世の中は意外と魔術で何とかなる

ものまねの実

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帝国の魂

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 SIDE:ソニア



「こうしてお会いするのは初めてですな。皇女殿下におかれましては、今日までご不便を強いられていることと存じます。まずはお詫びを」

 穏やかな口調でそう話しかけてきた目の前の男が、胸元に左手を添えて軽く腰を折る。
 この国の貴族がする、正式な謝罪の姿だ。

 見た目は三十代、ひょっとしたらもっと行っていてもおかしくはない。
 加齢ではない白髪に染まった髪を後ろで結び、やや褐色の肌は貴族特有の肌理の細かさが見られ、市井の人間とは送ってきた生活の質が違う身分なのだと、見る者に十分伝わってくる。

 背丈は私と同じくらいだが、わずかに分かる手足の筋肉の付き方から、それなりに鍛えている人間だと見える。
 この年齢の高位の貴族でも鍛錬は欠かさないのかと少し驚く。

 もう一つ気になるのは、この男の素性だ。
 てっきりここで私を待っているのはパーシンプス侯爵本人だと思っていたのだが、こいつはその侯爵ではない。

 私はパーシンプス侯爵の顔は知らないが、少なくともここまで若くはないというのだけは分かる。
 何せ私がこの国を出た時には、パーシンプス侯爵はかなりの年齢だったはず。
 身なりからして侯爵と同等かそれに準ずる高位の貴族だとは思うが、普通に考えれば息子という線が妥当だろう。

「弟で脅して捕まえておきながら、今日まで監禁状態にしておいて今さら謝罪などと…」

「はっはっはっは、これは手厳しい。それも含めての謝罪とご理解くだされば」

「だとすれば随分軽い謝罪もあったものですね、閣下」

「閣下などと。殿下にそのように呼ばれては恐れ多きことこの上ありませんな。申し遅れましたが、私のことはクラレットとお呼び捨てください」

 曲がりなりにも貴族だけあって、腹立たしさは耐えて閣下と呼んではみたものの、妙に親し気な笑みで呼び捨てる名前を教えられてしまう。
 こちらを皇女と呼びながら、クラレットの私を見る目は決して譲ったものとは思えず、むしろどこか憐れむような色を感じる。

「ではクラレット、生憎私は誘拐の主犯と長話をする性分ではありませんので、用件を教えていただけますか。なぜ私をここまで連れてきたのかを」

 呼び捨てることを求められたが、あえてそれをしないというささやかな反抗。
 今の私にはこれが精々だが、もしロイドのことがなければ、この場でクラレットの顔面を陥没させるぐらいはしていただろう。

「ふむ、私もそのつもりでお呼びしましたので、答えるのも吝かではありませんが……皇女殿下にはドレスは用意したはずですが、お気に召しませんでしたか?流行りの服はお嫌いですかな?」

 チラリと私を見ると、クラレットはわざとらしく悲しそうな顔で溜め息を吐く。
 今の私は攫われた時の服を身に着けているが、監禁部屋には衣服がしっかり用意されていた。
 主にドレスではあったが、今日まで着ることはしなかった。
 適地とはいえない場所で、ドレスを着てのんびりできるほど私は気が大きくない。

「私はドレスなど着る身分ではありませんので。閣下の気遣いとは知らず、ご無礼を」

「そのように堅苦しく考えずとも。むしろ無礼はこちらのほうでしょう。御身の置かれている環境を、もう少し考えるべきでした。申し訳ありません、殿下」

「だから私はっ……いや、いい。聞かせてください、わざわざ帝国から人を出してまで私を攫ったその理由を」

 なおも皇女として扱おうという態度にはもう一度否定をしようとしたが、無駄と思って本筋の方の話を先に聞きだすことにする。
 国境を閉ざしている帝国の外へわざわざ人をやり、私をここまで連れてこさせたのは目の前の男の仕業だと思っていいはず。

「攫ったなどと人聞きの悪い…とは、言い訳にすぎませんな。本音を申せば、殿下には穏便にお越しいただくつもりでした。しかしその部下に預けた小者の統率が甘かったのか、ずいぶん勝手を働いたようです」

「では、あのイゴールというのは閣下の?」

「はい。六年ほど前でしたかな、私のところへ伝手を頼って仕官を願い出たのを拾いました。性格に難はありますが、あれで忠義はそれなりに持ち合わせている上、なにせ腕が立つ。此度のような、密かに国外へ出ての仕事を任せるには、なかなか重宝しております」

 淡々とはしているが、その口ぶりにはイゴールへの信頼があり、これまでも何度か国外へ送り出している実績もあるようだ。
 それが私のように誘拐をしに行ったのかはわからないが、あのとぼけた態度にそぐわない強さは、多少の荒事を任せるのに不足はないのだろう。

「それだけ買っている人間を使い、さらには閣下自らお会いしてくださったのですから、さぞや立派な名目があるのでしょうね。私に何をお求めですか?ダンスのお相手でも?」

「それもいいですなぁ。皇女殿下と踊ったとなれば、生涯の誉れといたしましょう。ですが、それはいずれ機会があれば。私が殿下にこうしてお会いしたのは、あることをお頼みするためです。不遜ではありますが、どうか一つ、臣の我侭を聞いていただきたく…」

「…あることというのは、どのようなものですか?ただの一平民が閣下の頼みを叶えることができるとは思いませんが」

「何を仰る!殿下は皇族、平民などと謙遜どころではありませんぞ」

 権力で大抵のことは叶う高位貴族が、たかが冒険者に過ぎない私に何を求めるというのか。
 ついでというわけではないが、相変わらず皇族として見ているのにもいい加減うんざりしてきた。

「だから、私は皇族ではないといっているでしょう。そもそも、閣下ほどの力があれば……そういえば、いまだに閣下の爵位を私は知りませんが、パーシンプス侯爵家に連なる方と見てよろしいのですか?」

 間抜けなことに、ここまでクラレットの身分について詳しく聞いていなかったと、今さらながら気付く。
 状況から推測してパーシンプス侯爵家の人間だとは思っているが、これで実は違うとなるとちょっと恥ずかしい。

「おぉ!これは失念しておりました!またしてもご無礼を。仰る通り、私はパーシンプス侯爵家に連なる者です。先年に父より当主の座を譲り受けました。改めて名乗らせていただきますが、クラレット・コーレーン・パーシンプスと申します。重ねての無礼、何卒ご寛恕を」

 立場的にそこまでする必要はないはずなのに、妙に丁寧な謝罪をするクラレットが逆に不遜に見えるのだから、人の初対面での印象がいかに大事かがわかる。

 しかし予想していたとおり、パーシンプス侯爵家の人間で間違いなかったようで、それに関しては少し安心する。
 私が知る先代のパーシンプス侯爵は高齢だったため、息子に家督を譲ったというのはおかしくはないが、先代が立派な人物だっただけに、当代がこんな人間とは侯爵家も落ちたものだ。

「少しそれましたな。殿下にお頼みしたいことがあると、それについてお話ししましょう。殿下にはある物の開錠をしていただきたいのです」

「開錠?なんの…というか、それなら私ではなく、その道の練達か職人に頼めばいいでしょうに」

 仕事柄、鍵のかかった扉や箱を正式な手段以外で開けなければならない機会は何度かあったが、決して得意というわけではなく、それを目当てに身柄を狙われるような心当たりはない。
 だというのに、この侯爵閣下は鍵開けをしろと言うとは、どうかしている。

「残念ながら、あれは殿下にしかできないことなのです。ルガツェン帝国皇帝の正統なる血を引く、皇女殿下、あなた様でなければ」

 その名を聞いた瞬間、私は胃に重いものが詰め込まれたような感覚に襲われた。
 まさかその名を再び耳にする日が来るとは。
 国を捨てた時、もう私の目の前でその名を口にする者は現れないと、そう思っていた。

「…人違いです。私の名は―」

「十九年前、この城が反乱軍の手によって焼かれた時、皇帝陛下はご一家ともども命を落とされたと、そう思われていた。しかし、実は陛下の二人のお子が秘密裏に城から逃がされていたと、後に分かったのです」

 人違いだと言おうとした私の言葉を遮り、クラレットは謳うように天を仰いで言う。
 まるで何かの答え合わせをするようなその物言いには、若干の興奮があるように聞こえる。

「皇帝陛下の帝胤は五人、いずれも煙と熱によって亡くなられている。ご遺体は辛うじて性別と大きさがわかる程度だったそうです。だがその内の一番上の皇女殿下と皇子殿下一人だけが、何者かの手によって、あの日燃え盛る城から救い出された」

 皇帝の子は、男児が二人に女児が三人。
 男児二人は末の子として近い時期に生まれて歳も並んでおり、共に四つになる直前だった。

 幼い子供が反乱軍に包囲された城から脱出するなど、誰かの助けなしには不可能だ。
 死体の数が合わなかったことに加え、手引きした存在に気付けば、逃げ延びたという結論には簡単にたどり着ける。

「亡くなられた中に、ご姉弟の中で一番年上だったイサドレッド皇女殿下に当たる年齢のご遺体はなかった。ゆえに、あなた様は生き延びたとすぐに分かった。名を変えられていたために、探し出すのに三年もかかりましたが…いや、たった三年とも言えましょうか。そして、共に連れられた皇子が果たして二人の内どちらだったかは遂に分からずじまい。焼かれたご遺体から判別できるのは、せいぜい歳ぐらいだったとか」

 城が丸ごと焼け落ちたのだ。
 そこにいた人間も、激しい炎に焼かれたはずで、辛うじて人と分かる程度に遺体が残ったのは、最悪の中でもまだましだと言える。

「一つお聞きしても?あの日、一緒に行かれたのはどちらですかな?エルマーク殿下かブライアス殿下、イサドレッド殿下に懐いておられたのはブライアス殿下だったようですが」

 ミチリ、と何かが強く千切れるような音が聞こえる。
 それが私の頭の中で鳴ったものだとは、すぐに分かった。
 あまりの怒りで頭に血が上り、血管がいくつか切れたのかもしれないと、そう錯覚するほどに私の心は激しく乱れている。

 この男は、あの燃え盛る城から脱出するためにとった手を、私が自分の意思で区別したと、そう言いたいのだろうか。

 誰だって死にたくはないし、近しい人間にも死んでほしくはない。
 どうしようもなく命を選ぶ時が訪れたとして、損得や感情のままに喜んで切り捨てることなど誰ができようか。
 たとえわが身かわいさで城から逃げ、助けられるはずの命を見捨てたのだとしたら、私の心は死ぬだろう。

 あの日、私はロイドの手を選んだのではない、救い上げることができたのが一つだけだったのだ。
 その結果に後悔はないが、付きまとう悲しみに泣いたのは一度や二度ではない。
 死を悼むために費やした時間は、誰にも侮辱させるわけにはいかないのだ。

 だが今この男は、私の人としての魂に汚れを付けた。
 ロイドの安全を盾にされて我慢していたが、これは一線を越えている。

 このまま飛びかかり、殴り倒してやろうかと拳を握りこむ。
 しかしそれを予期していたかのようにクラレットが一歩後ろへ下がると、先に見せたような謝罪の礼の姿を取った。

「…ご無礼を申しました。好奇心からとはいえ、このような尋ね方はするべきではありませんな。愚かにも殿下方を軽んじたこの身に、どうか許しの慈悲を」

 そう言うと、今度は床に膝を突き、俯いて首をこちらへ差し出すような姿勢をとる。
 これは謝罪の礼でも最上級のもので、どうしても許せないならこのまま首を切り落としてもいいという覚悟を見せるものだ。

 実際は首を落とすことはせず、謝意に答えて許すというのがほとんどなので、形だけのものともいえる。
 ただ、侯爵にこの姿を取らせることの意義は大きい。
 もしも生涯で初めてする謝罪の形だとすれば、ひとまず怒りを収める理由になる。

「謝罪はもう結構です。どのみち私が閣下に手を出すことはできませんし。それより、開錠についてもう少し教えてください。なぜ私がそのようなことをしなければならないのですか」

「寛大なお心に感謝を。殿下はまだ幼かったゆえご存知かは分かりませんが、この城にはかつて宝物庫が二つありました。そのうちの一つは城が焼け落ちた際、不届き者共によって荒らされてしまいましたが、もう一つのほうは厳重に守られていたため、今も固く閉ざされたまま残っています」

「守られていた…というのは、兵達が?」

 火が回る城内で略奪から免れたとなると、守っていた兵達も命がけだったに違いない。
 二つのうち一つをあえて捨て、残りを守るために全てをかけた判断はやむを得ないものだったのだろう。
 そう思っていたのだが、クラレットが首を振って私の推測を否定する。

「いえ、宝物庫の造りが恐ろしく頑丈な上、対魔術処置が幾重にもかけられています。その扉を開けられるのは、正統な皇帝陛下の血を引く方のみ。壊すことも開けることもできぬため、今日まで誰も…塵一つですら侵入できてはおりません」

 単にとてつもなく頑丈な宝物庫で、しかも皇族にしか開けられない扉付きともなれば、今日まで無事なのも当然だ。

「まさか、その扉を私に開けろと?」

「その通りでございます。皇帝の血統を残すのは今はこの世にたったの二人のみ。そのうちの一人であられるイサドレッド殿下にこそ、宝物庫を開放していただきたいのです」

「…なるほど、そのために私をここまで連れてきたのですね?しかしなぜ今になって宝物庫を開けたいのですか?まさか今更国庫を涸らして、急にお金が要りようになったとでも?」

「確かに今の帝国には、復興のための資金はいくらあっても余ることはありませんが、ここのところは税収も徐々に安定してきておりますし、喫緊に宝物庫を頼るほど追い詰められてはおりません。しかし、宝物庫の中のある物を、私は求めているのです」

「ある物?」

 税収が安定してきているのなら、金銀財宝に強くこだわることはないが、それとは別に何かクラレットにとって求めてやまないものがその宝物庫には収められているのだろうか。
 宝物庫のことを語るクラレットの目には、強い渇望が宿っているように思える。

「ふむ、それは宝物庫の前でお話ししましょう。どうぞ、こちらへ」

 そう言って部屋を出るクラレットを追って、私も謁見の間を後にする。
 吐く息が白く舞う通路は、冬の寒さも相まって耳が痛くなるほどの静けさだ。
 人の気配が希薄なのも静寂の一因となっているようだが、それについて気になっていたことを目の前を歩く背中へ尋ねてみる。

「これだけ城の奥深くで、近衛兵の姿を一切見かけないのはどうしてですか?今は皇帝陛下がいないとはいえ、城を守るのも彼らの仕事でしょう」

 近衛兵は皇帝とその家族を守ることが第一の任務だが、その居城を守るのも仕事の一つだ。
 皇帝が亡くなったとはいえ仕事がなくなるわけもなく、今ならば目の前にいる侯爵のような政治に携わる高位貴族を守るのが新たな任務となるはず。
 その近衛兵がここまで影すら見せないというのは、流石におかしい。

「この城に近衛はもうおりません。皇帝陛下が亡くなられた際、多くが共に命を落としました。残った近衛も、皇帝陛下らを守れなかったことを悔いて野に下りました。新たに近衛を作ろうとも思っていますが、なにぶん指揮を任せられる人が足りず…」

 人材不足を口実に国境を閉ざしているぐらいだ。
 近衛兵を務められる人間を確保するのも大変なのだろう。
 今は国を立て直している最中だけに、本当なら生き残りの近衛兵でも呼び集めたいところだろうが、行方が分からなければそれも望めまい。
 大々的に呼びかけては、城内の防衛不足を広めてしまいかねないし、いかんともしがたいか。

「近衛にはティリマス伯爵もおられたはず。伯爵も亡くなられたのですか?」

 近衛にその人ありと言われたほど、忠義と剣技を称えられたティリマス伯爵は、きっと落城の時も皇帝陛下のそばにいたに違いない。
 あるいは、最後を悟った皇帝陛下から密命を帯びて城から出た可能性も考えられる。

 なにせ皇帝の血を引く人間が密かに城から脱出したのだ。
 それを守るという最後の命令を与えられていても不思議ではない。

 私は、このティリマス伯爵の最後を知りたい。

「…これは懐かしい名だ。野に下った中にティリマス伯爵はおりました。行方も、今ではどこにいるのやら、皆目見当もつきません。もし居場所が分かれば、新たに近衛を作り、任せたいのですがね」

 そうか、あの人は生きていたか。
 思わず漏れそうになった安堵の息を、目の前の男に悟られないように飲み込むようにこらえる。
 私と伯爵のつながりを、今はまだ知られるわけにはいかない。

「ときに殿下、この城がかつて落ちた原因はご存じですかな?」

「いえ」

「この城は堅牢であり、兵も精強揃い。ただ攻め立てられただけでは落とすのは困難でした。ましてや一日二日でなどは」

「でも事実として落ちている」

「仰る通りです。原因は、反乱軍に与していた使用人が、秘かに城へもぐりこんでいたことです。その使用人がもたらした偽報で兵は混乱し、密かに手引きされた敵によって火がつけられました。事前の準備がよほど周到だったのか、火の回りは恐ろしく早かったそうです」

 ずっと不思議だった、この城が落ちた早さについての謎が解けた。
 人によっては一日で落ちたという話もあれば、実際は数日かかったという話もあるが、どちらにせよかつてのこの城はそう簡単に落ちるはずがない。

 だが内側から裏切り者によって火がつけられたとなれば、わずかな時間での落城も納得はできる。
 あの日、火が上がったという知らせを私が耳にして、ほとんど間を置かずに、城の中はあちこちが燃えていた。
 燃えやすいようにあちこちに手を加えていた者がいたとすれば、あの火の回りの速さも当然か。

「あの日、偽報で兵を分けていなければ、城は落ちたとしても皇帝陛下とそのご家族だけは助けることができたはずと、今でも言われております。生き残った近衛の中には、己を責めて自害した者も少なくなかったとか」

「…そうでしょうね。近衛にいるということは、そういう人間がほとんどでしょうから。偽報をもたらしたというその使用人はその後、どうなりましたか?」

「城に火の手が上がると同時に姿をくらましたそうですが、侯爵―私の父が見つけ出し、自らの手で首を刎ねました」

 先代のパーシンプス侯爵の帝国への忠義は本物で、城が落ちた原因となった人間を見つけるためなら地の果てまで追いかけて行きそうだ。
 実際、戦乱の中で姿をくらました人間一人を見つけ出し、自らの手で殺しているのだから、よほどの覚悟と怒りがあったに違いない。

 私もこの手で殺してやりたいという気持ちはあったが、先に処されてしまっていてはどうにもならない。
 せめて死の恐怖に染まる顔ぐらいは想像しておこう。

 そんなことを話しているうちに、宝物庫と思われる場所へ到着した。
 城の中でも私がいた貴人用の場所よりも奥の、そして感覚的にやや下った先にあったのは、それまでの豪奢な雰囲気から一転した、寒々しい石造りの大きな空間だ。

 窓もないここは暗闇に支配されているべきなのだが、事前に準備していたのか、あちこちに灯る松明のおかげで何も見えないという不便さはない。
 ただ、先ほどの謁見の間での明るさに慣れている身としては、中途半端な明るさと暗さの混合に不気味さを覚えてしまう。

 天井の高さはそれほどでもないが、横には長柄の武器を振り回すのにも困らないほどに広く、大人数を収容する牢獄だと言われても疑いはしないだろう。
 もっとも、ここには鉄格子や仕切りなどなく、ただ広いだけの部屋なので、牢獄にするには脱獄し放題で役には立たないが。

「殿下、どうぞこちらへ。あれが宝物庫の扉です。あの奥に、帝国の宝が眠っているとされています」

 自分の隣へと私を招いたクラレットが指差す先には、石で作られたと思われる巨大な扉があった。
 仕組みとしては両開き、それも手前に引く型だとは思うが、何せ横にとてつもなく長いため、開けるだけでも何人がかりになるのか想像もつかない。
 薄暗い中で存在感を示すだけの巨大さと、表面に刻まれた精緻な模様は魔術的な意図がありそうで、それが宝物庫を今日まで守ってきたのだろう。

「…確かに頑丈そうですね。人の手で壊すにはまず無理だわ。あれは魔術も防ぐのでしょう?」

「はい、手練れといえる魔術師が十人がかりでも破れない、高度な対魔術処理だそうです。魔術への防御だけならば、阻導石を超えるかもしれぬとも」

 阻導石は現代において、もっとも魔術に対する防御に有効な素材だ。
 それを上回るとなれば、実質この扉は最強の盾ともいえる。
 魔術が通らないということは、人の手でコツコツ掘るぐらいしか手はないが、あの大きさともなれば厚みも相当で、貫通させるには一体何年かかるのやら。

「この扉を開くには、殿下のお力が必要なのです。あの扉の中心に、帝国の紋章があるのが見えますかな?あれに手を触れ、魔力を流すと扉は開く、と言われています」

 言われて見てみれば、確かに紋章が見える。
 皇帝の正統な血を引く人間が触れるだけではなく、魔力をも使うとなれば、まだ魔力操作ができない子供には開けられない仕組みか。

「一つお尋ねしても?パーシンプス侯爵家には皇帝陛下の血が入っているはず。なぜご自身の手で開けないのですか?」

 皇帝の血が必要と聞いてからずっと気になっていたのは、鍵を開けられる人間の条件にはパーシンプス侯爵も当てはまっているということだ。
 帝国一の忠臣であるパーシンプス侯爵家には、何度か皇帝の血を引く人間が嫁いだことがある。
 その点ではクラレットにも皇帝の血は流れているため、開錠にはこの男でも十分用が足りるはずだ。

 私の問いを受け、クラレットの表情が微かに曇る。

「もちろん、既に試しております。私と、私の父である先代侯爵が開錠を試みましたが、ご覧の有り様です。どうやら私達では血の濃さが足りなかったと、そう思っております」

 血の濃さとはまた、なんとも曖昧な。
 皇帝の直系は確かな血を引くとはいえ、皇配に必ずしも皇族の血縁者がなるとは限らない。
 もちろん、相応の身分の人間が皇帝の配偶者に選ばれる以上、どこかで皇帝の血が流れている可能性はあるが、それでも傍流だからと血の濃い薄いを判断することはできないはずだ。

 クラレットの言い分は見当違いな気もするが、本人がそうと信じているものを覆させるだけの材料を私は持ち合わせていない。

「さあ殿下、紋章にお手を。今こそ、眠れる帝国の魂を再び世界へ示すのです」

「帝国の魂?なんですか、それは」

 どうやらクラレットが欲しているのは、帝国の魂とやららしい。
 なんとも大層な呼び名だが、ただの金銀財宝ではないとすれば、いったい何を指すものなのか。

「私も実物は目にしたことはありませんが、一振りの剣であると聞き及んでおります。その剣を手にし、真の力を引き出せる者こそが帝国を導く人間となるとのこと」

「聞いたこともありませんね、そのようなもの。それを手に入れて、この帝国を支配しようとでも?」

「はっはっはっは、なんとも大それたことを。考えたこともありませんな。私はただ、未来に現れる真の持ち主にふさわしい人間のために、確かと預かろうというだけのことです」

 怪しいものだ。
 品の真偽はともかく、一国の指導者の印になり得るものを、あえて厳重な保管庫を暴いておいてただ預かるだけで済ますものだろうか。

 私には、この男が帝国を真に支配するための道具と考えているようにしか思えない。
 話は聞くといったが開錠はするといった覚えはないので、帝国のためを思うのなら宝物庫の扉には近付かないままでいるべきなのだが、ここはあえて私から宝物庫の扉の紋章へ触れてみる。

「おぉ…ついにっ」

 紋章へ触れただけで、今にも感涙に震えそうな声を上げるクラレットがいっそ滑稽だ。
 なぜなら、どのみち私ではこの扉を開けることはできないからだ。

 先ほどから言っているように、本当に私はイサドレッド皇女殿下ではない。



 私の本当の名はアルレリア、アルレリア・ユーゲン・ティリマス。



 ティリマス伯爵家の子にして、イサドレッド皇女殿下の影となるために育てられ、今はロイドの……エルマーク殿下の姉として生きる、ただの女だ。



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