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第4章 お嬢様(善吉編)
第10話 善吉の仕事
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まだ夜が明けきらないうちに善吉の目が覚める。もはや長年の習慣。
布団の中で手足を軽く動かした後、むくりと起き上がった。
寝間着代わりの浴衣を脱いで、白綿の着物をはおり柔術の帯を締める。
手ぬぐいと使い古した別の帯を手にすると、裸足のまま庭に出る。
「ええいっ!」
太い庭木に帯を回すと、打ち込みを始めた。
「柔術の打ち込みか、うむ、好きにするがいい」
黒峰健太郎子爵は笑って善吉に許可を出し、権蔵も「この木なら」と善吉に勧めた。
善吉が汗をかき始めた頃、権蔵がカタンカタンと雨戸を走らせる。
「善吉さん、朝から精が出るな」
「おはようございます!」
権蔵の雨戸開けは、黒峰家にとって目覚ましのようなもの。
「おはようございます!」
善吉の声が良い香りの満ちた台所に響く。
福と権蔵の妻である智が「おはよう」と返した。
こちらに来た翌日、水汲みや火おこしでも担おうかと思った善吉は打ち込みの後に台所に顔を出した。
しかし…
「水はここから出るんだよ」
「火はこうするのさ」
水道やガスは善吉を驚かせる。
昔ながらの屋敷だった黒峰家にも、文明開化の波が訪れていたことを知った。
頼まれるとすれば、米俵を運んだり、味噌樽やしょう油樽を運んだりするくらい。
それも毎日あるわけではない。
「さあ、食べようか」
権蔵も加わった4人で朝食を食べる。
江戸の頃から続く黒峰の大きな屋敷ながら、住み込みの使用人はこの4人のみ。
他は通いで働いている。
福と智が朝食を食べる黒峰家の3人の給仕をしている間、善吉は権蔵とともに玄関先などをきれいに掃除する。
「玄関はその家の顔だからなあ」
何度も権蔵はつぶやいた。
権蔵が掃除や庭仕事を続ける一方、善吉は作業を切り上げる。
汗を拭き、きれいな袴を履くなどして、身支度を整えた。
黒峰家の一人娘である春奈を女学校に送っていくためだ。
春奈の送り迎えこそ、善吉にとって一番の仕事と言っても過言ではなかった。
「いってらっしゃいませ」
福や智、権蔵が見送る中で春奈が門を出ていく。
善吉は春奈のカバンや風呂敷包みを抱えて、後に続いた。
「あれが郵便局」
「はあ」
「あの看板は医者ね」
「へえ」
「そっちは眼鏡屋」
「ほう」
女学校に向かうまで春奈が町の案内役を買って出た。
見るもの聞くもの珍しいものばかりの善吉にとっては、春奈の一言一言が頭にしみ込んでいく。
女学校に着いた時もひと騒動だった。
「後藤様、笹木様、おはようございます」
「黒峰様、おはようございます。あら?」
「黒峰様、おはようございます。そちらは?」
春奈の友人知人達が、早々と善吉に目を付けた。
「こちらはどなた?」
「家の奉公人ですの。ご挨拶なさい」
「はっ、岡岳善吉と申します。よろしくお願いいたします」
善吉が頭を下げると、取り囲んだ女の子達から「きゃあ」と歓声があがる。
春奈のように、登下校に付き添いを連れている学生は多い。
ただし女学校と言うこともあって、年の上下こそあれ女の使用人がほとんど。
男の場合は老爺ばかりで、善吉のように若い男は珍しかった。
「もう、みんな、騒がないでよ!」
それが分かっているだけに、春奈は善吉をわざと見せびらかすようにもしていた。
「善吉、お前はうちの奉公人なんだからね」
そう言い置いて、春奈は女学校に入っていった。
善吉が黒峰家に戻った頃には、既に通いの女中がそろっており、掃除や洗濯に精を出している。
善吉は権蔵の庭仕事などを手伝いつつ、またひと汗を流した。
そして昼食。
黒峰子爵家の当主である健太郎は仕事で出かけているため、外で昼食を食べることが多い。
しかし妻の春代は自宅で書き物をする毎日なので、ほとんど自宅で昼食を取った。
「さあ、いただきましょう」
春代の合図で福や智を含めた使用人らが箸を取る。
朝や晩と異なり、使用人達とともに昼食を食べるのは春代の方針。
「米の値段が上がりがちで…」
「日本橋の呉服屋で掘り出し物が…」
「車屋さんから聞いたんですけど…」
作家である春代は、そうして書き物の題材になりそうな話題を集めていた。
昼食後の善吉はお使いに出されることが多い。
特に大きい荷物や重いものの持ち運びを任されるのだが、当然のことと引き受けた。
その後に取り掛かるのが風呂掃除。
庭に撒いたり、拭き掃除に使ったりして減った湯を完全に空にすると、力を込めて湯殿や湯船を磨いていく。
「善吉さんが来てくれて助かったよ」
それまで風呂掃除を担っていた権蔵が礼を言った。
そして夕刻。
またも汗を拭いて身支度を整えると、春奈を迎えに女学校へ向かう。
同じく出迎えの老女や老爺が待っているのだが、やはり年若い善吉は目立った。
「さ、帰るわよ」
「はいっ、お嬢様」
春奈の友人知人達の視線を浴びながら、善吉は女学校を後にした。
黒峰家の3人に先んじて晩ご飯を食べるのは朝と同じ。
食べ終わった後は風呂の順番を待ちつつ、本を読むなどして過ごす。
善吉が風呂に入るのは一番最後のことが多く、翌日に備えてザッと片付けて湯殿を出る。
そこから寝るまでが自由な時間となっていたが…
「善吉、お嬢様が聞きたいことがあるそうだけど、良いかしら」
「はいっ!」
女学校のある日は、ほぼ毎日、春奈から呼ばれる。
善吉はランプの火を小さくすると、早足で春奈の部屋に向かった。
布団の中で手足を軽く動かした後、むくりと起き上がった。
寝間着代わりの浴衣を脱いで、白綿の着物をはおり柔術の帯を締める。
手ぬぐいと使い古した別の帯を手にすると、裸足のまま庭に出る。
「ええいっ!」
太い庭木に帯を回すと、打ち込みを始めた。
「柔術の打ち込みか、うむ、好きにするがいい」
黒峰健太郎子爵は笑って善吉に許可を出し、権蔵も「この木なら」と善吉に勧めた。
善吉が汗をかき始めた頃、権蔵がカタンカタンと雨戸を走らせる。
「善吉さん、朝から精が出るな」
「おはようございます!」
権蔵の雨戸開けは、黒峰家にとって目覚ましのようなもの。
「おはようございます!」
善吉の声が良い香りの満ちた台所に響く。
福と権蔵の妻である智が「おはよう」と返した。
こちらに来た翌日、水汲みや火おこしでも担おうかと思った善吉は打ち込みの後に台所に顔を出した。
しかし…
「水はここから出るんだよ」
「火はこうするのさ」
水道やガスは善吉を驚かせる。
昔ながらの屋敷だった黒峰家にも、文明開化の波が訪れていたことを知った。
頼まれるとすれば、米俵を運んだり、味噌樽やしょう油樽を運んだりするくらい。
それも毎日あるわけではない。
「さあ、食べようか」
権蔵も加わった4人で朝食を食べる。
江戸の頃から続く黒峰の大きな屋敷ながら、住み込みの使用人はこの4人のみ。
他は通いで働いている。
福と智が朝食を食べる黒峰家の3人の給仕をしている間、善吉は権蔵とともに玄関先などをきれいに掃除する。
「玄関はその家の顔だからなあ」
何度も権蔵はつぶやいた。
権蔵が掃除や庭仕事を続ける一方、善吉は作業を切り上げる。
汗を拭き、きれいな袴を履くなどして、身支度を整えた。
黒峰家の一人娘である春奈を女学校に送っていくためだ。
春奈の送り迎えこそ、善吉にとって一番の仕事と言っても過言ではなかった。
「いってらっしゃいませ」
福や智、権蔵が見送る中で春奈が門を出ていく。
善吉は春奈のカバンや風呂敷包みを抱えて、後に続いた。
「あれが郵便局」
「はあ」
「あの看板は医者ね」
「へえ」
「そっちは眼鏡屋」
「ほう」
女学校に向かうまで春奈が町の案内役を買って出た。
見るもの聞くもの珍しいものばかりの善吉にとっては、春奈の一言一言が頭にしみ込んでいく。
女学校に着いた時もひと騒動だった。
「後藤様、笹木様、おはようございます」
「黒峰様、おはようございます。あら?」
「黒峰様、おはようございます。そちらは?」
春奈の友人知人達が、早々と善吉に目を付けた。
「こちらはどなた?」
「家の奉公人ですの。ご挨拶なさい」
「はっ、岡岳善吉と申します。よろしくお願いいたします」
善吉が頭を下げると、取り囲んだ女の子達から「きゃあ」と歓声があがる。
春奈のように、登下校に付き添いを連れている学生は多い。
ただし女学校と言うこともあって、年の上下こそあれ女の使用人がほとんど。
男の場合は老爺ばかりで、善吉のように若い男は珍しかった。
「もう、みんな、騒がないでよ!」
それが分かっているだけに、春奈は善吉をわざと見せびらかすようにもしていた。
「善吉、お前はうちの奉公人なんだからね」
そう言い置いて、春奈は女学校に入っていった。
善吉が黒峰家に戻った頃には、既に通いの女中がそろっており、掃除や洗濯に精を出している。
善吉は権蔵の庭仕事などを手伝いつつ、またひと汗を流した。
そして昼食。
黒峰子爵家の当主である健太郎は仕事で出かけているため、外で昼食を食べることが多い。
しかし妻の春代は自宅で書き物をする毎日なので、ほとんど自宅で昼食を取った。
「さあ、いただきましょう」
春代の合図で福や智を含めた使用人らが箸を取る。
朝や晩と異なり、使用人達とともに昼食を食べるのは春代の方針。
「米の値段が上がりがちで…」
「日本橋の呉服屋で掘り出し物が…」
「車屋さんから聞いたんですけど…」
作家である春代は、そうして書き物の題材になりそうな話題を集めていた。
昼食後の善吉はお使いに出されることが多い。
特に大きい荷物や重いものの持ち運びを任されるのだが、当然のことと引き受けた。
その後に取り掛かるのが風呂掃除。
庭に撒いたり、拭き掃除に使ったりして減った湯を完全に空にすると、力を込めて湯殿や湯船を磨いていく。
「善吉さんが来てくれて助かったよ」
それまで風呂掃除を担っていた権蔵が礼を言った。
そして夕刻。
またも汗を拭いて身支度を整えると、春奈を迎えに女学校へ向かう。
同じく出迎えの老女や老爺が待っているのだが、やはり年若い善吉は目立った。
「さ、帰るわよ」
「はいっ、お嬢様」
春奈の友人知人達の視線を浴びながら、善吉は女学校を後にした。
黒峰家の3人に先んじて晩ご飯を食べるのは朝と同じ。
食べ終わった後は風呂の順番を待ちつつ、本を読むなどして過ごす。
善吉が風呂に入るのは一番最後のことが多く、翌日に備えてザッと片付けて湯殿を出る。
そこから寝るまでが自由な時間となっていたが…
「善吉、お嬢様が聞きたいことがあるそうだけど、良いかしら」
「はいっ!」
女学校のある日は、ほぼ毎日、春奈から呼ばれる。
善吉はランプの火を小さくすると、早足で春奈の部屋に向かった。
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