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第八話 聖夜の心遣い
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話を聞き終えた聖夜は、かける言葉をなくしていた。それを疑われていると理解したのか、孝則は喉の奥で皮肉をこめて笑った。
「思った通りだ。信じられないって顔してるな。なにが『親友だろ。ぼくは信じるよ』だ。
作り話だろうって思うのはおまえの勝手だが、これはどう説明するんだ?」
荒々しくシャツを脱ぎ捨て、孝則は上半身裸になる。
「えっ? まさか……」
聖夜は息を飲んだ。
孝則の胸元と背中には、無数の傷がつけられている。
どれもが獣——例えるなら、猫のような鋭い爪と牙を持つ動物——の爪痕を想像させた。
「信じられないだろ。まるで吸血鬼映画だからな。おれ自身、どこまでが現実でどこから夢か解らないんだ。でもこうして傷痕が残り、おれは日に日に弱っていく……」
「たしかに、映画のような話だけど」
聖夜は言葉を切り、孝則にシャツを着せ、ベッドに寝かせる。
「ぼくは信じるよ。孝則は嘘をつくような人じゃないからね」
孝則の話を聞いた聖夜は、先日病院で体験したことを思い出していた。
あれは夢だ。自分自身にそう言い聞かせることで合理的な説明をつけ、記憶から消し去るつもりでいた。
だが実際は違う。
母に似た少女が吸血鬼で、美奈子を仲間にした。
いや、あの少女は死んだはずの母かもしれない。吸血鬼なら十八歳の姿でいるのも説明がつく。
病院での出来事は現実で、吸血鬼は実在するのかもしれない。
そこまで考えて、あまりに漫画じみた自分の発想にあきれてしまった。聖夜は頭を二、三度軽くふって、今の考えを追い出す。
この科学万能の時代に、妖怪の存在などだれが信じるだろう。墓もある流香が吸血鬼になって生き続けているなんてナンセンス以外の何物でもない。
「おれは美奈子の誘惑をふり切る自信がない。あいつのこと好きだけど、こんなのはいやだ。聖夜、おれはどうしたらいいんだ?」
孝則は美奈子におびえつつ、一方で誘惑を喜んで受け入れる自分自身を嫌悪している。
そんな泥沼から引き上げてくれと、すがるような目を向ける。
聖夜は少しのあいだ考えをめぐらせ、そして口を開いた。
「解った。今夜、孝則の家に行くよ。これが本当なら、なんとかしなきゃ。なにができるか解らない。でも、ひとりでいるよりは心強いだろ」
力づけるようにそう言うと、孝則は安心したように小さく笑った。
聖夜には、今の話を合理的に説明できる、ある考えが浮かんでいた。それを証明し、孝則にかけられた呪いを解く。そのために行動することを決めた。
* * *
夕焼けが西の空を赤く染め、やがて街は夜に包まれた。
ひとつ、またひとつ街明りが灯され、夜を彩る。人々は闇を恐れ、明りでそれを消し去ろうとする。
闇夜という空間が失われたこの時代に、魔物が存在できる場所は残されているのだろうか。
聖夜は部屋の窓から、日が沈むのをじっとながめていた。
紫色に染まる空に宵の明星が顔を出す。夜の訪れだ。聖夜はカーテンを閉め、部屋の明りを灯した。
孝則はベッドに座り、両腕で自分の肩を抱きながら、かすかに震えている。
吸血鬼の存在がどうであれ、孝則の恐怖は本物だ。聖夜はなるべくそのことには触れないで、いつもと変わらない態度で接するつもりだ。
「キッチン借りるよ。今日は孝則のために特別メニューを考えてきたんだ。普段インスタントやレトルトばかりでろくなもの食べてないだろ」
聖夜は孝則をつれてキッチンに入り、持ってきた材料を使って料理を始めた。
母親不在の月島家で台所をあずかっているだけあって、聖夜の包丁さばきは慣れたものだ。手際よく次々と料理を作っていく。
ほどなくしてキッチンがいい匂いで満たされた。
「こんなもんでどうかな?」
聖夜の差し出す小皿にはポタージュが入っていた。
夢遊病者のように心ここにあらずの孝則に、無理矢理味見をさせる。孝則は面倒くさそうに口をつけたが、とたんに目に光が戻り、顔がほころんだ。
「うまい。さすがだぜ。たいしたもんだ」
「だろ?」
聖夜は得意げに親指を立てた。
「うわさには聞いてたけど、ほんとに料理が得意だな。月島先生がうらやましいや」
「父さんが作らないから仕方なくしてるだけだよ。料理が趣味ってわけじゃないんだ。作ってくれる人がいたら、さっさとやめちゃうさ」
「というわりには、なあんか楽しそうに見えるけどな」
「どうせやるなら楽しまなくちゃね」
スープの鍋をかき混ぜながらふりむいてウインクした。
聖夜は美奈子の件を孝則の幻覚だろうと推理している。
親友の話を信じないわけではない。他人から見れば幻でも、体験している本人にとってはまぎれもない現実だ。
自分の不注意で美奈子を失ってしまった孝則が、後悔と自責の念で精神状態を不安定にし、ありもしないものを見ても不思議ではない。身体に残された傷痕は、幻覚にまどわされた孝則が、自分の手でつけているのだろう。
聖夜はなるべく普段通り接することで、孝則の恐怖心を和らげようと考えた。
リラックスすれば幻覚から解放されると踏んでいる。一日でも美奈子が現れない夜ができれば、あとはいい方向に進むはずだ。
そのきっかけを作るつもりで今日はやってきた。
「孝則は座って見ててよ。その代わり、味の保証はしないよ」
「だめだ。おれ、すっげえ期待してる。いつも外食かインスタントばっかで、手料理に飢えてんだ」
オーバーなアクションでおどける姿は、いつもの孝則だ。先ほどまでのおびえたようすは残っていない。これなら幻覚を見ることなく朝を迎えられるだろう。
安堵しながら聖夜は料理を続けた。
夕飯ができあがるころ、孝則の顔には普段の明るい笑顔が戻っていた。
「ひとり暮らしで手料理に飢えてる孝則サンのために、聖夜クン特製、愛情たっぷりのメニューです。
オードブルにマグロのカルパッチョ、スープはコーンポタージュ、トマトたっぷりのグリーンサラダ、メインディッシュはブイヨンで煮込んだロールキャベツ。
それから内緒だけど、白ワインもあるんだ。アサリのワイン蒸しとともに召し上がってくださいな」
「思った通りだ。信じられないって顔してるな。なにが『親友だろ。ぼくは信じるよ』だ。
作り話だろうって思うのはおまえの勝手だが、これはどう説明するんだ?」
荒々しくシャツを脱ぎ捨て、孝則は上半身裸になる。
「えっ? まさか……」
聖夜は息を飲んだ。
孝則の胸元と背中には、無数の傷がつけられている。
どれもが獣——例えるなら、猫のような鋭い爪と牙を持つ動物——の爪痕を想像させた。
「信じられないだろ。まるで吸血鬼映画だからな。おれ自身、どこまでが現実でどこから夢か解らないんだ。でもこうして傷痕が残り、おれは日に日に弱っていく……」
「たしかに、映画のような話だけど」
聖夜は言葉を切り、孝則にシャツを着せ、ベッドに寝かせる。
「ぼくは信じるよ。孝則は嘘をつくような人じゃないからね」
孝則の話を聞いた聖夜は、先日病院で体験したことを思い出していた。
あれは夢だ。自分自身にそう言い聞かせることで合理的な説明をつけ、記憶から消し去るつもりでいた。
だが実際は違う。
母に似た少女が吸血鬼で、美奈子を仲間にした。
いや、あの少女は死んだはずの母かもしれない。吸血鬼なら十八歳の姿でいるのも説明がつく。
病院での出来事は現実で、吸血鬼は実在するのかもしれない。
そこまで考えて、あまりに漫画じみた自分の発想にあきれてしまった。聖夜は頭を二、三度軽くふって、今の考えを追い出す。
この科学万能の時代に、妖怪の存在などだれが信じるだろう。墓もある流香が吸血鬼になって生き続けているなんてナンセンス以外の何物でもない。
「おれは美奈子の誘惑をふり切る自信がない。あいつのこと好きだけど、こんなのはいやだ。聖夜、おれはどうしたらいいんだ?」
孝則は美奈子におびえつつ、一方で誘惑を喜んで受け入れる自分自身を嫌悪している。
そんな泥沼から引き上げてくれと、すがるような目を向ける。
聖夜は少しのあいだ考えをめぐらせ、そして口を開いた。
「解った。今夜、孝則の家に行くよ。これが本当なら、なんとかしなきゃ。なにができるか解らない。でも、ひとりでいるよりは心強いだろ」
力づけるようにそう言うと、孝則は安心したように小さく笑った。
聖夜には、今の話を合理的に説明できる、ある考えが浮かんでいた。それを証明し、孝則にかけられた呪いを解く。そのために行動することを決めた。
* * *
夕焼けが西の空を赤く染め、やがて街は夜に包まれた。
ひとつ、またひとつ街明りが灯され、夜を彩る。人々は闇を恐れ、明りでそれを消し去ろうとする。
闇夜という空間が失われたこの時代に、魔物が存在できる場所は残されているのだろうか。
聖夜は部屋の窓から、日が沈むのをじっとながめていた。
紫色に染まる空に宵の明星が顔を出す。夜の訪れだ。聖夜はカーテンを閉め、部屋の明りを灯した。
孝則はベッドに座り、両腕で自分の肩を抱きながら、かすかに震えている。
吸血鬼の存在がどうであれ、孝則の恐怖は本物だ。聖夜はなるべくそのことには触れないで、いつもと変わらない態度で接するつもりだ。
「キッチン借りるよ。今日は孝則のために特別メニューを考えてきたんだ。普段インスタントやレトルトばかりでろくなもの食べてないだろ」
聖夜は孝則をつれてキッチンに入り、持ってきた材料を使って料理を始めた。
母親不在の月島家で台所をあずかっているだけあって、聖夜の包丁さばきは慣れたものだ。手際よく次々と料理を作っていく。
ほどなくしてキッチンがいい匂いで満たされた。
「こんなもんでどうかな?」
聖夜の差し出す小皿にはポタージュが入っていた。
夢遊病者のように心ここにあらずの孝則に、無理矢理味見をさせる。孝則は面倒くさそうに口をつけたが、とたんに目に光が戻り、顔がほころんだ。
「うまい。さすがだぜ。たいしたもんだ」
「だろ?」
聖夜は得意げに親指を立てた。
「うわさには聞いてたけど、ほんとに料理が得意だな。月島先生がうらやましいや」
「父さんが作らないから仕方なくしてるだけだよ。料理が趣味ってわけじゃないんだ。作ってくれる人がいたら、さっさとやめちゃうさ」
「というわりには、なあんか楽しそうに見えるけどな」
「どうせやるなら楽しまなくちゃね」
スープの鍋をかき混ぜながらふりむいてウインクした。
聖夜は美奈子の件を孝則の幻覚だろうと推理している。
親友の話を信じないわけではない。他人から見れば幻でも、体験している本人にとってはまぎれもない現実だ。
自分の不注意で美奈子を失ってしまった孝則が、後悔と自責の念で精神状態を不安定にし、ありもしないものを見ても不思議ではない。身体に残された傷痕は、幻覚にまどわされた孝則が、自分の手でつけているのだろう。
聖夜はなるべく普段通り接することで、孝則の恐怖心を和らげようと考えた。
リラックスすれば幻覚から解放されると踏んでいる。一日でも美奈子が現れない夜ができれば、あとはいい方向に進むはずだ。
そのきっかけを作るつもりで今日はやってきた。
「孝則は座って見ててよ。その代わり、味の保証はしないよ」
「だめだ。おれ、すっげえ期待してる。いつも外食かインスタントばっかで、手料理に飢えてんだ」
オーバーなアクションでおどける姿は、いつもの孝則だ。先ほどまでのおびえたようすは残っていない。これなら幻覚を見ることなく朝を迎えられるだろう。
安堵しながら聖夜は料理を続けた。
夕飯ができあがるころ、孝則の顔には普段の明るい笑顔が戻っていた。
「ひとり暮らしで手料理に飢えてる孝則サンのために、聖夜クン特製、愛情たっぷりのメニューです。
オードブルにマグロのカルパッチョ、スープはコーンポタージュ、トマトたっぷりのグリーンサラダ、メインディッシュはブイヨンで煮込んだロールキャベツ。
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