歌い手始めました

神代ひまり

文字の大きさ
上 下
4 / 6

4,私のヒーロー

しおりを挟む



 土曜日。今日は大学もない。特にやることも思いつかなくて自分の部屋でボーっとしていた。棚から漫画を取り出す。しかし、この漫画はもう何度も見て、もうキャラのセリフすら覚えている。漫画を読みながら昨日姉貴に言われたことを思い出した。なんで?そんなに悩むこともないじゃん。楽しかったんなら入りなよ、か。確かに楽しかったけど。昔、なりたくてそれでもなれなかった夢だ。今更、入ったところで歌手になれるなんて思えない。多分行っても……前と同じで沢山練習して努力したって歌手になれないに決まっている。

「あーやめだ。やめだ。図書館にでも行くか」




 昨日見た変な夢のせいだろうか。色々なことを考えて漫画に集中できなくなり、図書館に行くことにした。本は漫画と違って読みはじめると内容に集中できるから好きだ。余計なことを考えないで済む。適当に準備をして家を出る。家から出るとちょうど部活なのだろうか。家の前に麻耶もいた。
 麻耶はこちらに気づくと話しかけてくる。

「あ、よっしー。よっしーは今日講義なの? 私は今日部活なんだ。ねえ、一緒に行こ」

 その恰好を見たらすぐに分かったよ。なんで家から出る時にすでにジャージなんだよ。私服で学校まで行って、そこで着替えればいいのに。その恰好で電車に乗って恥ずかしくないのか。

「麻耶。お前私服持ってないんだっけ」
「いきなり失礼な!? 私服くらい持ってるよ」
「じゃあ、なんで私服で学校に行かないんだ」
「えーだって面倒くさいじゃん。私服から学校で着替えるのって。それに」

 その後の言葉は言わなかった。こいつそんなくだらない理由でジャージで学校に私服を着て行かないのかよ。

「それになんだよ。とにかく、その愉快な恰好の奴と電車に乗るのはとても恥ずかしいから一緒に行くなら着替えて来いよ」
「むー、よっしーがそこまで言うなら仕方ない。着替えてくるからちょっと待ってて」

 麻耶は再び自分の家に入って行った。全く最初からそうすればいいのに。どうしてこいつはこんなに女っぽさがないんだ。しばらく待っていると麻耶が私服を着て出てきた。

「お持たせ。これでどう?」
「うん。まあ、及第点。悪くはないんじゃない」
「ひどっ! 頑張って可愛い服を選んできたのに」

 麻耶がそんな早く服を選べるわけがないだろ。どうせタンスを開けて目についた服を適当にぱっぱっと着替えてきたんだろうな。俺たちは二人並んで話しながら駅までの道のりを歩いていた。

「お前って本当に昔から女子力ないよな」

 俺が呆れて言うとそれを聞いた麻耶は、ぷくーっとほっぺたをフグのように膨らませて言った。

「そんなことないもん。あ、私もちゃんと女の子らしいところあるから」
「へーそれはぜひお聞かせ願いたいものだ。一体どこに女の子らしいって言うんだ」
「ふふふ、よっしー君よ。聞いて驚くなよ。なんとね。私、高校に入ってから男子と別に着替えるようになったんだよ。

 それは当たり前だ。むしろなんで今までそんな女の子として当たり前のことをしてこなかったんだ。女性としての危機感がなさすぎだろ。周りにじろじろ見られていても気づかなかったのか。こいつは。しかし、突っ込みたかったが、それを言うとまた麻耶はいじけて話さなくなりそうなのでとりあえず褒めといた。

「ソレハジョセイトシテノ、オオキナシンポダネ」
「なんで棒読みなのよっしー。絶対そんなこと思ってないでしょ。本当だからね」

 嘘だと思って棒読みなわけじゃねえよ。まったくこいつは、まだまだ面倒を見てやらないとだめなようだな。俺たちは談笑をしながら駅について、電車を使って大学がある船橋まで行った。電車を降りてしばらくしたタイミングで唐突に麻耶が言ってきた。

「そういえばよっしー昔目指していた歌手の夢はもう諦めちゃったの」
「唐突だな。まあ、さすがに音大落ちたからな。これ以上親にも迷惑かけられないし。諦めたよ」

 俺が言うと麻耶が真剣な目つきで俺を見ていた。そして、言う。

「そうやって、親とか才能とかただ言い訳を作っているんじゃないの」
「あん? なんなんだよ。お前。麻耶に何が分かるってん言うんだ」
「わかるよ。だって私。部活ずっとよっしーが歌手になりたくて頑張っている姿を見てきたんだよ。だって、いつも高校の頃、放課後に残って一生懸命練習していたじゃん。小学生の頃からなりたかった夢だったじゃん。一番近くで頑張る姿を見てきたのは誰だと思っているの」
「でも、大学受からなかっただろ。それが一番の理由だよ」
「たとえ、受からなくてもあきらめずもう一度挑戦すればよかったじゃん。大学なんていかなくたって他にやり方なんていくらだってあるじゃん。よっしーはそれから逃げたんだよ」
「勝手なことを言うなよ! 何も知らない癖に! ただスポーツしか取り柄のないやつが何がわかるんだ!!」

 俺は思わず怒鳴ってしまった。麻耶はびっくりして委縮した。俺も幼なじみ相手に少し大人げなかったと思って反省する。しかし、麻耶も珍しくさらに反論してきた。

「分かるんだよ。私はよっしーの言う通りずっと小学生の頃からスポーツ漬けだった。敵わなくて負けて来たことも幾多にもあった。でも、負けたからって嘆いていても仕方がないでしょ。負けたのなら何が悪かったか、どこを改善すべきか考えないと」
「結局頑張ったって、それで負けたりリベンジを果たせなかったら仕方ないじゃないか」
「結果だけ見ても仕方ないよ。確かに頑張っても結果勝てなかったこともあったけど、大事なのはその過程だよ。一生懸命やって勝てなければ、清々しい思いで終えることが出来るでしょ?」

 一生懸命か。確かにもう一年頑張れば受かったかもしれない、でもそれで受からなかったら。さらに麻耶は言った。

「私は夢に向かって努力するよっしーはかっこよかったし、私の中でヒーローだったよ」

 ヒーローか。そんなたいそうなもんじゃないんだけどな。俺は今日見た夢の内容を思い出した。


『ぼくの作文。小学三年。秋月豪(あきつきつよし)。僕の将来の夢は歌手です。なぜなら、僕は歌うことが大好きだからです。だから僕は、みんなの疲れた気持ちを癒せるような、そんな歌手になりたいです』

 やっぱり麻耶に言われて分かったかもしれない。俺はやっぱり歌手になりたい。昔、思ったこと疲れた人を癒せるような。なんでいつの間にか忘れてしまっていたんだろう。

「ごめん。麻耶。急用ができた。悪いが大学は一人で行ってくれるか」
「いいけど。ってか講義あるんじゃないの」
「わりい、あれは嘘。今日講義ないんだわ。さっき怒鳴ってごめんな」
「ううん。私も割と今日は攻撃的だったから。ごめん」

 麻耶と別れると急いで俺は養成学校へと向かった。今日は土曜日。確か毎週土曜日は講義がやっているはずだ。俺は養成学校がやっているビルに入るとノックをせずに教室の扉開けて言った。

「俺をシンガーミクス養成学校へ入れてください」

 皆は俺を見て驚いた表情になるがすぐに笑顔になり言った。

「ようこそシンガーミクス養成学校へ」

 そういわれて嬉しくなり部屋へ一歩踏み出した。新たな歌い手というものへの一歩を。
 

しおりを挟む

処理中です...