ローランの歌

N2

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ーローランの死ー

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182.

異教徒たちは恐怖に駆られ、雪崩をうって潰走をはじめた。仲間を討たれた恨みを残して、無数の影がスペイン指して逃げてゆく。

地の果てまで追撃してやりたいが、愛馬を失ってはそれも出来ぬ。ローラン伯は否応もなくその場に留まった。急いでチュルパンのもとに駆け寄ると、兜の緒を解き、鎧を脱がせ、絹の胴衣を引きちぎる。これを傷口に押し当て、きつく縛ると、大僧正の体を腕に包んで、優しく緑の芝生に横たえた。やがてローランは祈るような穏やかさで口を開く。

「少々のあいだ、お側を離れる愚をお許しくだされい。大切な戦友たちを探し回りとうござる。この一帯に亡き骸が散らばっておりましょうから。幸運にも見出すことが出来れば、ここに引っ張って参ります」

「行くがよい」チュルパンが言う「この戦場はもはや儂とそなたふたりだけのもの。末期まつごきわに神がかような時を与えたもうたは幸いじゃ、何をためらうことがある」


183.

ローランはひとり戦場をさすらう。荒野を、高地を彷徨さまよって、仲間の骸を探し求めた。

まずは窪地に臥せるイヴォンとイヴォワールを見当てた。ついでボルドーのガスコーニュ人アンジェリエを、そしてジュランとその猟友ジュリエが近くに倒れていた。オートン、べランジェ、さらに公爵サンソンを探し出す。ほどなくアンセイスの巨躯と老将ルッションのジェラールも見つかった。

彼らの遺体を、ひとりひとり運び出しては大僧正の足もとに安置する。亡き骸の列は青草の上に長く伸びていった。チュルパンは溢れる涙せきあえず、両手を広げて祝福する。

「おお、なんと哀れな運命よな、神よ!諸将の魂に慈悲を与えられんことを。願わくば天国なる花の園生そのうに住まわしめ給え!儂もすぐゆくぞ、ああ、今いちど皇帝陛下にお目もじ叶わぬことだけが心残りだわ」


184.

ローランはふたたび戦場にたち戻り、親友オリヴィエを探し出した。生気のない姿を胸に抱きしめ、残された力を振り絞って連れ帰る。盾の上にその亡き骸を乗せたところで、大僧正はあらためて皆を讃え、祝福を授けた。うち並ぶ仲間の骸を前に、憐れみと嘆きが新たに込み上げる。

ローランは友に哀悼を捧げる「わが友オリヴィエ、選ばれし者、リュニエールのたにに至る境界を領ぜしルニエ公の嫡子よ。外にあっては白銀の槍もて数多の鎧を砕き、宮中にあっては勇略を披露して諸将を励まし、また導く。不届き者には容赦なく、恐怖をもって打ちのめす。地上においてこれほどの騎士はもう現れまい」


185.

仲間を死なせ、愛する者を死なせた喪失感の大きさに、ローランは涙が止まらなかった。顔からは生気が消え、力は萎え、どうすることも出来ない悲しみのなかで、みたびローランは気を失った。

「いたましや」チュルパンがいう「そなたの苦悩は言葉にできぬ」


186.

気絶したローランを見つめるうちに、チュルパンの胸はますます哀切の情で一杯になる。

傍らに落ちた象牙の角笛に手を伸ばし、気力を絞って立ち上がった。ローランの気付けに、ロンスヴォーの小川から冷たい水を持ってやろうと思ったのだ。だがおびただしい出血はチュルパンの体力を奪っていた。よろめき、ふらつき、ようやくいちアルパンも歩みを進めたところで、ついに足が止まる。精魂尽き果て前のめりに崩れた大僧正に、苦しみ深き死がおとずれた。


187.

何かの倒れる音で正気に返ったローラン、身を起こしたは良いが、激痛はいや増すばかり。あたりを見回して大僧正を探す。上手を望んでもおらず、下手を眺めても姿はない。ちょうど戦友たちの亡き骸の先、草原のなかに勇士がひとり横たわっているのが見えた。神の代行者と称えられし、チュルパン大僧正そのひとであった。罪業の滅却を唱え、両の手を高々と上げて天国を招来し、まさにいま事切れたところである。

おお、シャルルの戦士チュルパンも逝く――言葉巧みな説法において、また物の具取っての戦働きにおいてもキリストの騎士のなかで最良の男、異教徒調伏ちょうぶくの専任者と呼ばれた勇将が――願わくば神よ、彼の魂に祝福あらんことを!


188.

ローラン、倒れ伏した大僧正に駆け寄って見ると、肺腑は飛び出し、頭蓋はかち割れ、満身創痍の死に様であった。広げられた白い両手を引き寄せて胸の上で組んでやると、フランク族の祖法にしたがい、死者への哀悼を述べはじめた。

「ああチュルパン殿、心優しく高貴なる騎士、そなたを天上にいます真の神に委ねよう。使徒の昔より今に至るまで、かほどにまで心を込めて献身を捧げる者、信仰を守り信徒に勝利をもたらしたる預言者は現れず。我は願いたてまつる、勇士の魂に何らの悩み苦しみも与うることなく、すみやかに天国の門が開かれんことを!」


189.

大僧正を見送ったローランも、自らの死が近いことを悟っていた。耳からは脳漿が溢れ、激痛が頭を駆け巡る。彼は先に旅立った十二人衆のために祈る――神が天使ガブリエルを遣わして、彼らの御魂を安んじられるように――

ローランは角笛を取り上げた。もう片手にはデュランダルを握る。後人に“剣を手放し、敵に背を向け死んだ”とそしられるのは避けねばならぬ。大石弓バリスタの放つ矢弾の届かぬほどに離れたところまで、良き死に場所をさがして彷徨い歩いた。

丘のうえ、二本の大樹のあいだから大理石の塊が四つ顔を覗かせている。どうやらスペインとの国境を示す標石らしい。ローランはどうと仰向けに倒れて、そのまま気を失った。死期はもうそこに迫っていた。


190.

ロンスヴォーの山並みはたかく、木々もまた高い。国境の大理石は傾きはじめた太陽を浴びて鮮やかに輝いていた。

青草の上にローランは横たわる。ひとりのサラセン人が、じっとその姿をうかがっていた。顔や体に血をつけ、先ほどまで死体に混じって難を逃れていた様子である。さっと立ち上がり、急いで側に駆けてゆく。この男、みずからの丈夫な体躯と勇気に余程の自信があるのだろう、ローランの甲冑に手をかけて言うには「シャルルの甥め、どうやら死におったか。この宝剣は頂戴してアラビアまで持ち帰るとしよう」

ああ、自惚うぬぼれとは身を滅ぼす恐ろしきもの、彼が身をかがめ、ちょうど剣を鞘から抜き放たんとする刹那、不意にローランは目を覚ましたのである。


191.

我に返ったローラン、愛剣を手にしたサラセン人を見るやまなじりを裂いて大喝する「貴様は味方とは思えんな!」

失うこと許されぬ大切な角笛ではあるが、ほかに武器のない以上背に腹はかえられぬ。力を込めて握りしめ、金色に輝く兜めがけて殴りつければ、鋼鉄はがねは破れ、頭蓋の骨は砕け、目玉は飛び出してたちまち殺してしまった。

ローランは足下に転がった男を一瞥して「外道めが、つまらんことをしおって!善悪はおくとしても、かような馬鹿者の手にかかる俺ではないわ。話しを聴いた者はみな、貴様を生まれながらの狂人とみなすであろう。見ろ、象牙の角笛を!おかげで朝顔は割れ、黄金飾りも宝石も外れて散らばってしもうたわ!」


192.

ローランは残された力を振り絞って立ち上がった。視界はもやがかかってかすみ、頬からは血の気が失せている。目前に黒ずんだ標石を見出すと、佩刀デュランダルを構えてたびに渡って斬りつけた。火花が散って刃金が軋む音が鳴り響く。されど刀身は折れるどころか、歪みひとつさえ生じなかった。

ローランは剣に語りかける「聖母マリアよ、我を助けたまえ!ああデュランダル、哀れなるかな!この世を去りゆく身なれば、もはやお前を護ってはやれぬ。お前の鋭い切れ味あったればこそ、いかなる戦にも打ち勝てたのだ。数多の土地と王国をお前ととともに征服し、白髭麗しきシャルル帝に献上して来たものを!忠勇の家臣こそ長く持つべきこの剣を、敵に背を向け、死を恐れる輩に渡すわけにはいかん。お前ほどの業物わざものは豊かなるフランスにあっても二度と生まれることはないだろう」


193.

ローランはあらためて大理石に向き直り、デュランダルもてはっしと打ち据えた。鋭い音を残したが、剣は折れず、刃こぼれひとつしていない。神剣デュランダルは壊れることさえ忘れたかの様に、変わらぬ姿を見せていた。

ローランは嘆き、憐れみさえ込めて言う「おおデュランダル、お前はなんと美しく、光に映えて輝き続けていることか!かつてシャルル帝がモリエンヌの谷に御逗留のおり、神の御使いが天よりくだり来したことがあった。その際「武勇あきらけき将に」と与えられし無双のひと振り――それを有り難くも拝領したのが俺なのだ。
以来お前を佩いてどこまで走り回ったことだろう。まずはポワトゥーとメーヌを攻略し、南下してプロヴァンスとアキテーヌを下し、反転してノルマンディーとアンジューを解放し、ブルターニュの辺土を手に入れてから凱旋した。ついでイタリアに攻め入ってロマーニャ、ロンバルディアを征服し、ふたたび北上してバイエルンを陥し、フランドルの諸市を隅から隅まで降伏せしめ、ついにはブルゴーニュを通ってポーランドまで遠征したものだ。コンスタンティノープルには忠誠を誓わせ、ザクセンの地は勅命を奉じて従わせた。またスコットランド、アイルランド、ウェールズの三国をイングランドから切り取って、天領に組み入れたのも懐かしい。みな、髪に白花咲くシャルル王に捧げるべく、俺とお前とで成したことだ。だが今は、この神威の力が異教徒の手に渡ると考えるだけで涙が出る、胸がつぶれる!ああ、お前のため苦しむことになろうとは!父なる神よ、どうかフランスを災いから守りたまえ!」


194.

ローランは最後の力を込めて黒褐色の岩に剣を撃ちつけた。そのひと振りの鋭さに、岩塊は縦一文字に割れてしまったが、空いた裂け目の大きいこと、もはや人知を超えて言葉にできぬ。

デュランダルはといえば、やはり刃こぼれひとつせず、天に向かって跳ね上がる。とうとう叩き折ることは叶わなかった。ローランは悲しみにくれる。

「美しくあてなるデュランダル、比類なきつるぎよ。お前の柄の中に、どれだけ多くの聖遺物が眠ることか。聖ペテロの歯、聖バジルの血、国師聖ドニの髪、聖母マリアの衣の断片、どれをとっても替え難きもの。異教の輩に奪われたとあっては恥ずかしい。お前はキリスト教徒の手にあらねばならぬ、怯懦きょうだの者に仕えてはならぬ。ああ、お前とともに勝ち取った国々が懐かしい。今はシャルル王のしろしめす地となり、そのためにフランスは強国となったのだ」


195.

昏い死が、ローランの上に降りかかっていた。それは頭から心臓へとゆっくりと落ちてゆく。松の木蔭、青草の茂るところまで歩をすすめたローランは、角笛と剣を身体の下に敷くように横たわった。異教徒勢の方に頭を向けたのは、シャルル王とその戦士たちに、征服者としての死に様を見せんと願ってのことだった。

そして何度となく罪障の消滅を願い、懺悔の印として、上天なる神に向かって自らの手袋を差し出した。


196.

ローランに最期の時がやって来た。まっすぐスペインの地を向いて横たわり、片方の手で胸を叩く。

「おお、照覧あれ神よ、わが罪を告解せん。生まれし日よりいまに至るまで、大小の違いこそあれ、いかに多くの罪を重ねてきたことか。ここに悔い改め申す!」

こう言うと高みにおわす神をさして手袋を掲げた。そのとき、奇跡が起こった。天国より御使いたちが降りて、彼の側に姿をあらわしたのである。


197.

スペインを望む断崖の松の下で、ローランは終焉の時を迎えていた。脳裏には思い出が走馬灯になってよみがえる。数多の領土を切り従えた戦働き、美しいフランスの故郷、一門眷族の顔ばせ、そして父のごとく養い育ててくれた主人シャルルマーニュ。流れる涙は止めどないが、魂が肉体を離れゆくまで、神の慈愛にすがらねばならぬ。

「偽りなき天上の父よ、ラザロを生き返らせ、またダニエルを獅子より守りたもう御方よ!生涯をかけて積み上げし罪ゆえに、どうかわが魂を危難より救いたまえ!」

こう言いつつ握りしめた手袋を、確かに彼の右手から受け取った者がある。大天使ガブリエルであった。ローランは胸の前で手を合わせ、沈むように静かに息を引き取った。神は高みより智天使ケルビムのひとりを遣わされ、さらに海の危難の天使ミカエルを送られた。三人の御使いに護られながら、勇者ローランの魂は楽園へと運ばれていったのである。
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