世の中は意外と魔術で何とかなる

ものまねの実

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果たせなかったもの

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 SIDE:ソニア(アルレリア)




 ティリマス伯爵家は古くからある、ルガツェン帝国でも有数の軍家で、この家に生まれた者の多くは騎士となるべく育てられる。
 特に皇帝の住まう城を守る近衛兵は、精強であることはもちろん、忠節と礼儀を兼ね備えた人間が求められるため、家格としてもティリマス伯爵家は求められて人を出すことが多いそうだ。

 近衛という役目柄、皇族と顔を合わせる機会も多く、伯爵家と皇家という身分の差を超えた関係が育まれることもあった。
 私も六つの頃に父の手に引かれて、皇帝陛下へ最初のお目通りを済ませた。

 その時、イサドレッド皇女殿下とも顔を合わせ、歳が同じというのもあって、時折遊び相手を務めることとなる。

 イサドレッド様の最初の印象は、大人しく引っ込み思案の子という感じだ。
 初めて会った時も、妃殿下の背に隠れて挨拶をしたほどで、正直、仲良くなれるかは不安だった。
 でも少し二人だけで過ごしてみると、意外なほどすんなりと仲良くなれ、その日のうちに私達は互いを姉妹のように思うほどとなった。

 私には兄が二人いたが、どちらも歳がかなり離れているうえ、騎士団に所属しているため、めったに会うことはない。
 もちろん、たまに会えば兄妹として仲良く過ごしていたが、それでもまだ幼い私は寂しさを覚える。
 そんな私にとって、イサドレッド様はまるで妹のような存在で、兄へ向ける以上の親愛を注いでいた。

 当時の私とイサドレッド様は驚くほど似ていたそうで、顔立ちから髪の毛、肌の色や体格まで、まるで鏡写しかのようだったらしい。
 ティリマス伯爵家も遡れば皇族の血が入っているほど古い家柄で、子供同士が似ることも十分にありうる。
 遠縁ではあるが、私達は従姉妹という関係でもある。
 それを知ってからは、時折お互いの着ている服を交換して入れ替わる悪戯をしたものだ。

 ただ、下の殿下方は純真さもあってか、最初は面白がってはいたものの、あまりにも騙され慣れてしまったせいか、いつの間にか私とイサドレッド様が入れ替わっていても気にしないようになっていたのは少し寂しかったが。

 使用人や下の殿下方は簡単に騙せたのだが、流石に親達は騙せず、見つかると二人一緒に叱られたのは、今でもいい思い出となっている。

 皇族と伯爵家の娘、普通なら身分を弁えるべき間柄にもかかわらず、互いに泣いて笑って怒って、そうして出来た友情こそが、身分などで曇ることのない本当の宝石として、あの日の私達は手にしていた。

 だからだろう。
 ある日父から言われた言葉を、すんなりと受け入れられたのは。

「アルレリア、お前は今日より、イサドレッド殿下の影代女かげしろめとして生きるのだ」

「影…?それはどのようなものなのですか?お父様」

 当時の私はわからなかったが、この国には皇族を守る影代かげしろという役目がある。
 皇族と見た目がそっくりな人間でなければ務まらないため、滅多に用意される役職ではないが、私ならば問題ないと、何十年ぶりに復活した役職だったらしい。

「今はまだ、変わらず友としていればいい。だがお前はティリマス家の子だ。殿下に何かある時は、お前が守るんだ。いいな?」

「はい!お父様!」

 八歳となった私は、父から密かにイサドレッド様の影代女となる任を与えられた。
 子供心ながらに、父が大きな決断をしたのだとわかったが、それ以上に断る気は端からなかった。
 これがあの子を守るためなのだとわかると、力が湧いてくるような気がして体も熱くなった。

「こんな道を強いることしかできぬ父を恨め。お前は決して私のようになるな。さあ、殿下がお呼びだ。行きなさい」

「お父様…?」

 おそらく、この時には父も帝国に蔓延る不穏な何かを察していたのだろう。

 この日から、私はイサドレッド様の影としての役割を密かに持ちながら、生きていくこととなる。
 父と皇帝陛下の意向により、私が成人を迎えるまでは影代としての役目をイサドレッド様には明かさず、それまでは姉妹のように楽しく明るい日々が続いていくと、あの頃の私はそう信じていた。





 始まりの一報は私も知らない。
 ただ、ある時から母とともに私も城へ泊まり込む日が続いていたことから、ただごとではない事態が起きていると、城に漂う空気からも感じ取っていた。
 父も兄達とともに後宮の守りを固め、万が一に備えているようだった。

 帝国が誇る近衛と騎士が守る城は、たとえどんな敵が来ても守りきれると思っていたのだが、それでも内側からの攻撃には脆かったらしい。
 火の手が上がったと、誰かが口にした言葉が、まるで川面を飛び立つ水鳥のように城内へ響き渡るのに合わせて、見る見るうちに炎が壁から天井まで、まんべんなく覆いつくしていった。

 たった一日、それだけの時間であの荘厳で大きな城が、まるで盛りを迎えた花のように美しく、そして残酷に燃えていく。
 子供だった私には、その光景を前に呆然とするしかできず、思わず隣にいたエルマーク殿下の手を強く握る。

 この時、エルマーク殿下と私が一緒にいたのは、活発で悪戯好きなエルマーク殿下が、姉弟達を驚かせようと何かしていたのを、たまたま私が見咎めたからだ。
 そのおかげで、火が回りだしていた後宮からは逃れられたのだが、他の殿下方は後宮に残ったままだ。

 まだ人が死ぬということを目にしたことがなかった私はこの時、炎の向こうで消えていく命を想像し、立ちすくむしかできなかった。
 皇帝陛下に妃殿下、イサドレッド様と他の姉弟方も、助けるどころか最後を見ることもできない自分のあまりの無力さに、涙が止まらない。

 そこからの記憶は曖昧だ。
 どこからか私を呼ぶ声が聞こえたのと同時に、誰かが私達を抱えて走り、比較的火の手が薄い場所へ逃がしてくれた。
 そして、そこから暗く湿っぽい穴を通り、気が付くと、エルマーク殿下の手を引いた私は城の外へと脱出していた。

 今にして思えば、あれは皇族を逃がすための抜け穴だったのだと思う。
 それを使って城から脱出できたのは、私とエルマーク殿下に加え、若い兵士二人に使用人が三人という、わずかな人間のみだった。

 街の外にある小高い丘からは、炎を噴き上げながら崩れていく城が遠くに見え、助かった私達は陽が完全に落ちても、ただそれを見続けていた。
 夏も近いというのに、妙な寒さを覚えたほどだ。

「アルねーさま?どこかいたいの?」

 いっそこの場で私も死ねればとすら考えたが、エルマーク殿下の言葉に、はっとして涙を拭った。

「いえ、そのようなことはありません。さあ、ここも危険です。とにかく、安全な所へ行きましょう」

「どこにいくの?父上と母上たちは?いっしょじゃないの?イサドねーさまたちはどこ?」

「…イサドレッド様達とは一緒には行けません。今は、私だけです。それとも、私と一緒はお嫌ですか?」

「ううん…いやじゃないよ。いやじゃないけど」

 我ながらずるい聞き方をしたとはわかっているが、それでもエルマーク殿下は私と一緒に来ることを選んでくれた。
 家族が一緒にいない不安は消えていないが、それでも私の手を握り返すその強さに、今は私の心に寄り添うような温かさを感じていた。





 城から脱出した私達は、兵達の提案で、帝都の北にあるウォルダム子爵領を目指すことにした。
 最寄りの貴族家の領地で反乱軍の発生した土地からも遠く、私の父とウォルダム子爵は学友でもあり、また一番上の兄の妻がウォルダム子爵の次女だったため、その縁を頼ってのことだ。

 ウォルダム子爵家もティリマス伯爵家に劣らぬ軍家で、家柄こそ若いものの帝国への忠誠は他家でも一歩譲るほどだという。
 それだけに反乱軍に与することは考えられず、ましてや私自身もウォルダム子爵本人とは面識があったことから証立てもしやすいと、保護を求める先としてはこれ以上のものはない。

 街の外に布陣していた反乱軍を避け、また街道を大っぴらに歩くことも恐れて、使われなくなった古い道をあえて選んで進んでいく。

 子供の体力では到底耐えられる道程とは言えず、特にまだ四つになろうかというエルマーク殿下は長く歩くことすら難しい。
 親と離れて長く過ごすことの不安からか、何度も泣きじゃくるのをなだめるためにも、旅路のほとんどの間は、私が殿下を背負っていった。
 使用人達は私を気遣い、何度も背負うのを替わろうとしてくれたが、私はその度に申し出を断った。

 子供のわがままで彼らを困らせたという自覚はあるが、それ以上に、背中にある命を私が守るのだと思うことで、あの頃の私は自我を保っていたのかもしれない。
 そうでもしなければ、イサドレッド様の影代女としての役割を果たせなかった自分が許せなかったのだ。

 子供を連れて荒れた道を進むのは苦しい旅だが、途中で兵士の一人がどこからか調達してきた馬車のおかげで、ウォルダム子爵領へなんとか私達はたどり着けた。
 今ならばわかるが、あの時に乗った馬車は、どこかの村で使っていたものを、件の兵士が自分の剣や鎧で交換して手に入れた物だったようだ。

 国から与えられた武具、それも安全のためなら最後まで持っておきたいはずのものを馬車に代える決断は、いったい彼にとってどれほどのものだったのか、今となっては推し量るのは難しい。
 ただ、それでも平然とした態度を崩さずに子爵領まで私達を守ってきたのは、彼らにも帝国軍人の誇りが確かに根付いていたからだろう。

「おぉ…まさか、本当にっ!エルマーク殿下っ、ご無事で!おぉ神よ!おぉおお!」

 ウォルダム子爵は私を温かく迎え入れてくれて、それどころかエルマーク殿下の同行を知ると、地に崩れ落ちながら涙を流して無事を喜んだ。
 久しぶりに会った子爵は、心労の大きさが隠せないほどに痩せており、一見整えているように見える髪と髭には白髪が目立っていた。

 私達が帝都から離れて何日も経つ間に、各地の貴族には皇帝とその家族の死亡が大々的に広まっていて、ウォルダム子爵は見た目にはっきりと出るほどの心労に耐えていたのだろう。

 唯一の救いは、城が落ちたことで帝都の治安が悪化するところを、近衛を中心とした帝国軍によって鎮められたことぐらいだ。
 焼け落ちる城から打って出た近衛兵を主体とした帝国軍が、帝都内での略奪を阻止すべく、帝都の外に布陣する反乱軍へ一当てして郊外へ押し返したため、街自体の被害は軽微だという。

 だが皇帝死去に比べれば一粒の朗報など大した慰めにもならず、国民や各地の貴族は訪れる混迷に備えることを余儀なくされた。
 そんな所に死んだと思われたエルマーク殿下の登場となれば、身を捨つように泣いて喜んでも仕方がない。

「城の有様を聞くに、皇族方の無事はもはや望めぬと思っておりました。しかし、こうしてご無事を知った今では、暗雲が満ちたこの世に一筋の光が差し込んだかのようです!…あぁ、これはご無礼を。些か興奮しすぎましたな。とにかく、今はどうかお休みください。長旅の疲れは、幼き殿下にとって毒にございますれば。誰かある!殿下をお部屋に!」

 ―かしこまりました

 ウォルダム子爵の指示により、使用人に連れられていくエルマーク殿下は、その場に残る私に不安そうな顔を見せたが、安心させるために私が微笑むと、殿下も笑顔で立ち去って行った。

「…さて、アルレリア殿。まずはここまで殿下を無事にお連れしたこと、礼を申し上げる。これで皇帝の血は途絶えずに済む。大功である。…よくやったな、アル」

 子爵家当主としての正式な感謝を口にした後の、親しくしてくれていた呼び名でそう声をかけられると、私も緊張の糸が緩んだ。
 伯爵家と子爵家という身分の差などない、一人の子供として私をかわいがってくれていた時の、そのウォルダム子爵の声は、私に大きな安らぎを与えてくれた。

「あ、ありがとう、ございます」

「それで、ティリマス伯爵…父君や兄君のその後については何か知っているかね?城が落ちて以降、近衛の行方は途絶えているのだ」

「父と兄のことは…わかりません。私も逃げるので精一杯で……逃げたんです、私。イサドレッド様を守れなくて…影代女なのに、守れなくてっ!」

 父達のことを尋ねられただけなのに、なぜか私はイサドレッド様を守れなかったことへの後悔が口から漏れ出し、それは堰を切ったようにとめどなく溢れていく。
 止めようとしても止まらない、口だけが別の生き物になったようだった。

 私が影代女となっていることは、子爵も知らなかったはずだが、特に驚いた様子はない。
 もっとも、イサドレッド様とは鏡写しほどに似ているのを子爵も知っているので、推察はできていたのだろう。

「守らなきゃって!私っ…だって、死ぬのは私の方なのに!イサドレッド様を生かすのが私の役目で!死ななきゃいけなかった!あそこで死ぬのは私じゃなきゃいけなかった!」

「よせっ」

 私の意志とは別に叫ぶ体を、ウォルダム子爵が抱きしめる。
 力強く大きな抱擁に、一瞬私の声も止まる。

「お前はまだ子供だ。二つは救えなかったっ…エルマーク殿下を救ったのだ!それでよいではないか!」

「妹みたいに思ってた!妹を守るのは姉なのに!なのに……なんで、死んじゃったの?私の、せい…だから…」

「責めるな!頼む…自分を責めないでくれ。神よ、なぜ子供達にこのような……おぉっ神よ!」

 一層力強く子爵に抱きしめられながら、こらえきれなくなった涙に任せて、私は体のすべてから絞り出すほどの声で泣いた。
 夏空はどこまでも透き通るように高く、しかし私を慰めてはくれない。
 平等で残酷な、まるでこの世界の在り方を教えられているような気がした。



 旅の疲労もあってか、私は泣き疲れて気絶するように眠ってしまい、次に目覚めた時には二日が経っていた。

 それからしばらく、私達は子爵の館で世話になっていた。
 城が落ちてから逃げ続け、ようやく訪れた穏やかな日々は、確かに私達の体と心の疲れを徐々に癒してくれていたのだが、そんな日も長くは続かなかった。
 まさにこの時、子爵領に反乱軍が迫ってきていたのだ。

 いや、正確には反乱軍から袂を分かった兵達だったのだが、率いている人間の素性から目的がウォルダム子爵領の蹂躙だとわかり、ウォルダム子爵は徹底抗戦を選ぶしかなかった。

 籠城を選ばなかったのは、援軍の当てがないからだ。
 この時、帝都を手に入れた反乱軍と手を結ぶ貴族がかなり増えていたそうで、古くからある貴族家はそうでもないが、新興の貴族には特にそうした動きが多かった。

 反乱が始まってからも、帝国の貴族として反乱軍を非難する姿勢を貫いたウォルダム子爵は、反乱軍側についた人間にはさぞ目障りだっただろう。

 表立って反乱軍と組んでいるのならわかりやすいが、裏で手を結ぶ貴族に援軍など要請したら、無視されるだけならまだしも、下手をしたら仲間面した敵を内に抱え込むことにもなりかねない。
 だから、子爵は自分達だけで戦わねばならなかったのだ。

 そしてもう一つ、打って出る決断をした背景には、エルマーク殿下を国外へ逃がす目的もあった。

 反乱軍は皇帝一族が死んだものと思っているが、万に一つでもエルマーク殿下のことが知られれば今度こそ血統が途絶えかねない。
 もはや国内の貴族にすら信は置けず、賊軍が迫る自領に私達を置くことの危険を悟り、また皮肉にも、反乱が始まってすぐに国境を封鎖したおかげで、この時点で帝国の外が最も安全だという点も決断を後押しした。

 ウォルダム子爵はあえて籠城せずに打って出ることで、その間にエルマーク殿下を逃がそうと考えたのだ。

「申し訳ございませぬ。殿下がたの安全のためには、一度国を出ていただかねばなりません。この地でお守りするは難く、これはわしの不徳の致すところ。伏してお詫び申し上げます」

 近づく争いの気配がそうさせているのか、見たことがないほどに険しい顔のウォルダム子爵にそう謝罪され、他に頼る先を知らない私達は、ルガツェン帝国を捨てる覚悟を固める。

 一時的にとは言われたが、既に私は帝国外で骨を埋めるつもりになっていた。
 守るべきものと家族も失い、この国に留まる理由が日に日に小さくなっていたのも大きい。

「ソーマルガ皇国に、わしの友人がおります。貴族などではなく、商家を営んでいるため、殿下方の素性を伏せたまま匿うには都合がよいでしょう。ことの次第を手紙にしたためておきましたので、お持ちください。帝国を出ましたら、ソーマルガ皇国の西端にあるブロシーンという街へ向かわれませ」

「閣下はどうされるのですか?一緒には来ていただけないのですか?」

 最も頼るべき存在として、直接の血のつながりはないが、今では唯一の血縁とも言えるウォルダム子爵と離れることに、不安を禁じ得ない。
 かなうのなら一緒に来てほしいと、そう含ませて尋ねるが、欲しかった答えはもらえなかった。

「わしらはせいぜい派手に暴れて、連中の目を引き付けてやるのみ。殿下方はその間に北へ。わし自身は同行はかないますまい。申し訳ございませぬ。しかしご安心を。選りすぐった手練れを幾人かお付けいたします故、道中の安全は守られましょう」

 務めて明るい物言いだったが、子爵は死ぬつもりなのだというのは、子供の私でも分かった。
 子爵領に迫っていた賊軍を率いる何某かは随分悪名が知れているそうで、領民達はまだ財産として扱うが、子爵達為政者を生かしはしないだろうと、それゆえの徹底抗戦でもあったのだ。





 ―おさらばでございます!

 まだ暗い内に館を発った私達を見送ってくれたウォルダム子爵が発したのは、含む意味など考えるまでもなく、本当の最後の別れの言葉だ。
 私は振り返ることはしなかった。

 別れの前に、もう泣かないと子爵に誓ったのだ。

 だから、今の私の顔をあの人に見せるわけにはいかない。

 せめて、旅立つ私の背が頼もしいと、そう思ったまま見送ってもらいたかった。




 後に聞いた話では、子爵軍1に対して賊軍は5の戦力差があったとされ、籠城を選ばなかった時点で勝敗は決したと思われていた。
 だがこの時、子爵軍は攻め寄せる賊軍を相手に一歩も引くことなく、むしろ寡兵にもかかわらず何度も敵群を押し返し、多大な被害を出しながらおよそ一キロメートルも賊軍を後退させたといわれている。

 子爵軍は戦闘に参加した兵士がことごとく討ち死にし、最後の一兵までが武器を手放さずに前へと倒れこんだと言われている。
 この壮絶な戦いに、賊軍は一時恐慌に陥り、勝ったはずの側が戦場から逃げ出すという奇妙な決着が逸話として残っていた。

 聞く側にも恐怖を覚えさせる子爵軍の最後は、その後の反乱軍残党の活動を鈍化させるきっかけになったと語る研究者は多い。




 子爵がつけてくれた護衛とともに、私達は馬を駆って帝国の北端へと向かった。
 国境は封鎖されているため、他の手でヨルバルを超える必要があったのだが、そのための唯一といってよい方法がその地にはあった。

 その方法とは、ヨルバルの上空を行き来する鳥で谷を越えるという方法だ。
 ある種の鳥は人を持ち上げられるだけの大きさがあり、餌となる大きな肉などを人が背負って待っていると、上空から急降下して肉をつかみに来る。
 巣に持ち帰られるのに合わせ、ほどよいところで鳥を攻撃して肉を落とさせて谷の向こう側へ降りるという。

 これを考案したずっと昔の人間が『シンドバッド方式』と名付けているが、語源などは分かっていないらしい。
 なんとも危険な方法だが、ヨルバルを渡るには他に手はなく、それだけの覚悟なしに帝国を出ることはできなかった。

 馬での移動は速度の点で優れるが、子供の体力では長く続けられるものではない。
 休みながらの旅は予定よりも時間はかかったものの、目的の場所へあともう少しというところで、私達は魔物の群れに襲われた。

 襲ってきたのは月吼猿げっこうえんという大型の猿の魔物だ。
 おそらく、ヨルバルを渡るための鳥に使う餌の匂いに引かれてきたのだろう。

 この時の私は知らなかったが、ルガツェン帝国でも上位に位置する危険な魔物で、五頭以上の集団は国やギルドが即座に討伐へ乗り出すほどの脅威だとか。
 それが十頭ほどという、立ち向かうのが蛮勇と言うしかないほどの危険が私達を襲ってきた。

 護衛はいずれも手練れではあるが、実際に戦えるのは十人ほどと少なく、十頭近くの群れでは到底勝てる見込みはない。
 そうなれば逃げの一手を選ぶしかないが、最悪なことに月吼猿は私達を獲物として定めてどこまでも追ってくる。

 もはや逃げ切ることは難しいと分かり、護衛の兵が決断する。
 私とエルマーク殿下のみを先行させて、自分達は足止めに徹するという、窮余の策とすら呼べない手を取る。

「アルレリア様、どうやら私達はここまでのようです。この先は殿下とあなた様だけで行くしかありません。最後までお供できぬのは、ひとえに私達の力不足。殿下方を危地に送る愚かさ、どれほど悔いても足りませんが、今は他に手はありません。どうかご無事で」

 そう言って魔物の群れへ突撃していく兵達を、私は最後まで見ることはできず、事前に教えられていた手順で鳥を呼び寄せ、殿下と二人だけで谷を渡った。
 遠ざかる背後の声には、私達を鼓舞するようにとき(鬨)の声が上がっていた。
 生き残ることなど無理なはずなのに、せめて私達に不安や後ろめたさを感じさせないためにとのことだろう。

 無力な私でもそれが分かり、無性に辛かった。



 ヨルバルを越え、どうにか地上に降りた私達は一路、ソーマルガ皇国を目指して歩き出す。
 本来ならここに何人か同行者がいて、その人達に旅の世話を見てもらうつもりだったが、無事に谷を越えられたのは私とエルマーク殿下の二人のみ。

 子供二人だけの旅、それもルガツェン帝国とソーマルガ皇国の間は山に川、起伏の激しい荒れ地と決して楽な道ではない。
 幸いにして最低限の荷物はあったため、完全な丸腰というわけではないが、頼りになるのは剣一本のみ。
 地図もあったが知識がない私達には現在地を正確に把握するのも難しく、大まかな予想での移動は不安が大きい。

 絶望的ともいえる状況にうずくまってしまいたかったが、エルマーク殿下の不安そうな顔を見て、私は虚勢を張るしかなかった。
 これまでの旅でもそうしていたように、殿下の手を引いて歩くと、守っているはずの小さな手が逆に力をもらっているような気がして、不思議と不安は和らいでいく。

 そうして何日も経ってくると、怖い辛いと殿下もぐずる機会が増え、どうにかあやしながら背負って歩き続けるが、ついに子供の体には限界が訪れる。
 城を焼け出されてからの旅の間に見よう見まねで覚えていた方法でソーマルガ皇国を目指した私達だったが、限りある物資を早々に使い果たしたところで、ついに行き倒れとなってしまう。

 魔物や賊を避けるために、不確かな地図便りの道のりを選んでいたこともあって、街や村にすら辿り着くことができなかった。
 空腹と疲労に、私は倒れ伏したまま、傍で泣き続ける殿下をあやすこともできず、近く訪れるであろう死を覚悟していたところを、通りかかったソーマルガ皇国の巡察隊に拾われた。

 いつの間にかソーマルガ皇国へ入っていたようで、偶然巡察の兵士が通りがかったのは本当に運がよかった。
 さらに幸運だったのは、その巡察隊の次の行き先がブロシーンだったことだ。
 行き倒れていた理由や身元などで簡単な聴取は受けたが、なんとかごまかしてブロシーンまで一緒に連れて行ってもらった。

 ブロシーンは想像していたよりも大きい街で、入場には身分証明が必須だったが、子爵から託されていた手紙を差出人へ届けてもらうと、すぐに一人の男性が私達の前へと息を切らせながらやってきた。
 年齢は子爵と同じくらいで、名前をブルクルトと名乗った。
 私達を見た途端、今にも泣きだしそうに顔を歪ませ、折れんばかりに強く抱きしめてきたのは、子爵の手紙から帝国の惨状を正しく理解したせいだろう。




 こうしてブルクルトのもとへ身を寄せた私達は名を変え、姉弟としてこの国で長く暮らすこととなる。
 彼はソーマルガ皇国でも名の知れた商人で、匿われながらも私達は不自由なく過ごすことができ、それどころか高度な教育すら受けさせてもらった。

 特にエルマーク殿下―ロイドは聡明さを早くに示し、ゆくゆくは官吏の道すら望めるとまで言われていた。
 だが結局、私達は冒険者としての道を選んだ。
 ブルクルトに不満があったわけではない。
 彼は私達を家族のように愛してくれた。
 だからこそ、この先ルガツェン帝国の遺児を抱え続けることの危険から遠ざけたかった。

 冒険者になろうと提案したのはロイドからだった。
 ルガツェン帝国で暮らしていた記憶はあるが、ソーマルガ皇国で暮らす日が続くと皇子だったという感覚はだいぶ薄れ、成人を迎える頃にはもう、普通に年相応の男として生きていた。

 本音を言えば危険な道を歩くことは止めたかったが、自由と強さへの憧れからか、冒険者の道を選んだロイドの決心は堅かった。
 ならばせめて私が身近でロイドを守ろうと、一緒に冒険者になることにしたのだ。

 私にもティリマス家の血が流れていたおかげか、鍛錬さえ積めば順当に強くなれたし、ロイドも弓の扱いに才能を見せたため、姉弟で組んで活動するのに実力的な不足はなかった。
 一番苦労したことといえば、ブルクルトの説得だろうか。

 私達の身を案じて冒険者になることに反対したブルクルトも、長い時間をかけて何とか納得させられたのは、ひとえにロイドの成長のおかげだ。
 元とはいえ皇子がそう望みながら頼み込むという姿勢に、動かされない(元)臣下などいるだろうか?いやいない。

 最終的には私が守るということが効いたのか、渋々といった様子でブルクルトも受け入れたが、そのせいで元々寂しかった頭髪がさらに薄くなったのには、本当にすまないと思っている。





 冒険者となり、地道に実績を重ねて黄二級にまでなった私達は、このまま帝国に戻らず自由に生きていくのだと、そう思っていたのに、結局私は帝国に帰って来た…いや、帰って来させられたというのが正しいか。

 久しぶりに踏んだ故郷の土には、これといって感慨も抱かなかったが、城を見たときは体内側へ折りたたまれる様に感じた。
 いい思い出もあるが、それ以上に悲しい思い出があまりにも大きい。

 そんな場所で、イサドレッド様に間違われて使命を強いられることのなんという屈辱か。
 強いている張本人を張り倒したいところだが、弟の安全を盾にされてはそれもできない。

 ただ、そんな中でも一つの情報を得られたのは僥倖だろう。
 それはイサドレッド様が生きているという可能性だ。

 侯爵が言うには、年齢的にイサドレッド様と思われる遺体が、結局見つからなかったという。
 骨も残らないほどに焼かれたというのも、他の皇族方の遺体が確認されている以上はあり得ない。
 おそらく、イサドレッド様は燃え盛る城を脱出したのではないだろうか。

 そしてそれが出来る人間に、心当たりは一つしかない。
 私の父だ。
 あの日、近衛は帝都の外に布陣する反軍に突撃したと聞いているが、確かに街での略奪を防ぐためという目的には納得するが、もしもそこにイサドレッド様を抱えて逃げたというのならどうだろうか?

 勇猛でありながら思慮深い父なら、一計を案じてそれぐらいのことをしてもおかしくはない。
 あくまでも私の推測だが、そう思うとかつて燃え尽きて失った胸の情熱が、再び熱を帯びていくのを感じる。

 もしも仮にイサドレッド様がどこかで生きているのなら、ロイドを…エルマーク殿下をあの方に再会させてあげたい。
 宝物庫を開けられない私では、これ以上イサドレッド様の身代わりは務まらない。
 すぐにバレるだろう。

 ならば私がするべきことは……。



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