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第8話 夜見義経

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 屋上で何の気なしに風を感じる。

 放課後になり、いつでも家に帰っていいのだが、昨日この街についたばかりで僕の部屋には大量の段ボールがある。それをいちいち荷ほどきする現実に向き合うのが面倒でここで現実逃避をしていた。

 逃げたくない現実はそれだけではないが……。

「向日葵……相変らずだったな」

 相変わらず……自分がいじめられているのを認めようとしない。
 ひどく、はたから見ると拷問のような扱いを受けていても、自分と彼女たちは友達なんだと言い張り、付き合い続けようとする。

「…………頑張れ」

 ドンと胸を叩いた。
 今の言葉は向日葵にではない。自分に言っていた。
 今度こそ後悔しない。

 これは———チャンスなんだ。

 もう二度と取り返すことができないと思っていた。もう二度と救うことができないと思い込んでいた向日葵を救うチャンス。
 下を見る。
 中庭では荼毘たちのグループが帰っているところだ。
 荼毘と、氷雨と残り三人。一人の男子の顔は見覚えがある。多分中学校が同じだった。もう一人の男子一人は全く知らないから高校から友達になった奴だろう。
 そして、最後の一人は向日葵だ。両肩に四本、ベルトのような太い鞄ひもを乗せて両手を使って持っている鞄と合わせて五つの鞄を持たせられている。彼女以外は手ぶらだ。
 見てるだけでも不愉快になる光景に、ここからでも声をかけてやろうかと思い息を吸い込んだ。

「懐かしい顔じゃなぁ、おい」

 ガチャッと扉が開く音ともに可愛らしい幼げな女の子の声が響く。
 彼女に話しかけられて、俺は足元に向けていた意識を、背後に向けざるを得なくなった。

「……あぁ、久しぶり」

 キィ……キィ……と金具のきしむ音を響かせながら近づいてくる。

「———義経」

 車いすの車輪を手で回しながら、夜見義経よるみよしつねは笑みを浮かべる、

「こんなに近いうちに会えるとは思わなかったぞ」

 その左目だけに僕の姿を映して。
 彼女のその右目には眼帯が巻かれていた。

「僕も、帰るつもりはなかった」
「酷いことを言ってくれるのぉ、おい。〝帰るつもりはなかった〟か? 〝早く〟帰るつもりはなかった、ではなく……クァクァックァッ‼」

 裏返る、独特の笑い声を披露してくれる。彼女の身体が揺れると車いすも揺れてキィキィと鳴る。

「僕は、逃げたから」
「そうじゃの。逃げたの、おいは」

 隣に並び視線を下に向ける。
 車いすに乗った状態で同じ目線の高さではない義経。彼女の視線から中庭の向日葵が見えるかは疑問である。

「相変らず名前で呼んではくれないんだ?」

 彼女が僕を呼ぶときはいつも乱暴だ。「おい」としか呼ばず、決して三蔵という名を呼んでくれない。

「おいの名前なんぞ。わしにゃあ恐れ多くて良く事なんてできん。おいはわしの救世主様じゃからな」
「でも〝おい〟だと普通は自分を指す言葉だろ? それで呼びかけられてもわからないよ」
「わかるじゃろう? おいには? クァクァックァッ!」

 そして、高校一年生にも関わらず、この老人時見た喋り方。両親が物心つく前に既に他界しており、おばあちゃんに愛情を注いでもらったおばあちゃんっ子。その口調が移ってそのまま十六の歳を迎えているが、治す気はないらしい。

「やっぱり治らないの?」

 僕は自分の右目を指さしながら尋ねる。
 義経はポンポンと両足の太腿を叩き、

「一生付き合っていかねばならんと、おいと一緒に轢かれた後に言われ、わしはもう覚悟を決めておる。些細なことよ」
「そっか、最近は医学が発達してるって聞いたからもしかしたらと思ったんだけど……」
「ままならん期待を抱くな。治らんと言われたのだ。ならば治らん。わしは腹をくくった。奇跡を期待して生きても辛いだけだ。クァクァックァッ……」
「? 何で今笑ったんだ?」
「奇跡を期待をしてはいなかったが……そういえば奇跡が起きたと思い出したからな」
「奇跡?」
「おいが帰ってきた」

 義経の左目がクリンと僕に向けられる。
 その眼に見つめられると何だか申し訳のない気持ちになってくる。

「……アレ、助けにいかないのか?」

 視線でもうすぐ校門をくぐる向日葵たちへ意識を向けさせる。

「わしに何ができる。この不自由な体のわしに。わしはただ見ているだけだ」
「そうか……僕もずっと見ているだけだった。だけど、もう違う。また明日、義経。再会できて僕も嬉しかった」

 さっきは出鼻をくじかれてしまったが、今度こそ向日葵を助けに行こうと体をクルッと反転させた。

「おい、今、助けに行くのか? やめろと今言いに行くのか?」
「そのつもりだけど?」
「そうか。おい、少し考えないか?」
「考える?」

 義経の方を見る。
 彼女の目は冷静だった。

「焦ることは何一つとしてありはせん」
「焦ることはないって、向日葵は今苦しんでいるだろ? なら今すぐにでも助けに行かないと」

 義経は首を振った。

「今すぐではない。今までずっと苦しんでおった。あれは向日葵の日常なのじゃ。向日葵と氷雨の。の? その毎日の繰り返しに何も知らんで急いで介入したところで、正しく解決できるのか? おいは正しく導けるのか?」

 グサッとその言葉は僕の胸に刺さる。
 刺さる過ぎるほどに鋭く、深く。
 僕と義経が十二歳の時の事故———あれによって義経は一生、右目と両足が使えなくなった。
 僕は五体満足で少し体を打ち、強く頭を打ったぐらいで後遺症も何もないというのに彼女は人生に関わるダメージを負ってしまった。僕が守ってあげたのに。
 違う、やっぱりどんなに自分を肯定しようとも、やっぱり違う。
 僕は彼女を守れなかった。
 あの酷い事故から彼女の体を守ることができなかった。
 彼女の人生を滅茶苦茶にしてしまった。

「クァクァックァッ……!」 

 義経が笑いだす。

「何が可笑しいんだ?」
「そう気負い過ぎるな、おいよ。おいは全てを救う神のような存在のつもりか? それとも自分にできることを全力でやり間違いもする人間のつもりか?」
「……? どういう意味だ?」

 義経は昔から頭がいい。それになにか先のことまで正確に見通せる先見の明のようなものを持っていて、彼女は時々僕ごときでは理解できない問いかけをしてくる。

「おい、考えて応えよ。おいは神か? それとも人間か?」

 そんな二択で尋ねられたら。

「人間だよ」

 そうとしか答えることができない。

「クァクァッ……! つまらん答えだ」

 義経は笑い飛ばした。

「普通は、そう答えるでしょ? 僕は神だなんて傲慢なことを言える奴じゃないよ」
「傲慢かどうかはおいの考え方次第だ。じゃが、わしはおいに神だと答えて欲しかったし、わしにとっておいは神のような存在じゃ。何しろわしの命を救ってくれた」
「救ってないよ……」
 彼女の右目と両足を見るたびに、そのたびに心が痛む。
「義経の人生を滅茶苦茶にした」
「クァクァ。そのおいの言葉に対して、わしは〝馬鹿が〟という言葉を返してやろう」

 義経は自らの胸に手を当てる。

「〝これ〟は〝ない〟はずだったものじゃ。それをおいが〝ある〟ようにしてくれた。〝ない〟ものが〝ある〟だけでも万々歳じゃ。〝ない〟はずの命が此処に〝ある〟。それは命を生み出す母神の如き偉業じゃ。それをおいはやってのけたのじゃ」

 相変わらず難しいことを言う……というか、この話のどこが、これから助けに行こうという向日葵と関係するんだ?

「僕は、もう後悔したくないんだ」

 義経の話はよくわからない。
 だから、無視して自分の意志を口にする。

「だから、最善じゃないかもしれないけど、向日葵をいじめから助け出したい。できるできないかはわからないけれども、気持ちだけは寄り添ってあげたい」
「なら、助けに行く前に気持ちに寄り添うべきじゃな」
「……? どういうこと? 前って?」
「どうして向日葵がずっとけなげにあやつらと一緒にいると思う?」
「それは向日葵が気弱だから、優しいから」
「どうして優しいのだと思う?」

 何の……問答だ?

「何が言いたいの、義経?」

「向日葵は氷雨のことが好きだ」
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