皇兄は艶花に酔う

鮎川アキ

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第9話

9-20

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「おふたりとも、今宵はいつにも増して仲睦まじいご様子でしたね」
 寝衣を着せかけてきながら、華桜が微笑う。
「仁瑶様は、あの双色碧玺の歩搖を随分とお気に召したのではないですか? 湯あがりにもお使いになっておられましたし」
「そうだな」
 頷けば、華桜が声をひそめて続けた。
「……僭越ながら、翠玲様をお誘いなのではありませんか」
「莫迦なことを言うな」
 翠玲は蛾眉を寄せて否定する。
「ですが、簪を贈る意味は仁瑶様とてご存知のはず」
「おまえが言っているのは琅寧での意味だろう。煌蘭では求婚の意味しかないぞ」
「そうでしょうか。仁瑶様とて、こちらの習わしの一つやふたつ、ご存知でいらっしゃるのでは?」
「まさか」
 そんなはずがないと首を横に振った翠玲に、華桜は肩をすくめた。
「おふたりとも、褥をともになさっているのになにもないではございませんか。王にご相談いたしましたら、とっておきの媚薬を送ろうかと仰っていましたよ」
「華桜、いい加減にしろ」
「燕児とも心配しているのですよ。おふたりの間で、またなにか誤解があるのではないかとか。夜の営みは夫婦円満の秘訣とも言いますでしょう。翠玲様がぐずぐずしていらっしゃるから、仁瑶様が歩み寄ってくださっているのでは? お気持ちを無下になさったら、今度こそ本当に離縁されてしまいますよ」
「――っ」
 うるさい、と言いかけて口をつぐむ。
 華桜の言う通り、仁瑶が琅寧における意味を知っていて、湯浴みのあともあの歩搖を髪に挿していたのだとしたら。それは翠玲が待ち望んでいた、仁瑶からの赦しに他ならない。
 抑えつけていた熱が再び燻り出す。
 跳ねた鼓動を諫め、翠玲は努めて冷静でいようとした。
(そうと決まったわけじゃない。華桜の勘違いということだって、充分あり得る)
 番っているとはいえ、仁瑶の意図に反した行いをすれば取り返しのつかない事態となってしまう。
 重い足取りで臥室へ戻ると、仁瑶は先に眠らずに待っていてくれたようだった。
 持ち帰った天燈に見入っているのか、手に持っている酒杯がかたむいてこぼれそうになっている。
 心ここにあらずといったその様子が気がかりで、翠玲は足早に近づくと、杯を持つ手にそっとおのれの手を重ねた。
「ぁ、……っ」
 びくりと仁瑶の肩が跳ね、こちらを振り仰いだ紫紺の瞳がまるくなる。
 歳上の仁瑶が見せた珍しく愛らしい仕草に、翠玲は胸をくすぐられたような心地になった。
「大丈夫ですか? 少し飲み過ぎたのでは?」
 杯の中身は匂いからして花梨酒だろう。あまり度数の高い酒ではないものの、仁瑶の目尻や頬にはかすかな赤みがさしていた。
 翠玲は控えていた燕児に蜜湯を持ってくるよう命じ、仁瑶の隣に腰を下ろす。
 口籠っている仁瑶の頬を手のひらで包むと、少し高いような体温が伝わってきた。
「それとものぼせてしまわれましたか。今夜は寒いからと、紅春が長湯させていたでしょう」
「いえ、……大丈夫です」
 かすれた声音で言って、仁瑶は首を横に振る。
 それから、手にしたままの酒杯と翠玲を見比べて問うてきた。
「翠玲殿も花梨酒を飲まれますか? 温め直してきますけれど」
「いいえ、そんなことをしたら仁瑶様が疲れてしまうでしょう。わたしはこちらをいただきますから」
 言って、仁瑶の返事も待たずに手の中の酒杯を取ってしまう。
 ぽかんとした顔に笑み含んでいると、ちょうど戻ってきた燕児がかわりのように仁瑶に蜜湯の碗を差し出した。
 火傷しないよう、湯気のたつ蜜湯にそろそろと口をつける仁瑶を眺めつつ、翠玲は杯に残っていた花梨酒を飲み干す。甘みの強い果実酒が火照った喉を灼き、翠玲は静かに長息した。
 控えていた紅春と燕児に視線で下がるよう促せば、心得た二人は音もなく房室から拝辞する。
 そうして、仁瑶が最後のひと口まで嚥下するのを待ってから、改めて声をかけた。
「兎の天燈がお気に召したのなら、もっと買ってきましょうか」
 空になった碗を受け取り、杯とともに小卓へ片づけながら問う。
 愛らしい形の天燈は、大路でいくらでも売られている。仁瑶が兎の形が好きだというのなら、京師中の兎の天燈を買い占めてもよい。
 そう思っていたのに、仁瑶は首を横に振った。そのままうつむいてしまうから、どうしたのかと心配になる。
 もしや、どこか悪くしたのではないのだろうか。
「仁瑶様? やはりどこかお具合が悪いのですか?」
「違います……私は、」
 そこまで紡いで、仁瑶の言葉が途切れる。
 心なしか肩がふるえているようで、息を詰めるような小さな音がした。
「仁瑶様、大丈夫ですか」
 太医を呼ぶべきだろうかと思案しながら、仁瑶の顔を覗き込む。
 視線が絡んだ瞬間、仁瑶の躰がかしいだ。
 腕の中に飛び込んできた愛しい重みに、思わず戸惑った声が漏れる。
「仁瑶さま?」
 いつになく縋ってくるような仁瑶の仕草に困惑しつつ、翠玲は目の前の躰を抱き返した。
 額を寄せ、どうしたのかと眼差しで問いかける。
 仁瑶は躊躇うように何度かくちびるを開閉させたのち、小さく呟いた。
「私が、……満足させられなかったから、ですか」
「え?」
「私が下手だったから、抱くのが嫌になられたのですか? だからずっと抱いてくださらないのですか?」
 紡がれた思いがけない内容に、翠玲は寸の間目をまるくする。
(……このかたは)
 そのことをずっと思い悩んでいたのだろうか。
 腕の中でいたわしいほどこわばっている躰が、愛おしくてたまらない。
 笑みまじりの吐息がこぼれる。あふれだした情動のまま、あやすように抱きすくめれば、仁瑶は抵抗もなく翠玲に身を預けてくれた。
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