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air 新しいもの

彼の家

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       時には新鮮なものも必要だと思う







「あれ? 鷲ちゃん、月初なのに残業しないの?」

   十月頭。
   他の社員は月初報告の資料作りに追われてる中、私は定時の6時で帰宅準備。
     
  声をかけてきた室岡さんも、データ収集で大変そう。

  「……はい、今日は用事がありまして」

    彼、信の家に招かれて、食事をすることになっていた。


 「あ。鷲塚さん、デート? 同級生の彼氏と?」

    荒城さんが振り返って私を見た。

  「……うん、まぁ」

  その顔がバカにしたように笑っていて、内心、ムッときていた。
   信が農業だと聞いているからか、私を見下してるのが見え見え。

 「いーなぁ、私も彼氏ほしー!」

   大きな声で自分はフリーであることを、奥田さんにアピールしているらしい。

   奥田さんは、こちらをチラッと見ただけで再びPCに集中していた。

  「お先に失礼します。お疲れ様です」

   パチパチと、キーを叩く音が響く事務所を、そっと出た。


   ……普段から、用事がなくても定時上がりできるくらい、私の仕事は忙しくない。


   入社して六年、私はずっとぬるま湯に浸かって仕事しているようなものだ。




  仕事への意欲はあるのに、自分のスキルにも自信がない。
  任される内容に、生産性がないという負い目を感じてるせいもあり、いつも他人のメンドクサイ雑務を引き受けている。

   サービス残業も良くあるけど、さほど疲れを感じない。
   ……ここがポジティブ社畜だ。

    最近はこの就業スタイルに、卒業を設けたいと思うようになった。






  「お疲れ、 ごめんな。親父が急に呼んでしまって」


  会社最寄り駅まで、信が迎えに来てくれた。

 「ううん、でも、なんだろね、おじさん。…… 急に」

   年商とかは聞いたことないけれど、バラ園は儲かってるらしく、乗ってきた車はベンツ。

  「親父から、結婚の話を急かされるんだと思うよ」

  それを運転する信の纏う服は、上から下までブランド一色でまとめ、とても農業を営んでるようには見えない。

  「……だよねぇ」

    助手席で軽いため息を漏らした私を、信が面白くなさげにチラ見する。


  「伊織は、やっぱり迷ってるんだよな」

   ここ数年、マンネリ化していた私達は、月一のラブホデートばっかりだったのに。
   先日。久し振りに行ったスカイツリーでプロポーズされた。

  けして、ロマンチックなものではなかったけど……。

   ″ セフレみたいになってしまったけど、そろそろ日常を共有する関係にならない? ″

   そう言って、珍しくプレゼントをくれた。

   プラチナのダイヤリングーー

    金属アレルギーの私は、それを見てキレイだと思うだけで、はめることもできない。


 「……信は、バラの栽培は手伝わなくていいって言ってくれたけど、ご両親は、そうは思わないよね?」

 「大丈夫だよ、親が引退したら人を雇うからさ」

 「……」

   八年も一緒にいるのに、信は私の体質には関心すら抱かなかった。



  そんな信が、なぜ私と結婚をしたいと言ってくれたのか。

  それは、きっと″ 家 ″ のため。


 「伊織さん、ほら!遠慮しないで食べて食べて!」

 「お酒もあるよー」

   信の家では、いつもに増してウェルカムなご両親と、歳の離れた妹が、お寿司やらオードブルを次々と運んでくる。

   まるでお正月。

 「いただきます」

    生の魚が苦手な私、握り寿司は穴子や玉子だけをつまむ。

    体質だけじゃなく、信は、きっと私の苦手な食べ物もあまり知らない。

    一緒に食事をしても、最近は、会話もさほどなく、ただ黙々と食べるだけなのて、私が何を美味しそうに食べてるか、何を避けてるのかも、把握してないと思う。

  「伊織、もっと食えよ。残ったら持って帰らせるぞ」

   なので。
   信は平気で私の取り皿に、鮪や白身魚の握り寿司をのせてくる。

  「伊織さんと信は、本当に仲が良いな」

    ご機嫌で、飲酒のピッチが早くなっていくお父さんに、お母さんが耳打ちをした。

 「お父さん、飲んでばかりじゃなくて、ほら……」


  すると、信のお父さんは、グラスをテーブルを置き、「伊織さん」と、真剣な顔で話しかけてきた。

 「……は、はい」

「信は、具体的な話をまだ進めてないんだと思うけど。どうだろ? 交際も長いし、あなたも26歳になられるし、そろそろ結婚の準備を始めては、と」


   酔ってはいても、しっかり話されるお父さんとともに、信のお母さんは頷いて助言した。


 「薔薇栽培の農家なんて、躊躇う気持ちも察します。でも、そこらのサラリーマンよりずっと収入はありますし、いずれ経営は信に完全に任せるつもりです。 作業のお手伝いは、子育てが一段落して気が向いたらやるということで、どう?」


  おそらく。
  過去、ご自身も悩んだであろう結婚の決断を、微笑んで促す。


 「……は、い……」


    ″ 子育て ″。


   当たり前なのかもしれないけど。結婚って、子供を作ることが前提なんだ。

    子供はキライじゃないし、結婚するなら母親にもなるのも自然な流れだと分かってはいるけど、


  「言っとくけど、俺たちの子供にまでバラ園の継承は無理強いすんなよ?」

  「そこまでお父さんもお母さんも生きてるかわかんないわよ」

  「生きてる だろ?  憎まれっ子は何とかって」


   アハハ……と、笑いが起こる和やかな食卓で、
私だけが顔をひきつらせて話を聞いていた。


   この家には。
    ……ううん、信にとっても、

 必要なのは、跡継ぎなんだな、と感じてーー。




 「伊織さん、今夜は泊まっていったら?」

   酔った信とお父さんは、リビングでうたた寝をしていて、お母さんだけが帰ろうとする私を引き留めた。

 「ありがとうございます。明日も会社なので一度帰らないと」

   パンプスを履きながら答える私を、

  「会社ねぇ……」

   少し冷たい目をしてお母さんが見ている。

   信の話だと、19歳でバラ園に嫁いだお母さんは、社会人として外で働いた経験がないのだそう。


 「女の幸せって、大きな会社に勤める事じゃないと思うのよ」


  皮肉にもとれるお母さんの言葉が、着ていたスーツをとても窮屈に感じさせた。










 



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