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凋落
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「……アア…ッ……」
媚態を含む吐息がらみの返事はまったく臨床検査技師らしくなかった。それから先、腹部エコー検査が終わる、二、三分もの間、蒼甫は後ろ頭に両腕を組んだ格好のまま、ひどく放埓に振る舞い、臨床を行う多馬田臨床検査技師の顔をガンミし続けた。
熱視線でこうも見つめられているものだから、「はい、では、終わりになります」と言う時にも、多馬田臨床検査技師は蒼甫とは一切目を合わそうとはせず、「ジェルを拭いてください」と、ややぞんざいに腹の上へとラバー素材っぽいクロースを置く時にもやはり目を伏せたままで努めて視線を合わそうとはしなかった。
「拭いてよ」
蒼甫が言った。
ここへきてやっと、多馬田臨床検査技師はそれとなく蒼甫と目を合わせ、蒼甫がいまどんな態度かが分かると、よほどおもしろくないのだろう、きつく睨みつけてきた。蒼甫はそのような気持など知らぬ存ぜぬで眉一つ動かさない。多馬田臨床検査技師も微動だにせず動かない。蒼甫はなおも横柄な態度を崩さず、頭の後ろで腕を組んだまま余裕で、やはり動かない。多馬田臨床検査技師は――、遠慮ぎみに咳払いをした。
「早く」
すると、多馬田臨床検査技師のほうが折れた。返事こそしないものの、蒼甫の腹に載ったままあるクロースでジェルを拭き取る。口をもそっと尖らせていることから、これは相当怒っているようだ。しかも、「はい、拭きました!」と、到頭臨床検査技師らしからぬ物言いである。
「まだ残ってる。ベタベタするよ」
こう再度注文をつければ、「はーい」と、これまた負けず嫌いな返事で応える。「もっと優しくやってよ」と言えば、「はーい、わかりましたあ」と、つっけんどんなこの調子である。
蒼甫が検診衣のポケットをもぞもぞやる。やにわに金を見せびらかした。「なんです」と言うから、よく見えるようにモニターの薄明りに手をかざした。荒川看護師の時と較べてゆうに倍はある額だ。しかし多馬田臨床検査技師は、「だから」と言い除けこれを相手にせず、目を伏せて残りのジェルを拭った。
「おい」
蒼甫が、声を掛ける。もう一方の手にはさっきと同じ額だけの札束が握られている。
「そんな顔してよ、彼氏の前じゃどうせ乱れるんだろ、なあ」
「は? 彼氏?」
「なんだよ、男いねえのか」
「結婚してるんですけど」
くっと、刹那的に蒼甫の唇がいがんだ。
「ガキいんのか」
と、この言い草には多馬田臨床検査技師もカチンときて、「いう必要がありません」と、臨床検査技師というよりは、こんどは母親然とした顔つきにもなり、「ガキはいくつ?」「男? 女?」「お前の歳だと幼稚園いくかいかないかぐらいか」と質問をいくら変えても相手にしない。蒼甫にはこれがおもしろくない。子ども、旦那、家族、といったような一人前面が、己の劣等感をいやが上にも煽るのだ。それだから、舌鋒は益益鋭くなる。
「このあとどうせ便所でオナるんだろ」
「なんの話をなさっているかわかりません」
「なあ」
返事はなく、多馬田臨床検査技師がシカトしてきた。蒼甫はムカつき、「なあなあなあなあなあなあなあなあ」と言った。
「ちょっと自意識過剰じゃないんですか」
「臨床の時よぉ、勃起させて喜んでんだろ、てめえ」
「は?」
「だってよぉ、おかしいじゃねえか。あんな臍の下まで普通見るか。知り合いの臨床技師に聞いてやろうか」
「頭おかしい」
ジェルを拭う手をふっと止め、「気持悪い……」と、多馬田臨床検査技師がぽつぽつと呟く。
「おい、ブス。こっちみろ」
だが、多馬田臨床検査技師は、そうしなかった。「さっさと粗末な物終ったらどうです」蒼甫の下腹部を見ることはなく、敵意剥き出しの瞳を横に流す。
「なにこら」
「あたし、あなたのこと知ってます」
多馬田臨床検査技師が話題を変えた。「なにが?」と訊き返すと、県内ニュースを観たと言う。「事実無根の冤罪だ」一瞬、「エッ?」となる多馬田臨床検査技師に、蒼甫がやにわにほくそ笑み、「とでも言うと思ったか」と語りかけ、「報道の通りだよ」と、その正体を明かした。
「だから?」
と、多馬田臨床検査技師が再び手を止めた。
「女にも容赦しねえってことだ」
と蒼甫は脅し、舐めんなよ、と顔を強張らせる。
「へえ。女に容赦しないひとが、こそこそ女子更衣室でやるんですか」
「なにこら」
「大声だしますよ」
と、こんどは多馬田臨床検査技師が蒼甫を脅した。
「こっちは一度捕まってんだ。警察も世間も怖かねえぞ」
「上に報告しますよ」
「なにこら」
「脅しじゃないですよ」
多馬田臨床検査技師も負けなかった。二人は至近距離で睨み合ったまま、深閑に包まれると空白が五秒、十秒と更新され続けていく。――二〇秒ほど経った時、ついに蒼甫のほうが金を終うことで折れた。
媚態を含む吐息がらみの返事はまったく臨床検査技師らしくなかった。それから先、腹部エコー検査が終わる、二、三分もの間、蒼甫は後ろ頭に両腕を組んだ格好のまま、ひどく放埓に振る舞い、臨床を行う多馬田臨床検査技師の顔をガンミし続けた。
熱視線でこうも見つめられているものだから、「はい、では、終わりになります」と言う時にも、多馬田臨床検査技師は蒼甫とは一切目を合わそうとはせず、「ジェルを拭いてください」と、ややぞんざいに腹の上へとラバー素材っぽいクロースを置く時にもやはり目を伏せたままで努めて視線を合わそうとはしなかった。
「拭いてよ」
蒼甫が言った。
ここへきてやっと、多馬田臨床検査技師はそれとなく蒼甫と目を合わせ、蒼甫がいまどんな態度かが分かると、よほどおもしろくないのだろう、きつく睨みつけてきた。蒼甫はそのような気持など知らぬ存ぜぬで眉一つ動かさない。多馬田臨床検査技師も微動だにせず動かない。蒼甫はなおも横柄な態度を崩さず、頭の後ろで腕を組んだまま余裕で、やはり動かない。多馬田臨床検査技師は――、遠慮ぎみに咳払いをした。
「早く」
すると、多馬田臨床検査技師のほうが折れた。返事こそしないものの、蒼甫の腹に載ったままあるクロースでジェルを拭き取る。口をもそっと尖らせていることから、これは相当怒っているようだ。しかも、「はい、拭きました!」と、到頭臨床検査技師らしからぬ物言いである。
「まだ残ってる。ベタベタするよ」
こう再度注文をつければ、「はーい」と、これまた負けず嫌いな返事で応える。「もっと優しくやってよ」と言えば、「はーい、わかりましたあ」と、つっけんどんなこの調子である。
蒼甫が検診衣のポケットをもぞもぞやる。やにわに金を見せびらかした。「なんです」と言うから、よく見えるようにモニターの薄明りに手をかざした。荒川看護師の時と較べてゆうに倍はある額だ。しかし多馬田臨床検査技師は、「だから」と言い除けこれを相手にせず、目を伏せて残りのジェルを拭った。
「おい」
蒼甫が、声を掛ける。もう一方の手にはさっきと同じ額だけの札束が握られている。
「そんな顔してよ、彼氏の前じゃどうせ乱れるんだろ、なあ」
「は? 彼氏?」
「なんだよ、男いねえのか」
「結婚してるんですけど」
くっと、刹那的に蒼甫の唇がいがんだ。
「ガキいんのか」
と、この言い草には多馬田臨床検査技師もカチンときて、「いう必要がありません」と、臨床検査技師というよりは、こんどは母親然とした顔つきにもなり、「ガキはいくつ?」「男? 女?」「お前の歳だと幼稚園いくかいかないかぐらいか」と質問をいくら変えても相手にしない。蒼甫にはこれがおもしろくない。子ども、旦那、家族、といったような一人前面が、己の劣等感をいやが上にも煽るのだ。それだから、舌鋒は益益鋭くなる。
「このあとどうせ便所でオナるんだろ」
「なんの話をなさっているかわかりません」
「なあ」
返事はなく、多馬田臨床検査技師がシカトしてきた。蒼甫はムカつき、「なあなあなあなあなあなあなあなあ」と言った。
「ちょっと自意識過剰じゃないんですか」
「臨床の時よぉ、勃起させて喜んでんだろ、てめえ」
「は?」
「だってよぉ、おかしいじゃねえか。あんな臍の下まで普通見るか。知り合いの臨床技師に聞いてやろうか」
「頭おかしい」
ジェルを拭う手をふっと止め、「気持悪い……」と、多馬田臨床検査技師がぽつぽつと呟く。
「おい、ブス。こっちみろ」
だが、多馬田臨床検査技師は、そうしなかった。「さっさと粗末な物終ったらどうです」蒼甫の下腹部を見ることはなく、敵意剥き出しの瞳を横に流す。
「なにこら」
「あたし、あなたのこと知ってます」
多馬田臨床検査技師が話題を変えた。「なにが?」と訊き返すと、県内ニュースを観たと言う。「事実無根の冤罪だ」一瞬、「エッ?」となる多馬田臨床検査技師に、蒼甫がやにわにほくそ笑み、「とでも言うと思ったか」と語りかけ、「報道の通りだよ」と、その正体を明かした。
「だから?」
と、多馬田臨床検査技師が再び手を止めた。
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と蒼甫は脅し、舐めんなよ、と顔を強張らせる。
「へえ。女に容赦しないひとが、こそこそ女子更衣室でやるんですか」
「なにこら」
「大声だしますよ」
と、こんどは多馬田臨床検査技師が蒼甫を脅した。
「こっちは一度捕まってんだ。警察も世間も怖かねえぞ」
「上に報告しますよ」
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「脅しじゃないですよ」
多馬田臨床検査技師も負けなかった。二人は至近距離で睨み合ったまま、深閑に包まれると空白が五秒、十秒と更新され続けていく。――二〇秒ほど経った時、ついに蒼甫のほうが金を終うことで折れた。
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