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第一章 紫都と散り桜
ツアコンの夜
しおりを挟むぶっきらぼうだけど、見直すところもあったのに。
一気に岡田への印象が悪くなった。
「私、宴会の間にお風呂済ませて、さっさと寝るわ!本当、岡田の奴ってば頭にくる!」
「少ないといいですね、大浴場」
浴衣姿と素っぴんでお客様と遭遇するものほど、気まずいものはない。
「そうね。誰にも会いたくないわね。でも、三宅くんは別かな。部屋に遊びに来て慰めてくれたらいいのに、私じゃあ、無いかぁ。あーあ」
重い溜め息を吐いて、蛯原さんは自分の部屋に入って行った。
見送ったその背中には哀愁が漂っていたけれど、ドライバーとガイドさんは、宿での仕事は無いので後は自由時間。ちょっぴり羨ましかった。
それに比べ、添乗員は、夜中も何かあれば対応しなきゃいけない。
「…さて、もう一仕事…」
宴会場のセッティングを確認しに向かう足が重たく感じた。
どうか、何も起こりませんように。
宴会場一間を貸し切っての夕食。
サービスのドリンクを、手際よく各席へ配る。
温泉後のビールがとても美味しそうに見えた。
「お飲み物、はじめの一本は無料ですが、あとのご注文分は払い放題ですので、ご自身でお帰りまでにご精算くださいねー」
そう言うと、揃ったお客様が沸いた。
「払い放題だって!」
賑やかに食事を取るグループ参加のお客様もいれば、1人参加で、静かに食するお客様もいる。
「鹿児島は芋ばっかだねぇ。芋は昔死ぬほど食べたから嫌いなんだよ」
と、お箸で芋料理をはじいているのは赤石さん。
そんな彼女もいつも一人で食事をしている。
背中は何となく寂しそうだ。
希望があれば、他のお客様と相席にするのだけど……。
「添乗員さん!一人で食うの寂しいよ!隣で御酌してくれよ!」
「はーい」
南条さんもお一人様なので、テーブルをくっつければ良かったかな。
御酌も仕事のうち、
「おつぎしますよ」
南条さんだけではなく、順に手酌のお客様のそばへ近寄った。
「添乗員さん、食事は後からですか?」
勿論、三宅くんにもビールを注ぐ。
「ええ、後からですね。9時位になりますかね」
実は、もうお腹ペコペコだった。
三宅くんに貰ったどら焼のお陰で、今の時間まで持ったようなもの。
「かっぱどら、美味しかったです。ありがとうございました」
お礼をいうと、三宅くんは色白の肌をピンクに染めて、照れたような笑みを浮かべた。
可愛い。
蛯原さんが夢中になるのも分かる。
浴衣から見える鎖骨もセクシーだもの。
「さっきは、大丈夫でしたか?」
「え?」
つい、見とれてしまった事が恥ずかしくて、慌てて三宅くんから視線をそらす。
「あのお客さんにバスで絡まれてたでしょ? 変な事されませんでしたか?」
三宅くんが、南条さんを見て険しい顔をした。
「変な事はされてないですよ、良くあることです」
一般のお客様ではなく、男性ばかりの法人団体では良く触られたりもしたけど、年齢も年齢だ。今はその手の害は少ない。
「そうですか、良かった」
三宅くんが、微笑みながら料理をつまむ。
若さゆえ、その手も美しく、まるで石膏で作られた造形物みたいでドキドキした。
ヤバい。
「じゃあ、お料理、堪能されてくださいね。何かあったら呼んでください」
ずっと仕舞っていた女心が疼き出すのが怖くて、私は三宅くんから離れた。
「カラオケ、歌い足りない方いませんか? あと10分程でお開きですよー」
家族連れ等のお客様は既に部屋に戻っていたため、宴会場も閑散としてきていたが、お酒好きの方はいつまでも呑んでいた。
その中の一人、
「添乗員さんはぁ、下の名前は何ていうのぉ?」
完全に目の座った南條さんに何度も絡まれるも、それもあと数分の我慢。
「朝、ご挨拶しましたけど、忘れちゃいましたか? 紫都ですよ」
「ちずぅ??」
「し、づ、です」
「だっせぇ名前だなぁ!」
「……」
確かに古風な名前だけども。
「しづ! 俺の部屋まで来い!」
しつこい南条さんを適当にかわし、 足元のふらついた、年配のお客様をエレベーターまで見送る。
未精算のお客様の伝票を確認してから、ようやく自分の部屋に戻った。
時計を見たら22時。
……大浴場、まだ間に合う。
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