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第一章 暁を之(ゆ)く少年

第十六話 開廷(2)

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 裁判は淡々と進む。罪状が読み上げられ、認否を問われた朱昂しゅこうが認める頷きをする。
 残すは刑罰の決定。筋書きの決まった舞台だった。
 しかし、問題は刑罰であった。

 秘蹟ひせきに与えられる罰というものを、朱昂は知っていた。朱昂が目を通した数少ない大法廷の記録はその全てが秘蹟による秘蹟殺しであった。その罪に与えられる罰は、秘蹟の能力を封じること。――しかし、理の守護者とはいえ、一介の魔族が秘蹟を封印することなどできない。その代替として、烙印を押されるのだ。

 大昔、二体の秘蹟を殺した者は額に押されたそうだが、ほとんどは首の後ろである。人目につくところへ高温の焼き印を押し、罪人の証とする。もちろん、烙印如きで秘蹟の力は弱まらない。ただの儀式。形ばかりの懲罰のために、この仰々しい大法廷が開かれるのだ。朱昂はずっと以前、父が存命の頃からそのことを知っていた。

 故に、龍王の口から「真血しんけつを封じる」と聞いても、大した動揺は抱かなかった。
 様子がおかしいと気づいたのは、この一言の後、陪審席で生まれたざわめきに混じる言葉だった。

「しかし、慣例では烙印を」
「ああ、封印が叶わぬ時に生まれた慣例では、な。しかし汝らも知っていただろう?それは正当な罰ではない、と」

 続く龍王の言葉に、朱昂は内心で首を傾げた。

 ――何を言っている?

「法を守るは龍族の務め。慣例をそのまま適用し続けることが、果たして法を守ると言えるか?法を曲げてはならぬ。秘蹟を殺した秘蹟は、その能力を封じる。罰に、それ以上も以下もない」

 待て、と頭を起こしかけた朱昂の背を、太い棒が上から押さえた。

「しかし……」
「私は何か間違っているだろうか」
「いえ、法にはそうありますが」
「問題は法にも罰にもない、ただ、この者にある。口枷を取るがいい」

 龍王の出し抜けの一言に、朱昂は心臓が重く震えるのを感じた。
 両脇から抱き起こそうとする腕に、抵抗したくとも、枷でがんじがらめにされた体はいうことをきかない。
 朱昂は無様に腕を抱えられた状態で、膝立ちの体勢になる。口枷が外された。

 ――止めろ!

 叫びたくても叫べない。龍王の意図が分かっていたからだ。絶対に口を開けてはならない。この衆目下で断じて開けては――。
 鋭い爪が朱昂の唇を割り開こうとする。抵抗する朱昂。唇に大きな裂傷ができるが、みるみる内に治っていく。

「ぐ、あ……」

 とうとう前歯がこじ開けられた。太い指が割り込み、朱昂の顎を上下に割り開いた。指が喉奥を刺激し、朱昂は激しくえずく。

「う、う゛おえ……えぇ……」
「見よ」

 苦しくとも上体を倒すことすらできない。指の間から透明な唾液が垂れ落ちる。
 朱昂の白い頬に一筋、涙が走った。

「なんと……」
「まさか」
「その体で」

 陪審席を震わせる言葉ひとつひとつが朱昂を打ちのめした。
 恥部を曝けだされたのだ。まだ成体ではない、という絶対の秘密を、異種族にのぞき込まれるこの恥辱。
 牙のない口内を、数十名の龍族にあざ笑われるこの苦しみ。

 その中心に立つ龍王を、精一杯の憎悪を孕んだ紅い目が睨む。真っ向から朱昂の視線を受け止めた龍王は、表情を変えずに口を開く。

「――幼体の秘蹟は、なんの力もない。故に、奪う力もない。さて、どうするべきか」

 ずしりと、重たくのしかかる事実。
 奪う力もない。力を、持たぬのだから。
 朱昂は自らの震えを意思の力で押さえこんだ。これ以上、醜態は晒さない。涙が、哀しみの残滓のようにまた一筋流れた。

「では、烙印を?」
「いいや、それは最後の手段だ。奪えるものがないだろうかな。この者から、秘蹟の命、秘蹟の能力と同等のものを奪わねばならぬ」

 ないかな。ないだろうかな。

 龍王は、陪審席に向かってまるで教師のように問う。
 自分が知っている答えを、早く生徒が答えるように促す教師。その期待に応えるように、資料を捲る音が続く。その音の波の中で、朱昂は最も早く答えを導きだしていた。

 ――伯陽はくよう

 びくりと朱昂の背筋がしなる。衝撃のあまり、叫びに喉を震わせることすらできない。口を割り開かれながら、全身を拘束されながら、のたうつ朱昂に龍王はふっと、えくぼを見せた。
 その通りだよ、朱昂、と薄墨色の瞳が笑う。

「しもべ……しもべを、奪うのですか?」

 そして龍族側も、答えを見つけたようだった。

「さて、考える価値はありそうだ。連れてこい」
「あああああああああああ!!!!!!」

 絶叫が、白い喉をとうとう突き破った。朱昂のしわがれた叫びが円形の大法廷に響き渡る。天井は高く、暗い。その頂点まで、朱昂の悲鳴は響いた。
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