぼす存在であり、転生する原因にもなった「毒素」とは、簡単に説明すると「負の念」である。
妬みや恨みに憎しみ、絶望や失望に欲望、怒りや嫌悪に軽蔑などの「負の念」が、生きていく過程で魂に蓄積されて「毒素」となるのだ。
大元が「負の念」である為、「魔物」が生ける者に執着して、危害を加える性質を持つのも致し方ないだろう。
唐突だが、ダンジョンの中には魔結晶鉱石、大量の瘴気やマナの影響で変質したレアメタルのことだが、これが大量に埋蔵している。
それと魔石だ。魔法具を作成する上で欠かすことのできない魔石は、常時から引く手あまたで需要が高く、ダンジョンには魔物が数多く生息するおかげで、結果として魔石も大量に存在することになる。
それらを求めて人はダンジョンに群がるのだが、実はコレ、エサなのだ。
人に危害を加えたくても動くことができないダンジョンが、人を誘き寄せるために仕掛けた、エサなのである。
全く良くできているよ。ホント感心する。
そんなことは露とも知らずに、多くの冒険者たちが今日も今日とてノコノコと、エサにつられてダンジョンにやって来ている訳だ。オレ自身も含めてね。
しかし、人の方も負けてはいない。
自分にはできなかったダンジョンの成り立ちや仕組みを理解し、その思惑を逆手に取った者が居る。
その者はタカハの街の創設者であり、不世出のアルケミスト、ショー・タローク・サマーだ。
この地に出現したダンジョンを制御し、安定して魔結晶鉱石や魔石を取得できるように改造して出来上がったのが、「灰色の迷宮」だ。最も現在では魔結晶鉱石の方は既に採り尽くされていて、今ではほとんど残っていないという話だ。それでも魔石に関しては、今だに多くの者に恩恵を与えている。
ただ、ショー・タローク・サマーが魔結晶鉱石や魔石を取得する目的で、「灰色の迷宮」を改造したかと言うと、どうもそうだとは断言できないらしい。歴史学者によっては異論があるそうだが、一説によるとショー・タローク・サマーは、何かの研究目的の為に「灰色の迷宮」改造し、誰も確認できていない最下層には、その研究施設が存在するという。
中々興味深い説ではあるが、それを確認しようにも、「灰色の迷宮」の最下層へ到達できた者は、未だ誰も居ない。オマケに、ダンジョンが改造されたのが百五十年も昔の上、その後の「灰色の動乱」の影響による混乱もあり、それを裏付ける決定的な証拠は残されてはいない。今となっては、真相は完全に藪の中である。
地下十階で昇降機から降りたのは、自分一人だけであった。
灰色の迷宮は地下に構築されている割には、湿気がこもった感じはなく、何か空調機能でも働いているのか、思いの外カラッと乾燥していた。
天井や壁は神殿と同じように石造りになっていて、通路の幅はかなり広く、大人が六人ほど一度に通れる位あった。
それと、天井や壁が青白く僅かに発光している。少々薄暗いではあるが、ランプや松明が必要ない程に光源があった。
「……ダンジョンの中って、こんな感じなのか。通路も広いし天井も高いな。もっと狭く陰鬱でカビ臭い所だと思っていたけど……」
物珍しさから、辺りをキョロキョロと見渡す。
これはなんだろう……? 黒い靄みないな物が漂っているな。
この世界で四十年近く生きてきたが、ダンジョンに入るのは生まれて初めてだ。と言うか、魔物やモンスターとも、これまでに一度として戦ったことは無い。
これが自分だけかと言われれば、そんなことはない。一般的な人は皆そうだろう。異世界とは言え、普通に暮らしていれば、そういうものとは無縁の生活を送る。日常から危険が転がっている訳ではないのだ。
それに、普段から魔物やモンスターと戦ったり、ダンジョンを探索をする者は冒険者ぐらいだ。一般ピーボーは勿論、兵士でも向こうから害をなさない限り、自ら進んで魔物やモンスターと戦うことは無い。
そもそも冒険者の類はアウトローな存在な訳で、好戦的で一攫千金や名声を求める者が多く、一般常識とは異なる行動原理で生きている。だから、魔物やモンスターと戦ったり、ダンジョンを探索したりするのだ。正直、まともじゃないと思うが、悲しいかな現在は自分も、その仲間に入ってしまった。
「展開」
魔光ブラスターが出現し、視覚の中にサイトが表示される。
目の前の通路は一直線に伸びていた。
マップウインドウを開き、サーチのスキルをかける。
自分がまだ足を踏み入れていない、マップのグレーアウトになっている部分に、赤い光点が幾つも現れた。
マップの光点の色には意味がある。緑色は人を表し、黄色はモンスターを示す。そして、赤色は魔物という意味だ。
「結構広い感じだな。それに、やっぱり魔物が居るねぇ……」
当たり前だが、ダンジョンには魔物が付きものだし、魔物の存在しないダンジョンなんて存在しない。なんせダンジョン自体が、魔物その物なんだから。
マップを見る限り、ここから五十メートル先の少し広くなったスペースに、赤い光点が三つ示されていた。
「実戦」そんな言葉が頭をよぎった。
魔物やモンスターと戦ったことは無いが、戦いに慣れていない訳ではない。文字通り真鉄人君と死ぬほどやり合ってきた。
だが、真鉄人君と行っていたのは、あくまでもスパーリングだ。内容はどうであれ最終的には回復し、元の状態に戻る。
しかし、「実戦」は違う。判断を誤れば怪我をするかもしれないし、最悪、死に至る可能性だってある。
「緊張してきたな……」
正直ビビっていた。鼓動が速くなるのを感じ、息苦しさを覚える。
「大丈夫、大丈夫。昨日はヤレていたじゃないか」
自分を言い聞かせるように呪文を発しながら、昨日のことを思い出す。
冒険者登録を済ました後で、また街外れのあの小川の辺に戻った。人の目が無いこともあり、転生前に異世界ちゃんより授けられた「異世界殺法」など、他にも色々と試してみたが、全く違和感なく思い描く通りに体を動かすことができた。
四十年以上前に転生したからと言って、何一つ忘れているってことは無かった。それなら自分の戦闘力からいって問題ないだろう。何より魔人に改造されたのは伊達じゃない筈だ。
「ヨシ、行くぞ!」
覚悟を決めて、足を踏み出した。
辺りは静寂に包まれていて、自分の歩く音だけが響いてくる。
薄暗い通路の先に、朧気ながら姿が見えてきた。
この距離でもイケるかな?
疑念を抱きながらも、鑑定のスキルを使用する。
マッドハウンド:魔物:戦闘力D。
お、イケた! 戦闘力はDだな。こっちはAだし、全然上だ。
戦闘力の差に少しばかり安堵を覚え、更に歩を進める。
マッドハウンドの輪郭が段々とハッキリと見えたきた。ブルドックと闘犬を掛け合わせたような筋骨隆々の厳つい姿に、全長は3メートル近くもあるように見受けられる。
そいつらが三匹、薄暗い通路の真ん中で、我が物顔で寝そべっていた。
……あの顔で戦闘力Dなの? マジ⁉
深く深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。それでもどこかフワフワと落ち着かない感じが拭えない。
あの感じだと、こっちには気づいていないよな? それなら先手を取れば……。
一番手前のマッドハウンドに向けて、魔光ブラスターを構える。
視覚に投影されているサイトを使って慎重に狙いを定めるが、どこがユラユラとして安定しない。
冒険者としてヤッていくと決めたんだろ? だったらここで怖気づいてどうする!
意を決して、魔光ブラスターの引き金を引いた。
閃光が瞬く間に発射され、狙い通りマッドハウンドの頭部を貫いた。
マッドハウンドは断末魔を上げることすらなく、霧散するように消えて居なくなった。
残りの二匹のマッドハウンドに、こちらに気付いた様子は見られない。未だ悠々と寝そべったままだ。
続けて狙いを定め、魔光ブラスターの引き金を引いた。
今度も狙い通りに、閃光がマッドハウンドの側頭部を貫き、霧散するように消えて居なくなった。
ここにきてようやく事態に気が付いたようで、三匹目のマッドハウンドが寝そべっていた状態から立ち上がり、こちらに顔を向けた。
すぐさま狙いを定め、魔光ブラスターの引き金を引く。
マッドハウンドの顔面を、正面から閃光が貫いた。
そして、これまでと同じように、マッドハウンドは霧散するように消えて居なくなった。
魔光ブラスターを構えたまま、暫く周りの様子を窺う。
辺りは静寂に包まれ、特に異常は見られない。
「……あれ⁉ これで終わり?」
二つの人生を含めて初めての実戦は、余りにもあっけなく終わった。
マッドハウンドの居た場所には、ゴルフボール程のベージュ色した鉱石のような物が転がっていた。
それを拾い上げて確認する。
「……魔石か」
魔法具の材料として欠かせない魔石は、魔物やモンスターから取得できる魔力を帯びた鉱石だ。また、この異世界のいたる所に浸透している魔法具は、元の世界でいうところの電化製品と同じような存在で、日常生活に欠かせない便利な代物である。その為、その材料となる魔石の需要は極めて高い。
灰色の迷宮に訪れたのも魔石が目的で、これを冒険者ギルドに売却して、ひと稼ぎするつもりだ。
実は魔法具が異世界中に普及したのも、ショー・タローク・サマーのおかげである。
魔法具自体は古来より存在していたが、その材料となる魔石には容量や属性など様々な条件があり、それに見合った魔石を取得することは容易でない。倒しやすい魔物やモンスターからは容量や属性などが適さない、質の悪い魔石しか取れず、質の良い魔石を求めるならば、強い魔物やモンスターを倒さななければならない。
勿論、そんなことが簡単にできるはずもない。魔石が集まらなければ魔法具を作成すること自体が難しく、そのおかげでかつては普及していなかったのだ。
その魔石問題を解決させたのが、ショー・タローク・サマーが編み出した「合成魔石」の技術である。
「合成魔石」とは幾つかの魔石を掛け合わせて一つにしたもので、この技術によりこれまで見向きもされなかった質の悪い魔石でも、数さえ揃えば質の高い魔石へと変容することができるようになった。オマケに、「合成魔石」の技術自体もそれほど難しいものではなく、ある程度の修練を積んだ錬金術師なら、誰でもできる程度のものなのだ。
「合成魔石」の誕生により、安定して質の高い魔石が用意できるようになったおかげで、結果的に魔法具も世の中に浸透することになった。
「マジでチート級の錬金術師だよな、ショー・タローク・サマーって。最後は兎も角として……」
周りを見渡して確認するが、魔石の他には何も無かった。
「マッドハウンドいわゆるダンジョンモンスターって奴か」
強引な区別の仕方だが、魔物は二つのタイプに分類することができる。何らかの生命体が瘴気に侵され魔物化したタイプと、魔石を依り代として高い濃度の瘴気から生まれたタイプだ。
ダンジョンモンスターは後者のタイプに当てはまり、ダンジョン自体が魔石を依り代に生み出したある種のヴァーチャルな存在で、倒すと依り代としていた魔石だけが残される。
それに対して生命体から魔物化したタイプは、魔石だけではなく元の生命体の亡骸も残す。大抵は何らかのモンスターが魔物になっているのだが、モンスターの亡骸は様様な物の素材として重宝される為、単純な実入りとしては、こちらの方が高い。
ただ、ダンジョンで人気があるのは、魔石を依り代とするタイプの方になる。
先程のマッドハウンドを例にして考えれば、それも明々白々だ。あんな大きな物を運ぶのは一苦労どころの話じゃない。運搬するだけでその日一日が終わってしまう。それだとどうしても数が少なくなってしまう為、逆に実入りが少なくなってしまうのだ。
個人的にはアイテムボックスのおかげで、その制約を受けないが、それでも魔石だけが残る方が大助かりだ。
なんだかんだ言って慣れていないと、死体ってキツイよね。慣れていてもキツイものはキツイけど……。
因みに、「モンスター」とはスキルを使用する動物のことだ。性格や生態、姿形やサイズは種々によって様々で、魔物と同じく体内に魔石を宿している。
それに対して一般的に「動物」と呼ばれる存在は、スキルを使用することもなく、体内に魔石を有してはいない。この辺りは元の世界と同じである。
では、魔物やモンスターと同じくスキルを使用する、人種と定義されている者たちも、魔石を体内に宿しているかと言うと、そうではない。
転生前の授業の際に、気になってその理由を尋ねてみたが、元の世界さんや異世界ちゃんい曰く、「その辺は深く考えずに、ツッコまないといて~~」とのことであった。
納得できる答えではなかったが、不思議と「そうだね」と思った。
「どうなんだろうなぁ……?」
あれから三回、マッドハウンドと「戦闘」を行ったが、マッドハウンドが弱いのか、自分自身の強いのかよくわからない。
その原因は、魔光ブラスターにあった。皮肉なことに魔光ブラスターが優秀過ぎるのである。威力は申し分ないし、視覚にマーカー表示されるから照準もつけやすい上、閃光の弾速で直進するから外すこともほぼない。マッドハウンドがこちらへ気が付く前に、余裕で撃ち倒してしまっていた。
だから実感もわかないし、手応えも全く感じない。そもそもこれを「戦闘」と呼んでいいのかさえ、疑問に思えてくる。
「う~~ん、このままのやり方でいいのか? 確かにお手軽で安全なんだけど……」
石造りの通路を歩いて行く。
自分の足音だけが小さく木霊するように響いている。
マップに赤い光点か三つ現れた。
通路には分かれ道が無く、このまま少し進めば魔物と鉢合わせるだろう。
そのまま進んで赤い光点に近づき、鑑定かけて確認する。
……またマッドハウンドか。地下十階はマッドハウンドしか出現しないのかな?
これまでと同じく魔光ブラスターを構えて、ゆっくりと歩く。
マッドハウンドの姿をハッキリと見定めると同時に、魔光ブラスターの引き金を引いた。
瞬く間に閃光がマッドハウンドの頭部を貫き、撃ち倒した。
続けて二匹目にマッドハウンドに照準を合わせ、魔光ブラスターの引き金を引いた。
これまた先ほどと同じように、閃光が一瞬にして貫き、マッドハウンドは霧散して消えた。
残り一匹……。
最後のマッドハウンドに狙いを定め、魔光ブラスターの引き金を引こうとしたが、途中で指が止まった。
どうにも腑に落ちず、後ろ髪を引かれる思いがあった。
「格納」
手から魔光ブラスターが一瞬で消える。
「そうだよな。これだと魔光ブラスターだけで、他はなんにもわかんないよな。後々のことを考えて、今で色々と試してみるか」
通路内に唸り声が響き渡る。
『ガルルゥゥゥ――ンッ!』
マッドハウンドが自分の存在に気付き、牙を剥き出しにして威嚇している。
そして、こちらに向かって猛然と駆け出した。
三メートル近い巨体に、体重は百キロを余裕で越えているであろう。マッドハウンドが踏み出すたびに、重量感のある地響きが通路内を伝わってくる。
「あんなのにぶち当たったら、ひとたまりもないな。普通ならまともに相手しようとは思わないけど」
しかし、不思議と妙な自信があった。
左手を少し開いて前に出し、右手は柔らかく握って弓を引くように中段に構えた。そして、タイミングを計るように軽く体を上下に揺らしてリズムを刻む。
それと同時に「心眼」と「ピッチコントロール」、「剛体功」のスキルを発動させた。
目前まで迫った来たマッドハウンドが、口を大きく開き牙を剥き出しにして飛び上がった。
『ガガァァ――ッ!』
焦りや恐怖は全く無かった。スキルのおかげで、マッドハウンドの動きが手に取るように把握できる。
マッドハウンドの動きに合わせて、右の正拳を渾身の力で突き出した。
「セイヤァッ!」
マッドハウンドの開いた口に、右の正拳が炸裂する。
その瞬間、凄まじい衝撃音と共に、マッドハウンドは木っ端微塵に吹き飛んだ。
「………………?」
右の拳を突き出したまま、理解が追いつかずに硬直していた。当の本人が一番びっくりするパターンだ。
ただ、力いっぱい拳を打ち込んだだけなのに、結果が予想に伴わない。
時間の経過とともに、段々と実感が湧いてきた。
「……おおぅ……オレTUEEEじゃん……」
マップと合わせて直に周りを窺い、周囲に誰も居ないことを確認する。
強化外殻の顎の部分に手をかけて、少し前に引いて上に押し上げた。人前には晒せない素顔が露になる。強化外殻のヘルメット部分は、システムヘルメットのようにフェイスカバーをオープンにすることができるのだ。
アイテムボックスから煙草を取り出し、口に咥えて火を点ける。
深く吸い込んだ煙草の煙を、大きく吐き出した。
「フゥゥ……」
煙草の煙がゆっくりと流れていく。
「風が……。灰色の迷宮って空調はどうなっているんだろう……? この感じだとなんらかの空調機能が働いているみたいだけど。それに……」
周りには煙草の煙以外に、黒い靄のようなものが漂っていた。
「これもなんだろうな? 直接、害になるような感じはないけど……」
煙草を吸いながら十分ほど休憩した後、時刻を確認しようと思い、アイテムボックスから目覚まし時計を取り出した。頭にベルが二つ付いた如何にもな形で、生活必需品として最初から用意されていた物だ。
「メニュー画面に時刻を表示してくれる機能でもあったら良かったのに。しかも、アラーム音が何故かベルじゃなく、電子音だし……」
愚痴を言いながらも他に手段がない為、目覚まし時計で現在の時刻を確認する。
「……11時をまわったところか。ダンジョンに入ったのが……8時ぐらいだったよな? 戦闘してたことも考えると、歩いたのは……10キロってところかな」
魔人になる前の自分なら、10キロ歩いただけでも大分疲弊していただろう。だが、今は違う。疲れは微塵にも感じず、気力体力共に有り余っていた。
これは魔人になった恩恵だろう。ハイスペックなステータスに嘘偽りはないってことだ。戦闘力も含めて本来なら感謝してもいい所だが……。
「認めたくないものだな。こんな魔人になったおかげということは……」
目の前には、地下十一階へと続く階段があった。
「この調子だと地下十一階も余裕そうだな……」
直ぐに思い直して、頭を振りかぶる。
「いやいや油断は禁物だ! こっちは初心者なんだし、ダンジョンは何が起こるかわからない。勝って兜の緒を締めよって奴だ。気を引き締めなければな!」
しかし、結果から先に言えば、地下十一階は地下十階となんら変わらなかった。曲がり角はあるが分岐点は無い構造で、規模も全くと言っていいほど同じく、出現する魔物も同じくマッドハウンドしか出てこない。たまにその数が四匹や五匹と少し増えるぐらいで、これでは苦戦することの方が難しい。
当然、地下十階と同様に、なんの問題もなく踏破することができた。要した時間もほぼ同じく、むしろ慣れてきた分、少し縮んでいたぐらいだ。
薄暗い階段を下り、地下十二階に降り立った。
地下十一階も同様であったが、階段を下りた傍らに昇降機が設置してあった。
その手前には二人の男が立っていた。年齢は割と食っているように見受けられるが、武器を携帯している点と、独特の雰囲気から察するに冒険者ってところだが、正確には元冒険者だろう。昇降機の安全確保の為に、灰色の迷宮の管理組織が、引退した冒険者たちに依頼しているという話だ。
「定年退職した警察官が、警備員になるようなもんかねぇ」
二人の男に軽く会釈し、地下十二階の奥へ進んでいく。
「相も変わらず殺風景なことで」
地下十二階もこれまでと様相は全く変わらなかった。何の特徴もない石造りの壁や天井が広がっているばかりで、地下十階や地下十一階との違いが全く見受けられない。何も言われずに昇降機から降ろされたら、自分がどの階に居るのか分からなくなりそうだ。
マップには通路を進んだ先に、赤い光点が三つ表示されていた。
「この感じだと、どうせマッドハウンドだろうなぁ……」
正直、飽きてきていた。周りの景色は全く変わらず、迷うことすらない一本道、出てくる魔物は脅威に感じないマッドハウンドばかり。暇つぶしに作業ゲームをしているかのようだ。
そのまま何も考えずに、頭をかきながら歩を進めて行く。
無警戒に魔物の間近まで来たところで気がづいた。
「あれ……? なんか違うんだけど……」
目にしている魔物が、明らかにマッドハウンドの姿ではない。全長は160センチほどで緑色の体色に、禿頭で大きな耳に独特の突き出した鼻、筋肉質だが痩せこけているようなアンバランスな体型をしている。何より二本の足で立ち、小型の斧を手にしていた。
「アレはもしかして……⁉」
遅まきながらも慌てて鑑定をかける。
ゴブリンウォリアー:魔物:戦闘力E-。
「……だよね。どこからどう見てもそうだもん」
ゴブリン、この世界では獣人やオーガなどと同じく亜人と識別され、好戦的で縄張り意識が強く、人里離れた地で狩猟採集を主とした昔ながらの生活をしている。
ある意味キングオブファンタジー、異世界の影の主役と言っても過言ではない存在だが、そういう生態もあってか、話には耳にしていたけれど、実際にゴブリンを目にしたのは、今回が初めてだ。とは言っても、今、目の前に居るにはダンジョンが作り出した魔物であって、正確には本物ではないのだが。
「へぇースーパースター様のご登場ってか。……って言うか、早いよっ!」
しみじみと感慨にふけっている隙に、ゴブリンはこちらに向かって奇声を上げながら、襲い掛かってきた。
「キシェェェ――ィィ!」
真っ先に向かってきたゴブリンが、手にしていた小型の斧を大きく振り上げた。
その瞬間、ゴブリンの土手っ腹に、鋭い前蹴りを突き刺した。
「ハッ!」
ゴブリンは吹っ飛ぶと同時に、霧散して消えた。
「ギェェェ――ン」
続いて襲い掛かってきたゴブリンが、小型の斧を振り下ろす。
「ギィィィ――ッ!」
その攻撃をヒラリと躱すと、お返しとばかりに、ゴブリンの頭に手刀を振り下ろした。
「オラよっと!」
ゴブリンは手刀で頭を砕かれ、霧散して消えた。
「キヘェン」
満足な成果に、思わず得意げな顔を浮かべた。
「フっ……圧倒的ではないか、わが戦力は。……まあ、ゴブリンの戦闘力も低いしね」
唐突に頭に衝撃を受け、何かが地面に落ちたのを感じた。
「んん⁉」
地面には矢が一本落ちていた。
頭の中に、はてなマークが湧き上がってくる。
「矢……? あっ‼」
ハッと気づいてい目に映ったのは、こちらに向けて弓矢を構えるゴブリンの姿であった。
なんの不思議なことは無い、最後に残っていたゴブリンが、手斧から弓矢に持ち替えて攻撃していたのだ。
「ちょちょっと待てよ! オマエ何も言わずいきなり! 弓持ってるって――」
勿論、そんなこと言われてゴブリンが待つ筈もなく、またしても矢を放ってきた。
「オっオーラシールド!」
咄嗟にオーラシールドを両腕に展開し、ゴブリンが射かけてきた矢を防御して防いだ。
なおもゴブリンは矢を放とうと弓を構えた。
「させるか! コンチクショウめ――!」
ゴブリンとの間合いを一気に詰めると、矢を放つよりも先に、正拳を打ち込んだ。
「ギイィン」
ゴブリンはあっさりと霧散して消えた。
慌てて強化外殻の衝撃を感じた頭部を触って、なんともないか確認する。
「ふぅぅ――……。大丈夫みたいだな。焦ったよー。強化外殻が硬くて良かったー」
改めて今しがたの出来事を思い出し、鳥肌が立った。
強化外殻のおかげで結果的には問題なかったが、矢が頭部に直撃していたのだ。もし強化外殻を身に纏っていなければ、もし強化外殻を貫くほどの破壊力があったならば、当然ながら大怪我していた可能性が高い。それどころか死亡していた恐れだってある。
「ダンジョン怖えー。完全に油断してイキっていたせいだけど。ハイ、すみませんでした。今後は細心の注意を払って、気を付けてまいります」
その後も地下十二階を探索中に、ゴブリンとは何度も相対することになった。基本的に油断さえしていなければどうということのない相手なので、特に苦戦するようなことは無かったのだが、色々と気付かされる点があった。
根本的にゴブリンはあまり強くない。と言うか、正直言って弱い。動きが特別速いわけでもなく、力や耐久力も大したことはない。何より予備動作が大きく、ボクシングでいうところのテレフォンパンチのような形の為、行動の予測がつきやすく、冷静に注視していれば幾らでも対応することができる。マッドハウンドと比べても、明らかに戦闘力はゴブリンの方が落ちるのだ。
ただ、実際に相対した場合、面倒なのはゴブリンの方である。
マッドハウンドは獲物に向かって、全速力で一直線に攻撃を仕掛けてくるが、それに対して、ゴブリンは間合いによって攻撃手段を変え、なおかつ連携して攻撃してくるのだ。攻撃手段が異なれば、当然ながら対応方法も異なってくるし、そこに連携攻撃が加われば、更にその対応方法は広がっていく。
幸いなことにゴブリンの攻撃手段は少なく、連携もあまり洗練されているとは言い難く稚拙であった為、対応に苦慮するようなことは無かった。
だが、この先はどうだろうか?
更に下層へ潜って行けば、ゴブリンなど比べ物にならないくらい強力な魔物が、出現くることは容易に予想される。
そして、いつかは対応しきれない事態に、追い込まれるかもしれない。
勿論そのような事態に陥らない為にも、先に備えて対応方法を模索する必要がある。
今のところ思いつくのは三つだ。
一つ目は、あきらめる。
ダンジョンの探索エリアを対応できる階層もしくは魔物だけに絞り、それ以外は放棄する。一番確実で最も有効な対応方法と思われるが、幾ら冒険者として身を立てることが目的ではなく、商売の資金を溜める為とはいえ、冒険者になったばかりで早々に先の可能性をあきらめるのは、流石にあまりにも消極的すぎる。できれば他の対応方法にしたいところだ。
二つ目は、パーティーを組む。
複数人のパーティーを組み、対応力を向上させる。戦力も増えるしリスクも減るので、一般的にはこの手法が主流だろう。しかし、人員の編成や報酬の分配、人間関係の構築など煩わしい面が発生する。何より個人的には、「魔人」であることのネックがどうしてもついて回るので、取り敢えずパス。
三つ目は、経験値を上げる。
経験を積んで強くなる。見もふたもない言い方だが、魔物よりも強くなれば問題ない訳だし、圧倒的に経験が不足しているのも事実だ。あれ……? でもこれって転生する為の条件だったような……。
「う~~ん、他には何も思い浮かばない……。取り敢えず今は三つ目でいいか。それがオレにとっては無難な気がするし、まあ、ヤバい状況になったら一つ目にシフトってことで」
地下十三階への階段に辿り着いた時には、18時を過ぎていた。
本日のダンジョンの探索は、ここまでで切り上げることにした。灰色の迷宮は昇降機が設置されているおかげで、ダンジョンの探索を再開するのに無駄な労力がかからない。泊まり込みで探索する必要はないのだ。昇降機の使用に料金がかかるのはいささか気に食わないが、その点はヨシとしよう。
アイテムボックスから魔石、本日の稼ぎを取り出した。
「良くて小金貨一、二枚ってとこか……。かかった経費を考えると厳しいねぇ。ソロでこれだと、パーティーを組んでいる奴らは完全に赤字じゃないのか……? ああ! だからか、全く出会わなかったのは」
灰色の迷宮を探索している道中、他の冒険者とは一切出会わなかった。それに、地下十階で昇降機から降りたのも自分だけであった。
恐らく他の冒険者たちは、もっと深い階層で降りたのだろう。
「そうだよな。でなきゃ採算取れねェもんなぁ。もしかして狩場みたいな階層があったりするのかな?」
そこは灰色のダンジョンを更に潜って行けば、追い追いわかってくるだろう。
成果としては、少しばかりしょっぱい結果となったが、割と満足していた。
「思っていた以上にダンジョンはキツくなかったし、魔物ともよく戦えていた。それに――」
体を軽く動かして確認する。
「疲労はほとんどないな。まだまだ全然イケる感じだ」
実は疲労についてはかなり心配であった。初心者でダンジョン探索なんて慣れていないのだから、もしかしたら次の日まで持ち越すんじゃないかと、危惧していた。
しかし、今日一日だけで30キロ以上は歩いた上、戦闘も行ってきたにしては、体力が有り余っていた。これなら明日以降も問題ないだろう。
この神殿が建つ広場の地下に所謂ダンジョン、「灰色の迷宮」があるという。
昨日、冒険者登録を済ませ、さっそく灰色の迷宮に訪れた。
広場には神殿を取り囲む形で、様々な露店が軒を連ねていた。
それと、分かりやすく武装した冒険者と見受けられる人々に、ダンジョンには似つかわしくない、場違いなほど非武装の一般人と思わしき人々も見受けられた。
一般人と思わしき人々は、実は観光客だ。
ロークに教えてもらったのだが、灰色の迷宮の地下一階から地下三階までは、魔物やモンスターはほとんど出現せず、出てきたとしても弱いものしか出ないという。
そこに目を付けたのが、昔のタカハの街の人たちだ。
元々辺境にほど近いタカハの街には、冒険者ぐらいしか寄り付かなかった。それでもどうにかタカハの街を活性化させようと苦心に苦心を重ね、プロ〇ェクトXさながらの遠大な計画を打ち立てた結果、冒険者ギルドと業務提携を結び、元の世界風に言うところの冒険者ギルドとコラボして、灰色の迷宮を共同で整備して管理下に置き、冒険者と共に地下一階から地下三階を巡る、「灰色の迷宮見学ツアー」を始めたのだ。
信じられないことに、この目論見は大当たりした。灰色の迷宮は一大観光地と化して人を呼び込み、タカハの街は栄えるに至ったという。事実は小説よりも奇なりとは、正にこのことだ。
「早朝から来たのは正解だったな。思っていたよりも人が少ないや」
それでも広場に軒を連ねる全ての露店が、既に営業を開始していた。
「こんな朝早くから店を開けているとはね。その営業努力には頭が下がるよ」
元商人として感服しつつ、軒を連ねる露店に目を配る。
観光客向けのお土産品と思われる物も販売されているが、ランタンやロープに非常食など、ダンジョン探索で必要とされる物を扱う露店の方が多い。
昨日、ダンジョン探索に備えて色々と必要そうな物を、別の露店通りを回って集めたが、ざっと見る限り値段も品揃えもあまり変わらないようだ。
「フ~ン、ここで手に入れられるのは便利だな。色々揃っているけし、まあ、でも、流石にポーションや毒消し薬とかは無いか」
ポーションや毒消し薬などの薬品は、薬剤協会が独占管轄しているので、基本的にその直営店でしか販売していない。と言うよりも、直営店でしか販売してはイケナイ。そもそも法律でそういうように定められているのだ。現代日本でも薬剤師が居ないと、それなりの薬が販売できないように、この異世界でもその辺の事情は一緒だ。
「まあ、露店に直営店があっても、貧乏人には買えないけどね……」
ポーションの値段は高い。効果の薄い等級が低いものでも、結構なお値段をする。新人の冒険者にはとてもじゃないが手が出せない。なんせ元の世界のなんでも簡単に揃う日本にも存在しなかった、飲んだだけで傷が癒せるというチートな代物だ。それなりの値段がするのもやむ得ないだろう。
贅沢言えば、等級の低いポーションでも構わないので、本当は保険がてら欲しかったが、こればっかりはしょうがない。一応、強化外殻は結構防御力が高いみたいだし、自動回復なんてスキルもついているからなんとかはなるだろう。流石に試すことはできなかったので、どの程度のものかわからない不安があるが。
広場の中央の神殿の中へ入ると、既に幾人かの人で賑わっていた。
神殿内部の中央には地下へと続く大きな階段があり、そこに列をなす幾人かの観光客と、ツアーガイドよろしくにこやかに案内の声を出す冒険者。手前には長机のカウンターと、その周りに灰色の迷宮を管理していると思しき係の者が数人詰めていた。それと奥の壁には四つの大きな扉が設置されていて、右側の扉二つに数は少ないが冒険者が並んでいる。
奥の壁に設置されている大きな扉は、恐らく昇降機だろう。昇降機が設置されているおかげで、灰色の迷宮の地下一階から地下十九階までは、簡単に行き来することが出来るという話だ。ただし、灰色の迷宮への入場料とは別に、昇降機の使用料金が発生するという。ダンジョンの沙汰も金次第ってところか。
それにしても昇降機に並ぶ冒険者と、ツアーガイドの冒険者の雰囲気があまりにも違い過ぎる。片や完全武装の上、動きに邪魔にならない程度のナップザックなどを背負い、片や鎧も身に着けず軽装で、小型の武器しか携帯していない。
「ガチ感の違いがハンパないねぇ。これが同じ冒険者とは……。まあ、ツアーガイドは新人冒険者の、イイ小遣い稼ぎになってるって話だしな」
一先ず灰色の迷宮の入場料を払おうかと思い、手前の長机のカウンターに近づくと、係人の小太りのおじさんが声をかけてきた。
「ようこそ灰色の迷宮へ。冒険者の方ですかな?」
「ええ、入場料は、こちらで?」
「こちらで承っておりますぞ。昇降機の使用もご希望かな?」
「そっちも合わせてお願いします」
「それならこちらに名前を記載いただき、銀貨一枚をお納めくだされ」
手渡された紙には冒険者らしき者の名前が、番号順に名簿みたいな形で書かれていた。
名簿に名前を書き、係人のおじさんに灰色の迷宮への入場料と、昇降機の使用料を合わせて銀貨一枚を支払った。
これで最低でも、この灰色の迷宮で銀貨一枚以上の稼ぎが無ければ赤字か。これまでの路銀もあるし、無駄には出来ないな。
係人のおじさんから、同じ番号の書かれた木札を2枚受け渡された。
「昇降機前の係の者に、それを渡してくだされ。行き帰りで1枚づつになり、無くしても再発行は行いませんから、その時は新たに購入してもらいますぞ」
木札に書かれていた番号は、名簿の番号と一致していた。恐らく登山届みたいなもので、灰色の迷宮に入った冒険者の、生存確認の意味合いもあるのだろう。何日か経過しても戻ってこない者は、そういう結果になったってことだ。
係人のおじさんに礼を述べて、昇降機へと続く列に並ぼうとした。
「冒険者の方よ。ここ灰色の迷宮には、初めて訪れたとお見受けするがどうじゃな?」
「そうですね」
係人のおじさんは感嘆の声を上げた。
「オオ、やはりそうでしたか! それならばダンジョン探索の参考に、この灰色の迷宮についてご説明しましょうか?」
一応ロークからそれなりに聞いてはいるけど、何か新しい情報があるかもしれない。ここは素直に聞いてみることにした。
「では、お言葉に甘えて」
係人のおじさんが妙に芝居がかった口調で話を始めた。
「すべての始まりは今より百五十年ほど前、それまで草原が広がるだけのこの土地に、突如としてしたダンジョンが現れた。元々魔物やモンスターの多い土地ではあったが、これには周辺に住まう者たちも大層驚き、危機感を募らせ――」
フムフム……。
「――目を付けたのが、稀代なるアルケミスト、ショー・タローク・サマーである。彼の数々の業績は言うに及ばず、この当時ですら既にその名声は周辺諸国に轟いていた。それにしても、彼は如何にしてその稀有な才能を開花させたのであろうか。その答えは――」
その辺は割と有名だし、この辺の生まれじゃないオレでも知っているな。
「――した状況を打破する為に決行された。しかし、この目論見は残念ながら望ましくない結果をもたらした。これまで賛同していた友好国までもが、手の平を反すように同盟関係を打ち切り、周辺諸国から益々孤立していく形となった。そして、最悪の一手が選択される。世に言う「灰色の動乱」の始まり――」
……話違うくない? 灰色の迷宮の事と言うよりも、ショー・タローク・サマーと灰色の一族の内容しか出ていないような。それと長くない? もう二十分近くおっちゃんしゃべりまくっているけど……。
「あの、ちょっとすみません! ち、因みになんですけど、このお話って後どれくらいで、終わるのかな~~なんて?」
係人のおじさんが嬉しそうに答えた。
「今が三割ぐらいですので、まだまだ七割ほど残ってますぞ」
「今が三割で⁉ 残り七割も⁉」
長ぇよっ! いくらなんでも長すぎだろ! それになんでそんな嬉しそうなんだ?
「ええ! そろそろ黎明編が終わりますから、その次に飛翔編と黄金編に続いていきまして――」
なんだよ、そのタイトルは! 大河ドラマかよ! 親切心からやってくれているから、なんか文句言いづらいんだけど……。
「ちょちょっと待って下さい! 確かに興味深いお話ですけど……。これって歴史のお話ですよね? この辺一帯の。あの……出来れば灰色の迷宮の利用方法や、注意点などを聞きたいのですが……?」
係人のおじさんがどこか悲しげな表情を浮かべた。
「歴史はいらないと……?」
なんだろう? この不思議な罪悪感は……。
「いや、いらない……って訳じゃないんですけど、今回はちょっと……ね。これ以上はご遠慮したいかなぁ~~と」
「これからインテリジェンスでスペクタクルかつ、壮大でダイナミックな展開になっていくんですけど……それでもいらない?」
それはそれでスゲェ気になるんだけど……。
「取り敢えず今回はこの辺で……大丈夫です。また別の機会があったら、その時にでも」
この世の終わりと見紛うばかりに、係人のおじさんのテンションが急降下した。
「そうですか……」
そんなに? いくらなんでもヘコみ過ぎじゃない? その歴史の説明に、おっちゃんの何があるの?
そんなヘコンダ状態でも、係人のおじさんは丁寧に灰色の迷宮の利用方法や、注意点などを説明してくれた。ただ残念なことに、ロークから聞いた話以上の情報は無かった。
なんか切ないね、色々と……。
受付で時間を食っている間に気が付くと、昇降機へと続く長い列ができていた。
並んでいる冒険者たちをざっと見渡す。
冒険者ギルドではあれだけ騒がしかったのに、列に並ぶ冒険者たちは皆一様に口数が少なく、緊張した面持ちだ。
無論、余所行きの装いでお利口さんにしている訳ではないし、そんな気遣いを持ち合わせている冒険者など居はしないだろう。皆がなん階に向かうか知れないが、少なくても目的地が観光対象の地下一階から地下三階なんてことはあり得ない。向かうはその先、地下四階以上の魔物やモンスターが跋扈する危険地帯だ。冒険者と言えど、はしゃいでばかりはいられない訳だ。
フムフム、今ここにお並びの方々は、灰色の迷宮に初めて挑む吾輩にとって、諸パイセン当たる訳だ。現代日本からの転生者としては、個人情報保護法やコンプライアンスがいささか気になるところだけど。
目の前に並んでいた鎧を身に纏う獣人の若い男に、鑑定のスキルを使用した。
ウインドウが出現して、情報が表示される。
犬人種:男:戦闘力D+。
鑑定情報はこんだけ? えらいサッパリしているな。まあ、いいや。取り敢えず戦闘力はD+か。一般的な冒険者ぐらいの強さってとこだな。今ここに並んでいる連中の強さが、灰色の迷宮に挑む上で参考になると思うんだよね。
続けて並んでいた他の者も鑑定したところ、戦闘力はほとんどがDからEであった。
ここに並んでいる連中と比べると、オレの戦闘力はAなので全然高い。それで考えると、灰色の迷宮って余裕じゃん! って思っちゃいたいところだけど。オレ意外みんな三、四人のパーティなんだよね。総合的に考えると、差し引きゼロって感じかな?
因みに、先程の係人のおじさんにも鑑定をかけたところ、戦闘力はCだった。意外に高い。
そんなことを考えているうちに、行列の最前列に辿り着いた。
昇降機の係人の男に、番号の書かれた木札を渡した。
「一人か……?」
「ええ、そうです」
係人の男が怪訝そうな表情を浮かべた。
「見覚えが無いが、ここは初めてだよな?」
「まあ、そうですね」
係人の男は何か言いたげであったが、自分には関係ないとばかりに飲み込んだ。
「フ~~ン、まあ、いいや」
この反応、やっぱりソロは普通じゃないのか。イキった奴が来たなって思われていそう。
係人の男に促されて片方の扉の前に進むと、別の係人の者が観音開きの大きな扉を開けてくれた。
昇降機の内部は大人が十人ほど入りそうなほど広く、壁に大きなダイヤルとレバーが数本生え、その前に三十代ぐらいの係人らしき男が居た。
エレベーターガールならぬエレベーターボーイの男が、ぶっきらぼうに尋ねてきた。
「なん階だ?」
「十階でお願いします」
ロークに聞いた話だと、灰色の迷宮は地下四階から地下九階までは初心者向けで、地下十階から十九階が中級者、それ以上の階は上級者を対象にしていて、階層によって出現する魔物や、モンスターの強さが変わるという。
最初は冒険者のルーキーらしく四階から挑もうかと考えていたが、昇降機に並んでいた冒険者たちを鑑定して気が変わった。自分の戦闘力なら中級者が対象の十階からでも問題ないように思える。それと、不思議と妙に自信もあった。
何より灰色の迷宮に来た目的は、観光でも冒険者として経験を積む為でもない、金を稼ぎに来たのだ。強い魔物やモンスターほど、倒した際のリターンが大きい。それなら十階から挑んだ方が、実入りも良いってもんだ。
先程の昇降機前の係人の男の態度と違って、エレベーターボーイは声すら発することなく、分かったとばかりに手だけを上げた。
間を置かずに冒険者たちが、次々と昇降機に乗り込んできて、目的の階を告げていく。
そして、昇降機内は満杯となった。
けたたましいベルの叫び声の後、昇降機がゆっくりと地下に沈んで行く。
「ダンジョン」、それはこの世界に古来から存在し、ある意味、身近な存在だ。
しかし、未だにそのメカニズムの大半は解明されておらず、多くが謎に包まれている。
さて、ダンジョンとは一体なんなのか? 結論から言ってしまえば、ダンジョンの正体は「魔物」である。
瘴気の濃い地域からは強い魔物が生まれるが、更にマナの力が強く加わると、「強化種」なんて呼ばれる非常に強力な魔物まで生まれる。
だが、実際はそんな簡単な話ではない。
転生前に元の世界さんから受けた授業で、その辺りを詳細に教えてもらったのだが、中々小難しい内容でオレの足りない頭では、すべてを理解することはできなかった。
最もテストの際には、その辺りの部分は一切出てこなかったので、元の世界さんの方でも、オレが理解できるとは思っていなかったのだろう。
まあ、実際その通りなんだけどね。
それは兎も角として、土地の因果関係に現存する有機物や無機物の種類、その他諸々色々な要素にマナや瘴気の効果が加わると、時として常識を覆すほどの巨大な魔物が誕生することがある。
つまり、それが「ダンジョン」だ。
ダンジョンも魔物の例に漏れず、生ける者に対して危害を加える性質を持っている。
これは「魔物」の発生源になる「瘴気」の変質元である「毒素」による影響だ。
世界に深刻な損害を及ぼす存在であり、転生する原因にもなった「毒素」とは、簡単に説明すると「負の念」である。
妬みや恨みに憎しみ、絶望や失望に欲望、怒りや嫌悪に軽蔑などの「負の念」が、生きていく過程で魂に蓄積されて「毒素」となるのだ。
大元が「負の念」である為、「魔物」が生ける者に執着して、危害を加える性質を持つのも致し方ないだろう。
唐突だが、ダンジョンの中には魔結晶鉱石、大量の瘴気やマナの影響で変質したレアメタルのことだが、これが大量に埋蔵している。
それと魔石だ。魔法具を作成する上で欠かすことのできない魔石は、常時から引く手あまたで需要が高く、ダンジョンには魔物が数多く生息するおかげで、結果として魔石も大量に存在することになる。
それらを求めて人はダンジョンに群がるのだが、実はコレ、エサなのだ。
人に危害を加えたくても動くことができないダンジョンが、人を誘き寄せるために仕掛けた、エサなのである。
全く良くできているよ。ホント感心する。
そんなことは露とも知らずに、多くの冒険者たちが今日も今日とてノコノコと、エサにつられてダンジョンにやって来ている訳だ。オレ自身も含めてね。
しかし、人の方も負けてはいない。
自分にはできなかったダンジョンの成り立ちや仕組みを理解し、その思惑を逆手に取った者が居る。
その者はタカハの街の創設者であり、不世出のアルケミスト、ショー・タローク・サマーだ。
この地に出現したダンジョンを制御し、安定して魔結晶鉱石や魔石を取得できるように改造して出来上がったのが、「灰色の迷宮」だ。最も現在では魔結晶鉱石の方は既に採り尽くされていて、今ではほとんど残っていないという話だ。それでも魔石に関しては、今だに多くの者に恩恵を与えている。
ただ、ショー・タローク・サマーが魔結晶鉱石や魔石を取得する目的で、「灰色の迷宮」を改造したかと言うと、どうもそうだとは断言できないらしい。歴史学者によっては異論があるそうだが、一説によるとショー・タローク・サマーは、何かの研究目的の為に「灰色の迷宮」改造し、誰も確認できていない最下層には、その研究施設が存在するという。
中々興味深い説ではあるが、それを確認しようにも、「灰色の迷宮」の最下層へ到達できた者は、未だ誰も居ない。オマケに、ダンジョンが改造されたのが百五十年も昔の上、その後の「灰色の動乱」の影響による混乱もあり、それを裏付ける決定的な証拠は残されてはいない。今となっては、真相は完全に藪の中である。
地下十階で昇降機から降りたのは、自分一人だけであった。
灰色の迷宮は地下に構築されている割には、湿気がこもった感じはなく、何か空調機能でも働いているのか、思いの外カラッと乾燥していた。
天井や壁は神殿と同じように石造りになっていて、通路の幅はかなり広く、大人が六人ほど一度に通れる位あった。
それと、天井や壁が青白く僅かに発光している。少々薄暗いではあるが、ランプや松明が必要ない程に光源があった。
「……ダンジョンの中って、こんな感じなのか。通路も広いし天井も高いな。もっと狭く陰鬱でカビ臭い所だと思っていたけど……」
物珍しさから、辺りをキョロキョロと見渡す。
これはなんだろう……? 黒い靄みないな物が漂っているな。
この世界で四十年近く生きてきたが、ダンジョンに入るのは生まれて初めてだ。と言うか、魔物やモンスターとも、これまでに一度として戦ったことは無い。
これが自分だけかと言われれば、そんなことはない。一般的な人は皆そうだろう。異世界とは言え、普通に暮らしていれば、そういうものとは無縁の生活を送る。日常から危険が転がっている訳ではないのだ。
それに、普段から魔物やモンスターと戦ったり、ダンジョンを探索をする者は冒険者ぐらいだ。一般ピーボーは勿論、兵士でも向こうから害をなさない限り、自ら進んで魔物やモンスターと戦うことは無い。
そもそも冒険者の類はアウトローな存在な訳で、好戦的で一攫千金や名声を求める者が多く、一般常識とは異なる行動原理で生きている。だから、魔物やモンスターと戦ったり、ダンジョンを探索したりするのだ。正直、まともじゃないと思うが、悲しいかな現在は自分も、その仲間に入ってしまった。
「展開」
魔光ブラスターが出現し、視覚の中にサイトが表示される。
目の前の通路は一直線に伸びていた。
マップウインドウを開き、サーチのスキルをかける。
自分がまだ足を踏み入れていない、マップのグレーアウトになっている部分に、赤い光点が幾つも現れた。
マップの光点の色には意味がある。緑色は人を表し、黄色はモンスターを示す。そして、赤色は魔物という意味だ。
「結構広い感じだな。それに、やっぱり魔物が居るねぇ……」
当たり前だが、ダンジョンには魔物が付きものだし、魔物の存在しないダンジョンなんて存在しない。なんせダンジョン自体が、魔物その物なんだから。
マップを見る限り、ここから五十メートル先の少し広くなったスペースに、赤い光点が三つ示されていた。
「実戦」そんな言葉が頭をよぎった。
魔物やモンスターと戦ったことは無いが、戦いに慣れていない訳ではない。文字通り真鉄人君と死ぬほどやり合ってきた。
だが、真鉄人君と行っていたのは、あくまでもスパーリングだ。内容はどうであれ最終的には回復し、元の状態に戻る。
しかし、「実戦」は違う。判断を誤れば怪我をするかもしれないし、最悪、死に至る可能性だってある。
「緊張してきたな……」
正直ビビっていた。鼓動が速くなるのを感じ、息苦しさを覚える。
「大丈夫、大丈夫。昨日はヤレていたじゃないか」
自分を言い聞かせるように呪文を発しながら、昨日のことを思い出す。
冒険者登録を済ました後で、また街外れのあの小川の辺に戻った。人の目が無いこともあり、転生前に異世界ちゃんより授けられた「異世界殺法」など、他にも色々と試してみたが、全く違和感なく思い描く通りに体を動かすことができた。
四十年以上前に転生したからと言って、何一つ忘れているってことは無かった。それなら自分の戦闘力からいって問題ないだろう。何より魔人に改造されたのは伊達じゃない筈だ。
「ヨシ、行くぞ!」
覚悟を決めて、足を踏み出した。
辺りは静寂に包まれていて、自分の歩く音だけが響いてくる。
薄暗い通路の先に、朧気ながら姿が見えてきた。
この距離でもイケるかな?
疑念を抱きながらも、鑑定のスキルを使用する。
マッドハウンド:魔物:戦闘力D。
お、イケた! 戦闘力はDだな。こっちはAだし、全然上だ。
戦闘力の差に少しばかり安堵を覚え、更に歩を進める。
マッドハウンドの輪郭が段々とハッキリと見えたきた。ブルドックと闘犬を掛け合わせたような筋骨隆々の厳つい姿に、全長は3メートル近くもあるように見受けられる。
そいつらが三匹、薄暗い通路の真ん中で、我が物顔で寝そべっていた。
……あの顔で戦闘力Dなの? マジ⁉
深く深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。それでもどこかフワフワと落ち着かない感じが拭えない。
あの感じだと、こっちには気づいていないよな? それなら先手を取れば……。
一番手前のマッドハウンドに向けて、魔光ブラスターを構える。
視覚に投影されているサイトを使って慎重に狙いを定めるが、どこがユラユラとして安定しない。
冒険者としてヤッていくと決めたんだろ? だったらここで怖気づいてどうする!
意を決して、魔光ブラスターの引き金を引いた。
閃光が瞬く間に発射され、狙い通りマッドハウンドの頭部を貫いた。
マッドハウンドは断末魔を上げることすらなく、霧散するように消えて居なくなった。
残りの二匹のマッドハウンドに、こちらに気付いた様子は見られない。未だ悠々と寝そべったままだ。
続けて狙いを定め、魔光ブラスターの引き金を引いた。
今度も狙い通りに、閃光がマッドハウンドの側頭部を貫き、霧散するように消えて居なくなった。
ここにきてようやく事態に気が付いたようで、三匹目のマッドハウンドが寝そべっていた状態から立ち上がり、こちらに顔を向けた。
すぐさま狙いを定め、魔光ブラスターの引き金を引く。
マッドハウンドの顔面を、正面から閃光が貫いた。
そして、これまでと同じように、マッドハウンドは霧散するように消えて居なくなった。
魔光ブラスターを構えたまま、暫く周りの様子を窺う。
辺りは静寂に包まれ、特に異常は見られない。
「……あれ⁉ これで終わり?」
二つの人生を含めて初めての実戦は、余りにもあっけなく終わった。
マッドハウンドの居た場所には、ゴルフボール程のベージュ色した鉱石のような物が転がっていた。
それを拾い上げて確認する。
「……魔石か」
魔法具の材料として欠かせない魔石は、魔物やモンスターから取得できる魔力を帯びた鉱石だ。また、この異世界のいたる所に浸透している魔法具は、元の世界でいうところの電化製品と同じような存在で、日常生活に欠かせない便利な代物である。その為、その材料となる魔石の需要は極めて高い。
灰色の迷宮に訪れたのも魔石が目的で、これを冒険者ギルドに売却して、ひと稼ぎするつもりだ。
実は魔法具が異世界中に普及したのも、ショー・タローク・サマーのおかげである。
魔法具自体は古来より存在していたが、その材料となる魔石には容量や属性など様々な条件があり、それに見合った魔石を取得することは容易でない。倒しやすい魔物やモンスターからは容量や属性などが適さない、質の悪い魔石しか取れず、質の良い魔石を求めるならば、強い魔物やモンスターを倒さななければならない。
勿論、そんなことが簡単にできるはずもない。魔石が集まらなければ魔法具を作成すること自体が難しく、そのおかげでかつては普及していなかったのだ。
その魔石問題を解決させたのが、ショー・タローク・サマーが編み出した「合成魔石」の技術である。
「合成魔石」とは幾つかの魔石を掛け合わせて一つにしたもので、この技術によりこれまで見向きもされなかった質の悪い魔石でも、数さえ揃えば質の高い魔石へと変容することができるようになった。オマケに、「合成魔石」の技術自体もそれほど難しいものではなく、ある程度の修練を積んだ錬金術師なら、誰でもできる程度のものなのだ。
「合成魔石」の誕生により、安定して質の高い魔石が用意できるようになったおかげで、結果的に魔法具も世の中に浸透することになった。
「マジでチート級の錬金術師だよな、ショー・タローク・サマーって。最後は兎も角として……」
周りを見渡して確認するが、魔石の他には何も無かった。
「マッドハウンドいわゆるダンジョンモンスターって奴か」
強引な区別の仕方だが、魔物は二つのタイプに分類することができる。何らかの生命体が瘴気に侵され魔物化したタイプと、魔石を依り代として高い濃度の瘴気から生まれたタイプだ。
ダンジョンモンスターは後者のタイプに当てはまり、ダンジョン自体が魔石を依り代に生み出したある種のヴァーチャルな存在で、倒すと依り代としていた魔石だけが残される。
それに対して生命体から魔物化したタイプは、魔石だけではなく元の生命体の亡骸も残す。大抵は何らかのモンスターが魔物になっているのだが、モンスターの亡骸は様様な物の素材として重宝される為、単純な実入りとしては、こちらの方が高い。
ただ、ダンジョンで人気があるのは、魔石を依り代とするタイプの方になる。
先程のマッドハウンドを例にして考えれば、それも明々白々だ。あんな大きな物を運ぶのは一苦労どころの話じゃない。運搬するだけでその日一日が終わってしまう。それだとどうしても数が少なくなってしまう為、逆に実入りが少なくなってしまうのだ。
個人的にはアイテムボックスのおかげで、その制約を受けないが、それでも魔石だけが残る方が大助かりだ。
なんだかんだ言って慣れていないと、死体ってキツイよね。慣れていてもキツイものはキツイけど……。
因みに、「モンスター」とはスキルを使用する動物のことだ。性格や生態、姿形やサイズは種々によって様々で、魔物と同じく体内に魔石を宿している。
それに対して一般的に「動物」と呼ばれる存在は、スキルを使用することもなく、体内に魔石を有してはいない。この辺りは元の世界と同じである。
では、魔物やモンスターと同じくスキルを使用する、人種と定義されている者たちも、魔石を体内に宿しているかと言うと、そうではない。
転生前の授業の際に、気になってその理由を尋ねてみたが、元の世界さんや異世界ちゃんい曰く、「その辺は深く考えずに、ツッコまないといて~~」とのことであった。
納得できる答えではなかったが、不思議と「そうだね」と思った。
「どうなんだろうなぁ……?」
あれから三回、マッドハウンドと「戦闘」を行ったが、マッドハウンドが弱いのか、自分自身の強いのかよくわからない。
その原因は、魔光ブラスターにあった。皮肉なことに魔光ブラスターが優秀過ぎるのである。威力は申し分ないし、視覚にマーカー表示されるから照準もつけやすい上、閃光の弾速で直進するから外すこともほぼない。マッドハウンドがこちらへ気が付く前に、余裕で撃ち倒してしまっていた。
だから実感もわかないし、手応えも全く感じない。そもそもこれを「戦闘」と呼んでいいのかさえ、疑問に思えてくる。
「う~~ん、このままのやり方でいいのか? 確かにお手軽で安全なんだけど……」
石造りの通路を歩いて行く。
自分の足音だけが小さく木霊するように響いている。
マップに赤い光点か三つ現れた。
通路には分かれ道が無く、このまま少し進めば魔物と鉢合わせるだろう。
そのまま進んで赤い光点に近づき、鑑定かけて確認する。
……またマッドハウンドか。地下十階はマッドハウンドしか出現しないのかな?
これまでと同じく魔光ブラスターを構えて、ゆっくりと歩く。
マッドハウンドの姿をハッキリと見定めると同時に、魔光ブラスターの引き金を引いた。
瞬く間に閃光がマッドハウンドの頭部を貫き、撃ち倒した。
続けて二匹目にマッドハウンドに照準を合わせ、魔光ブラスターの引き金を引いた。
これまた先ほどと同じように、閃光が一瞬にして貫き、マッドハウンドは霧散して消えた。
残り一匹……。
最後のマッドハウンドに狙いを定め、魔光ブラスターの引き金を引こうとしたが、途中で指が止まった。
どうにも腑に落ちず、後ろ髪を引かれる思いがあった。
「格納」
手から魔光ブラスターが一瞬で消える。
「そうだよな。これだと魔光ブラスターだけで、他はなんにもわかんないよな。後々のことを考えて、今で色々と試してみるか」
通路内に唸り声が響き渡る。
『ガルルゥゥゥ――ンッ!』
マッドハウンドが自分の存在に気付き、牙を剥き出しにして威嚇している。
そして、こちらに向かって猛然と駆け出した。
三メートル近い巨体に、体重は百キロを余裕で越えているであろう。マッドハウンドが踏み出すたびに、重量感のある地響きが通路内を伝わってくる。
「あんなのにぶち当たったら、ひとたまりもないな。普通ならまともに相手しようとは思わないけど」
しかし、不思議と妙な自信があった。
左手を少し開いて前に出し、右手は柔らかく握って弓を引くように中段に構えた。そして、タイミングを計るように軽く体を上下に揺らしてリズムを刻む。
それと同時に「心眼」と「ピッチコントロール」、「剛体功」のスキルを発動させた。
目前まで迫った来たマッドハウンドが、口を大きく開き牙を剥き出しにして飛び上がった。
『ガガァァ――ッ!』
焦りや恐怖は全く無かった。スキルのおかげで、マッドハウンドの動きが手に取るように把握できる。
マッドハウンドの動きに合わせて、右の正拳を渾身の力で突き出した。
「セイヤァッ!」
マッドハウンドの開いた口に、右の正拳が炸裂する。
その瞬間、凄まじい衝撃音と共に、マッドハウンドは木っ端微塵に吹き飛んだ。
「………………?」
右の拳を突き出したまま、理解が追いつかずに硬直していた。当の本人が一番びっくりするパターンだ。
ただ、力いっぱい拳を打ち込んだだけなのに、結果が予想に伴わない。
時間の経過とともに、段々と実感が湧いてきた。
「……おおぅ……オレTUEEEじゃん……」
マップと合わせて直に周りを窺い、周囲に誰も居ないことを確認する。
強化外殻の顎の部分に手をかけて、少し前に引いて上に押し上げた。人前には晒せない素顔が露になる。強化外殻のヘルメット部分は、システムヘルメットのようにフェイスカバーをオープンにすることができるのだ。
アイテムボックスから煙草を取り出し、口に咥えて火を点ける。
深く吸い込んだ煙草の煙を、大きく吐き出した。
「フゥゥ……」
煙草の煙がゆっくりと流れていく。
「風が……。灰色の迷宮って空調はどうなっているんだろう……? この感じだとなんらかの空調機能が働いているみたいだけど。それに……」
周りには煙草の煙以外に、黒い靄のようなものが漂っていた。
「これもなんだろうな? 直接、害になるような感じはないけど……」
煙草を吸いながら十分ほど休憩した後、時刻を確認しようと思い、アイテムボックスから目覚まし時計を取り出した。頭にベルが二つ付いた如何にもな形で、生活必需品として最初から用意されていた物だ。
「メニュー画面に時刻を表示してくれる機能でもあったら良かったのに。しかも、アラーム音が何故かベルじゃなく、電子音だし……」
愚痴を言いながらも他に手段がない為、目覚まし時計で現在の時刻を確認する。
「……11時をまわったところか。ダンジョンに入ったのが……8時ぐらいだったよな? 戦闘してたことも考えると、歩いたのは……10キロってところかな」
魔人になる前の自分なら、10キロ歩いただけでも大分疲弊していただろう。だが、今は違う。疲れは微塵にも感じず、気力体力共に有り余っていた。
これは魔人になった恩恵だろう。ハイスペックなステータスに嘘偽りはないってことだ。戦闘力も含めて本来なら感謝してもいい所だが……。
「認めたくないものだな。こんな魔人になったおかげということは……」
目の前には、地下十一階へと続く階段があった。
「この調子だと地下十一階も余裕そうだな……」
直ぐに思い直して、頭を振りかぶる。
「いやいや油断は禁物だ! こっちは初心者なんだし、ダンジョンは何が起こるかわからない。勝って兜の緒を締めよって奴だ。気を引き締めなければな!」
しかし、結果から先に言えば、地下十一階は地下十階となんら変わらなかった。曲がり角はあるが分岐点は無い構造で、規模も全くと言っていいほど同じく、出現する魔物も同じくマッドハウンドしか出てこない。たまにその数が四匹や五匹と少し増えるぐらいで、これでは苦戦することの方が難しい。
当然、地下十階と同様に、なんの問題もなく踏破することができた。要した時間もほぼ同じく、むしろ慣れてきた分、少し縮んでいたぐらいだ。
薄暗い階段を下り、地下十二階に降り立った。
地下十一階も同様であったが、階段を下りた傍らに昇降機が設置してあった。
その手前には二人の男が立っていた。年齢は割と食っているように見受けられるが、武器を携帯している点と、独特の雰囲気から察するに冒険者ってところだが、正確には元冒険者だろう。昇降機の安全確保の為に、灰色の迷宮の管理組織が、引退した冒険者たちに依頼しているという話だ。
「定年退職した警察官が、警備員になるようなもんかねぇ」
二人の男に軽く会釈し、地下十二階の奥へ進んでいく。
「相も変わらず殺風景なことで」
地下十二階もこれまでと様相は全く変わらなかった。何の特徴もない石造りの壁や天井が広がっているばかりで、地下十階や地下十一階との違いが全く見受けられない。何も言われずに昇降機から降ろされたら、自分がどの階に居るのか分からなくなりそうだ。
マップには通路を進んだ先に、赤い光点が三つ表示されていた。
「この感じだと、どうせマッドハウンドだろうなぁ……」
正直、飽きてきていた。周りの景色は全く変わらず、迷うことすらない一本道、出てくる魔物は脅威に感じないマッドハウンドばかり。暇つぶしに作業ゲームをしているかのようだ。
そのまま何も考えずに、頭をかきながら歩を進めて行く。
無警戒に魔物の間近まで来たところで気がづいた。
「あれ……? なんか違うんだけど……」
目にしている魔物が、明らかにマッドハウンドの姿ではない。全長は160センチほどで緑色の体色に、禿頭で大きな耳に独特の突き出した鼻、筋肉質だが痩せこけているようなアンバランスな体型をしている。何より二本の足で立ち、小型の斧を手にしていた。
「アレはもしかして……⁉」
遅まきながらも慌てて鑑定をかける。
ゴブリンウォリアー:魔物:戦闘力E-。
「……だよね。どこからどう見てもそうだもん」
ゴブリン、この世界では獣人やオーガなどと同じく亜人と識別され、好戦的で縄張り意識が強く、人里離れた地で狩猟採集を主とした昔ながらの生活をしている。
ある意味キングオブファンタジー、異世界の影の主役と言っても過言ではない存在だが、そういう生態もあってか、話には耳にしていたけれど、実際にゴブリンを目にしたのは、今回が初めてだ。とは言っても、今、目の前に居るにはダンジョンが作り出した魔物であって、正確には本物ではないのだが。
「へぇースーパースター様のご登場ってか。……って言うか、早いよっ!」
しみじみと感慨にふけっている隙に、ゴブリンはこちらに向かって奇声を上げながら、襲い掛かってきた。
「キシェェェ――ィィ!」
真っ先に向かってきたゴブリンが、手にしていた小型の斧を大きく振り上げた。
その瞬間、ゴブリンの土手っ腹に、鋭い前蹴りを突き刺した。
「ハッ!」
ゴブリンは吹っ飛ぶと同時に、霧散して消えた。
「ギェェェ――ン」
続いて襲い掛かってきたゴブリンが、小型の斧を振り下ろす。
「ギィィィ――ッ!」
その攻撃をヒラリと躱すと、お返しとばかりに、ゴブリンの頭に手刀を振り下ろした。
「オラよっと!」
ゴブリンは手刀で頭を砕かれ、霧散して消えた。
「キヘェン」
満足な成果に、思わず得意げな顔を浮かべた。
「フっ……圧倒的ではないか、わが戦力は。……まあ、ゴブリンの戦闘力も低いしね」
唐突に頭に衝撃を受け、何かが地面に落ちたのを感じた。
「んん⁉」
地面には矢が一本落ちていた。
頭の中に、はてなマークが湧き上がってくる。
「矢……? あっ‼」
ハッと気づいてい目に映ったのは、こちらに向けて弓矢を構えるゴブリンの姿であった。
なんの不思議なことは無い、最後に残っていたゴブリンが、手斧から弓矢に持ち替えて攻撃していたのだ。
「ちょちょっと待てよ! オマエ何も言わずいきなり! 弓持ってるって――」
勿論、そんなこと言われてゴブリンが待つ筈もなく、またしても矢を放ってきた。
「オっオーラシールド!」
咄嗟にオーラシールドを両腕に展開し、ゴブリンが射かけてきた矢を防御して防いだ。
なおもゴブリンは矢を放とうと弓を構えた。
「させるか! コンチクショウめ――!」
ゴブリンとの間合いを一気に詰めると、矢を放つよりも先に、正拳を打ち込んだ。
「ギイィン」
ゴブリンはあっさりと霧散して消えた。
慌てて強化外殻の衝撃を感じた頭部を触って、なんともないか確認する。
「ふぅぅ――……。大丈夫みたいだな。焦ったよー。強化外殻が硬くて良かったー」
改めて今しがたの出来事を思い出し、鳥肌が立った。
強化外殻のおかげで結果的には問題なかったが、矢が頭部に直撃していたのだ。もし強化外殻を身に纏っていなければ、もし強化外殻を貫くほどの破壊力があったならば、当然ながら大怪我していた可能性が高い。それどころか死亡していた恐れだってある。
「ダンジョン怖えー。完全に油断してイキっていたせいだけど。ハイ、すみませんでした。今後は細心の注意を払って、気を付けてまいります」
その後も地下十二階を探索中に、ゴブリンとは何度も相対することになった。基本的に油断さえしていなければどうということのない相手なので、特に苦戦するようなことは無かったのだが、色々と気付かされる点があった。
根本的にゴブリンはあまり強くない。と言うか、正直言って弱い。動きが特別速いわけでもなく、力や耐久力も大したことはない。何より予備動作が大きく、ボクシングでいうところのテレフォンパンチのような形の為、行動の予測がつきやすく、冷静に注視していれば幾らでも対応することができる。マッドハウンドと比べても、明らかに戦闘力はゴブリンの方が落ちるのだ。
ただ、実際に相対した場合、面倒なのはゴブリンの方である。
マッドハウンドは獲物に向かって、全速力で一直線に攻撃を仕掛けてくるが、それに対して、ゴブリンは間合いによって攻撃手段を変え、なおかつ連携して攻撃してくるのだ。攻撃手段が異なれば、当然ながら対応方法も異なってくるし、そこに連携攻撃が加われば、更にその対応方法は広がっていく。
幸いなことにゴブリンの攻撃手段は少なく、連携もあまり洗練されているとは言い難く稚拙であった為、対応に苦慮するようなことは無かった。
だが、この先はどうだろうか?
更に下層へ潜って行けば、ゴブリンなど比べ物にならないくらい強力な魔物が、出現くることは容易に予想される。
そして、いつかは対応しきれない事態に、追い込まれるかもしれない。
勿論そのような事態に陥らない為にも、先に備えて対応方法を模索する必要がある。
今のところ思いつくのは三つだ。
一つ目は、あきらめる。
ダンジョンの探索エリアを対応できる階層もしくは魔物だけに絞り、それ以外は放棄する。一番確実で最も有効な対応方法と思われるが、幾ら冒険者として身を立てることが目的ではなく、商売の資金を溜める為とはいえ、冒険者になったばかりで早々に先の可能性をあきらめるのは、流石にあまりにも消極的すぎる。できれば他の対応方法にしたいところだ。
二つ目は、パーティーを組む。
複数人のパーティーを組み、対応力を向上させる。戦力も増えるしリスクも減るので、一般的にはこの手法が主流だろう。しかし、人員の編成や報酬の分配、人間関係の構築など煩わしい面が発生する。何より個人的には、「魔人」であることのネックがどうしてもついて回るので、取り敢えずパス。
三つ目は、経験値を上げる。
経験を積んで強くなる。見もふたもない言い方だが、魔物よりも強くなれば問題ない訳だし、圧倒的に経験が不足しているのも事実だ。あれ……? でもこれって転生する為の条件だったような……。
「う~~ん、他には何も思い浮かばない……。取り敢えず今は三つ目でいいか。それがオレにとっては無難な気がするし、まあ、ヤバい状況になったら一つ目にシフトってことで」
地下十三階への階段に辿り着いた時には、18時を過ぎていた。
本日のダンジョンの探索は、ここまでで切り上げることにした。灰色の迷宮は昇降機が設置されているおかげで、ダンジョンの探索を再開するのに無駄な労力がかからない。泊まり込みで探索する必要はないのだ。昇降機の使用に料金がかかるのはいささか気に食わないが、その点はヨシとしよう。
アイテムボックスから魔石、本日の稼ぎを取り出した。
「良くて小金貨一、二枚ってとこか……。かかった経費を考えると厳しいねぇ。ソロでこれだと、パーティーを組んでいる奴らは完全に赤字じゃないのか……? ああ! だからか、全く出会わなかったのは」
灰色の迷宮を探索している道中、他の冒険者とは一切出会わなかった。それに、地下十階で昇降機から降りたのも自分だけであった。
恐らく他の冒険者たちは、もっと深い階層で降りたのだろう。
「そうだよな。でなきゃ採算取れねェもんなぁ。もしかして狩場みたいな階層があったりするのかな?」
そこは灰色のダンジョンを更に潜って行けば、追い追いわかってくるだろう。
成果としては、少しばかりしょっぱい結果となったが、割と満足していた。
「思っていた以上にダンジョンはキツくなかったし、魔物ともよく戦えていた。それに――」
体を軽く動かして確認する。
「疲労はほとんどないな。まだまだ全然イケる感じだ」
実は疲労についてはかなり心配であった。初心者でダンジョン探索なんて慣れていないのだから、もしかしたら次の日まで持ち越すんじゃないかと、危惧していた。
しかし、今日一日だけで30キロ以上は歩いた上、戦闘も行ってきたにしては、体力が有り余っていた。これなら明日以降も問題ないだろう。
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