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5.デメトリオスとの戦い
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この戦ののちピュロスの勇名はさらに上がり、高邁な心と身に受けた栄光を称えられながら故郷へと凱旋した。エピロス人がこの王に“鷲”という異名をつけて呼ぶのを聞いて、彼は言った。「お前たちのお陰で私は鷲になれた。ほかの誰の力でも叶わぬことだ。お前たちの武器を風切り羽根にして、私はまだまだ舞い上がってやるぞ」
しばらくしてデメトリオスが重病の床にあると知ったピュロスは、突如マケドニアに駒を進めあちこちを占拠して荒らしまわった。一戦も干戈を交えることなく国土全体を制圧して、この王国を残らず手に入れる寸前にまで迫ったのである。実際エデッサまで抵抗らしい抵抗も受けずに進軍し、人々は続々傘下にあつまって遠征に協力した。
ところがいまや絶体絶命に立たされたデメトリオスは土壇場で常人ならざる力を発揮し、またデメトリオスの友人や将軍らも短期間で多数の兵をかき集め、決死の覚悟と熱意をふりしぼってピュロスに兵を向けた。ピュロスのほうはあくまで掠奪目当ての心づもりで構えていたから、マケドニア方の反撃にさらされると到底ふせぎあえず、敗走中にも攻められて兵馬を失いながら落ちていった。
こうして速やかに国外に放逐したものの、依然ピュロスはマケドニアにとって目の上のこぶではあった。デメトリオスは十万の兵と五百の船団を率いて父のころの領土を取り戻すという大事業に着手する決意を固めていた。そのためいまピュロスと角つき合わせることは避けたかったが、かといってマケドニアの隣りに面倒な野心家を残しておくのも嫌だった。もちろん彼と全面戦争をする暇もない。そこで一旦講和して和平を結び、それから他の王たちに攻撃を集中したいと考えた。
これを受け両王の間で和議が成立したが、デメトリオスの狙いと大規模な戦争準備が明らかになるにつれ、他の王たちは不安に駆られ、ピュロス宛てに書簡や使者を何度も寄越してきた。いわく、
――貴方ほどの者がせっかくの戦機を逃し、デメトリオスが時節を捉えるさまを見守っているとは驚きだ。彼が忙しなく動き回っているあいだ貴方は安全だろうが、いまのうちにマケドニアから追い払っておかねば、余裕を得た敵は手がつけられぬほど強大化してしまう。そうなってからモロッソイの聖域や先祖累代の墓をかけて決戦に及ぶつもりなのか。敵は今しがたケルキュラ島と貴方の奥方を奪っていったばかりではないか――と。
ピュロスの妃ラナッサは、彼が自分を差し置いて異民族出身の夫人らを大切にするのに腹を立て、勝手にケルキュラに帰り隠棲してしまった。彼女はあくまで王妃としての結婚生活を望んでいたものらしい。ラナッサは王たちのなかでデメトリオスが妃を探していると知るやさっそく彼をケルキュラへ招じ入れた。果たしてデメトリオスは艦でやって来てラナッサを妻にし、街には守備隊を残したまま連れ去ってしまったのである。
王たちはピュロスにこのような書簡を送って発破をかけ、同時に自分らも準備のただなかのデメトリオスを攻撃した。プトレマイオスが大艦隊を率いてギリシア諸都市を反乱に駆り立てるいっぽう、リュシマコスはトラキアを出て高地マケドニアに侵攻し、その地をおおいに荒らしまわった。そこでピュロスは、反旗を翻した都市と共同歩調をとってベロイアへ進軍した。デメトリオスとリュシマコスの兵馬が睨み合っているせいでマケドニアの低地地方はがら空きだろうと踏んだのだが、この予想は的中した。
その夜のことである。ピュロスは夢の中でアレクサンドロスの声に呼ばれた。近づくと大王は寝台に横たわっていたが、優しい態度と親切な言葉で、彼の力になることを約束してくれた。「しかし大王さま、あなたはご病気ではありませんか。どうして私を助けることがお出来になりましょう?」ピュロスが意を決して尋ねると、アレクサンドロスは「余の名を使うがいい」とだけ言って、ニサイア産の駒に跨るとどこかへ去ってしまった。
この予知夢はピュロスを大いに勇気づけた。彼は兵たちに号令して全力で中間地帯を通り抜け、ベロイアを占拠した。ついで軍隊の大半をそこに駐留させ、将官らを率いて残りの地域を征服していった。
知らせを受けたデメトリオスは、自陣のマケドニア兵が不穏な動きを図っていることに気がついた。彼はこれ以上の進軍をためらった。このままの状態で名高い王たちに迂闊に近づけば、動揺した兵士らが寝返りはすまいかと恐れたのである。
そこでデメトリオスは軍を反転して、ピュロスに攻めかかった。外国人であるピュロスならば、マケドニア人に憎まれているだろうと考えたようだ。ところがピュロスと対陣するやいなベロイアの人々が多数やって来て、大声でピュロスを称えはじめた。いわく――ピュロスは武器を取らせれば並ぶ者のない輝かしい英雄で、捕虜のあつかいも慈悲深い名君である――と。
むろんその中にはピュロスが敵陣に放った手下も含まれている。彼らはマケドニア人のふりをして、「いまこそデメトリオスの圧政から逃れ、民衆思いで兵士を愛するピュロスへ主君をすげ替える好機である」と叫びまわった。そのためマケドニア兵の大半が浮き足だってピュロスはどこだ、とあたりを見回した。彼は偶然兜を脱いでいたため、誰にも分からなかったのである。気づいたピュロスが隆々たる前立と山羊の角をあしらった兜を被ると、たちまち人々の目を集めたのだった。マケドニア兵はつぎつぎと彼のもとに駆け寄った。戦の合言葉を尋ねる者もあれば、頭に樫の枝をさす者もあった。王の供回りの兵士らが樫の枝の冠をつけていたのである。
やがてデメトリオスにこう進言する者まで現れた。「ここは計画をいったん諦めて、静かに撤退なされませ。それこそが賢明な引き際というものですぞ」デメトリオスは動揺著しい兵隊をみて助言の正しさを悟ると、つばの広い帽子と雑兵のような簡素な外套をまとってひそかに逃げ去った。
こうしてピュロスは戦うことなしに敵を平らげ、マケドニアの王と宣言された。
しばらくしてデメトリオスが重病の床にあると知ったピュロスは、突如マケドニアに駒を進めあちこちを占拠して荒らしまわった。一戦も干戈を交えることなく国土全体を制圧して、この王国を残らず手に入れる寸前にまで迫ったのである。実際エデッサまで抵抗らしい抵抗も受けずに進軍し、人々は続々傘下にあつまって遠征に協力した。
ところがいまや絶体絶命に立たされたデメトリオスは土壇場で常人ならざる力を発揮し、またデメトリオスの友人や将軍らも短期間で多数の兵をかき集め、決死の覚悟と熱意をふりしぼってピュロスに兵を向けた。ピュロスのほうはあくまで掠奪目当ての心づもりで構えていたから、マケドニア方の反撃にさらされると到底ふせぎあえず、敗走中にも攻められて兵馬を失いながら落ちていった。
こうして速やかに国外に放逐したものの、依然ピュロスはマケドニアにとって目の上のこぶではあった。デメトリオスは十万の兵と五百の船団を率いて父のころの領土を取り戻すという大事業に着手する決意を固めていた。そのためいまピュロスと角つき合わせることは避けたかったが、かといってマケドニアの隣りに面倒な野心家を残しておくのも嫌だった。もちろん彼と全面戦争をする暇もない。そこで一旦講和して和平を結び、それから他の王たちに攻撃を集中したいと考えた。
これを受け両王の間で和議が成立したが、デメトリオスの狙いと大規模な戦争準備が明らかになるにつれ、他の王たちは不安に駆られ、ピュロス宛てに書簡や使者を何度も寄越してきた。いわく、
――貴方ほどの者がせっかくの戦機を逃し、デメトリオスが時節を捉えるさまを見守っているとは驚きだ。彼が忙しなく動き回っているあいだ貴方は安全だろうが、いまのうちにマケドニアから追い払っておかねば、余裕を得た敵は手がつけられぬほど強大化してしまう。そうなってからモロッソイの聖域や先祖累代の墓をかけて決戦に及ぶつもりなのか。敵は今しがたケルキュラ島と貴方の奥方を奪っていったばかりではないか――と。
ピュロスの妃ラナッサは、彼が自分を差し置いて異民族出身の夫人らを大切にするのに腹を立て、勝手にケルキュラに帰り隠棲してしまった。彼女はあくまで王妃としての結婚生活を望んでいたものらしい。ラナッサは王たちのなかでデメトリオスが妃を探していると知るやさっそく彼をケルキュラへ招じ入れた。果たしてデメトリオスは艦でやって来てラナッサを妻にし、街には守備隊を残したまま連れ去ってしまったのである。
王たちはピュロスにこのような書簡を送って発破をかけ、同時に自分らも準備のただなかのデメトリオスを攻撃した。プトレマイオスが大艦隊を率いてギリシア諸都市を反乱に駆り立てるいっぽう、リュシマコスはトラキアを出て高地マケドニアに侵攻し、その地をおおいに荒らしまわった。そこでピュロスは、反旗を翻した都市と共同歩調をとってベロイアへ進軍した。デメトリオスとリュシマコスの兵馬が睨み合っているせいでマケドニアの低地地方はがら空きだろうと踏んだのだが、この予想は的中した。
その夜のことである。ピュロスは夢の中でアレクサンドロスの声に呼ばれた。近づくと大王は寝台に横たわっていたが、優しい態度と親切な言葉で、彼の力になることを約束してくれた。「しかし大王さま、あなたはご病気ではありませんか。どうして私を助けることがお出来になりましょう?」ピュロスが意を決して尋ねると、アレクサンドロスは「余の名を使うがいい」とだけ言って、ニサイア産の駒に跨るとどこかへ去ってしまった。
この予知夢はピュロスを大いに勇気づけた。彼は兵たちに号令して全力で中間地帯を通り抜け、ベロイアを占拠した。ついで軍隊の大半をそこに駐留させ、将官らを率いて残りの地域を征服していった。
知らせを受けたデメトリオスは、自陣のマケドニア兵が不穏な動きを図っていることに気がついた。彼はこれ以上の進軍をためらった。このままの状態で名高い王たちに迂闊に近づけば、動揺した兵士らが寝返りはすまいかと恐れたのである。
そこでデメトリオスは軍を反転して、ピュロスに攻めかかった。外国人であるピュロスならば、マケドニア人に憎まれているだろうと考えたようだ。ところがピュロスと対陣するやいなベロイアの人々が多数やって来て、大声でピュロスを称えはじめた。いわく――ピュロスは武器を取らせれば並ぶ者のない輝かしい英雄で、捕虜のあつかいも慈悲深い名君である――と。
むろんその中にはピュロスが敵陣に放った手下も含まれている。彼らはマケドニア人のふりをして、「いまこそデメトリオスの圧政から逃れ、民衆思いで兵士を愛するピュロスへ主君をすげ替える好機である」と叫びまわった。そのためマケドニア兵の大半が浮き足だってピュロスはどこだ、とあたりを見回した。彼は偶然兜を脱いでいたため、誰にも分からなかったのである。気づいたピュロスが隆々たる前立と山羊の角をあしらった兜を被ると、たちまち人々の目を集めたのだった。マケドニア兵はつぎつぎと彼のもとに駆け寄った。戦の合言葉を尋ねる者もあれば、頭に樫の枝をさす者もあった。王の供回りの兵士らが樫の枝の冠をつけていたのである。
やがてデメトリオスにこう進言する者まで現れた。「ここは計画をいったん諦めて、静かに撤退なされませ。それこそが賢明な引き際というものですぞ」デメトリオスは動揺著しい兵隊をみて助言の正しさを悟ると、つばの広い帽子と雑兵のような簡素な外套をまとってひそかに逃げ去った。
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