6 / 9
6.裏切り
しおりを挟む
ところがである。ここにリュシマコスが現れ、“デメトリオスの打倒は両者の共同作業である”と主張して王国の分割統治を要求してきた。ピュロスはまだマケドニアの国民に全幅の信をおけず、その協力を疑っていたためリュシマコスの案を受け入れ、都市と領土とを互いに二分することにした。
このやり方は差し当たっては有効で、二国間の戦争は回避された。しかし程なく彼らは、自分たちが望んでおこなったはずの分割が敵意を和らげるどころか、かえって不満と争いの種になっていることを悟った。山岳も海原も、いや人の住めぬ砂漠でも、このふたりにとってはあればあるだけ野心が騒ぐのである。ヨーロッパとアジアを隔てる境もその旺盛な欲望の足かせにはなり得ないような男たちが、隣りどうしで暮らしながら、どうして現況に満足して互いの土地を侵さないといえるだろうか。
ひとを妬み謀を弄することこそ彼らの生来の本分であり、そうである以上争いは終わることはない。“戦争”と“平和”という二つの言葉も、こういった人間にはただのコインの裏表に過ぎない。正義とは関係なしに、自分にとって都合の良い面を好きなだけ使うのである。
“正義や友情なぞといったお題目のために不正を諦めぐずぐずしているよりも、覚悟を決めて公然と戦を仕掛ける方がはるかに立派な人間である”という意思を、ピュロスは兵馬を用いて明瞭に示そうとした。このころデメトリオスは重病を克服した者のごとくふたたび勢力を盛り返していたが、これを阻止すべくギリシア勢の援軍としてアテナイへ入ったのである。
彼はアクロポリスの丘に上り、アテナ女神に犠牲を捧げてその日のうちに街へ降りた。そして民衆たちに、「諸君らの信頼と好意にはおおいに満足している。だが今後はいかなる王にもかたく門を閉ざして、都市に入城させないのが賢明だ」と告げた。
その後、成り行きからまたデメトリオスと和平を結んだが、彼がアジアに向けて進軍をはじめた矢先、再びリュシマコスの口車にのってテッサリアを煽動して離反させると、ギリシアの諸都市に派遣されたデメトリオスの手兵に襲いかかった。マケドニア人というものは何もしていない時よりも外征中の方がくみしやすいと分かっていたし、ピュロスもまた、生来大人しくしていることの出来ぬ人間だったからである。
しかし、シリアにおいてついにデメトリオスは完敗を喫した※1。リュシマコスは後背になんの心配もいらなくなったので、ただちにピュロスに対して兵をあげた。このときピュロスはエデッサに陣取っていたが、リュシマコスは輜重隊を襲って糧道を抑えてしまった。
ピュロスの陣営に動揺が走るのをみると、リュシマコスは書簡や会談を通してマケドニアの有力者たちを調略していった。彼らが先祖をたどれば常にマケドニアに臣従していたような夷狄の主に過ぎぬピュロスを戴いていること、またアレクサンドロス大王の友人や側近を国外に追放したことをさかんに批判したのである。
多くの人々が敵方へ寝返った結果、危機を感じたピュロスは、エピロスから連れて来た兵と同盟諸軍をまとめて逃げ出さざるを得なかった。こうして彼は、自らが手に入れた時と同じようにマケドニアを失う羽目になった。
ここまでの顛末をながめれば、民衆が目の前の利益のため変節しても、君主が文句をつける謂れなどないとわかろうものだ。彼らはただ、王たちを不実と裏切りの師と崇め、その真似をしているに過ぎないからである。なんなら正義から一番遠い者こそいっとう有利だ、ぐらいに考えているのではないだろうか。
※1:この時点でディアドコイ(後継者)中最大の版図をもつセレウコスと戦って敗れ、捕虜となったまま数年後に病死している
このやり方は差し当たっては有効で、二国間の戦争は回避された。しかし程なく彼らは、自分たちが望んでおこなったはずの分割が敵意を和らげるどころか、かえって不満と争いの種になっていることを悟った。山岳も海原も、いや人の住めぬ砂漠でも、このふたりにとってはあればあるだけ野心が騒ぐのである。ヨーロッパとアジアを隔てる境もその旺盛な欲望の足かせにはなり得ないような男たちが、隣りどうしで暮らしながら、どうして現況に満足して互いの土地を侵さないといえるだろうか。
ひとを妬み謀を弄することこそ彼らの生来の本分であり、そうである以上争いは終わることはない。“戦争”と“平和”という二つの言葉も、こういった人間にはただのコインの裏表に過ぎない。正義とは関係なしに、自分にとって都合の良い面を好きなだけ使うのである。
“正義や友情なぞといったお題目のために不正を諦めぐずぐずしているよりも、覚悟を決めて公然と戦を仕掛ける方がはるかに立派な人間である”という意思を、ピュロスは兵馬を用いて明瞭に示そうとした。このころデメトリオスは重病を克服した者のごとくふたたび勢力を盛り返していたが、これを阻止すべくギリシア勢の援軍としてアテナイへ入ったのである。
彼はアクロポリスの丘に上り、アテナ女神に犠牲を捧げてその日のうちに街へ降りた。そして民衆たちに、「諸君らの信頼と好意にはおおいに満足している。だが今後はいかなる王にもかたく門を閉ざして、都市に入城させないのが賢明だ」と告げた。
その後、成り行きからまたデメトリオスと和平を結んだが、彼がアジアに向けて進軍をはじめた矢先、再びリュシマコスの口車にのってテッサリアを煽動して離反させると、ギリシアの諸都市に派遣されたデメトリオスの手兵に襲いかかった。マケドニア人というものは何もしていない時よりも外征中の方がくみしやすいと分かっていたし、ピュロスもまた、生来大人しくしていることの出来ぬ人間だったからである。
しかし、シリアにおいてついにデメトリオスは完敗を喫した※1。リュシマコスは後背になんの心配もいらなくなったので、ただちにピュロスに対して兵をあげた。このときピュロスはエデッサに陣取っていたが、リュシマコスは輜重隊を襲って糧道を抑えてしまった。
ピュロスの陣営に動揺が走るのをみると、リュシマコスは書簡や会談を通してマケドニアの有力者たちを調略していった。彼らが先祖をたどれば常にマケドニアに臣従していたような夷狄の主に過ぎぬピュロスを戴いていること、またアレクサンドロス大王の友人や側近を国外に追放したことをさかんに批判したのである。
多くの人々が敵方へ寝返った結果、危機を感じたピュロスは、エピロスから連れて来た兵と同盟諸軍をまとめて逃げ出さざるを得なかった。こうして彼は、自らが手に入れた時と同じようにマケドニアを失う羽目になった。
ここまでの顛末をながめれば、民衆が目の前の利益のため変節しても、君主が文句をつける謂れなどないとわかろうものだ。彼らはただ、王たちを不実と裏切りの師と崇め、その真似をしているに過ぎないからである。なんなら正義から一番遠い者こそいっとう有利だ、ぐらいに考えているのではないだろうか。
※1:この時点でディアドコイ(後継者)中最大の版図をもつセレウコスと戦って敗れ、捕虜となったまま数年後に病死している
10
あなたにおすすめの小説
セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち
ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。
クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。
それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。
そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決!
その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
小日本帝国
ypaaaaaaa
歴史・時代
日露戦争で判定勝ちを得た日本は韓国などを併合することなく独立させ経済的な植民地とした。これは直接的な併合を主張した大日本主義の対局であるから小日本主義と呼称された。
大日本帝国ならぬ小日本帝国はこうして経済を盤石としてさらなる高みを目指していく…
戦線拡大が甚だしいですが、何卒!
痩せたがりの姫言(ひめごと)
エフ=宝泉薫
青春
ヒロインは痩せ姫。
姫自身、あるいは周囲の人たちが密かな本音をつぶやきます。
だから「姫言」と書いてひめごと。
別サイト(カクヨム)で書いている「隠し部屋のシルフィーたち」もテイストが似ているので、混ぜることにしました。
語り手も、語られる対象も、作品ごとに異なります。
無用庵隠居清左衛門
蔵屋
歴史・時代
前老中田沼意次から引き継いで老中となった松平定信は、厳しい倹約令として|寛政の改革《かんせいのかいかく》を実施した。
第8代将軍徳川吉宗によって実施された|享保の改革《きょうほうのかいかく》、|天保の改革《てんぽうのかいかく》と合わせて幕政改革の三大改革という。
松平定信は厳しい倹約令を実施したのだった。江戸幕府は町人たちを中心とした貨幣経済の発達に伴い|逼迫《ひっぱく》した幕府の財政で苦しんでいた。
幕府の財政再建を目的とした改革を実施する事は江戸幕府にとって緊急の課題であった。
この時期、各地方の諸藩に於いても藩政改革が行われていたのであった。
そんな中、徳川家直参旗本であった緒方清左衛門は、己の出世の事しか考えない同僚に嫌気がさしていた。
清左衛門は無欲の徳川家直参旗本であった。
俸禄も入らず、出世欲もなく、ただひたすら、女房の千歳と娘の弥生と、三人仲睦まじく暮らす平穏な日々であればよかったのである。
清左衛門は『あらゆる欲を捨て去り、何もこだわらぬ無の境地になって千歳と弥生の幸せだけを願い、最後は無欲で死にたい』と思っていたのだ。
ある日、清左衛門に理不尽な言いがかりが同僚立花右近からあったのだ。
清左衛門は右近の言いがかりを相手にせず、
無視したのであった。
そして、松平定信に対して、隠居願いを提出したのであった。
「おぬし、本当にそれで良いのだな」
「拙者、一向に構いません」
「分かった。好きにするがよい」
こうして、清左衛門は隠居生活に入ったのである。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる