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第23話 ティノロッシとディスタントの訪問

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王都タランガの片隅にあるラシャンスの家。
家の主人であるラシャンスは遠くへ旅に出ている。との体で、弟子となったレトワールが日夜1人で切り盛りしていた。

周囲の人々からすると、それなりの家を小さな女の子が1人で留守番をしているのが気になるらしく、ラシャンスがいた頃よりも近所の人々や行商人らとの交流が増えていた。

新鮮なミルクを売りに来た商人と話をしていたレトワールは、帽子を目深に被った青年が近づいてきたのを見て、商人との会話を切り上げた。
「じゃあ、また来週にでも来るよ」
「はい、どうぞよろしくお願いします」

ミルク売りが立ち去るのを確認した後、レトワールは静かに青年を招き入れた。
青年は「いきなりごめんね」と謝って帽子のつばをちょっと上げる。
「殿下!突然どうなさったのですか?」
帽子を目深に被っていた青年は、ティノロッシ・ド・グローリー王太子だった。

レトワールが周囲を見回したものの、ティノロッシ王太子が乗ってきたと思われる馬車は見当たらず、王太子を護衛してきたと思われるような部下の姿も見つからなかった。どうやらティノロッシ王太子だけで王宮から抜け出してきたらしいとレトワールは推測し、それは当たっていた。
「いくら何でも不用心過ぎます!」
「ごめん」
扉を閉めたレトワールはしっかりと鍵をかける。ティノロッシ王太子の身に万が一の危険が起きては、マジョール王国の危機にもなりかねない。

レトワールはティノロッシを居間に入れる。幸いなことに前回よりも片付いていた。
「すぐにお茶をいれますから」
ティノロッシにソファーを勧めたレトワールは台所に行く。
深く「はあ」とため息をついたティノロッシは、帽子とマントを傍らに置くとソファーに腰を下ろした。

「どうぞ」
「ありがとう」
レトワールが勧めたお茶を口にしたティノロッシは暗い表情のまま、二度目のため息をついた。
「どうかなされたのですか?」
ティノロッシは「父上がね…」と語り出す。

グリーノール・ジ・グローリー国王陛下に何かあったのかとレトワールは身を固くした。
しかし次の言葉で気が抜ける。
「明るいんだ。ここ数日」
「…はあ?」
その後に何も言わないティノロッシに対して、レトワールは「良いこと、ですよね」と念押しする。
「その理由が問題なんだ」
「理由?」
ティノロッシがレトワールを見つめる。
「少し前にラシャンス様から手紙が届いたんだよね」
そこまで言われて、レトワールも「ああ、そうか」と気づいた。

「父上が嬉しそうにしていたんで、今朝、何かあったのかと尋ねてさ」
「ええ」
「聞かれた父上は嬉しそうな顔をしたまま壁を指さしたんだ」
「壁…ですか?」

ティノロッシの言葉に釣られてレトワールは自宅の壁を見る。グリーノール国王陛下の執務室の壁は知らないが、自室の壁には絵すらも飾っていない。飾ると言えば、せいぜい花瓶に花を挿すくらい。

「そこにはラシャンス様の手紙が額装されていてね」
「えぇ…!?」
ティノロッシの言葉を聞いたレトワールは露骨に変な声を出した。さすがに表情こそ抑え気味だったものの、内心ではスカートの裾を握りしめて駆け出したくなるくらいの驚きだった。

そんなレトワールに気づかないまま、ティノロッシが話を続ける。
「ラシャンス様はどこかを旅しているって思い込んでいたから、ラシャンス様の手掛かりがあったって部分では喜ばしいのだけど、父上宛てに手紙が来ていたってのを聞いて何だかやり切れなくなっちゃって」
「そうでしたか…」
レトワールは顔こそ同情するふりをする。
が、内心は「もう帰ってくれないかなあ」とティノロッシ王太子を一刻も早く追い返す方法を模索していた。

「手紙が欲しいってわけでもないんだけど、無いよりはあった方がいいし、それが私に向けられたものならうれしいよね。それが国王陛下だからって…」
そんなレトワールの思惑を知らないまま、ティノロッシはブツブツと心境を語り続けていく。
「ティノロッシ殿下」
「うん?」
ティノロッシはつぶやきを止めて顔を上げる。
「もし、お師匠様から手紙が届いたら、殿下はどうされますか?」
「どうって?」
「陛下と同じように額装しますか?」
レトワールは嫌悪感を隠して尋ねる。そしてティノロッシの返答はレトワールにとって予想外だった。
「まさか!」
一瞬安心としたレトワールだったが、次の言葉に表情が固まる。
「額装なんかしたら、陽に焼けてしまうじゃないか!」
「まあ…そうですね」
「私なら絹のハンカチで丁寧に包んだのち…」
「ええ」
「水に濡れないよう油紙でくるんで…」
「はあ」
「厳重に鍵のかかる箱に入れて…」
「えっ!」
「柔らかな布を巻いて…」
「へ…?」
「枕にする!」
力強く拳を握って言い切ったティノロッシに、レトワールは完全に腰が引けていた。
「枕にするのは、盗まれないようにってことですか?」
レトワールは一応聞いてみた。ティノロッシは照れながら答える。
「それもあるが、もしかしたらラシャンス様の夢が見られるかも、と思って」
「ああ…」
表情を固まらせたままのレトワールは全身の力が抜けるのを感じた。
両足に力を入れないとソファから滑り落ちてしまいそうだった。

『10歳の子供が言うのならともかく、良い歳をした王太子が言うことじゃないよね』

レトワールは5年前に亡くなったフレグラント王妃の死因について、グリーノール国王とティノロッシ王太子に挟まれた王妃が心労を募らせたのではないかと想像した。

『あ、もしかしたらフレグラント王妃が国王や王太子をこんなにしちゃったのかも』

どちらにしても言葉にすべきではないと考えたレトワールは、再びティノロッシ王太子を早々に帰す方法を考え始める。

「えっ!」
その時、レトワールは自宅に向かって異様な気配が近づいてくるのを感じた。

「これは、もしかして…」
異様ではあったものの、敵意はない。むしろ長年見知った間柄の気配。それでも異様さは打ち消せなかった。レトワールが家の防御度を高めようとした寸前で、玄関の方から何かがぶつかったような音が聞こえてきた。

「…遅かったあ」

その衝撃で家全体が揺れる。レトワールはソファの手すりをつかんで耐えた一方、ティノロッシはソファから転がり落ちた。
「な、何だ!」
「玄関に行ってみましょう」
「危なくないのか?」
「たぶん…大丈夫でしょう、これ以上のことは無いかと…」
レトワールの先導について玄関でティノロッシが見たのは、真っ二つに割れた玄関の扉をそれぞれの手に持ったディスタントだった。

「ディスタント様っ!!!」
「ごめんなさいっ!」
「今回は弁償していただきます!!!」
ディスタントは「はいっ!」とレトワールに向かって敬礼した。もちろん扉の半分を軽々と持ったまま。
ティノロッシがレトワールの後から顔を出す。
「お前、ディスタント・ドラムスではないか!」
「あっ!王太子殿下!」
2人の次の言葉は同じだった。
「「どうしてここに?」」

ディスタントを客間に招き入れたレトワールは、彼にもお茶の用意をする。
「ありがとう」
「いいえ、どういたしまして」
ディスタントは一気に飲むと、「ふぅ」とひと息ついた。
「それで、どうしてこちらに来られたのですか?」
お茶のお替りを注ぎつつ、レトワールが尋ねる。

ディスタントはここに来た理由を2人に説明し始めた。
「久々に王都タランガに戻ったんで、ファルツァーに会いに行ったんだ」
「うむ」
「はい」
興味深そうにレトワールとティノロッシが耳を傾ける。
「そこで誘拐事件のことを知って…」
「うむ」
「はい」
「ラシャンスから手紙が着ていたと聞いたんだ」
「そうか」
「そうでしたか」
2人はディスタントが玄関の扉を壊した理由を理解する。しかし、レトワールは顔に出さないまま内心で呆れた一方、ティノロッシはディスタントの思いの強さに共感した。
「それにしても、玄関の扉は壊さないで欲しかったです」
ディスタントは「ごめんなさい」と身を小さくした。

「いや!」
ティノロッシがソファから立ち上がる。
「ディスタント!そなたの気持ち、私にはよーく分かるぞ」
「王太子殿下!分かっていただけますか?」
レトワールがあっけに問われる中、ティノロッシがディスタントの両手を握る。
「私もラシャンス様が旅に出たと聞いてから、心配な日々が続いているのでな」
「はい、私もです」
ディスタントもティノロッシの手を握り返す。
「私は魔法は使えませんが、せめて何か手助けでもと思っていたのですが…」
「うむ」
「誘拐事件が起きていて、ファルツァーやオーブ様に手紙で対応を求めたのは当然です。でも、どうして私もそこに加えてくれなかったのか…と」
「うむ」
ティノロッシが大きくうなずき、「それだけではないぞ」と続ける。
「と、言いますと」
ディスタントがティノロッシの言葉に驚く。
「実は我が父にもラシャンス様から手紙が届いていたのだ」
「ええっ!」
ティノロッシは、ラシャンスからグリーノール国王宛てに誘拐事件の対処を求める手紙があったことを明かした。

「もちろん父であるグリーノール国王陛下の対処で十分だったがな。それでも私にできることがあったのではないか。どうして私を頼ってくれなかったのか、とな」
「分かります!」
ディスタントがうなずきながら、両手で握ったティノロッシの手を大きく上下に振った。

熱く語り合うディスタントとティノロッシを前に、レトワールは『どうやって帰ってもらおうかなあ』と考えていた。しかし“手紙”と聞いて、ふと尋ねてみたくなる。
「ディスタント様、もしお師匠様から手紙が届いたらどうしますか?」
ディスタントは、少し考えて「読む」と答える。
「読んだ、あ・と・で・す。グリーノール国王陛下は額装したそうです」
「額装か、それも悪くはないな」
ディスタントの感想を聞いたレトワールは『こいつもか』と内心で毒づいた。
「いや、枕にするのが良いと思うぞ」
ティノロッシが割って入る。
「枕、ですか?」
「そうだ、こう…箱に入れて…だな」
「ふむふむ」
「でもって、包んで…と」
「ほうほう」
その後も夢だの何だのと語り合うディスタントとティノロッシを冷めた目で見つめつつ、冷めかけたお茶を飲む。

「いや、しかし王太子殿下、確かに枕も興味深い案ですが、私は同意できない部分もあります」
「ほう、では、そなたは手紙をどうするつもりだ」
ティノロッシに聞かれたディスタントは胸を反らし気味にして「食べます」と答えた。

レトワールは『お茶を飲み干していて良かった』とつくづく思った。
万が一にもお茶を口に含んだところであれば、ティノロッシとディスタントに吹きかけていた可能性が大きい。

「食べる…なぜだ?」
レトワールの内心を言い当てたかのように、ティノロッシが尋ねる。
「例えば、食べると夢に出てくるのか?」
レトワールは『いい加減夢から離れてよ』と言いたかったが、ディスタントの返事を待った。
「手紙を食べてどうにかなる…と言うわけではありません」
「ほう、すると?」
ディスタントが真剣な顔になる。
「ラシャンス様の手紙を食べれば…」
「食べれば?」
「強くなれるかもしれません」
できるだけ剣などの武器や魔法に頼ることなく、素手の強さを追及するディスタントらしい答えだった。しかしレトワールやティノロッシには理解できなかった。
「強く…なれるのか?ラシャンス様の手紙を食べると」
ディスタントは首を振る。
「なれる、かも、です」
自信満々のディスタントにレトワールが口を挟んだ。
「あの…かもって、強くなれるかも、って言う根拠は何でしょうか?」
「うん、よくぞ聞いてくれた。それはな…」
ディスタントが腰を曲げてレトワールに顔を近づける。レトワールはちょっと身を引いたものの、ティノロッシが身を乗り出した。

ディスタントは拳で胸を叩いて「勘だ」と答える。
レトワールは「はあ?」と気の抜けた返事をした。
一方でティノロッシは「なるほど」とうなずいた。
「英雄ドラゴンキラーの“勘”か」
「はい、大魔法使いであるラシャンス様の手紙であれば、何らかの効能があっても不思議ではありません」

『いやいや、そんな効能、欠片も無いから』

そうレトワーは否定したかったものの、勘を根拠にしたディスタントに何を言っても無駄と思い、内心で突っ込むだけにしておいた。

「ですから、ラシャンス様の手紙を食べることで、わずかであっても強くなれるのではないかと」
勘だけを頼りながら自信満々なディスタントの言葉に、ティノロッシは「うーむ、食べるか、うーむ…」と何度もつぶやいた。
「私が食べても強くなれるだろうか?」
ティノロッシに聞かれたディスタントは、あごに手を当てて考え込む。
「私は強くなることが目的ですから…。王太子殿下は何を望みますか?」
ティノロッシもあごに手を当てて考える。
「私か?私は、やはりラシャン…」
ディスタントが「え?」と聞くと、ティノロッシは「ゴホンゲホン」と咳き込むフリでごまかす。
「ま、まあ、いずれ私が王位に就くことを考えると、この国を治めるための政治力…だろうか」

『王国を統治するための政治力より、私が先に出る王太子ってどうなのよ』
レトワールは再び内心で突っ込む。

だが、ディスタントは違った。
「政治力…ですか?ラシャンス様の手紙であれば、そんな願いがかなうかもしれません!」
「そ、そうか!」

レトワールは内心の突っ込みをやめて、お茶を入れ直すことに決めた。
温かなお茶と甘いお菓子を飲み食いしつつ、熱く語り合うディスタントとティノロッシを眺める。

『片や英雄の1人、片や未来の国王、にもかかわらず、どっちも残念度が上がる一方なのよねえ』

そう考えるレトワールの耳元がちょっと動く。水の精霊であるメリナが2人に見つからないよう耳元に姿を現した。
「残念度はともかく、どちらかで手を打っても良いのではありませんか?」
そうささやきかけてきた。
「あの残念度をともかくってしちゃうのはダメでしょ」
レトワールが小声で返事をすると、メリナが再びささやいた。
「鼻ちょうちん、白目、歯ぎしりも相当な残念度だと思うんですけど」
「…覚えてなさいよ」
レトワールがひと睨みすると、メリナは「キャー」とささやいて姿を消した。

レトワールがお茶のお代わりを飲み干したところで、ティノロッシとディスタントは固い握手を交わした。
「ディスタント、これから頼むぞ」
「王太子殿下もよろしくお願いいたします」
手を離した2人は、レトワールに目を向けた。
「申し訳ない、随分と長居してしまったな」
すまなそうな顔をするティノロッシにレトワールが尋ねる。
「何か約束でもなされたのですか?」
「約束と言うわけでもないのだがな。まあ、ラシャンスについて協力して情報交換をしていこうと決めたのだ」
「…はあ?」
レトワールの口が開いたままになる。
「私は王都で」
ティノロッシに続けてディスタントが話す。
「俺は地方を回って、ラシャンス様の手掛かりを探す」

『実はラシャンスは目の前にいるんですよ』

そう言ってしまえば驚くだろうなと思ったレトワールだったが、もちろん言わない。言うわけがない。
「それは…大変そうですね」
取り繕ったレトワールに、2人は即座に否定した。
「いやいや、ラシャンス様のためなら」
「うむ、大したことは無いな」

その後、レトワールからお菓子をお土産として受け取ったティノロッシとディスタントがは、肩を並べて帰って行った。
「何か…こう…適当な情報を流したら、あの2人を操れる…かなあ」
2人の背中を見送ったレトワールはそう考えた。

「さて、出かける用意をしますか」
玄関の扉を閉めたレトワールは今夜の予定を思い返した。
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