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脱出と特攻服
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日曜日のうちに本業の上司に連絡をとり、しばらくの間、熱中症で倒れようが失恋しようが皆勤賞だったおかげで溜まりまくっていた有給を消化させてもらうことにした。
短大を出てからこれまで、日曜以外ずーっと働き詰めだったから、これと言った趣味もなく。
いざ暇になるとやることがない。
地元の友達はみんな割と結婚が早くて、子育て真っ最中で、誘いづらい。
漣は学校。
父と母は─
今さっきチャイムの音がしていたから、宅配でも届いたのか、玄関の方で二人の声がする。
しかも、なんかうるさい。
でも、もうすぐ仕事に行くはず。
あーあ。
このまま一人になっちゃったら、夏目さんのことばかり考えてしまいそうだ。
今朝はちゃんと起きられたかな。
今頃仕事、頑張ってるんだろうな。
もう、私のことなんて忘れちゃったかな。
ちゃんと初恋のコに会えたかな。
────凛さんココにいるんですよね!?
って、アレ?
今、なんか夏目さんの声が聞こえたような。
夏目さんのことばっか考えてたからかな。
気のせいだよね?
と、思いつつ、
「何騒いでるの?」
居間からそっと顔を出した途端─
父と母がすごい勢いで背中で体当たりをしながらドアを閉めた。
「どうしたの?押し売り?」
「そ、そうなのよ!うち、お金なんてないのにね!」
「…お父さん、特攻服着て?」
「ああ。ちょっとしつこい業者だったから、追っ払うためにな」
「えっ!?私も手伝おうか?」
「だ、大丈夫だから凛はそこにいて!でも、私たちもう仕事に行くけど、危ないからチャイム鳴っても絶対出ちゃダメだからね!!誘拐の件もあるから、家でじっとしてなさいよ!!」
そう言い残すと、父と母は慌ただしく家を出て行った。
やっと静寂を取り戻したと思ったら、玄関のチャイムが連打された。
普段なら訪問販売なんて指でつまんで追い返すところだけど。
両親の言いつけもあって、居留守を決め込んでいたら─
「凛!いないのか!?凛!いたら返事してくれ!!」
今度は幻聴じゃない。
正真正銘夏目さんの声がした。
父が特攻服まで着て追い返していたのは、夏目さんだったんだ!
会いたい。
会って無事だと伝えたい。
でも、ダメ。
今は会えない。
まだちゃんと心の整理もできていないのに。
顔を見たら、『彼女に会わないで』と、『同情でもいいから側に置いて』と縋ってしまいそうで。
せめて夏目さんが彼女に一目会うまでは。
会って、それでも私を選んでくれたら─
いやいや。
そんな夢物語、起こりっこない。
とにかく物音を立てないよう、息を殺してじっとしていたら。今度は居間兼寝室でスマホのバイブ音が鳴り出した。
足音を立てないようにダッシュすると、ドアの向こうの夏目さんからの着信だった。
大急ぎでスマホの電源を切る。
幸い夏目さんには聞こえていないようだ。
その後、夏目さんはまた何度かチャイムを連打したものの、諦めて帰って行った。
ごめん。
ごめんね、夏目さん。
ちゃんと心からあなたの幸せを願えるようになるから。
だから、どうか、ちゃんと初恋の人と会えますように。
…って、アレ?
私、壱哉と何か約束してなかったっけ??
色々ありすぎて、すっかり忘れていた。
幸い、期限まではあと三日はあるけれど。
記憶力は、はっきり言って悪い方だ。
それでも夏目さんが破り捨てた壱哉の電話番号を覚えていたのは、たまたま末尾四桁が私の誕生日だったから。
躊躇うことなくキーパッドで壱哉の新しい番号を入れた後、発信ボタンをタップした。
ドキドキする暇もないうちに壱哉が出て、開口一番─
「凛?今どこにいる?」
と、ドラマに出てくる刑事のような、探るような口調で尋ねられた。
どうやら夏目さんは私が誘拐されたことを、壱哉にも話しているらしい。
「あなたには関係ない。そんなことより、例の件だけど」
「例の件?」
「仁希さんと初恋の女性を会わせる代わりに、私があなたと結婚するって話!」
「ああ、その話なら…」
また嫌がらせにおかしなことを言って、主導権を握られてしまわないよう、壱哉の言葉を遮った。
「私はあなたと結婚はしない。でも、最初の約束通り、ちゃんと仁希さんの前から消える。二度と夏目家とは関わらない。だからお願い!仁希さんに彼女と合わせてあげて!!」
電話の向こうで、壱哉が小さくため息を吐くのが聞こえた。
呆れているのだろうか。
却下されたらどうすればいい?
私にできることなんて、たかが知れているのに。
スマホを拝みながら待っていた返事は、たった一言だった。
「分かった」
「…え?」
「聞こえなかったのか?『分かった』って言ったんだよ」
「いいの!?」
「いいも何も。あんなの冗談に決まってるだろう。いちいち真に受けるなよ。相変わらず単純だな」
くぅっっ!!
夏目さんにバラしたら自分が籍を入れるまで彼女に会わせないなんて卑劣なことまで言ってたくせに!!
何がしたいのよ、この男は!!
壱哉に見えないのをいいことに、子供みたいに地団駄を踏んでいたら─
「…仁希は本当に、ずっと彼女のことを想って生きてきたんだ。俺なんかに邪魔できるわけがない」
私とは対照的に、壱哉が感慨深げに呟いた。
分かっていたはずなのに、夏目さんを長年側で見て来た壱哉の言葉に心が締め付けられる。
痛くて、辛くて、思わず胸の辺りをぎゅっと掴み、壱哉に悟られないよう、ただじっと耐えていると、壱哉が言った。
「だけど、一つだけ条件がある」
やっぱりね!
絶対何かあると思ってた!
「何よ?お金ならないわよ!」
「知ってる。そんなことじゃない。ただ─」
壱哉が出した新しい条件に、私はすっかり途方に暮れてしまった。
短大を出てからこれまで、日曜以外ずーっと働き詰めだったから、これと言った趣味もなく。
いざ暇になるとやることがない。
地元の友達はみんな割と結婚が早くて、子育て真っ最中で、誘いづらい。
漣は学校。
父と母は─
今さっきチャイムの音がしていたから、宅配でも届いたのか、玄関の方で二人の声がする。
しかも、なんかうるさい。
でも、もうすぐ仕事に行くはず。
あーあ。
このまま一人になっちゃったら、夏目さんのことばかり考えてしまいそうだ。
今朝はちゃんと起きられたかな。
今頃仕事、頑張ってるんだろうな。
もう、私のことなんて忘れちゃったかな。
ちゃんと初恋のコに会えたかな。
────凛さんココにいるんですよね!?
って、アレ?
今、なんか夏目さんの声が聞こえたような。
夏目さんのことばっか考えてたからかな。
気のせいだよね?
と、思いつつ、
「何騒いでるの?」
居間からそっと顔を出した途端─
父と母がすごい勢いで背中で体当たりをしながらドアを閉めた。
「どうしたの?押し売り?」
「そ、そうなのよ!うち、お金なんてないのにね!」
「…お父さん、特攻服着て?」
「ああ。ちょっとしつこい業者だったから、追っ払うためにな」
「えっ!?私も手伝おうか?」
「だ、大丈夫だから凛はそこにいて!でも、私たちもう仕事に行くけど、危ないからチャイム鳴っても絶対出ちゃダメだからね!!誘拐の件もあるから、家でじっとしてなさいよ!!」
そう言い残すと、父と母は慌ただしく家を出て行った。
やっと静寂を取り戻したと思ったら、玄関のチャイムが連打された。
普段なら訪問販売なんて指でつまんで追い返すところだけど。
両親の言いつけもあって、居留守を決め込んでいたら─
「凛!いないのか!?凛!いたら返事してくれ!!」
今度は幻聴じゃない。
正真正銘夏目さんの声がした。
父が特攻服まで着て追い返していたのは、夏目さんだったんだ!
会いたい。
会って無事だと伝えたい。
でも、ダメ。
今は会えない。
まだちゃんと心の整理もできていないのに。
顔を見たら、『彼女に会わないで』と、『同情でもいいから側に置いて』と縋ってしまいそうで。
せめて夏目さんが彼女に一目会うまでは。
会って、それでも私を選んでくれたら─
いやいや。
そんな夢物語、起こりっこない。
とにかく物音を立てないよう、息を殺してじっとしていたら。今度は居間兼寝室でスマホのバイブ音が鳴り出した。
足音を立てないようにダッシュすると、ドアの向こうの夏目さんからの着信だった。
大急ぎでスマホの電源を切る。
幸い夏目さんには聞こえていないようだ。
その後、夏目さんはまた何度かチャイムを連打したものの、諦めて帰って行った。
ごめん。
ごめんね、夏目さん。
ちゃんと心からあなたの幸せを願えるようになるから。
だから、どうか、ちゃんと初恋の人と会えますように。
…って、アレ?
私、壱哉と何か約束してなかったっけ??
色々ありすぎて、すっかり忘れていた。
幸い、期限まではあと三日はあるけれど。
記憶力は、はっきり言って悪い方だ。
それでも夏目さんが破り捨てた壱哉の電話番号を覚えていたのは、たまたま末尾四桁が私の誕生日だったから。
躊躇うことなくキーパッドで壱哉の新しい番号を入れた後、発信ボタンをタップした。
ドキドキする暇もないうちに壱哉が出て、開口一番─
「凛?今どこにいる?」
と、ドラマに出てくる刑事のような、探るような口調で尋ねられた。
どうやら夏目さんは私が誘拐されたことを、壱哉にも話しているらしい。
「あなたには関係ない。そんなことより、例の件だけど」
「例の件?」
「仁希さんと初恋の女性を会わせる代わりに、私があなたと結婚するって話!」
「ああ、その話なら…」
また嫌がらせにおかしなことを言って、主導権を握られてしまわないよう、壱哉の言葉を遮った。
「私はあなたと結婚はしない。でも、最初の約束通り、ちゃんと仁希さんの前から消える。二度と夏目家とは関わらない。だからお願い!仁希さんに彼女と合わせてあげて!!」
電話の向こうで、壱哉が小さくため息を吐くのが聞こえた。
呆れているのだろうか。
却下されたらどうすればいい?
私にできることなんて、たかが知れているのに。
スマホを拝みながら待っていた返事は、たった一言だった。
「分かった」
「…え?」
「聞こえなかったのか?『分かった』って言ったんだよ」
「いいの!?」
「いいも何も。あんなの冗談に決まってるだろう。いちいち真に受けるなよ。相変わらず単純だな」
くぅっっ!!
夏目さんにバラしたら自分が籍を入れるまで彼女に会わせないなんて卑劣なことまで言ってたくせに!!
何がしたいのよ、この男は!!
壱哉に見えないのをいいことに、子供みたいに地団駄を踏んでいたら─
「…仁希は本当に、ずっと彼女のことを想って生きてきたんだ。俺なんかに邪魔できるわけがない」
私とは対照的に、壱哉が感慨深げに呟いた。
分かっていたはずなのに、夏目さんを長年側で見て来た壱哉の言葉に心が締め付けられる。
痛くて、辛くて、思わず胸の辺りをぎゅっと掴み、壱哉に悟られないよう、ただじっと耐えていると、壱哉が言った。
「だけど、一つだけ条件がある」
やっぱりね!
絶対何かあると思ってた!
「何よ?お金ならないわよ!」
「知ってる。そんなことじゃない。ただ─」
壱哉が出した新しい条件に、私はすっかり途方に暮れてしまった。
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