隠世の門

海谷ノ

文字の大きさ
2 / 5

第2話 裂け目の気配

しおりを挟む
──還した静けさの中で、二人は初めて向き合う。



黒いツタがほどけるように消え、

森は一瞬だけ、音を失った。



晴翔はるとは、その場に立ち尽くしていた。

恐怖はない。

ただ、胸の奥に広がる“静寂の余韻”に、身体が馴染まない。



風がゆっくり戻ってくる。

梢が揺れ、小さな虫の声がふたたび夜へ溶けた。



その静けさの中で、

斗泉とういは影の残滓を確かめるように足元を払った。



「……お前」



晴翔は顔を上げる。



斗泉は振り返らずに問いかけた。



「さっきの。あれに、触れたのか」



晴翔は少し考え、正直に答えた。



「……触れました。

 手じゃなくて……胸のあたりが、ですけど」



斗泉の空気が微かに揺れた。

気のせいではない。

青年の重心が、ほんのわずか変わった。



「それだけじゃねぇだろ。

 何が聞こえた」



晴翔は隠す理由がわからなかった。



「……“帰りたい”って。

 声じゃないんですけど、そう……思いが」



斗泉は静かに息を吸い、

唇に咥えたタバコを噛み直した。



火はつけないまま。



「……普通は聞こえねぇよ。そんなもん」



その言い方は、責めるでも疑うでもない。

ただ、事実を置いただけの声。



晴翔は少し戸惑いながら問う。



「あの……さっきの、何なんですか?

 倒したんじゃなくて、帰した……んですよね?」



斗泉は答えたくなさそうに、しかし拒むでもなく言う。



「仕事だ。

 説明しても意味ねぇよ」



ぶっきらぼうなのに、突き放す冷たさはない。



斗泉は首元の装置を指で軽く叩いた。

淡い紋が空にひとつだけ揺らめく。



晴翔には意味がわからない。



斗泉はその表示を一瞥し、

低く呟いた。



「……長期じゃねぇな。対象外か。」



晴翔「対象……?」



斗泉「気にすんな。」



それ以上は語らないという合図だった。



斗泉は周囲の気配を見渡し、

夜の深さを確かめるように息を吐いた。



「ここは……しばらく来るな。

 ほつれが残ってる」



晴翔は素直に頷く。



その時だった。



ふっと、肩のあたりに小さな“風”が触れた。

夜気とは違う、短い揺れ。



(……え?)



晴翔が振り返っても何もいない。



けれど、その瞬間、

斗泉が一歩だけこちらを見る。



その瞳が、かすかに細まった。



(……式神の気配?

 いや、こいつの周りが揺れてるだけか?)



晴翔は気づかない。

自分の内側で、

妖狐ようこが耳を立て、

カマイタチが風を巻いたことを。



斗泉は結論を出さず、短く告げた。



「帰れ。……今日はもう終わりだ」



晴翔「あなたは、まだ仕事が?」



斗泉「違ぇな。

 “ここからが仕事”だ」



晴翔は深くは聞かない。

聞いてはいけない気がした。



森の出口へ向かう途中、

夜の気配がほんの一瞬だけ波打った。



晴翔は立ち止まり、

振り返る。



斗泉はすでに林の奥へ消えかけていた。

首元の装置が淡く光り、

まるで“見えない地図”を辿るように歩いていく。



晴翔は小さく息を吐き、

家への道を戻った。



自分の肩の揺れが、

何を意味するのかも知らないまま。



夜はまだ、静かに揺れていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】精霊に選ばれなかった私は…

まりぃべる
ファンタジー
ここダロックフェイ国では、5歳になると精霊の森へ行く。精霊に選んでもらえれば、将来有望だ。 しかし、キャロル=マフェソン辺境伯爵令嬢は、精霊に選んでもらえなかった。 選ばれた者は、王立学院で将来国の為になるべく通う。 選ばれなかった者は、教会の学校で一般教養を学ぶ。 貴族なら、より高い地位を狙うのがステータスであるが…? ☆世界観は、緩いですのでそこのところご理解のうえ、お読み下さるとありがたいです。

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

お花畑な母親が正当な跡取りである兄を差し置いて俺を跡取りにしようとしている。誰か助けて……

karon
ファンタジー
我が家にはおまけがいる。それは俺の兄、しかし兄はすべてに置いて俺に勝っており、俺は凡人以下。兄を差し置いて俺が跡取りになったら俺は詰む。何とかこの状況から逃げ出したい。

愛していました。待っていました。でもさようなら。

彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。 やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。

【完結】あなたに知られたくなかった

ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。 5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。 そんなセレナに起きた奇跡とは?

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

【完結】英雄様、婚約破棄なさるなら我々もこれにて失礼いたします。

ファンタジー
「婚約者であるニーナと誓いの破棄を望みます。あの女は何もせずのうのうと暮らしていた役立たずだ」 実力主義者のホリックは魔王討伐戦を終結させた褒美として国王に直談判する。どうやら戦争中も優雅に暮らしていたニーナを嫌っており、しかも戦地で出会った聖女との結婚を望んでいた。英雄となった自分に酔いしれる彼の元に、それまで苦楽を共にした仲間たちが寄ってきて…… 「「「ならば我々も失礼させてもらいましょう」」」 信頼していた部下たちは唐突にホリックの元を去っていった。 微ざまぁあり。

処理中です...