スメルスケープ 〜幻想珈琲香〜

市瀬まち

文字の大きさ
24 / 42

7 コーヒーと勝負の行方(2)

しおりを挟む
 コーヒーが〈喫珈琲カドー〉の商品である以上、客がいない時に何杯も淹れるわけにはいかない。だからブレンドや淹れ方を知るチャンスは、主に営業中の来客時だ。
 まず変化したのが、ブレンドするためのコーヒー豆の指定の仕方だった。今までは「右から二番目」だけだったハナオの指示が「右から二番目のブラジル」に変わった。
 ちなみにブラジルとはブラジル産のコーヒー豆の名称で、そのまま国名が由来になっている。他にも地域名だったり港名や山岳名だったり、格付けだったりとさまざまな由来があり、また複数から名付けられているものまである。
 一度、「どうして今まで豆の名前で言わなかったんだ?」と訊いてみたことがある。もちろん客がいない時にだ。答えは予想どおり。
「だって興味なかったでしょ? それに言ったってわからないだろうし」
 たしかに関心は薄かった。それに祖父はコーヒー豆を入れた瓶にタグをつけていない。傍から見れば、どれも同じ褐色の粒としか思えない。
「タグなんかつけないよー。毎回違うブレンドしといて、〝ブレンドコーヒーです〟って言って出すんだから。嘘は言ってないけど、先の客と違うものを飲まされているなんて、いい気しないでしょ」
「それって、実験台じゃねぇの?」
 じいちゃん、二十五年も何してんだ。引き続きやってるけど。
「考えようによってはね。見方を変えれば、カドーのマスターは、客一人一人に合わせたブレンドコーヒーを淹れることができた。それだけの腕の持ち主だってことだよ」
「え? っと、つまり、客の好みを覚えていたってことか?」
「それもあるね。この客はこのブレンドが好き、こんな風味を好むっていうのを客ごとに区別していたっていうのもそう。他にも、季節や天候、客自身の体調や気分も見ていたと思うよ」
「たとえば、今日は寒いからこのブレンド、雨だからこの豆を多めにしよう、とか?」
「そうそう。この客は二日酔いだなとか、イライラしているとか、逆に何かいいことがあったなとか。持ち込まれる食べ物に合わせたりね」
 〈喫珈琲カドー〉はフードメニューがない分、食べ物の持ち込みは可である。ただし、あまりにもとんでもないモノを持ち込むと、他の常連客によって出入り禁止にされる。
「それは……すごいな」
 相当な観察眼と、コーヒーはもちろん他の知識も必要だ。それを祖父は一人でしてきた。こんな極小喫茶店が二十五年も続き、熱狂的な常連客を持つ理由はここにあったのか。
「――って、まさか、ハナオも?」
「当ったり前じゃない。もしかして、今までただ気まぐれにブレンドしているとでも思っていたわけ?」
 興味がなかったことは責めないくせに、ハナオはこういう時には、本当に心外だと言いたげに頬を膨らませる。
「なぁ、……他の店もそうなのか? ブレンドを客やその日ごとに変えたり……」
「しないでしょ、普通。だからいろんなメニューが用意されているわけだし。店主の思い込みで味を変えられるのも、どうよ、って感じ? それに、カドーだけとは言わないけど、そんな手間なことするのってよっぽどの変人だよ?」
 と、変人・ハナオは肩をすくめた。コーヒーつうの言うことは時々よくわからない。
 ブレンドに関しては、ハナオの言い方と同時に俺の動きにも変化があった。今までは言われるままにグラインダーに放り込んでいたコーヒー豆を、一度別の器に入れてからまとめてグラインダーに入れるようになった。これは俺自身が配合の比率やグラム数を知ってブレンドを覚えようとした結果だ。とにかく来客中にハナオに話しかけることはできない。そばに置いたメモに豆の名前や配合を走り書きして、後で質問や清書をするのが日課になっていた。
 抽出の仕方は、実は以前と変わらない。変わったのはやはり言い方だけだ。ハナオは関心が希薄な俺に、わかりやすく、言葉少なく、風味を落とさない、の三拍子がそろった必要最低限の指示を出していたらしい。その言葉どおりに毎日コーヒーを淹れ続けること約二ヶ月、俺の体はコーヒーを淹れるという動作に、本人が思う以上になじんでいた。
 慣れ親しんだ一連の動き、自然な動作を妨げない程度のハナオの説明、コーヒーを提供し終わった後に隙をみて走り書きするメモ。これが、コーヒーあるいは〈喫珈琲カドー〉と真剣に向き合い始めてからの俺の日常。
 そんな生活が板についてきた一月の終わり、祖父の旧友が再び来店した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

降っても晴れても

凛子
恋愛
もう、限界なんです……

15年目のホンネ ~今も愛していると言えますか?~

深冬 芽以
恋愛
 交際2年、結婚15年の柚葉《ゆずは》と和輝《かずき》。  2人の子供に恵まれて、どこにでもある普通の家族の普通の毎日を過ごしていた。  愚痴は言い切れないほどあるけれど、それなりに幸せ……のはずだった。 「その時計、気に入ってるのね」 「ああ、初ボーナスで買ったから思い出深くて」 『お揃いで』ね?  夫は知らない。  私が知っていることを。  結婚指輪はしないのに、その時計はつけるのね?  私の名前は呼ばないのに、あの女の名前は呼ぶのね?  今も私を好きですか?  後悔していませんか?  私は今もあなたが好きです。  だから、ずっと、後悔しているの……。  妻になり、強くなった。  母になり、逞しくなった。  だけど、傷つかないわけじゃない。

処理中です...