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◆ 第二章 異邦への旅路
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国王陛下は、吉乃をぎゅっと抱きしめたまま離れなかった。感動の再会を周りの侍従たちは涙ぐみながら眺めている。お仕えする彼らにとっては、尊い御兄弟の抱擁は美しいものなのだろう。だが俺は不敬と知りながらも、陛下が抱きしめているのは私の妻ですが、と言いたくなってしまった。
そんなことを言えばきっと、お前の妻である前に俺の弟だ、と言われるのだろう。そもそも、そんな愚かな発言をすればこの場に集う近衛たちに殺されそうなので絶対に口にはしない。
吉乃は御兄弟方に深く愛されている。その中でも、紫蘭陛下からの御寵愛はとても深く大きいものだった。陛下と吉乃はもう乗り越えた一件なのだろうが、二人は兄弟でありながら体を繋げている。そのことに対し俺は、複雑な気持ちを抱くことがあった。
「こら、兄上。いつまでそうしているつもりですか」
「仕方がないだろう。吉乃が足りていないんだ」
いい加減離れてください、と副王陛下が国王陛下に声を掛ける。だがそれでも、陛下の両腕は吉乃から離れなかった。陛下の御髪に合わせた濃紺の誂えに包まれて、小さな吉乃は頭のてっぺんしか見えていない。
「吉乃、お前の一番上の兄はずっとこんな有様だったんだ。情けないにも程がある」
「吉乃と離れて平然としているお前がおかしいんだ」
「別に平然としていたわけではありませんよ。元気だろうか、と案じていました。しかし、優秀な侍従や近衛がついているのですから」
そう言って、副王陛下の視線が侍従長殿に向かう。その視線に気付き、侍従長殿は膝を屈して拱手の礼を取った。侍従長である淡月殿が膝を折ったことに合わせ、三の宮付きの侍従や近衛が揃って跪いた。
「淡月、大任をよくぞ果たしてくれました」
「勿体ないお言葉です、副王陛下」
大勢での移動であり、荷物なども膨大だった。それでも、侍従長殿はひとつの仕損じもなく、この旅をやり遂げたのだ。俺と同年代でありながら侍従長の座を賜っている理由を、改めて実感した。
「吉乃? 吉乃、どうした、何故泣いている」
侍従長殿や副王陛下に目を向けているうちに、陛下の戸惑うような声が聞こえた。視線を国王陛下に向ける。すると、陛下から吉乃への抱擁は解かれていた。代わりに、陛下の両手が吉乃の頬に添えられている。親指は、吉乃が流す涙を拭っていた。
「あ、あの……これは、その」
「何か嫌なことでもあったか? 痛いところでも?」
「そういうわけじゃないんです」
「では一体……、まさか清玖……お前何か吉乃を悲しませるようなことでもしでかしたのか」
「えっ」
怒りに満ちた眼差しを向けられ、俺は驚いてしまう。陛下が最も愛する吉乃を娶ったという点で、俺は陛下にかなり嫌われている。あわよくば死んでくれないかな、とでも思われていることあろう。だが俺が死ねば吉乃が悲しむので、それを心から願えない。そんなところだ。
「いえ、違うんです、兄上」
剣呑な双眸を向けられて、どうしたものかと窮する俺に吉乃が助け船を出してくれた。陛下の胸元をぎゅっと掴み、言い募る吉乃。俺へ向けられていた陛下の視線は即座に吉乃に向かい、優しくてあたたかいものに変貌した。
「……帰ってきたんだなぁって、そう思って。なんだか、泣けてしまって」
「そうかそうか。安心して泣けてしまったんだな。勘違いした兄を許してくれ、吉乃」
「いちいち過剰に反応するのはやめて下さい、兄上。みっともないですよ」
「みっともないとは、なんだ」
吉乃へと向ける声と、副王陛下に向ける声が瞬時に変わる。凛然とされる国王陛下の姿だけしか知らぬ者には、この陛下の姿が信じられないことだろう。だがきっと、この姿が素顔なのだ。王としての威厳を脱ぎ捨てた、ただの兄として生きる陛下の姿だった。
「おかえり、吉乃。私たち兄弟は、首を長くしてお前の帰りを待っていたよ」
涙の止まった吉乃の頭を、副王陛下が撫でる。これほどまでに、長兄と次兄が弟たちを深く慈しむのであれば、父母がいなくとも問題ないのだろうなと思わせる光景だった。
「三の兄上ー!」
遠くから、元気な声が響き渡る。三の兄上、と吉乃を呼ぶその声は少しずつ近くなってきた。両陛下に追従していた侍従や近衛たちが、さっと退き道を開く。その道を駆けてこちらへやって来るのは、天瀬王家の末っ子だった。
「蛍星!」
風のような速度で駆け抜けてきた蛍星が、吉乃の背中に飛びつく。後ろから抱きしめる弟と、前から抱きしめる兄に挟まれた吉乃は嬉しそうだった。吉乃は蛍星よりも背が低く、蛍星は吉乃の首筋に顔を埋めている。俺の妻が抱擁される姿を見せつけられて少し、むっとしてしまった。
「兄上だー! やった、兄上帰ってきたー!」
「ただいま、蛍星」
「もう本当に長すぎですよ! もっと早く帰ってくるかと思った!」
「紫蘭兄上と同じようなことを言ってるね」
小さく笑みを漏らしながら、吉乃は蛍星の方を向いて、弟の体をぎゅっとだきしめる。最愛の兄に抱きしめられて、蛍星は破顔していた。吉乃を深く愛する点といい、国王陛下と蛍星はよく似ている。
「兄上と蛍星はよく似ている」
俺が思ったことと寸分違わぬ言葉が聞こえて、驚いてしまった。その言葉は、副王陛下から発せられたものだった。その指摘を受け、当の本人である紫蘭陛下と蛍星は嫌そうな顔をする。その表情までそっくりだった。
「三の兄上、お土産話をたくさん聞かせてください」
「おい待て蛍星、吉乃の土産話を聞くのは俺が先だ」
「何でですか。別に僕が先に聞いたっていいじゃ無いですか」
「こういう時は兄を立てるものだぞ」
「関係ないです、そんなの」
「こらこら、二人とも。吉乃は長旅で疲れているんですよ。話は明日以降にするように」
揉め始めた兄と弟を諫める副王陛下。そんな中で吉乃はきょろきょろと周囲を伺っている。誰かを探しているようだ。俺を探しているのだろうか、とも思ったがそれは自惚れだった。俺と目が合ってもなお、吉乃は誰かを探している。
「柊弥兄上、黎泉は……?」
「あの子はいつも通り、書庫に」
「……そう、ですか」
どうやら、吉乃が探していたのは四の宮様だったらしい。ここにはいないその姿に、落胆しているように見える。五の宮様と六の宮様は、そもそも清玄には不在であることが多いため、吉乃も彼らの姿を探すことはなかった。
「黎泉も本当は迎えに来たかったんだろうね。でも、あの子は兄弟の中で一等素直ではないから」
「そうですね」
「吉乃から行ってあげてくれるかい?」
「はい。そうします」
四の宮様も、吉乃のことを深く想っている。けれど、それを素直に表現出来ないところがあった。四の宮様を詳しく知らない俺でも、そういった性格なのだと察せられるほどに、分かりやすい御方だった。
「私も抱きしめておこうかな」
吉乃の腕を引いて、副王陛下が吉乃を抱きしめる。代わる代わる兄弟に抱擁される吉乃は、抱きしめられるたびに幸せそうな顔をしていた。俺が抱きしめたときも、あんな顔をしてくれているのだろうか。
「おかえり、吉乃」
「……先ほども聞きましたよ」
「何度でも言わせて欲しい。吉乃の帰りをずっとずっと待っていたのだから」
「柊弥兄上。この旅行を贈ってくださって、本当にありがとうございました」
「可愛い弟がこんなに喜んでくれるなら、贈った甲斐があるというものだ。楽しい旅だったようだね」
「はい、お話したいことがたくさんあります」
「私も吉乃の話を聞きたいよ。でも今日は、黒珠宮に戻ってゆっくり休むようにね」
優しく語り掛けた副王陛下が、そっと吉乃の額に口付けをした。俺は息を飲んで驚く。副王陛下が吉乃にそういった触れ方をするのを初めて見たからだ。湧いてしまう悋気を、必死で抑え込む。
「良い新婚旅行になったようだね?」
「はい。とても」
「それは良かった。贈った兄として、一安心だ」
「いーな、いーな。新婚旅行って何だよもう。僕も三の兄上と新婚旅行したいです!」
「……新婚旅行の意味、分かっていってるのか? 俺と吉乃が夫婦だから新婚旅行なのであって」
思わず声を出してしまった。蛍星が、吉乃と新婚旅行などという可笑しなことを言うので、我慢が出来なかったのだ。
「言われなくても分かってるってば! 分かった上で言ってるの! だから、三の兄上には清玖と離縁して頂いて、僕と結婚してもらって、それで新婚旅行に行く!」
「そんなこと許すわけないだろ」
「清玖の許しなんていらないし。三の兄上が清玖と離縁するって言えばそれまでじゃん」
ね、三の兄上。と言って、蛍星が吉乃に抱き着く。蛍星に甘い吉乃のことだ。うん、と頷いてしまうかもしれない。そんな不安が俺の中に生まれてくる。
「私はそんなことは言わないよ」
だが、それは杞憂だった。吉乃はしっかりと断る。俺と離縁などしないと、明確に言ってくれた。胸がすくような、幸福が満ちてくるような、なんとも言えない感覚を味わう。
「えー、なんでですか。三の兄上、僕と新婚旅行行きたくないんですか」
「うーん……、そうだなぁ。蛍星とは、兄弟として旅行に行きたいかな」
「それって、兄上と僕の二人きりですか?」
「それでもいいよ」
甘えるように吉乃に抱き着く蛍星。吉乃に伸びる国王陛下の手を蛍星の手がぱちんと叩き落して、吉乃を独り占めしていた。そんな光景を、副王陛下は穏やかに微笑みながら眺めている。
「ちょっと待て、吉乃。兄弟での旅行というのなら、長兄である俺が同行しないわけにはいかないだろう」
「えー。別に、一の兄上は来てくれなくてもいいです」
「兄上も蛍星も、冗談はそこまでに。我々兄弟がおいそれと旅行に行けるわけがないでしょう」
「えっ、それって僕含めですか? 僕と三の兄上だけの旅行でも駄目なんですか?」
吉乃から手をぱっと離し、旅行など言語道断とした副王陛下に蛍星は詰め寄った。やっと解放された吉乃の隣に、俺はすかさず向かう。俺だって本当は抱きしめたいし、口付けをしたいのだ。それを我慢して、吉乃の隣にすまし顔で立つ。
「……賑やかだな」
「清玄に戻ってきた、という感じがするよ」
なんで駄目なんですか、と副王陛下に言い募る蛍星。俺ならば良いだろう、と国王陛下が言葉を重ねて、兄上は最も駄目です、と副王陛下に断じられる。賑やかとしか言いようのない様子を、俺と吉乃が見つめていた。纏わりつく兄と弟が鬱陶しくなったのか、副王陛下が少し大きな声で言った。
「とにかく、ここも人が集まってきてしまったので、王城に戻りますよ」
そんなことを言えばきっと、お前の妻である前に俺の弟だ、と言われるのだろう。そもそも、そんな愚かな発言をすればこの場に集う近衛たちに殺されそうなので絶対に口にはしない。
吉乃は御兄弟方に深く愛されている。その中でも、紫蘭陛下からの御寵愛はとても深く大きいものだった。陛下と吉乃はもう乗り越えた一件なのだろうが、二人は兄弟でありながら体を繋げている。そのことに対し俺は、複雑な気持ちを抱くことがあった。
「こら、兄上。いつまでそうしているつもりですか」
「仕方がないだろう。吉乃が足りていないんだ」
いい加減離れてください、と副王陛下が国王陛下に声を掛ける。だがそれでも、陛下の両腕は吉乃から離れなかった。陛下の御髪に合わせた濃紺の誂えに包まれて、小さな吉乃は頭のてっぺんしか見えていない。
「吉乃、お前の一番上の兄はずっとこんな有様だったんだ。情けないにも程がある」
「吉乃と離れて平然としているお前がおかしいんだ」
「別に平然としていたわけではありませんよ。元気だろうか、と案じていました。しかし、優秀な侍従や近衛がついているのですから」
そう言って、副王陛下の視線が侍従長殿に向かう。その視線に気付き、侍従長殿は膝を屈して拱手の礼を取った。侍従長である淡月殿が膝を折ったことに合わせ、三の宮付きの侍従や近衛が揃って跪いた。
「淡月、大任をよくぞ果たしてくれました」
「勿体ないお言葉です、副王陛下」
大勢での移動であり、荷物なども膨大だった。それでも、侍従長殿はひとつの仕損じもなく、この旅をやり遂げたのだ。俺と同年代でありながら侍従長の座を賜っている理由を、改めて実感した。
「吉乃? 吉乃、どうした、何故泣いている」
侍従長殿や副王陛下に目を向けているうちに、陛下の戸惑うような声が聞こえた。視線を国王陛下に向ける。すると、陛下から吉乃への抱擁は解かれていた。代わりに、陛下の両手が吉乃の頬に添えられている。親指は、吉乃が流す涙を拭っていた。
「あ、あの……これは、その」
「何か嫌なことでもあったか? 痛いところでも?」
「そういうわけじゃないんです」
「では一体……、まさか清玖……お前何か吉乃を悲しませるようなことでもしでかしたのか」
「えっ」
怒りに満ちた眼差しを向けられ、俺は驚いてしまう。陛下が最も愛する吉乃を娶ったという点で、俺は陛下にかなり嫌われている。あわよくば死んでくれないかな、とでも思われていることあろう。だが俺が死ねば吉乃が悲しむので、それを心から願えない。そんなところだ。
「いえ、違うんです、兄上」
剣呑な双眸を向けられて、どうしたものかと窮する俺に吉乃が助け船を出してくれた。陛下の胸元をぎゅっと掴み、言い募る吉乃。俺へ向けられていた陛下の視線は即座に吉乃に向かい、優しくてあたたかいものに変貌した。
「……帰ってきたんだなぁって、そう思って。なんだか、泣けてしまって」
「そうかそうか。安心して泣けてしまったんだな。勘違いした兄を許してくれ、吉乃」
「いちいち過剰に反応するのはやめて下さい、兄上。みっともないですよ」
「みっともないとは、なんだ」
吉乃へと向ける声と、副王陛下に向ける声が瞬時に変わる。凛然とされる国王陛下の姿だけしか知らぬ者には、この陛下の姿が信じられないことだろう。だがきっと、この姿が素顔なのだ。王としての威厳を脱ぎ捨てた、ただの兄として生きる陛下の姿だった。
「おかえり、吉乃。私たち兄弟は、首を長くしてお前の帰りを待っていたよ」
涙の止まった吉乃の頭を、副王陛下が撫でる。これほどまでに、長兄と次兄が弟たちを深く慈しむのであれば、父母がいなくとも問題ないのだろうなと思わせる光景だった。
「三の兄上ー!」
遠くから、元気な声が響き渡る。三の兄上、と吉乃を呼ぶその声は少しずつ近くなってきた。両陛下に追従していた侍従や近衛たちが、さっと退き道を開く。その道を駆けてこちらへやって来るのは、天瀬王家の末っ子だった。
「蛍星!」
風のような速度で駆け抜けてきた蛍星が、吉乃の背中に飛びつく。後ろから抱きしめる弟と、前から抱きしめる兄に挟まれた吉乃は嬉しそうだった。吉乃は蛍星よりも背が低く、蛍星は吉乃の首筋に顔を埋めている。俺の妻が抱擁される姿を見せつけられて少し、むっとしてしまった。
「兄上だー! やった、兄上帰ってきたー!」
「ただいま、蛍星」
「もう本当に長すぎですよ! もっと早く帰ってくるかと思った!」
「紫蘭兄上と同じようなことを言ってるね」
小さく笑みを漏らしながら、吉乃は蛍星の方を向いて、弟の体をぎゅっとだきしめる。最愛の兄に抱きしめられて、蛍星は破顔していた。吉乃を深く愛する点といい、国王陛下と蛍星はよく似ている。
「兄上と蛍星はよく似ている」
俺が思ったことと寸分違わぬ言葉が聞こえて、驚いてしまった。その言葉は、副王陛下から発せられたものだった。その指摘を受け、当の本人である紫蘭陛下と蛍星は嫌そうな顔をする。その表情までそっくりだった。
「三の兄上、お土産話をたくさん聞かせてください」
「おい待て蛍星、吉乃の土産話を聞くのは俺が先だ」
「何でですか。別に僕が先に聞いたっていいじゃ無いですか」
「こういう時は兄を立てるものだぞ」
「関係ないです、そんなの」
「こらこら、二人とも。吉乃は長旅で疲れているんですよ。話は明日以降にするように」
揉め始めた兄と弟を諫める副王陛下。そんな中で吉乃はきょろきょろと周囲を伺っている。誰かを探しているようだ。俺を探しているのだろうか、とも思ったがそれは自惚れだった。俺と目が合ってもなお、吉乃は誰かを探している。
「柊弥兄上、黎泉は……?」
「あの子はいつも通り、書庫に」
「……そう、ですか」
どうやら、吉乃が探していたのは四の宮様だったらしい。ここにはいないその姿に、落胆しているように見える。五の宮様と六の宮様は、そもそも清玄には不在であることが多いため、吉乃も彼らの姿を探すことはなかった。
「黎泉も本当は迎えに来たかったんだろうね。でも、あの子は兄弟の中で一等素直ではないから」
「そうですね」
「吉乃から行ってあげてくれるかい?」
「はい。そうします」
四の宮様も、吉乃のことを深く想っている。けれど、それを素直に表現出来ないところがあった。四の宮様を詳しく知らない俺でも、そういった性格なのだと察せられるほどに、分かりやすい御方だった。
「私も抱きしめておこうかな」
吉乃の腕を引いて、副王陛下が吉乃を抱きしめる。代わる代わる兄弟に抱擁される吉乃は、抱きしめられるたびに幸せそうな顔をしていた。俺が抱きしめたときも、あんな顔をしてくれているのだろうか。
「おかえり、吉乃」
「……先ほども聞きましたよ」
「何度でも言わせて欲しい。吉乃の帰りをずっとずっと待っていたのだから」
「柊弥兄上。この旅行を贈ってくださって、本当にありがとうございました」
「可愛い弟がこんなに喜んでくれるなら、贈った甲斐があるというものだ。楽しい旅だったようだね」
「はい、お話したいことがたくさんあります」
「私も吉乃の話を聞きたいよ。でも今日は、黒珠宮に戻ってゆっくり休むようにね」
優しく語り掛けた副王陛下が、そっと吉乃の額に口付けをした。俺は息を飲んで驚く。副王陛下が吉乃にそういった触れ方をするのを初めて見たからだ。湧いてしまう悋気を、必死で抑え込む。
「良い新婚旅行になったようだね?」
「はい。とても」
「それは良かった。贈った兄として、一安心だ」
「いーな、いーな。新婚旅行って何だよもう。僕も三の兄上と新婚旅行したいです!」
「……新婚旅行の意味、分かっていってるのか? 俺と吉乃が夫婦だから新婚旅行なのであって」
思わず声を出してしまった。蛍星が、吉乃と新婚旅行などという可笑しなことを言うので、我慢が出来なかったのだ。
「言われなくても分かってるってば! 分かった上で言ってるの! だから、三の兄上には清玖と離縁して頂いて、僕と結婚してもらって、それで新婚旅行に行く!」
「そんなこと許すわけないだろ」
「清玖の許しなんていらないし。三の兄上が清玖と離縁するって言えばそれまでじゃん」
ね、三の兄上。と言って、蛍星が吉乃に抱き着く。蛍星に甘い吉乃のことだ。うん、と頷いてしまうかもしれない。そんな不安が俺の中に生まれてくる。
「私はそんなことは言わないよ」
だが、それは杞憂だった。吉乃はしっかりと断る。俺と離縁などしないと、明確に言ってくれた。胸がすくような、幸福が満ちてくるような、なんとも言えない感覚を味わう。
「えー、なんでですか。三の兄上、僕と新婚旅行行きたくないんですか」
「うーん……、そうだなぁ。蛍星とは、兄弟として旅行に行きたいかな」
「それって、兄上と僕の二人きりですか?」
「それでもいいよ」
甘えるように吉乃に抱き着く蛍星。吉乃に伸びる国王陛下の手を蛍星の手がぱちんと叩き落して、吉乃を独り占めしていた。そんな光景を、副王陛下は穏やかに微笑みながら眺めている。
「ちょっと待て、吉乃。兄弟での旅行というのなら、長兄である俺が同行しないわけにはいかないだろう」
「えー。別に、一の兄上は来てくれなくてもいいです」
「兄上も蛍星も、冗談はそこまでに。我々兄弟がおいそれと旅行に行けるわけがないでしょう」
「えっ、それって僕含めですか? 僕と三の兄上だけの旅行でも駄目なんですか?」
吉乃から手をぱっと離し、旅行など言語道断とした副王陛下に蛍星は詰め寄った。やっと解放された吉乃の隣に、俺はすかさず向かう。俺だって本当は抱きしめたいし、口付けをしたいのだ。それを我慢して、吉乃の隣にすまし顔で立つ。
「……賑やかだな」
「清玄に戻ってきた、という感じがするよ」
なんで駄目なんですか、と副王陛下に言い募る蛍星。俺ならば良いだろう、と国王陛下が言葉を重ねて、兄上は最も駄目です、と副王陛下に断じられる。賑やかとしか言いようのない様子を、俺と吉乃が見つめていた。纏わりつく兄と弟が鬱陶しくなったのか、副王陛下が少し大きな声で言った。
「とにかく、ここも人が集まってきてしまったので、王城に戻りますよ」
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