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第一章 紫都と散り桜

顔だけ

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 「添乗員さん、細腰だねぇ!ちゃんと飯食ってんの?」
   
  南条さんがしっかりと私の腰を掴んで笑っていた。
   
「も、申し訳ありません!」
  
  慌てて離れ、通路側に出るなり、キッ!とドライバーの岡田を睨んだ。
  発車するタイミング悪すぎなのよ。
  それとも女には興味ないから、客に絡まれてもどうってことないわけ?
  
 「桑崎さん、危ないのでしっかり掴まっててください」
  
  しかも、私が悪いみたいに注意してきた。
 
 「だからオッサンは嫌なのよー」
  
  席に戻った蛯原さんが呟いていた。
  そうね。
  若い男の子は酔っても、もっとアッサリしてるはず。
   何となく三宅くんの席の方を見ると、ばちっと目が合ってしまった。
   
 やだ。
 なんか、憐れんだような目してる?

  何故か、彼の真っ直ぐな視線が痛かった。
  思わず顔を背ける。

 「車内からの観覧となりますが、今、右手に見えますのが、龍馬とお龍の新婚旅行の像です。鹿児島への旅88日間は、二人の生涯で最も楽しいひと時で、日本最初の新婚旅行と言われ…   」
    
  蛯原さんのガイドをボンヤリと聞きながら、 自分も結婚やハネムーンを夢見たことがあったな、と昔を思い出していた。
     
  今の三宅くん位の頃の…甘くて、愚かでーー
  本当に淡い夢だったように思う。





  「お疲れ様でしたー、鍵をフロントで受け取ってから各自部屋へ移動されてください。宴会場も大浴場も二階です」
     
  何とか予定通り、5時過ぎにはホテルに到着。
  バスを降りた途端、温泉らしい匂いが漂ってきた。
    
 「硫黄の香りが凄いわねぇ」「ここ泥パックあるらしいよ」

   お客様達は、荷物を受けとると、いそいそと館内へ移動していた。
  7時からの宴会までは、温泉に入ったり買い物をしたり自由時間だ。

 けれど、私達、乗務員の仕事はまだ続く。
    
「では、明日の打ち合わせをしましょうか」
    
   お客様で満室の場合は、別館や別の宿に宿泊することもあるのだけど、今回は三人とも本館に部屋が用意されていた。
   勿論、三人とも別々だ。
   宿に着いてからは、ドライバーの部屋でお茶を飲みながら反省会や打ち合わせをする。
   
   岡田は相変わらず私の顔を見ないで、コースの確認で頷くばかりだ。
   蛯原さんが淹れたお茶にも手をつけず、ずっと黙っていた。
 
「ねぇ、あなた、本当に女嫌いなの? それで良く観光バスのドライバーやろうって思ったわね」
 
  とうとう、虫の居所の悪い蛯原さんに突っ込まれるも、岡田はフン…と鼻で笑って返した。
 
「あんたらこそ、あんな酔っぱらい一人うまく扱えないで良くこんな仕事できるな」

  先ほどの南条さんの件を言ってるらしい。
 
「な、何よ?! 女が酔っぱらいに絡まれて助けもしないくせに偉そうな事言わないでよ! それでも男なの?! 仲間なの??」

  蛯原さんが顔を赤くして反論。
  彼女は言葉で侮辱を受けた、怒るのも当然だ。

  岡田は、あぐらをかいていた脚をゆっくり伸ばすと、軽く屈伸してから蛯原さんに冷たい目を向けた。
  
「男にチヤホヤされる年齢が過ぎたら、雑に扱われる時もある。それでもガイド続けてるんだから、いちいち目くじら立ててないで笑って返せ、いつまでも乙女気分でいるなよ」

  蛯原さんの顔がますます赤くなった。
  この人、女の敵だ。
 
「岡田さん! 言い過ぎですよ!」
  
  つい、強い口調で牽制する。
  
  接客業だからお客様に何を言われても、何をされても良いと言うことはない。
   私達にだって人権はある。
  
 「あんたも!」
    
 岡田が、今度は私に氷のような目を向けた。
 
 「女だからっていつも男に助けて貰えると思うな。腕や腰を掴まれたぐらいで固まってんじゃないよ、お前は処女か? これだから女はダメなんだよ」
  
  「!」
  
  ヒドイ。
  テーブルのお茶菓子を投げつけてやろうかと思ったけど、
  
「最悪! あんたこそセクハラしてんじゃないわよ!何、その男尊女卑!」
    
  先に蛯原さんがそれをやった。
  投げた西郷どんの煎餅袋が、ピッ…と、岡田の口元に当たる。
 
 「こんな男と二度と一緒に仕事したくないわ。桑崎さん、行こう」
  
  そして、私の手を取って岡田の部屋を出た。興奮からか、蛯原さんの手はとても熱かった。
  
「良い年して、中学生のツレションかよ」
 
  私達の背に向けた高笑いが、更に感情を逆撫でる。
 
  本当、最悪。
  
  顔だけの男だ。








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