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herf year ago5

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  芦屋は俺のことを学校で聞いて、お見舞いに行くと言った女子生徒だった。そんな危篤な奴は芦屋くらいだった。中学三年になろうとしていたその時には、俺の噂はとっくに流れていたからだ。そしてその笑顔が奇跡を起こした――それがあの、俺が芦屋に惚れるようになったあの笑顔だ。だけど――

  その顔は今、食事によって赤く禍々しく染まっていた。俺は芦屋に近づいていき、クチャクチャという音を聞いて足を止めた。電灯に照らされた芦屋の姿は、映画なんかで見るゾンビそのものだった。

  俺は恐怖よりもなによりも、そんな芦屋の姿がとても哀しかった。好きな相手が人間を無我夢中で食ってるんだ……なんでそんなことしなくちゃいけないんだ?  なんで芦屋がそんなことするんだ?  芦屋は……俺の中の芦屋は……!

  ……俺は半狂乱てやつになってたんだろう。うぐ……うぅ……とか言いながらただ歯を食いしばって泣いていた。芦屋は倒れた人間の腹に顔を埋めて、ぐちゃぐちゃと中身を漁っていた。そこからは赤くヌメヌメとした肌色のロープ(?)が飛び出している。それを噛み千切り、芦屋は俺のことなど気にもせずに続けていた――

「もうやめてくれ!  芦屋なんだよな?  おまえは俺の知ってる芦屋なんだよな?」

  どうせなにも聞こえてない……そう思った瞬間に、芦屋は俺の顔を直視した。肉片と血がこびりつく口を制服の袖で拭い、こくりと頷いた。だがその顔には感情が無いように見えた。なにかにとり憑かれてるのか?  さっきの女に……!

「やめろ……な?  そんなことしないでくれよ……頼むからぁ!」
「ダメ……お腹空いた……」

  俺の懇願を一言で拒み、芦屋はぽっかりと開いている人間の内側に顔を近づけた。お腹空いた――その言葉に俺は寒気を覚えた。腹が減って人間を食べる。その異常性にようやく気づいた。芦屋じゃない……これは芦屋じゃない!

  頭を抱えて、地面に膝を着く。その咀嚼そしゃくの音がいつまでも響く――そこで、芦屋はこれまでとは違うことをした。上体を起こし、赤い爪を勢いをつけて振り降ろした。ぐちゃぐちゃと中身を掻き回し、なにかを見つけたのか手を止める。そして引き抜いた――ゴグンッ!  と人間の体が一度だけ揺れ、俺は意味が分からない光景を見ていた。

  人間を囲むように、球状の闇が出現した。それはまるでブラックホールみたいだった。その人間にあった闇は、すぐに収縮して消えた。芦屋の手には内側に明滅する光が見える黒い玉があった。それを芦屋はゆっくりと口に近づけていった。

   芦屋が果実を頬張るように黒い玉にかじりつく。そして芦屋は黒い玉を頭の上くらいに持ち上げた。舌を出して、滴り落ちてきた黒い液体のような、黒い霧のようななにかを受け止める。芦屋は喉を鳴らしてそれを飲み込み始めた。ごく……ごく……という音を起てて、その眼には恍惚が浮かんでいた。俺は――

  俺は、その光景を見て美しいと感じていた。なんでかは分からない。本当に頭がイカれてしまったのかもしれない。電灯の光の中で、その光景は神秘的にキラキラと輝いているようにすら見えた。前面が血に染まった芦屋は不気味だったし、お世辞にも褒め言葉みたいなものが浮かんでくるような有り様じゃなかった。どちらかと言えば化物だと罵られるんじゃないか。普通ならそうなるんだろう……でも俺はまるで、月光に照らし出された女神を見ているような感覚だった。すげえ……芦屋は綺麗だった。

  芦屋は雫が無くなると、その殻を放り投げた。果汁が口のまわりに付着したと言わんばかりに袖で拭い取る。芦屋の口のまわりには血の縞模様が出来た。そしてその眼が俺へと向けられた。

「ドーマくん……どうして逃げなかったの?」
「逃げる……?  何から逃げるんだ……?」
「クイモノ。わたしからだよ」
「クイモノって……?」
「見られたら、見られてしまったら……」

  芦屋はどこか哀しそうだった。俺はどうやら殺されてしまうようだ。でもなんだかどうでも良かった。

  芦屋はゆっくりと俺に近づいてきた。なるほど……その獰猛な爪で切り裂くのか……芦屋の赤い爪が一瞬で十センチほど伸びた。

「どうして逃げなかったの?  どうして逃げてくれなかったの?」

  そういや逃げる気なんか無かったな……芦屋のことが心配で、それ以外はどうでも良かった。芦屋が目の前に立って、俺を見下ろしていた。その顔は血で汚れていたが、芦屋は芦屋だ……すげえ可愛い。

  そうだな……これは芦屋なんだよ。普通じゃないだけで芦屋であることに変わりはない。なんだかそう考えると、別に人間食ってようがなんだろうがどうでも良くなっていた。

「ドーマくん死ぬんだよ。これからドーマくんはわたしに殺されるんだよ?」
「ああ……殺せばいいじゃねーか。最後にいいもの見れた」
「なにそれ?  終わるんだよ……全部終わっちゃうんだよ?」
「いや……だからさ……」

  やっぱり気が狂っていたとしか思えない。あまりにもショックが強すぎて、俺はまた笑えなくなった時と同じように、どこかが壊れたのかもしれない。

「本当の芦屋が見れたから……俺はそれでいいわ。別に死ぬのとかどうでもいい。俺はだって……おまえのこと……」
「どうしてそんな顔が出来るの?  死ぬんだよ?  わたしが殺さなくちゃいけないんだよ……?」
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