歌い手始めました

神代ひまり

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2,体験入学

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 ゆっくりと深呼吸をして扉を開けて言った。

「失礼します。この前電話した秋月です」

 そう言うと、教室の中で喋っていた人たちが喋るのをやめて一斉にこちらを見る。そして、教室の奥から髭面らの白髪のおじいさんがゆっくりとこちらへ歩いてきて言った。

「この前、電話してくれた人だね。はじめまして。私の名前は声成一(こわなりはじめ)ここの校長をやらせて貰っているよ」

 校長を名乗る声成さんは、ご機嫌そうに髭をなでる。声的にこの前電話を取ったのはこの人だろう。周りを見ても他の先生らしき人は見当たらない。今日は休みなのだろうか。

「さあさあ、見学して言ってくだされ」

声元さんは言うと、俺を近くにあった椅子に座らせて、生徒であろう人だかりの方向に向ていって言った。

「今日はこの学校の見学者が来てくれた。名前は……」

 そう言ったところで、校長は俺の所に戻って来ると言う。

「申し訳ない。ハンドルネームを聞いてなかったね」
「ハンドルネームってなんですか?」

 俺が聞き返すと、声成さんは言った。

「ハンドルネームというのは、自分でつけるあだ名みたいなものだよ。ここではインターネット上でも活動したりするから、みんな本名ではなく、自分で名乗ったあだ名をつかっているんだ。身バレのおそれがあるからね」

 なるほど。確かに見知らぬ人が見るところで活動するなら、本名を使うわけにもいかないな。しかし、ハンドルネームか。考えていなかったな。
 俺はしばらく考えたが、自分の苗字の秋月からアッキーというハンドルネームにする事に決めた。

「なるほど。アッキー君ね」

 校長は俺のハンドルネームを聞くと、また人だかりの方に戻って言った。

「今日一日見学していくアッキー君だ。よろしく頼むよ」
「よろしくお願いします」

 俺が挨拶をするとそこにいる皆も自己紹介を始めた。まずは近くにいた茶髪のチャラい感じの男の人が一番最初に自己紹介を始めた。

「俺は表狐(こひょう)って名前で活動してるものだ。よろしく頼むぜ。未来のライバル。まあ、当然俺には敵わないとはおもうけどな」

 表狐さんはそんなことを言いながら笑っていた。表狐さんと俺の間に割り込んで桃色の髪の女の子が自己紹介をする。

「もう、まだ入るって決まったわけじゃないでしょ。勝手に決めつけないの。というわけで始めまして。私はユユカと言います。確か一度会ったよね。今日はよろしくね新人君」

 ユユカさんは俺に笑いかけた。確か駅でチラシを配っていた女の子だな。あまり見かけない桃色の髪だからすぐに思い出した。続いて椅子を向かい合って座っていた男女ペアが自己紹介する。

「次は私かな? 私は図書館です。ラーメン君の保護者です」

 図書館さんはにっこりと笑う。図書館さんの隣で、男の子がいかにもなんでやねんと突っ込みを入れたげに言った。

「おーい。おかしいよー初対面相手の人に勝手に変なことを教えないで。というわけで別に保護者じゃないですが、図書館とは幼なじみでいつも一緒に練習してます。ラーメンです。ラーメン君って呼んでね」

 彼は困った顔で挨拶をした。どうやらこの二人は仲が良いらしい。自己紹介が終わり、歌の講義の準備に取りかかってもその二人はずっと何か言い合いをしていたが周りの人はいつもの光景と言わんばかりに気にも留めていなかった。そして、講習が始まった。

「今日は自由課題です。二人一組で歌いたい曲を見せ合いをする。ペアは表狐君とユユカさん。そして、ラーメン君と図書館さんの二ペアでやろう」

 さて、俺はどちらの練習を見ればいいのだろうか。俺はそう考えながら四人を見ていたが、ユユカさんが話しかけてきた。

「ねえ、よければこっちの練習を見ない?」

間髪入れずにユユカさんは言った。

「あの二人はあの喧嘩が始まるとしばらくあの調子で練習もまともにやらないだろうし、多分こっち見ていたほうが良いと思うんだ」

 確かにちゃんと練習を見たいし、俺は言われるままに表狐さんたちの練習を見ることにした。表狐さんとユユカさんが椅子を向かい合うと、まずじゃんけんをした。勝ったのは表狐さんのようだ。表狐さんはスマホを使って何かの曲のカラオケ音源を流し始めると、歌い始めた。彼の歌は、素人目の俺から見てもとてもうまいことが分かった。その様子を見て過去の一生懸命やっていた昔の自分を思い出して少し悔しいという感じを抱いた。曲が終わると、表狐さんはユユカさんに尋ねた。

どうですか。前よりはだいぶましになったとは思いません?」

 表狐さんが聞くと、ユユカさんは少し、考えるそぶりを見せるが、しばらくして何かをノートの切れ端に書き、終わったらその紙を表狐さんに渡していった。

「うーん。まあ、少しは良くなったわね。でもまだまだってところね。やっぱり表狐君は、歌に夢中になると熱くなってテンポがずれても気づかなくなるのが弱点ね。そこを直せば、もっと良くなるとは思うわ。この紙にテンポのずれがあった場所を書いておくから今度はそこを意識して歌ってみて」

 嘘だろ。今のでダメ出しが入るのかよ。素人目線とはいえ、どこでテンポがずれているのかさっぱり分からなかったぞ。やはりここの学校の人はプロを目指しているのだろうか。レベルが高いのを実感させられた。

「次は私の番ね」

 ユユカさんは言うと、ギターを持ってきて歌いはじめた。表狐さんも上手いと思ったが、ユユカさんは桁違いだ。自分でギターを弾いて歌うなんて、しかも歌も超絶上手い。歌い終わったところでユユカさんは少し照れながら言った。

「どう? これも私が作詞作曲したんだよ。まだまだ発展途上なんだけどね」
「作詞作曲って、これ自分で作ったということですか。すげー!」

 隣から割り込んできたにもかかわらずに、ユユカさんは嬉しそうに笑って言った。

「ふふふ、ありがとう。全部はできてはいないけどなかなかの出来でしょ」
「ユユカさんも人が悪いな。俺の後に完成度の高いオリジナル曲を聞かせてくるなんて、そんなことをされたら自信なくなるじゃないですか」
「あはは、ごめんごめん。でもそんなつもりでこの曲を見せたんじゃないのよ。一応参考にしてもらいたくてこの曲を選んだの。ここに通えばこんなことも出来るようになるよってね」

 表狐君とそこにいる新人君にね。というとこちらを見た。そうか、俺も含まれているのか。お互いの歌の見せ合いが終わって、表狐さんとユユカさんはなにやら雑談を始めた。その間に先ほど喧嘩をしていた二人を横目で見る。そちらも練習が始まってたら、見に行こうと思ったのだが、まだ何か言いあっているようだ。校長はそんな二人に目もくれずにパソコンと真剣な顔でにらめっこしていた。そして、唐突に立ち上がると言った。

「ごめん。みんな。私は急用が出来たから悪いけど今日の講習はここまで。練習して行きたい人は残って練習していっていいから先に失礼する」

 そういうとバタバタと慌ただしく教室を出て行ってしまった。俺はこのまま見るだけ見て、片付けをしないで帰るのは気が引けたので片づけを手伝うことにした。高校生以来だな。このような教室みたいなところの清掃をするのを。俺はほうきでゴミを片付けたり、椅子を片付けたりしていた。すると、後ろから表狐さんに話しかけられた。

「ねえ、今日の講習どうだった?」
「正直レベルが高くてびっくりしました。俺が入っても皆についていけるかちょっと不安です」
「あはは、確かにレベルが高いように見えたかもね。でもここにいる人たちは校長に教えられた基本をこなして上手くなっているだけだから、君も練習すればこんなふうにできるようになるよ。ああ、でもユユカさんは別ね」

 あの人は天才の域だからと笑った。俺は疑問に思っていたこと
「ところで、この養成学校ってどのくらい人っているんですか? 教師とか生徒は」
「ああ、教師も生徒も今日いた人で全員だよ」

 生徒はまだわかるが、先生もか?ということは声成さんしか先生をする人がいないのか。だから、他に先生らしき人は見当たらなかったわけだな。休みなわけではなく、単純に教える人がいないわけか。

「全く、校長はすげえぜ。元々は某歌の大手会社の社長候補だったらしいんだがな、歌を人に教える仕事がしたいって会社を辞めてわざわざこんな小さいビルを借りて養成学校を始めたらしいぜ。社長になることを捨ててまでわざわざなれるか分からない俺たちに一生懸命歌を教えるなんて、あの人にもほんとに頭が上がらないな」

 そんなことを表狐さんは言った。そうだよな。いくらお金をもらっているとはいえ、大手会社に比べれば微々たるものだ。しかも、それでビルの貸し賃や、機材などの面々を考えると明らかにマイナスなはずだ。それで、なんとか学校を続けられているのは確かにすごい事なのかもしれない。しかし、わざわざそんな社長になれるかもしれない会社を辞めてまでこんなことを始めたのだろうか。そんな疑問をよそに表狐さんは言った。

「まあ、興味があったらまた来てくれよ。いつでも歓迎するからさ」

俺は、片づけを終えると、ありがとうございますと言って、教室を出た。 
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