完結*三年も付き合った恋人に、家柄を理由に騙されて捨てられたのに、名家の婚約者のいる御曹司から溺愛されました。

恩田璃星

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奈落

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 一哉は、
 すっきりした一重瞼の、いわゆる塩顔(彼女の贔屓目かもしれないけど、整っているとは思う)
 ごくごく普通のサラリーマン
 性格は温厚で、どちらかと言うと控えめ
 だけど、ここぞというときは頼りになる
 (つまり、夏目さんとは見た目も性格もほぼ正反対)

 付き合い始めたときは、壊滅的に家事が出来なかったけど─

 「先にお風呂行っておいでよ。その間にカレー煮込んでおくから、上がったら一緒に食べよう」

 三年の間にここまで成長してくれましたー!拍手!!

 「ありがとう。一哉も疲れてるのに、ごめんね」

 「そんなの良いから。ビールも冷えてるよ」

 私の、子供の頃からの夢

 『慎ましくも幸せな家庭を作りたい』

 これを一緒に叶える相手は一哉以外いない。
 そう思えるほど大切な存在だ。

 一哉の方も、私に飽きる様子はなく、交際は至って順調。
 付き合って二年目の記念日に合鍵を渡したら、忙しい仕事の合間を縫って通ってくれている。

 私的には、プロポーズも時間の問題かも、と密かに期待しているのだ。

 手早く、それでもできるだけ丁寧に体の隅々まで綺麗にした後、あり合わせの材料で作ったサラダも加えてゆっくりと夕食をとった。

 「でね、この間私が倒れたとき、お医者さん連れて来てくれたの、夏目社長だったらしいんだよね。あの人、ただのボンボンかと思ってたら、意外と仕事デキるヤツだった」

 「…そっか。でも、軽症で済んだから良かったけど、気をつけなよ。俺も凛が倒れたって聞いたとき、本当に心配したんだから」

 「うん、びっくりさせてごめん。でも、もう大丈夫だよ。経口補水液とか熱中症対策のタブレットとか、支給されることになったみたいだから」

 「それならいいけど」

 仕事のこと、アルバイトのこと、最近見た面白い動画のこと。
 主に喋ってるのは私の方だけど、何を話しても、一哉は興味深そうに聞いてくれる。

 一緒に洗い物をして、二人してベッドを背もたれにしてテレビを眺めていると、一哉がそろりと指を絡めて来た。

 「─凛…いい?」

 三年も付き合っておいて、一哉は私を抱く前、必ず確認してくれる。
 請うように、縋るように。

 律儀なんだよな。
 そういうところも好きなんだけど。

 私は黙って頷いた。

 一哉は、抱き方も、最初に結ばれたときと変わらない。
 決してワンパターンとかマンネリとか、そういうネガティブな意味ではなく。

 「凛…、好きだよ」

 額、瞼、頬、唇に、啄むような口づけを繰り返し落とされる。

 唇で愛おしそうに触れられる度、自分が特別な人間になったと錯覚してしまいそうだ。

 これからされることへの期待と興奮で胸が高鳴り、少し息苦しい。
 酸素を求めて口を開けると、狙い澄ましたかのように一哉の舌が差し込まれた。

「愛してる。凛…、愛してるよ」

 ぎこちないながらも、その動きに合わせて懸命に舌を絡める。
 
 一哉と付き合う前、彼氏がいたことは、ある。
 ただし、キス以上の関係になった相手はいない。
 理由はいくつかあるけれど、今はそれどころではないので、それはまた、後日。

 初めての時、一哉は私に経験がないことに気づいたと思う。
 いつもうるさいくらいの私が、緊張と羞恥で押し黙ってしまったから。

 それ以来、行為のときは、私の頑なな身も心も解きほぐすように、丁寧に、時間をかけて愛撫してくれるのだ。
 
 それは、今夜も同じで。
 熱く、甘く、夏の夜に溶かされた私は、この幸せがいつまでも続くと信じていた。



 「じゃあ……元気で」

 一哉が部屋を出て行った後、しばらくの間震えが止まらなかった。

 今のは一体何?
 あんな冷たい一哉は知らない。

 親の決めた相手ってどういうこと?
 一般家庭育ちの、ただのサラリーマンじゃなかったの?
 私のこと、ずっと騙してたってこと??

 ただ一つ分かるのは、こんなタチの悪い冗談を言う人じゃないということくらい。
 だからこそ、何も言わずに彼が去るのを待ったのだ。

 それでも─
 
 悪い夢であって欲しい。
 「冗談だよ」と言ってドアを開け、あの穏やかな笑顔を見せて欲しい。

 そう祈りながら、玄関に崩れ落ちたまま動けなかった。



 キッチンの窓から朝日が差し込む頃、一哉が止め忘れた換気扇の音だけが響いていた室内に、私の嗚咽が聞こえ始めた。

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