45 / 47
エピローグ(一) 扉を閉めるとき
しおりを挟む
桜の花が校庭を彩る季節になった。
月島の勤める学校にも、多くの新入生が入学してきた。不安と期待を抱きながら、今日から始まる学校生活に胸をときめかせている。毎年目にする初々しい姿だ。
別れと出会いの春。卒業生を見送り、新入生を迎える。こうして生徒たちは少しずつ入れ替わる。
時間は確実に流れた。四か月前のことはすでに過去となり、人々の記憶から忘れ去られていた。
月島は、真新しい制服もぎこちない子供たちを見ながら、忌わしい事件の起きた冬がとうに終わっていたことを感じた。
聖夜の残した猫は、ホリーと名づけられた。ホリーは聖夜のベッドを占領してしまい、掃除をする月島を手こずらせる。部屋はあの日のままいつでも使えるような状態で保たれ、ホリーや月島とともに主の帰宅を待っている。
夏がすぎて秋も終わり、風が冷たさを運んでくる。せわしくすぎる毎日を送っているうちに、季節はひと巡りしていた。
間もなく一年を迎えようとしているのに、聖夜はなんの便りも寄こさない。今ごろどこでどんなふうにしているのだろうか。元気でいるだろうか。寒さに凍えていないだろうか。
——生きているだろうか。
片時も頭から離れることのない、大切な存在なのに。
待つことしかできない日々がこんなにも苦しいものだったとは。いつしか月島は、そんな毎日に疲れを感じ始めていた。
二学期の終業式の日、帰宅する生徒たちを校門で見送った月島は、雪のちらつき始めた校庭にそのまま立っていた。肩に落ちた雪をはらっていると、うしろからそっと傘がさしかけられる。
「また、聖夜くんのことを思い出していたのですか」
物越しの柔らかい女性の声にふりかえると、英語教師の稲葉が立っている。彼女は去年、聖夜のクラスを担任していた。
月島は、問いかけに軽くうなずいて答える。
「去っていった人のためだけに費やす人生は、もうやめませんか?」
はっとして、目の前の女性の顔を見つめる。
「わたしにも聖夜くんと同じ年の息子がいます。今は大学で教育学部に在籍してるんですよ。おかげでわたしも、春からひとり暮らしを始めました」
彼の通う大学は聖夜が目指していたところと同じだった。運命が少し異なっていれば、今ごろふたりは肩を並べて勉学に励んでいたかもしれない。
「離れていると、一緒にいるとき以上に気になってしまうんですよね。だからわたしにも、月島先生のお気持ちがよく解るんです。聖夜くんのことはよく知ってるだけに」
稲葉は月島の目をまっすぐ見つめ返す。
「忘れろっていうのではありません。でも聖夜くんは、自分の父親が過去に捕われているのを知ると、悲しく思いますよ。あの子はいつだって未来を見つめていた。そうじゃありませんか」
そうだ。聖夜は未来に希望を抱いていた。人間として成長する未来を望んでいた。
「だからもう、過去ばかりに捕われるのは、やめにしませんか?」
校庭を背に、稲葉は物静かに語った。
——知ってる? ぼくの担任の稲葉先生、父さんのこと好きだってうわさだよ。
いつかの聖夜の言葉が、月島の脳裏によみがえる。あれは、そう、微笑みながらやんわりと再婚を勧めてくれたときのことだ。
同僚の女性のまなざしは、雪の中にいてなお、春の柔らかく暖かい空気を感じさせる。流香とも聖夜ともちがう安らぎをあたえてくれる。
こんな目で自分を見ている女性がすぐそばにいたのに、今まで気づこうとしなかった。子供たちの方が遥かに敏感に、大人たちの心を読みとっていたとは。
「そう、ですね。わたしもそろそろ未来を見つめなければならない時期にきたんですね」
月島は稲葉の傍らで、ともに雪の舞い散る校庭を見つめていた。
ほどなくしてふたりは結婚した。そのときを境に、月島は聖夜のものを整理した。そして新しくできた子供に、いなくなった子供の部屋を渡した。
「いいんですか? 聖夜さん、いつ帰ってくるかわからないですよ。それにおれはもう、家を出た身だし」
「圭介くん、いいんだよ。きみの実家はここなんだ。自分の部屋があって当然じゃないか。自由に使いなさい」
思い出と決別し、現実の世界を生きる。
いつまでも幻を追いかけてはいられない。
月島は、あの冬の出来事とそれにまつわるすべてのことに、扉を閉めた。
* * *
月日は流れる。町並みは少しずつ、それでも確実に変化する。
小さな街の駅前は再開発され、田畑のあったところには住宅が立ち並ぶ。郊外に大きなショッピングモールが建ち、静かだった街は、にぎやかな市街地へと変化した。
ときを重ね、人は成長し、街は姿を変える。すべてのものが変わっていく。変わらないものなど、この世には存在しないのだろうか。
月島はコートの襟をあわせながら、舞い散る雪の中、思い出深い教会を見上げていた。
寒波がこのまま居座れば、今年は十年ぶりのホワイト・クリスマスになるかもしれない。
明日は圭介の結婚式だ。
本当はクリスマス・イヴに挙げたかったらしいが、ただでさえ忙しい年の瀬にと友人一同から止められ、一週間ほど早い日を選んだ。
圭介は最後まで抵抗していたが、なぜそこまでしてこの日にこだわるのか、月島には見当がつかなかった。
「クリスマスか」
それは聖夜の誕生日で、姿を見た最後の日でもあった。
あの日からもう十年の歳月が流れている。
月島は、あのとき助けてもらった教会の敷地に、ゆっくりと足を踏み入れた。
明日の結婚式は、家族と数名の友人を招いただけの質素なものだ。
すべての段取りを圭介と妻に任せていた月島は、今日までここにくることはなかった。あまりに多くの思い出がありすぎて、どうしても足を運ぶことができなかった。
十年のうちに神父も代替わりした。あの冬のことを知っている彼は、去年の秋、枯れ葉が散るように静かにこの世を去った。事件の真相を知るものは、今では月島ひとりになってしまった。
忘れたはずの記憶がよみがえる。街並が変わっても、教会は昔のたたずまいを見せている。流れる季節に取り残されたようだ。
月島は手帳から一枚の写真を取り出した。昨夜古い本を手にとったら偶然出てきたもので、そこには聖夜が写っていた。
月島はそれを手にして、あの冬の事件を思い出していた。
「パパ、なに見てるの?」
かわいい声にふりかえると、ツインテールの少女が真っ赤なマフラーにくるまれて、月島を見上げていた。無邪気な笑顔を浮かべ、ほおを赤く染めている。
月島は幼い少女にほほえみを返し、片膝をついて目の高さをあわせる。
「美優のお兄さんの写真だよ」
そう言って見せると美優は唇を尖らせ、怪訝そうに答えた。
「これだれ? 圭介兄ちゃんじゃないよ」
「もうひとりのお兄さんさ」
「そんなの知らない。ミユのお兄ちゃんは圭介兄ちゃんひとりだけよ」
そのときだった。
「美優、ママが呼んでるよ」
「はーい」
月島の勤める学校にも、多くの新入生が入学してきた。不安と期待を抱きながら、今日から始まる学校生活に胸をときめかせている。毎年目にする初々しい姿だ。
別れと出会いの春。卒業生を見送り、新入生を迎える。こうして生徒たちは少しずつ入れ替わる。
時間は確実に流れた。四か月前のことはすでに過去となり、人々の記憶から忘れ去られていた。
月島は、真新しい制服もぎこちない子供たちを見ながら、忌わしい事件の起きた冬がとうに終わっていたことを感じた。
聖夜の残した猫は、ホリーと名づけられた。ホリーは聖夜のベッドを占領してしまい、掃除をする月島を手こずらせる。部屋はあの日のままいつでも使えるような状態で保たれ、ホリーや月島とともに主の帰宅を待っている。
夏がすぎて秋も終わり、風が冷たさを運んでくる。せわしくすぎる毎日を送っているうちに、季節はひと巡りしていた。
間もなく一年を迎えようとしているのに、聖夜はなんの便りも寄こさない。今ごろどこでどんなふうにしているのだろうか。元気でいるだろうか。寒さに凍えていないだろうか。
——生きているだろうか。
片時も頭から離れることのない、大切な存在なのに。
待つことしかできない日々がこんなにも苦しいものだったとは。いつしか月島は、そんな毎日に疲れを感じ始めていた。
二学期の終業式の日、帰宅する生徒たちを校門で見送った月島は、雪のちらつき始めた校庭にそのまま立っていた。肩に落ちた雪をはらっていると、うしろからそっと傘がさしかけられる。
「また、聖夜くんのことを思い出していたのですか」
物越しの柔らかい女性の声にふりかえると、英語教師の稲葉が立っている。彼女は去年、聖夜のクラスを担任していた。
月島は、問いかけに軽くうなずいて答える。
「去っていった人のためだけに費やす人生は、もうやめませんか?」
はっとして、目の前の女性の顔を見つめる。
「わたしにも聖夜くんと同じ年の息子がいます。今は大学で教育学部に在籍してるんですよ。おかげでわたしも、春からひとり暮らしを始めました」
彼の通う大学は聖夜が目指していたところと同じだった。運命が少し異なっていれば、今ごろふたりは肩を並べて勉学に励んでいたかもしれない。
「離れていると、一緒にいるとき以上に気になってしまうんですよね。だからわたしにも、月島先生のお気持ちがよく解るんです。聖夜くんのことはよく知ってるだけに」
稲葉は月島の目をまっすぐ見つめ返す。
「忘れろっていうのではありません。でも聖夜くんは、自分の父親が過去に捕われているのを知ると、悲しく思いますよ。あの子はいつだって未来を見つめていた。そうじゃありませんか」
そうだ。聖夜は未来に希望を抱いていた。人間として成長する未来を望んでいた。
「だからもう、過去ばかりに捕われるのは、やめにしませんか?」
校庭を背に、稲葉は物静かに語った。
——知ってる? ぼくの担任の稲葉先生、父さんのこと好きだってうわさだよ。
いつかの聖夜の言葉が、月島の脳裏によみがえる。あれは、そう、微笑みながらやんわりと再婚を勧めてくれたときのことだ。
同僚の女性のまなざしは、雪の中にいてなお、春の柔らかく暖かい空気を感じさせる。流香とも聖夜ともちがう安らぎをあたえてくれる。
こんな目で自分を見ている女性がすぐそばにいたのに、今まで気づこうとしなかった。子供たちの方が遥かに敏感に、大人たちの心を読みとっていたとは。
「そう、ですね。わたしもそろそろ未来を見つめなければならない時期にきたんですね」
月島は稲葉の傍らで、ともに雪の舞い散る校庭を見つめていた。
ほどなくしてふたりは結婚した。そのときを境に、月島は聖夜のものを整理した。そして新しくできた子供に、いなくなった子供の部屋を渡した。
「いいんですか? 聖夜さん、いつ帰ってくるかわからないですよ。それにおれはもう、家を出た身だし」
「圭介くん、いいんだよ。きみの実家はここなんだ。自分の部屋があって当然じゃないか。自由に使いなさい」
思い出と決別し、現実の世界を生きる。
いつまでも幻を追いかけてはいられない。
月島は、あの冬の出来事とそれにまつわるすべてのことに、扉を閉めた。
* * *
月日は流れる。町並みは少しずつ、それでも確実に変化する。
小さな街の駅前は再開発され、田畑のあったところには住宅が立ち並ぶ。郊外に大きなショッピングモールが建ち、静かだった街は、にぎやかな市街地へと変化した。
ときを重ね、人は成長し、街は姿を変える。すべてのものが変わっていく。変わらないものなど、この世には存在しないのだろうか。
月島はコートの襟をあわせながら、舞い散る雪の中、思い出深い教会を見上げていた。
寒波がこのまま居座れば、今年は十年ぶりのホワイト・クリスマスになるかもしれない。
明日は圭介の結婚式だ。
本当はクリスマス・イヴに挙げたかったらしいが、ただでさえ忙しい年の瀬にと友人一同から止められ、一週間ほど早い日を選んだ。
圭介は最後まで抵抗していたが、なぜそこまでしてこの日にこだわるのか、月島には見当がつかなかった。
「クリスマスか」
それは聖夜の誕生日で、姿を見た最後の日でもあった。
あの日からもう十年の歳月が流れている。
月島は、あのとき助けてもらった教会の敷地に、ゆっくりと足を踏み入れた。
明日の結婚式は、家族と数名の友人を招いただけの質素なものだ。
すべての段取りを圭介と妻に任せていた月島は、今日までここにくることはなかった。あまりに多くの思い出がありすぎて、どうしても足を運ぶことができなかった。
十年のうちに神父も代替わりした。あの冬のことを知っている彼は、去年の秋、枯れ葉が散るように静かにこの世を去った。事件の真相を知るものは、今では月島ひとりになってしまった。
忘れたはずの記憶がよみがえる。街並が変わっても、教会は昔のたたずまいを見せている。流れる季節に取り残されたようだ。
月島は手帳から一枚の写真を取り出した。昨夜古い本を手にとったら偶然出てきたもので、そこには聖夜が写っていた。
月島はそれを手にして、あの冬の事件を思い出していた。
「パパ、なに見てるの?」
かわいい声にふりかえると、ツインテールの少女が真っ赤なマフラーにくるまれて、月島を見上げていた。無邪気な笑顔を浮かべ、ほおを赤く染めている。
月島は幼い少女にほほえみを返し、片膝をついて目の高さをあわせる。
「美優のお兄さんの写真だよ」
そう言って見せると美優は唇を尖らせ、怪訝そうに答えた。
「これだれ? 圭介兄ちゃんじゃないよ」
「もうひとりのお兄さんさ」
「そんなの知らない。ミユのお兄ちゃんは圭介兄ちゃんひとりだけよ」
そのときだった。
「美優、ママが呼んでるよ」
「はーい」
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
罰ゲームから始まった、五人のヒロインと僕の隣の物語
ノン・タロー
恋愛
高校2年の夏……友達同士で行った小テストの点を競う勝負に負けた僕、御堂 彼方(みどう かなた)は、罰ゲームとしてクラスで人気のある女子・風原 亜希(かざはら あき)に告白する。
だが亜希は、彼方が特に好みでもなく、それをあっさりと振る。
それで終わるはずだった――なのに。
ひょんな事情で、彼方は亜希と共に"同居”することに。
さらに新しく出来た、甘えん坊な義妹・由奈(ゆな)。
そして教室では静かに恋を仕掛けてくる寡黙なクラス委員長の柊 澪(ひいらぎ みお)、特に接点の無かった早乙女 瀬玲奈(さおとめ せれな)、おまけに生徒会長の如月(きさらぎ)先輩まで現れて、彼方の周囲は急速に騒がしくなっていく。
由奈は「お兄ちゃん!」と懐き、澪は「一緒に帰らない……?」と静かに距離を詰める。
一方の瀬玲奈は友達感覚で、如月先輩は不器用ながらも接してくる。
そんな中、亜希は「別に好きじゃないし」と言いながら、彼方が誰かと仲良くするたびに心がざわついていく。
罰ゲームから始まった関係は、日常の中で少しずつ形を変えていく。
ツンデレな同居人、甘えたがりな義妹、寡黙な同クラ女子、恋愛に不器用な生徒会長、ギャル気質な同クラ女子……。
そして、無自覚に優しい彼方が、彼女たちの心を少しずつほどいていく。
これは、恋と居場所と感情の距離をめぐる、ちょっと不器用で、でも確かな青春の物語。
皆さんは呪われました
禰津エソラ
ホラー
あなたは呪いたい相手はいますか?
お勧めの呪いがありますよ。
効果は絶大です。
ぜひ、試してみてください……
その呪いの因果は果てしなく絡みつく。呪いは誰のものになるのか。
最後に残るのは誰だ……
番に見つからない街で、子供を育てている
はちも
BL
目を覚ますと、腕の中には赤ん坊がいた。
異世界の青年ロアンとして目覚めた「俺」は、希少な男性オメガであり、子を産んだ母親だった。
現世の記憶は失われているが、
この子を守らなければならない、という想いだけははっきりと残っている。
街の人々に助けられ、魔石への魔力注入で生計を立てながら、
ロアンと息子カイルは、番のいない街で慎ましく暮らしていく。
だが、行方不明の番を探す噂が、静かに近づいていた。
再会は望まない。
今はただ、この子との生活を守りたい。
これは、番から逃げたオメガが、
選び直すまでの物語。
*本編完結しました
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる